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36.怒りの矛先

 今日の夜、と言うか明日の日を越えた直後から祈りが二十時間続くので仮眠を取っておきたかったのだが、何故かそれを知っているはずの(ゆだ)に仕事を押し付けられた。




 慧の倉庫を整理するらしいのだが、本人は用事と言う名の読書があるらしいのでアヤネがやる。


 ただ、慧の倉庫は重い木材や道具箱が多いので疲れる。




 来ると言っていた早津(さず)も来ないし、しばらくしたらやめて帰ろう。

 稔想になら匿ってもらえるだろうか。




 あの二人は慧の前では猫を被っているらしいのでたぶん密告してもはぐらかされる。経験上そうだった。









 木材を棚に並べ、釘や道具を箱に突っ込むと足元が見えた時点で辞める気が起きた。



 足の踏み場もない倉庫が床全面見えただけで十分だろう。

 埃と木くずも掃除しろと言われたがもう無理だ。


 あんな奴に従う得がない。






 アヤネがローブの埃を払い、出ようと扉を開けると真正面に委がいた。

 暇人が。





「まだ終わってないだろ」

「お手洗いに」

「さっき行ってたろ。サボんな」


 行ってねぇよ。






 諍いの元になる言葉は腹の底に押し留め、小さく舌打ちする。



「自分でやればいいでしょう」

「用事があるって言ってんだろ」

「断れば良かったのでは? そんなことで怒る慧先生ではないでしょう」

「うるっさいなぁ。慧先生に媚び売っときゃ黎冥先生にも気に入られんの。さっさと終わらせろ」




 腹を蹴られ、慌てて手を突いた。







 扉を閉められ、何かがハマる音がする。




 慌てて扉に手を掛け、開けようとするが時すでに遅し。閉じ込められた。


 手を突いたせいで右手をひねったし、非力な上こんな手首だとまともに力も掛けられない。

 最悪だ。






 扉を一度強く蹴り、暴言を吐きながら床に座る。




 本は持っているが片手では読みにくいしそもそもこの暗さでは読めない。

 片目失明済み、重度の乱視に術後、少し視力が落ちたし余計に見え辛くなった。






 また蹴られたくないので大人しく片手で掃除を始め、時々休憩する。



 右手首が腫れてきた。

 利き手ではないのでたぶん問題はないが、かなり痛い。



 もしかすると軽度のコーレス骨折をしているかもしれない。

 骨が脆いせいでちょっとのことでも骨折はする。








 と言うかここ、時計がない。


 始めた頃が三時で、体感三十分をすぎてから出たらこうなったのでそこから考えると、今は四時半前ぐらいか。





 座りながら片付けをして、埃と木くずを掃除する。









 だんだん手が麻痺してきた。



 もう数時間は経過しているのではないだろうか。

 暇なので体感数時間、実際は一時間程度かもしれない。




 掃除も終わったし、もうここで仮眠を取ろうか。


 鍵は外からだし慧に説明したら何とか。





 いやそんな事よりもここから出る方法を考えないと。

 二時に間に合わなくなってしまう。



 夕食を食べないと低血糖確定だし脱水症にはなりたくない。

 脱水症と溺水に振り回されるのはもう勘弁。





 もう怪我もお構い無しだ。どうせヒビは確定したのだから後は折れるか広がるかの問題。








 アヤネが立ち上がり、折れてる手を引手に、片手を壁に突いて力を入れた時、ガタンという音と共に扉が開いた。



「いたし」

「いった……」




 腕を押えうずくまり、慌てて目線を合わせてきたそれを睨む。





「何時?」

「八時半……。どうした?」

「たぶんヒビ入ってる」

「足?」

「腕」

「見せて」




 黎冥の手に腕を乗せ、痛みを耐える。




「兄さん! アヤネちゃんいた!?」

「稔想、アヤネ保健室に連れてけ。慧と話してくる」

「どうしたん?」

「折れてる。じゃ、頼んだ」




 絶叫する稔想の肩を叩いてアヤネを任せ、職員室にいたはずの慧の元へ向かう。






「慧」

「どうか……したのか。ずいぶんお怒りだね」

「お前の倉庫にアヤネが閉じ込められてた」

「倉庫……?」




 仕事をしていた慧は目を瞬き、少ししてから顔を引きつらせ怒りを見せる。




「委……!」

「お前の弟子腐ってんな」

「アヤネちゃんに嫉妬はしてると思ってたけどまさかこんな事をするとはね。あーあ、見損なった」





 足を組んでいた慧は立ち上がるとローブを羽織って歩き出し、久しぶりに白衣姿の黎冥もポケットに手を入れて歩く。





「アヤネちゃんは?」

「腕折れてたから保健室行かせた」

「おっ……!? ま、なんっ……」

「なんで折れたかは知らん。委と早津連れて保健室来い。先行っとくから」

