6.テンション高め
色々あって泣き、駅の化粧室から出て道を歩いているとどこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ふいっとそちらを見れば案の定、夜逃げした母親と新しい男が歩いていた。
今度は誠実そうで真面目そうな、表面は信頼出来そうな男だ。
もう関係ないので無視するが。
アヤネが学校に帰り、寮の扉に手をかけた時、扉の下の隙間に手紙とレター郵便が差し込んであるのに気が付いた。
拾い上げれば郵便局印が押された封筒に、差出人は父の名が書いてあった。
宗教に対して何も言わなかったら温厚だった父にだけは母がいなくなったこと、転校したこと、家を売り払ったこと、とりあえず生きていることを伝えた。
返事は来ないだろうと思っていたが驚いた事に来た。
内容としては、宗教が布教されつつあることと起業し波に乗ったこと、実は母の不倫が原因で離婚した事とこれから毎月仕送りをするということが書かれていた。
元々父は乱暴なところやガサツなところがあったが、下手に出ていれば真面目で優しい人だった。
アヤネの聖なる力も父の宗教好きも何か繋がっているのかもしれない。
レター郵便を開けて通帳と銀行カードを取り出し、とりあえず寮に入ろうとした時誰かが後ろから覗き込んできた。
「口座でも作った?」
「勝手に人のもの覗き込むなよ……」
いつも通りデリカシーもプライベートもない黎冥から離れ、寮の中に入った。
当然、扉を閉めるのは阻止されるのでもう閉めようともせずそれを鍵付きの鞄に入れる。
「手紙来てたな」
「来てたよ」
「誰から?」
「関係ある?」
「身内の人が見付かったのかなーと」
「見付かるといいねー」
アヤネは鍵を閉めると寮に腰を下ろした。
黎冥の方を見上げれば首を傾げられる。
「なんで化粧?」
「出掛けてたから」
「外で泣いたってことか。その歳になって?」
「どんな歳でも泣くだろ」
「アヤネって意外と泣き虫だったりする?」
なんだろうか。こいつ、妙にテンションが高い。
少し考えたが理由は分からなかったのでとりあえず父に返事をするためレターセットを出す。
ちなみに父が建てた寺宛に教祖様と書いたら返事が来た。
父に仕送りの礼と母の不倫に関しては触れないこと、教祖と社長を応援していることを書くとまた学校を出た。
と言っても出た真横がポストなのですぐに帰るが。
更衣室で着替え、外に出ると黎冥が待っていた。
せっかく飽きられるようゆっくり着替えたのに。
「なんで付いてくんの?」
「悪い虫が付かないように?」
「過保護すぎ」
「昨日の今日だろ。自分の価値理解して警戒心高めろ」
黎冥がアヤネの額に人差し指を当て、そう言うとアヤネは眉を寄せて不思議そうに首を傾げた。
「いつか大人数で襲われるぞ」
「黒だから?」
「依存してる奴は力を得るために手段を選ばない」
「……気を付ける」
アヤネが小さく頷くと、黎冥は手を下ろして腕を組んだ。
「……とりあえず化粧落とせ」
「なんで」
「なんか嫌」
「私はお前が嫌だよ」
そうは言いながらも個室風呂に付属した洗面所でちゃんと落としている。
「眼鏡なしでも見えんの?」
「ボヤーっと。……この距離で輪郭が見えない」
「ボヤーっとどころじゃないだろそれは」
「たまにぶつかる」
片目しか見えていないのでたまに距離感覚が分からなくなる。
それに加え強い乱視が入ると、本当に視界がある意味がないほど使いものにならなくなるので正直困っている。
「右目は交通事故?」
「事故……事件……高濃度アンモニア水が目に入った」
「え……うわぁ……。……保護眼鏡は?」
「記録書いてる時に男子がふざけててフラスコ割ったから」
小四の時で、高学年が実験中のものを置いていたフラスコを同級生が割った。
その後すぐに洗い流して病院に行ったが、着いた頃には既に失明後だった。
その後数日間は痛みが残ったが今はそれもない。
高濃度だった事もあり、明暗も分からず当然何も見えない。
「……なんかごめん」
「だから実験は嫌い」
「ごめんて」
「別にいいけど」
片目は見えず、片目は非常に視力が悪いため今まで理科の実験はほとんど見学だった。
他にもプールや球技、多人数競技など、眼鏡があると危険なものは全て見学だったので勉強漬けになったのだ。
ボールが来たら、水が入ったら、ぶつかったらという教師の過度な心配でいつも教室で待たされ、皆からは哀れだの羨ましいだの言われてきた。
勉強は嫌いというくせに勉強しているアヤネに対しては羨ましいと言う。
よく言って気分屋、悪く言って矛盾。
「確かにこれ以上問題起きても嫌だろうな」
「嫌だろうけどせめて本人に悟られないように動いてほしかったよ。公立の馬鹿中だったから無理だろうけど」
「よく馬鹿中から偏差値七十五に行けたな」
「頭いい所に行ったらこの目の差別もなくなるかと思って。医者の子供とかいそうじゃん?」
色々と苦労してきたらしい。
よくもまぁ生きていたものだ。
宗教に拒食症にオッドアイに毒舌等、子供が嫌いそうなもののオンパレードだ。
