11.新たな契約
精神が弱っているのもあったのだろう。
アヤネが熱を下げたのは、黎冥が発熱に気付いてから五日が経った頃だった。
アヤネが黎冥の言う発熱を疑うほど、皆がアヤネ監禁疑惑を黎冥に向けるほど、本当に寮から出せない状態が五日間。
今先程、ようやく熱が下がった。
「疲れた……!」
「さっさと寮に帰せばよかったのに」
「一人になりたくないって言ってしがみついたのはそっちだろ」
「大変失礼致しました」
「なんか腹立つなぁ」
床にへばりついていた黎冥はベッドに座り、まだ暗い顔をしているアヤネの頭に手を置いた。
「何」
「後追いすんなよ」
「……どーだろね」
「今ここで契約書書かせてもいいからな?」
と言うかそうだ。そうすればいい。
黎冥は大きく合掌すると、鍵付き棚に入ってきた契約書を取り出して万年筆とインクも取り出した。
「何すんの……?」
「お互いが死んでも契約破棄不可にすれば責任感で死ねないだろ」
「人の善意に漬け込むなよ」
「人の心ないらしいんで」
黎冥の脛を蹴り飛ばし、契約書とペンを奪い取るとベッドに膝で立って、契約書にペンを走らせた。
師弟契約条項第九項
鼓純音ガ往生シタ場合二ノミ契約八破棄サレル。
同契約条項第十項
黎冥圜鑒ガ死シタ場合、契約八永遠二破棄不可トスル。
「これでいいでしょ」
「俺が死んだら永遠に師弟のままじゃん」
「うん」
「俺いつ殺されるか分かんないけど」
「別に弟子のままで困ることないでしょ?」
弟子のデメリットととしてアヤネが考えているのは、
監視
外出制限
罰則規定
命令
の四つ。
全て師がいないと成立しないものだ。
「他にも他の弟子になれないとか就職に制限が出るとかありますけど」
「他人の弟子になる気はないし普通の会社なら問題ない」
「単独祈祷がない」
「別にいい」
「変なの」
単独祈祷は、他人に縛られることなく自分のやりたいように祈れるので、弟子としてはかなり望まれた位置にあるものだ。
まぁアヤネが祈るのは基本一人になるのだが。
これが祈っている間に傍にいたら命が危ない。
「これ殺された場合と病死とかの区別は?」
「付けない。死なないだろ」
「なんで言い切れんの」
「一人にしないって言ったじゃん」
父と母、羽耶と霈霸がいなくなったアヤネが信頼して頼れるのは黎冥だけだ。
勝手に死なれたら困る。
アヤネは、一人で立って一人で生きていけるほど強くはない。
「唯一信用してやってる人間が勝手に死ぬな」
「上から目線な……」
仕方なしにアヤネの頭を無造作に撫で、椅子に座った。
アヤネが破棄宣言をしない限り契約は続く。
アヤネを狙う奴はアヤネを殺せないし、黎冥を狙う奴は黎冥だけを奪っても意味がない。
黎冥を手に入れるにはアヤネに破棄宣言をさせるかアヤネを殺す。
「……いやお前なんも守られてないじゃん」
「なんで?」
「俺目当てのやつがアヤネ殺したら……」
「契約破棄目的でどっちかに接触した瞬間に六項に触れるでしょ」
「……つまりだ?」
つまり、黎冥を脅して殺そうとした奴は、少なくともアヤネを弟子に取ったり師弟関係の思いで破棄させようとしたわけではない、と。
「今そこ行く?」
「捕まるまではずっと行く」
「あっそう……」
つまり、こうすればいいわけだ。
黎冥は他の紙を出してくると、それに何かを書き始めた。
覗くのが面倒臭いので見せてくるまで傍観する。
生命契約条項第一項
鼓純音ガ死シタ場合ニノミ限リ、黎冥圜鑒モ死スルコト。
名前を書いて血判を押し、アヤネにそれを見せた。
それを読んだアヤネは特に反応することもなく、不思議そう、と言うか怪訝そうに首を傾げた。
「頭イカれた?」
「お前にだけは言われたくない」
「私こんなん書いてないし」
「一人になりたくないんだろ」
「死ぬまで一緒はよく聞くけど死んでも一緒は聞いたことない」
「いや結構聞くぞ?」
確かに聞いたことはある。