「あ、あぁ……」




 黎冥の重い雰囲気に押されながら頷いた慧は写真立てが山積みになった角を曲がり、委の寮がある方へと足を向けた。











「アヤネー」




 右前腕をギプスで固定して肘を曲げていたアヤネは稔想と仲の良さそうに話し、養護教諭はそれを聞きながら書類を書いていた。






「あ、兄さん。早かったやん」

「慧が委と早津連れてくる」







 黎冥兄がベッドに座ってアヤネを見上げると、表情を固めて少し顔色が悪かった。



「どうした」

「騒ぎにしないで……」

「騒ぎにはならない。……慧次第では」






 これ、究極の二択ではなかろうか。



 騒ぎにはしたくないが、罰則を軽くすれば委と早津に何をされるか分からない。


 二度と関われないほど罰則を重くすれば確実に騒ぎになる。



 被害者が黎冥の弟子で加害者が慧の弟子なら余計に、だ。





 それに委は真面目でなんかの委員長もやってるかやってないか忘れたが、皆が頼っている。


 そんな外面真面目な委と妬まれアヤネ。

 周囲に非難されるのはどちらだろうか。





 だいたいは黎冥の弟子の立場を取られそうになったアヤネが陥れた、とでも言われそうだ。


 理由はどうであれ裏でアヤネがハメたと噂されるのはほぼ確実。





 昨日、ようやく寮の落書きを落とし終えたのにまた()()()()をされる気がする。

 まずい。非常にまずい。






「いい。なんもしなくていい」

「は?」

「頼むからなんもしないで」

「なんで?」





 なんでもいいからとりあえず罰則も何もしなくていい。


 この怪我はアヤネが掃除を手伝っている途中に自分で転んでなっただけだ。

 誰も何も悪くないし罰則を受ける意味もない。





 黎冥が眉を寄せ、焦りと動揺でしゃがみ込んだアヤネが何もするなと頼み続けていると慧御一行がやってきた。




「黎冥、連れてきたけど」





 慧を見上げたアヤネと慧の後ろにいた委の目が合い、一瞬で火花が飛んだ。



 二人は本当に、立場的なものではなく二人の性格が生まれた時から合わない証拠だろう。





「アヤネちゃん、委は口を割らないんだ。何が起こったか説明してくれるかな」

「こいつも騒ぎを大きくするなの一点張り。被害者が黙り込むってどうよ」

「何故大きくしたくないのかな。目立ちたくないなら被害者を伏せておくことも出来るよ?」






 それを聞いたアヤネは慧を見上げ、ヘラっと笑った。



「別にいいのでとりあえず寝かせてくれませんか。二時から祈りがあるんです」

「あ、そういやそうだっけ。じゃあ帰って寝ろ」




 意外とあっさり許された。



 アヤネは黎冥を見上げると、裏がない顔という事を確認して逃げるように保健室を出て行った。




「黎冥」

「委、お前七ヶ月間南校に行ってこい。それが今回の処罰だ」

「み、南……?」





 一瞬戸惑った表情を浮かべた委の表情はすぐに不安に塗り替えられ、慧を見上げた。



「行ってらっしゃい」

「れ、黎冥先生、何故南へ……」

「南に問題児がいるらしい。真面目なお前なら適当に抑えられるだろ? 無理でも行ってこいよ。行って殴られて被害者になってから帰ってこい。まぁ帰ってこなくてもいいけど」



 後半、本音を全てぶちまけたが気にしない。

 遠回りに言って伝わらないよりは直で刺して抉った方がいい場合もある。

 今回はそれ。





 稔想は呆れて額を抑え、委は少し顔を引きつらせた。







 そんなことを気に留めず、黎冥はそれだけが取り柄の端正な顔で、美しすぎるが故の恐怖を覚えるほど綺麗な笑みを浮かべた。





「行ってらっしゃい」




 どこぞの歌姫すら敵わぬその声が全員の脳に響き、背筋に悪寒が走った。




 稔想は黎冥から一歩離れ、早津は慧の服にしがみつく。





 真っ青を通り越して真っ白になった委に微笑んだまま立ち上がり、真横を通り過ぎて保健室を出て行った。








 委はしゃがみ込み、稔想は息を確認するように口元に手をかざすと状況を理解し、ふはっと笑いを零す。




 皆が顔を上げ、無邪気に笑う稔想を見上げた。





「あはっ、いやぁ怖いなぁ! 兄さん怒らせたんフレリィ以来ちゃう? 逆鱗が出来たなぁ、また帰って来れるとええなぁ! 家族いるんやったら確認取っといた方がええで? アヤネちゃんが目立ちたくないって言うてたからアレやけど、本気で怒ったら会社潰すから! いやぁ怖い怖い!」




 あははと笑いながら出て行く稔想も稔想なりに狂っていると思うが、やはり兄の方が血は濃いのだろう。





 委は過呼吸のなりかけのような呼吸で口を開閉させ、慧は頬を伝った冷や汗を拭った。

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