18.夜中
「黎冥のお見合い話を聞いてどう思う?」
昼食中、向かいに座ってきた慧からそんなことを聞かれた。
黎冥が研究会で出掛けており、アヤネが本当に久しぶりの一人で食事をしていた最中のこと。
「どうって…………あ、相手が可哀想……とか……?」
「相手……?」
「あんな奴と一目惚れでもないのに付き合わされるって生きてる中で時間の無駄ですよ。恋してるストーカーなら話は別ですけど」
この本、前に読んだ気がする。
いや誰かに内容を聞いただけかもしれない。
記憶にある内容とセリフが酷似している。
「……アヤネちゃんは時間の無駄だとは思わないのかい?」
「元々死ぬ気だったところを拾われたんで無意味でも忙しくても暇でも興味無いと言いますか」
正直どうでもいいし、別に誰といようがそれが無意味だろうが、他人に迷惑がかかっていないならなんでもいい。
今ここで殺されても未練はないし文句も言うまい。
「アヤネちゃん……病んでる……?」
「病めるほどの精神があればいいんですけど。自分の芯を持ちすぎて疲れるよりかは曲がって折れて抜かれて人の波に流された方がいいと思いますって言うだけの話です。二十年も生きてない餓鬼の戯言ですよ」
アヤネが鼻で笑うと慧と、慧の弟子の奪、委、早津の二文字三人組が顔を引きつらせた。
慧は額を押え、大きな溜め息を吐く。
「黎冥の影響か……」
「狂った環境で育ってねじ曲がった結果です」
「……アヤネちゃん! やっぱり私の元に……!」
慧がいきなり立ち上がり、本を読むアヤネに顔を近付けた時。
食堂がざわめき出して職員室側から黄色い悲鳴が上がった。
アヤネは顔を逸らし、四人はそちらに視線を向ける。
事態によっては緊急帰還を要すると思い、食堂の入口側を見下ろした瞬間、客人の後ろにいた稔想と目が合った。
メガネありなのでしっかり分かる。
相手が見ていないのをいいことに後ろを指さし、逃げろと指示してきた。
ちゃんと学んで、覚えている。
誰かと目が合った時は良くないことが起きる前兆です。
「慧先生失礼します」
「え?」
本を持ち、客人が登ってくるのとは反対から階段を駆け下りた。
「アヤネ様!?」
「アヤネ様待って!」
二人の声を無視して靴を履いたまま寮に飛び込むと、いつの間にかすぐそこまで来ていた客人の指を挟む勢いで扉を閉めた。
自己的意欲が湧かずとも、やれと言われたことは出来るものだ。
日を越えてから研究会が終わった黎冥はさっさと学校に帰る。
今日は一日出掛けていたし昼もまともに食べていないので疲れた。
と言うか昼を食べてからの活動時間が長すぎた。夕食ぐらい食わせろ。
この時間だと食堂は空いていないし、店で買っていくにも素顔なので絶対に囲まれる。それは面倒臭い。
アヤネは起きているだろうか。
起きていたらお使いに行かせよう。嫌なら無糖ドーナツを作らせよう。
あれが美味しかった。
警官に見つからず遊んでいる不良を無視しながら学校に入ると、片足が壁に入るほどその場を飛び退いた。
右の木箱にはセリョア、その上には雯麟。
左の本の山にはシュルト。
稔想は本を読んで待っており、その隣には彼女か、見知らぬ女性が肩にもたれて眠っている。
何故稔想以外ここで寝ているのだろうか。
来たとしても部屋帰れよ。それかホテル行け。
「おかえり兄さん」
「どういう状況……?」
「えーと」
雯麟はセリョアの付き添い
セリョアはアヤネ目的で転校
シュルトはアヤネ目的で来日
稔想の隣にいるのは圜鑒のお見合い相手。
「……今から言うこと全部覚えてやれよ」
「出来たらやで」
雯麟は追い返せ。
セリョアの手網は校長に。
シュルトは雯麟の付き添い。
最後の奴は断れ。てか誰。
「一番と三番は……」