ストレスで自殺していてもおかしくない。
「生きてるだけで十分か」
「気持ち悪……」
「よしよし」
「触んな」
頭に手を置けばすぐに払われ、いつもの数倍鋭い目で睨まれた。
怖や怖や。
今日は休日なので廊下の人が多い。
皆、道を作っている棚や積み重ねられた本、古びたクローゼットに並んで座ったりして場所を確保している。
誰かが落ちたら面白いなと思いながら歩いていると本当にどこからか誰かが落ちた、ガンッと鈍い音が聞こえてきた。
「信じらんない! 最低! 二度と話しかけないで!?」
「まっ……誤解だって! 本当に何もしてないの!」
女子二人の怒声が響き、周囲が不穏な空気になる。
「女子って腹黒いよな」
「腹黒いからこそ成り立ってる友情があんの」
「それは友情じゃない」
「利用価値が高いとも言う」
「そうとしか言わないだろ……」
誰々と一緒にいたら品がいいから、好きな男子と仲のいい女子と仲良くなってあわよくば、あのグループはカーストが高いから、クラスの中心と仲良くないといじめられるから。
生まれた頃から一緒にいる親友でさえ中学高校に上がったら絶交するし、逆に中学高校で出会う運命の友人は一人か二人だけだ。
絆とは脆く、騙し騙され落とし落とされ合うものである。
「病んでる?」
「生まれつきの思考」
「生まれつき病んでる?」
「は?」
黎冥が空腹だと言うので食堂に行けと言えば共に連れて行かれ、吹き抜けの二人席に座らされた。
「昼ご飯食った?」
「うん」
「何?」
「ねぇ食べながら喋らないで」
「まだ食ってない」
「席に座った瞬間から黙れ」
黎冥はおとなしく口を閉じるとまだ誰も手を付けていないシューマイの山に手を付けた。
最近、アヤネが朝と昼を何時に食べているのか見付けようと少しずつ時間をずらして探しているのだが、アヤネの事なので毎日決まった時間かと思っていたがどこをどう探してもいないのだ。
一緒に食べて行儀の悪さを笑ってやろうと思ったり思っていなかったりするが、夜は深夜に出入りを見掛けるが日が昇ってる時は全く見ない。
「……ご馳走様」
黎冥は少ない量を数回に分けて食べる派なので一回の量は少ない。
「嫌いなものある?」
「お前」
「他は?」
「実験」
「とことんえぐりに来るな……」
二人が小難しい爆発物について話していると下から慧と兎童がやってきた。
「おや、仲直りしたのかな」
「慧、こう……」
「慧先生、なんでこれテンション高いんですか」
「敬語……」
「論文でも完成したんじゃないかな。昨日徹夜してたし」
論文が完成した事と徹夜明けのダブルパンチだ。
ダブルパンチによりテンションが非常におかしくなっている。後から醜態だと後悔してしばらく引き篭るかもしれない。
引き篭ったらアヤネを餌に仕事はやらせよう。
「論文……」
「界隈では稀代の天才と称される天才君だよ。医学も嗜んでる研究者はそういないからね」
欠伸をして兎童につねられている黎冥を見てから、また慧を見上げた。
「頭に見た目と性格の点数取られたんですかね」
「おい!」
「あはははは! 上手いこと言うね!」
慧は大きく笑い、黎冥は不満そうな目でアヤネを睨む。
「黎冥先生は頭以外は全体的に残念なんですよ。もっと紳士的になったらいいのに」
「それが紳士的なら詐欺だと疑う」
「失礼だな……」
「いや私も疑うよ。何か企んでるんじゃないかって」
「慧まで!」
前から思っていたが、黎冥と慧は仲がいい。
歳も近そうだし同僚の誼だろうか。
アヤネが黎冥をからかう慧を見上げていると、慧がその視線に気付いた。
「どうした?」
「仲がいいなぁと」
「そりゃ七歳の頃からの腐れ縁だからね。かれこれ……」
「十七年」
「早いなぁ」
十七年。七歳の頃からということは慧は今二十四歳。
「……え、歳上?」
「同い歳」
「……あぁそう……」
慧が大人びていたので先輩かと思っていた。
黎冥も老けて見えるが性格的に幼いし何かと慧が助けている感じがあったが。
まさかの同い歳。
「……うわぁ……」
「何」
「慧先生って大人びてますね」
「子供っぽい黎冥先生と一緒にいるから余計よね」
「そうかい? 黎冥と一緒にいれば嫌でもこうなるよ。なんせ面倒見役が必須だからね」
「俺より慧の方が問題児だっただろ」
「二人とも同等ですよ」
他人の過去話には興味のないアヤネが聞いているフリをしながら横目で兎童と慧の間から見える入口を眺めていると、白衣に長い髪を後ろで束ねた男が早足で入ってくるのが見えた。
服装からして研究者だろうなぁと眺めていると、中心で立ち止まってキョロキョロとしていた白衣男と目が合った気がした。
最近、学んだのだ。
目が合ったら良くないことが起こると。
反射的に目を黎冥の方に向け、無視していた話に相槌を打ち始めた。
なんにも聞いていなかったが相槌だけなら何とかなる。
そう思って話していると視界の端からあの白衣男が近付いてくるのが見えた。
頼むから他人目的、黎冥なら黎冥だけを連れて行ってくれと思いながら首を流れる冷や汗を感じていると、その男は兎童と慧の間に割り込み机を強く叩いた。