聞いたことはあるが、そういう場合は大抵、例え話か告白が求婚の時だ。
ただの師弟でこんな命捧げる人、初めて見た。
「まぁ……死んだらなんにもないだろうし別にいいけど」
「神様がいる世界だからな……」
「あの世の国とかあったらやだなぁ」
アヤネも名前を書いて血判を押す。
今、自分でも自覚するほど精神が弱っているのだ。
なんだかんだ言いながら、これぐらいしてもらった方が落ち着くし見放されないと安心出来る。
おとなしく頭を撫でられ、またベッドに座る。
「……シャワー行ってくる」
「なんか食べる?」
「いらない」
アヤネはフラフラと部屋を出ていき、黎冥は契約書をまとめると自然に閉まろうとしていた扉を蹴り開ける。
「にんそー、盗み聞きは駄目だって教えたろ?」
「お、俺……?」
「慧も羽鄽も兎童も。……御三方に関してはなんでいるんですか」
嫁陣、墓千、鳴嬪。
本当に何故ここにいるのか分からない三人だ。
「黎冥君がアヤネさんを監禁してるって聞いて」
「アヤネさんの体調を見に……」
「黎冥お前アヤネちゃんとイチャつくな!」
「黎冥! アヤネちゃんは渡さないからな!?」
「兄さんアヤネちゃんちょーだい! なぁなぁ!」
三方向から腕やら肩やら首やらを掴まれ、これぞまさに引っ張りだこだなんだと思っていると何故かアヤネが戻ってきた。
「零ーっと……一瞬の間に増えたな……」
「全部聞かれてたからな」
「え……」
アヤネが眉を寄せ、非難するような、軽蔑するような目で皆を見ると、羽鄽と鳴嬪は揃って稔想を指さした。
「これに引っ張ってこられて」
「ちょい待ちぃや! 俺が来た時には羽鄽さんはもうおったやん!?」
「いや来んなよ……」
「俺は帰ろうとしたら稔想に止められただけです!」
「止めてませんやん! 俺が圜鑒アヤネちゃんに手出さへんかなって言ったら見張るって言って留まったん自分ですやん!?」
稔想の僅かに揺れる長髪を掴み、自分の方に引っ張ると肩を組んだ。
稔想は自分のした事を悟ったのか、黎冥の手にそっと触れた。
黎冥はそれと指を絡めて手を繋ぐと、なんの躊躇いもなく甲側に反らせる。
「痛い! 痛い! ごめんなさい兄さん! ちぎれる破れる!」
「人間の体そんな脆くねぇよ?」
「破れる! てか折れる!」
「さーん……」
「すみませんでしたやめて!」
「にー」
稔想は発狂し、黎冥は徐々に掛ける力を強くする。
一般人の反った指を戻す力と、非力が握る力なら、年齢や体格差はあれど多くの場合が握る力が勝つ。
お互い爪が刺さって水掻きが裂けそうなほど力を入れているが、人は気の持ちよう。
勝つと思っている握り側と負けると思っている反る側なら、勝者はすぐに分かる。
絶対的強者は、傲慢な姉でも、可愛い弟でも、両親を味方に付ける双子でもない。
一般人並みの力を持ち、人体構造を理解して、それを行うのに一切躊躇わない人の心を持って生まれなかった兄こそが強者である。そして。
アヤネは稔想の発狂を作り出す黎冥の足を蹴り、こちらに気を引かせる。
「私のローブは?」
「クローゼットに掛けてる」
「返せ」
「はいはい」
その強者を手の上で操る傀儡師こそ、完全な王者である。
「なんで弟の手折ろうとすんの?」
「立場と性格と態度を確認させるために歳上の呼び捨ては禁止になってる」
「面倒臭いことすんね」
アヤネはローブに袖を通し、髪を払うと袖を整える。
「別にどうでもいいけどな。どうせ兎童含む何人は呼び捨てだし」
「なんで俺は折られかけたん!? 兄さん!?」
「呼び捨ての区切りは?」
「俺が尊敬するかしないか」
「私尊敬されてないんですか!? 師匠なのに!?」
「遠回しに俺は尊敬されてんのな!」
「鳴嬪さんはまぁ……リーダーだった時の名残りです」
「私無視!?」
これだけ人数が集まると騒がしいものだ。
アヤネは溜め息を吐くと、久しぶりに歩いた足でまずは自寮へと向かった。