「じゃ、頼んだ」
「無理やって」
「弟よ」
疲れた早く帰りたいし寝たい。
稔想の肩に手を置き、肩を震わせ首をすくめる稔想に笑いかけた。
「兄の命令は絶対。仮にも黎冥家の次男だろ。やれ」
「……は、い……」
こう言われたら押しに弱い稔想、特に夜の稔想は断れない。
夜になると一日の疲れと脳の記憶機能で精神がやられ、だいたいなんでも言うことを聞くようになる。
これで胃に穴が開きましたと言われても知らない。
体調管理を怠ったのは自分だし逃げなかったのも自分だ。
黎冥は稔想にも逃げ道は示している。
が、それでも首を竦ませ、恐怖と不安に染まった目を泳がせる弟を見ると哀れみと言うか、罪悪感が出るものだ。
いくら人の心がないとは言えど、家族内で唯一の味方だった弟には同情の念がある。
「……まぁ放置しとったら俺がやっとくから好きにしとってええよ。アヤネにでも頼ったら俺に回ってくるから上手く使いーな」
稔想の整えられた前髪をかきあげてぐしゃぐしゃと撫で、そのままアヤネの寮に向かう。
肩に寄りかかっていた人を放置してやってきた稔想は黎冥の後ろから覗き込み、黎冥に続いてノックをした。
数十秒した後ゆっくりと扉が開き、細く開いた扉からアヤネが顔を出した。
二人の顔を確認したあと、そっと力強く閉じる。
「おかえりおやすみ」
「アヤネ、お使い」
「外出時間過ぎてるんで」
「んじゃ稔想」
「何買ってくるん……」
「俺の軽食」
「食の好みが究極的に合わへんって話せんかったっけ?」
少し怯えたように言う稔想に口を尖らし、またアヤネに声を掛ける。
「アヤネー、なんか作って」
「自分で作れ」
「俺料理出来ない」
「家事全般いけるって言ってたじゃん」
「料理、洗濯、掃除、裁縫、刺繍、実験しか出来ないよ」
「今料理っつったな。あと裁縫と刺繍は同類、実験は家事じゃない」
凄い、全部突っ込んでくれた。
面倒臭そうに扉を開けたアヤネは二人を見上げる。
扉を開けて床に座り、本当に恨めしそうな顔で睨んでくる。
「寝てた?」
「寝落ちかけてた」
「ギリギリ。なーんかつーくーって!」
黎冥が合掌した手を右頬に添えると、アヤネは怪訝そうな顔をした。
こいつ、寝不足か過労かでおかしくなっている。
頭のネジが飛んだか。
いや元々だった。
「いいけど黒のあの人……えーと……追い返してよ」
「うんシュルトな。名前ぐらい覚えてやれ」
「私が成人するまでに恋人関係でしょ。名前知らない恋人って面白くない」
「頭腐ってきたな」
寮を出て、三人で食堂と職員室の間にある通路から台所に入った。
何故鍵を持っているのかはあえて聞かない。
「何作りゃいいの」
「満腹中枢の満たされるもん」
「あぁん……? カツ丼でも作ってやろうか」
「作れるもんならやってみろ」
「兄さん太るで……」
「こんな夜中にんな面倒臭いもん出来るか」
ドヤ顔で二本指を立てた黎冥に稔想は小さく拍手を送り、アヤネは保冷室を開けて何かいいものはないか探す。
一人から三人分までは好きに使っていいよと言われた。
毎月新料理開発に勤しんでいるのでそれの具材程度なら全く問題ないよ、と。
さすがに申し訳ないので主食材は自分で買って、調味料等は使わせてもらっている。
保冷室の中も仕切りで区切ってくれてある。
「……卵焼き?」
「腹減ったっつったろ」
「お腹膨れるじゃん」
「満腹中枢を刺激するもんを作れ」
「ガムでも噛んどけ」
「甘くないの作れよ」
保冷室をあさり、とりあえず主役を探す。
「あ、親子丼?……あ駄目だ白米ないや」
「しっかりせぇ」
「アヤネちゃんが前食べとったドーナツは? 美味しかったしお腹膨れるやん?」
「ドーナツねぇ……じゃあ激甘豆腐ドーナツで」
「無糖ドーナツで」
