15.迷子
黎冥がサイコパスと断定されてから数日。
アヤネが入口からのT字路を歩いていると、真正面で固まっている男の子と目が合った。
アヤネも足を止め、首を傾げる。
私服で、かなりの軽装に何故か裸足、靴下だ。
頬にガーゼ、額に包帯、耳に切り傷、左手首にギプス。
見たところ同い歳か、一つ下か。
私服で入口付近にいるということは力持ちだろうか。
力なしは外には出られないので私服の意味がない。
変に固まっているが、どうせ変人か何かだろう。
ここは変人の集まりなので気にしない。
アヤネが足を進めて寮の方に曲がろうとした時、ローブをガシッと、割と強めに掴まれた。
慌てて足を後ろに下がり、何かと思って振り返る。と、男の子がアヤネを見上げていた。
「え、誰……?」
「こ、ここ……こここ……どこ……」
妙にこが多かった気がするが気にしない。
そんなことよりも一大事。
「……君、ここで待っててね。ちょっと準備してくるから」
「え、え……」
「あー……そこに座って、本好き? お菓子の方がいい?」
「え、ほ、ほ、ほ、ん……」
「はい本。数分だけ待っててね」
もう緊急時に巻き込まれすぎて対応が一流になってきた気がする。
これなら褒められるのではないだろうか。誰に。
少年を入口すぐ横の木箱に座らせ、肩を軽く叩くとにこりと笑って黎冥寮に走り出した。
今日は引き篭って寮にいるはず。
夜中にサイコパスと言われて弱った心を実験で癒していたので、その反動で引き篭っているはず。
「零、入る」
鍵を開けて扉を開けると、黎冥は床に座って本を読んでいた。
本を読んで、膝には稔想がいて、ベッドには慧がいて、椅子には兎童がいて、稔想と慧は寝ていて。
「なにやってんの……?」
「アヤネがよく来るから皆が色々と確認しに来た」
「お邪魔してまーす」
「私の寮じゃないのでどうでもいいですけど。そんなことより零、緊急」
「何」
「子供が迷い込んだ」
力持ちの信徒が新たに発見される場合、多くはお告げだ。
しかし稀に、縁や生の加護が強い子がここに迷い込む場合がある。今回がそれ。
アヤネと一番に出会ったということは縁の女神のイタズラか生の加護で繋がっていたか。
どっちにせよ緊急事態なのに変わりはない。
兎童は慌てて職員室に戻り、黎冥とアヤネは階段を駆け下りるとお利口に待っていた少年に近付く。
「少年」
「え、あ、は、はい!」
「名前は?」
「ろくろ悠歩です」
「女みたいな名前」
余計なことを言うアヤネを黙らせ、少年の上から下から表から裏まで確認する。
「ここに来た経緯を聞いても?」
「えっと……誰かに突き飛ばされて転んで……」
「誰か?……いじめ?」
「た……ぶ、ん……?」
「おいで」
アヤネを先に行かせて準備を任せ、ろくろの話を聞く。
「何歳?」
「一昨日十六になりました」
「おめでとう。高一か。高校はどこに?」
「俺、五月に引っ越したんです。その時に高校は辞めました。全国最難関って言われるぐらいのところだったんですけど……」
まさかのアヤネの後輩か。
なんと偶然な。
「親は?」
「海外にいます。英國に……」
「一人?」
「兄と一緒で」
「お兄さんは成人?」
「いえ、一つ上です。兄は同じ高校で、転校せずにそのまま」
頭がいいのか。
と言うか見知らぬ奴にこんな個人情報を躊躇いなくペラペラと。
喋る分には問題ないので注意はしないが、せめてもうちょっと警戒心を持ってほしい。
「あの、ここは……」
「秘学神話学校第八分校。これから君が学び暮らす学校」
「……え……?」
アヤネが来た時と同じような、神と人の関係を大雑把に話し、ここの事も軽く説明した。
まだ入学は未定なので、あくまでも外部に知られても問題のない範囲で。
「か、かみ……さ、ま……」
「親とか兄から聞いたことはないか」
「……は、母が、母が毎日お祈りを捧げてたのは知ってます」
「前は外国に?」
「あ、いえ。両親が海外に飛ぶと同時に小さな家に引っ越したんです。兄が卒業したらそっちに行く予定で」
弟の気持ちは無視か、それが意思か、ただの兄贔屓か。
どうでもいいのでわ特に深くは聞かず、職員室の長机に座らせた。
「母親宛に一筆書いてくれるかな。今の神様の話を知っているかと学校について」
ろくろは小さく頷き、それを書き始めた。
その間に黎冥はアヤネに聞いた情報を伝え、字が汚い黎冥の代わりに書かせる。
「えーと、ろくろ君。漢字聞いても?」
「蘆をかき分けるの蘆に黎です」
「よし?……くろい……」
「黎冥の黎じゃん」
「……アヤネ、ここ任せた」
「は?」
黎冥はアヤネの頭に手を置くと、踵を返して職員室を出て行った。
あの字を信徒関係者で持てるのは黎冥家の分家のみだ。
冥はどこにでもいるが、黎は一族の象徴である黒信徒を表すため他では使われるのは禁じられている。
母親が祈っているのなら信徒関係者なのだろうが、まさか分家か。
正直言って、分家でないことを願う。
今ここで分家が出てこられると十中八九当主が出てくる可能性がある。
アヤネの神話界入で混乱に陥っていたのに、さらに花の女神から立て続けに起こる降臨でさらに騒ぎが大きくなっているのだ。
