34.捌く魚は何キロか。
圜鑒の体調不良が長引き、そろそろ奉仕祭のグループ分けが始まると言う頃。
また一つ被害の増えたアヤネが歩き、周囲が避けていくのを感じながら本を読んでいると突然頭を掴まれた。
細い指先と大きな手に後頭部を掴まれ、それを見上げる。
「何」
「お前の寮落書きされてたけど」
「だからここで読んでんの」
油性スプレーで悪口を、本当にヤンキーが橋下の壁に書く方がマシな感じで書かれていた。
ここは広間入口横の椅子と窓フレームがアートを作り出しているところの最上部。
と言っても三メートルぐらいの高さだ。
圜鑒も隣の本の山に立っている。
ちなみに、この辺りは多くの本が積み上がっているしどこにでも本はあるが全て白紙だ。
読めないし書けない、存在意義の危うい本。
「アヤネって魚捌ける?」
「……まぁ」
「八十キロのキハダマグロが入ったんだけど」
「調理員に頼めよ」
「八十キロは無理だって断られた」
と言われてもアヤネもスーパーに売られてるような七キロ台のマグロを家で捌いていただけだ。
そんな業者が捌くようなもの、たぶん無理。
だって力がないんだもの。
「八十キロのマグロと八キロブリ」
「なんでそんなあんの?」
「友達が誕プレだって」
「友達いたの……!?」
「そう、俺もびっくりした。俺友達と思ってなかったもん」
ただ名前を知らない同級生かと思っていたら友達だった。
本当にびっくり。
世の中、話したことがなくても同い歳で同じ学校に通うだけで友達になれるらしい。
二十五年間生きてきて初めて知った。
「まぁブリならいけるかな」
「頼んだ」
アヤネは本を圜鑒に渡すと圜鑒を先に下ろし、自分もゆっくりと降りた。
髪をまとめると圜鑒にローブを渡す。
「てか体調どうなった」
「元々熱はなかったし。頭痛と喉の痛みぐらい。あと低血糖」
「なんか食えよ……」
「お粥作って」
「めんどくせぇ……」
さっさとブリを捌いてブリの塩焼きと適当な野菜を入れたお粥を作ろう。
今、とても塩焼きが食べたい気分になった。
「こんにちは〜」
「こんにちは鼓さん。黎冥先生も。捌いてくれることになったんですね」
「場所と包丁お借りします。捌いた身は自由にしてもらって構いませんので」
「助かるわ〜」
四人の小母さんが手を振り、アヤネと圜鑒は軽く頭を下げると手と服を消毒してからマスクを付けて中に入る。
「でっかいなぁ」
「なー」
「友達は漁師かなんか?」
「知らん」
名前も知らないのに職業など知っているはずがない。
アヤネはブリの表面を見て、エプロンを着てから鱗を落とし始めた。
圜鑒は暇そうにあくびをしている。
「あ、見て寄生虫」
「ぶり線虫だろ。興味無い」
「意外。瓶に入れて保管しそうだったのに」
「……それはいいかも」
「やめろ気持ち悪い」
三枚に卸し、とりあえず血合い骨だけ取っておく。
「何で食べんの?」
「えー適当」
「希望は?」
「ない」
そもそも魚も肉も食べ飽きた。
アヤネは背の尾側に切り身を取り、頬肉も片方だけ貰った。
「譜迫さーん、ブリって切り身にします?」
「生でもいける鮮度なんでしょ? 柵のまま置いといてー!」
「分かりました。……マグロは?」
「マグロも!」
「はーい」
花の女神のドーナツ以来、厨房長の譜迫さんとは時々話す事がある。
話は専ら料理だが、それでもレシピを教えあったりスイーツの作り方を教え合ったりが楽しい。
ブリの頭と骨を処理し、身をバッドに乗せると次は難関のマグロを移動させた。
明らか身長が足りないので台を借り、牛刀でヒレの後ろから刃を入れた。が。
「あー硬い! 無理!」
「背骨?」
「関節に入らない」
「まぁ八十九キロだもんな」
「ほぼ九十キロやんけ……。……譜迫さんこれいけます?」
「背骨ぐらいなら……たぶん!」
譜迫は包丁を借りると関節を決め、まるでハンマーかのように包丁を振り落として断ち切っていく。
振り落としても場所がズレないのだから凄い。