「砂糖入れない。蜂蜜で」
「蜂蜜の八十パーセントは糖分です」
「面倒くさっ……」
アヤネは豆腐を出すと、片栗粉と薄力粉、砂糖、蜂蜜を準備してそれを作り始めた。
作り方は簡単。
材料を適当に全て混ぜ、手で触れる硬さになったら一口サイズに丸め、六つを円形に繋げ、でも今回は時短で二本のスプーンで丸めて一口大で揚げる。
「完成」
「全部目分量でやったな」
「よう分かんね」
「これは完全に慣れ。あとは直感」
兄弟がドーナツを立ち食いしている間に油を片付け、洗い物を済ませ、調理員宛に使用メモを書くと調理室を出て扉を閉めた。
鍵が掛かったのを確認し、ドーナツを頬張る兄弟を見上げる。
「あんたらそっくりだな」
「よく言われる」
「俺初めて言われた!」
「俺も」
「は?」
兄の不可解な言動に眉を寄せ、覗き込む。
と、頭突かれた。
この凶暴長男め。
「そいじゃおやすみー」
いつの間にかアヤネは自身の寮のところまで戻っており、二人が手を振って返事をする前に扉を閉められた。悲し。
翌朝、騒がしい校内に着替えたアヤネが出ると広間には凄い人溜まりが出来ていた。
中どころか、外にも人が溢れている。
本校ってこんなに人いたんだ。
「おはよ」
「なんの騒ぎ?」
「セリョアと雯麟が広間で握手会だと」
「あれは追い返せた?」
「まだ。思ったよりも手強くて」
皆に見つかる前に食堂に向かい、今日も今日とて黎冥に一口だけ食べさせてもらった。
今日はサンドイッチを一口だけ。
「……あれって私のどこに惚れてんのかな」
「は……?」
「場所によってやり方が変わる」
「え、えぇと……」
まぁ、あの家系の性格から言ってまずは力。
あと黎冥長男の弟子というところとか、加護が多いとか。神石を持っているししかも最高品質とか。
「信徒関係?」
「んー……でも化粧したら確実に惚れる顔だとは思う。てかあの顔を嫌う奴はいない」
「頑張れ私。精神すり減らせ」
「いや無理すんなよ……」
「ガンバリマス」
パンを食べ終わり、一度アヤネの寮に戻ってメイク道具を持つと広い黎冥の部屋に移動した。
その間に三人に見つからなかったのは奇跡。
「てかこんな分校に黒大集合してていいの」
「あんま良くない。良くないけどアヤネがいるから問題ない」
「私って便利なんだね」
「その分利用価値が上がってんだから気を付けろよ」
「分かってるよ」
見ていてびっくりするほど塗り重ね、もう地肌など見せませんと言うほど塗り重ね、違和感しかないほど塗り重ねたのに、完成すれば見慣れたアヤネに戻るのだから不思議なものだ。
「アヤネっていっつも同じメイクよな」
「いや用途によって使い分ける」
「今度赤系のメイクして」
「いいけど」
黎冥の趣味か。
別に嫌いではないのでいいが。いいが、師匠の趣味に付き合わされるのはなんか嫌。
だが考えてみれば刺繍も料理も全て黎冥に付き合っていただけだ。
もういいや。
「あれどこにいる?」
「職員室で駄弁ってるかどっか徘徊してるか」
「職員室な気がする」
アヤネの直感で職員室を覗き、机で本を読んでいるのを見付けた。
皆、黒一人に職員なので怖々仕事をしている。
「なんでわざわざ来たんだか」
「お前眺めるためだろ」
「しつこいなぁ」
二人が喋りながら中に入るとシュルトは顔を上げ、アヤネに寄ってきた。
「お久しぶりですアヤネ様。昨日はお話出来なくて残念でした」
「お久しぶりです。すみません、体調を崩していて」
アヤネはお得意の話術は懐に潜り込み、二、三分間で話を弾ませるとそのまま職員室を出て行った。恐ろしや。
「黎冥、見合いの話が来たらしいね」
「断った」
慧が黎冥の机に座り腰掛けた時、広間の方から大きな悲鳴が聞こえてきた。