黎冥家の分家が出てくると、たとえ圜鑒と稔想が二人で守っても神守上流には取られるかもしれない。
アヤネを死ぬ気で守っている中で黎冥分家がよそに流れると、その流れのままアヤネが取られかねない。
それは、それだけは絶対に阻止しなければ。
図書館まで駆け上がり、カウンターの机に小さくノックをした。
「藥止司書、黎冥家の相関図を」
「待っとれ」
すぐに持ってきてくれた藥止から大きく分厚い相関図を開き、分家の苗字を調べる。
当主以外が結婚した時点で分家の姓に変わり、即座にここに記録されるので普通は載っているはず。
どれだけ古くてもあるはずなのだ。
初代黎冥からずっと進んでいき、ようやく見付けた。
黎冥圜鑒の曽祖父で別れた分家。
祖父の姉から続く、圜鑒の再従兄弟にあたる分家。
職員室に戻ると稔想もやってきており、アヤネと蘆黎は高校の話で盛り上がっていた。
出たこの比較的長い黎冥より出会った瞬間の相手の方が仲良さげな雰囲気を出す時間。
稔想の時もそうだが、アヤネは途端に深入りするので依存しやすくなるのだ。
もっと広く浅く付き合えばいいものを。
「アヤネ、書類書けた?」
「これでいいんだよね」
「まぁ編入は親の許可が取れてからだけど。たぶん問題ない」
「何かあったの」
「そりゃもう大あり」
黎冥がそれ以上何も言わなかったことでその場に変な沈黙が走り、三人が黎冥に注目した。
「問題は?」
「ないって」
「じゃ何があったんだよややこしい」
「問題があった」
黎冥の手を机に置いて肘で殴り、首の後ろに手を添える。
「問題は?」
「ありましたありましたけど大変なことなのでここでは言えませんすみませんでした」
「また問題か……」
「なるべく抑える」
「絶対抑えろ」
こめかみに伝う冷や汗を拭い、呆気を取られる蘆黎と不安そうな顔をする稔想を見下ろした。
「じゃ、稔想は少年送ってきて。その怪我も理由が理由だし」
「この手の話多いなぁ」
「力の差が出始めて複雑な時期だからな」
蘆黎に手を振り、稔想を見送ると黎冥は一人で自室に帰った。
紑蝶に手紙を送り、念の為セリョアにももしもの時はアヤネを庇えと送っておく。
今日はもう疲れた。
朝っぱらから慧に絡まれ羽鄽に精神を削られ兎童に休息を奪われ、休みだと言うのに一切気の休まらない日だった。
こうなってくると、個人の部屋が守られている生徒寮が少し羨ましくなってくる。
アヤネに関しては無断で開ける人がいるので完全防御ではないが。
黎冥も、部屋にアヤネがいる分にはいいのだ。
アヤネと、稔想もまだギリギリ許せる。が、他は無理。
いくら同級生と言えど性格の微妙に合わない慧とトラウマのある羽鄽、昔から毛嫌いしていた兎童。
赤の他人がいる部屋では休めない。
気を張りすぎていたのもあったのだろう。
普段から人の倍ほどは風邪を引きやすいので、絶対に掛け布団なしでは寝ないよう気を付けていたのに。
目が覚めると頭は朦朧として、喉が痛く鼻も詰まっているのかかなり息苦しかった。
鼻で呼吸出来ないので喉でするしかないのだが、喉で息を吸うと乾燥して咳き込み、それは徐々に酷くなる。
ようやく咳が落ち着いたかと思えば耳鳴りで気分が悪くなり、吐き気に襲われる。
夕食は食べていないし時間にもよるがたぶん昼食も消化済みなので、吐くものはないだろう。
ないはずなのに、物凄く気持ち悪い。
口を押え、咳と吐き気と頭痛と耳鳴りで、本気で絶望している時か。
背中がさすられ、口元に人肌より少し熱い蒸しタオルが当てられた。
呼吸する度に蒸しタオルの湿度が熱気とともに入ってきて、熱で気持ち悪さと湿度で喉の乾燥が収まってくる。
その間もずっと背をさすられ、霞む視界とほぼない意識で手の主を見上げた。
「まだ寝転がってて。熱が高いから」
耳鳴りと同時にそんな声が聞こえ、小さく頷けたのか知らないが、意識だけは返事をして亀の丸まりから横に倒れるように寝転がった。
タオルを押さえていると薄いブランケットが掛けられ、額に滲む汗が拭われた。
たぶん着替えてなかったのを、寝ながらローブだけ脱いだのを覚えている。
「薬はまだ無理だろうから……寝れるなら寝てていいよ。しばらく寝れてたから無理しなくていいから」
机の向かいに立って色々とやるのをぼうっと眺める。
かなり暗いのでほとんど、と言うか姿は見えない。
分かるのはそこにいるということと、声だけ。
目が見えない人はこんな世界で生きているんだなーと実感出来ていると、確認が一通り終わったのかベッドに腰かけた。
ボトルに挿さったストローを差し出され、タオルを口元から外す。
「ゆっくりでいいよ」
支えられながら体を起こして慣れた味を飲み、まだ飲みたかったが体が限界を迎えたので倒れる。
「もういい?」
上手く声が出ず、顔をしかめると今度は頬に手が当てられる。
「ちょっと休んでからで大丈夫だから」
声にならないかすれた意識で返事をすると、ボトルを閉めて机に置いた。
そんな気配がしてから、タオルで口を押さえながら腕に手を伸ばした。