これ、刃がズレて背骨に直撃したら包丁が欠けるだろう。
本当に腕に自信がある人じゃないと無理だ。
「……あ、いけた!」
「さすが」
ようやく骨を断ち切り、ずいぶんスマートになったマグロを解体していく。
いつの間にか圜鑒は消えたし、アヤネも疲れてきた。
お腹が空いた。
最近、拒食症が少しずつマシになっているのだ。
今まではご飯茶碗一杯を吐かずに食べれたのを、一杯とおかずちょろっとなら食べれるようになった。
分かりやすく言うなら食堂のパンを半分は圜鑒に食べてもらっていたのを、まる一つ食べられるようになった。
素晴らしい進歩だ。
「譜迫さん、解体終わったんで置いときますねー」
「助かったわぁ! ありがとね!」
「お疲れ様〜」
「お邪魔しました」
皆が手を振ってくれたので手を振り返し、ブリの塩焼きとぶりの照り焼き、マグロの刺身とマグロのトロたくをお盆に乗せて調理場を出ると食堂に向かった。
お粥は面倒臭いので作っていない。
食堂のいつもの席では既に圜鑒が座ってアヤネが借りた本を読んでおり、向かいの席にはアヤネのローブが置かれていた。
「自分だけサボりやがって」
「俺捌けないし」
「お前の魚だろ」
「……毒盛ってないよな?」
圜鑒を見下ろし、何も言わずローブを羽織る。
「怖いんだけど!?」
「じゃあ慧先生と一緒に食べるから出てって」
「……いいわ食うから。酸以外ならちょっとは耐性あるし」
酸もアルカリも特有の匂いがあるし他の毒も猛毒以外ならちょっとは耐性がある。
解毒薬は常備済みだ。
「弟子が作ったもん疑うなよ」
「あ、認めてんじゃん」
「元から否定はしてないでしょ。最近弟子の勧誘が増えたから」
「嬉しくない認められ方」
「認めて貰えただけありがたいと思え」
何故そんな上から目線なのか。
圜鑒は呆れながら刺身を食べ始めた。
アヤネは塩焼きを食べ始め、二人で雑談をする。
「なんかさぁ」
「何?」
「零の説明が雑なせいで私だけ重要な行事とかほとんど知らない気がする」
「可哀想」
「説明しろよ」
「俺も覚えてないもん。去年の記憶とかないし」
それはそれで結構深刻な問題ではなかろうか。
毎回直前になってから言われるので対応が緊急になりすぎて疲れるのだ。
「そんな緊急じゃないだろ」
「へぇ?」
一週間前に一ヶ月遠征を伝えられたり
二日前に一週間の移動を伝えられたり
数日前に奉仕祭を説明されたり
いきなり九十キロ級のマグロを捌かされたり。
「二日前の一週間移動は俺のせいじゃないしマグロもほぼ無関係だろ。後の二つは……まぁ……誤差?」
「その誤差で迷惑してんだよ! 確りしろ!」
「そう言われてもなぁ……。去年の記憶がない頭に去年と同じ事を一ヶ月前に伝えろって言っても困る」
「じゃあ全部聞いてスケジュール帳に書いて渡せよ。そしたら自分で調べてやるから」
アヤネが圜鑒の胸ぐらを掴み、圜鑒が両手を頭の横に上げてアヤネを落ち着かせていると慧がやってきた。
「なんだ、ずいぶん仲がいいじゃないか」
「慧、年間スケジュール教えて」
「なんで今聞いてんだよ」
「だから覚えてないんだって」
「鳥頭が」
アヤネは座り直すとトロたくを食べ始める。
漬物は大好物だ。
「おや、魚?」
「八十……」
「九十」
「九十キロのマグロと八キロのブリが届いた」
「家から誕生日プレゼントかい?」
「いや、知らない奴から」
慧は圜鑒に紙袋を渡し、圜鑒はそれを受け取る。
「さ、アラサーの仲間入りだ」
「まだだろ」
「四捨五入してみな」
「二十八からだよ」
どうやら今日が誕生日らしい。
興味無いので無心でトロたくのたくだけを食べる。
荒微塵にしておいて良かった。
「アヤネ、マグロも食え」
「たくあん美味くね」
「普通。マグロも食え」
「ブリたくって美味しいかな」
「聞けよ」
慧からのプレゼントを机の端に置き、ブリの照り焼きをつつく。
「……本当に仲良くなったね」
「たいして変わってない」
「労働と報酬が釣り合いましたから」
「お前がめついよなぁ」
「得のない動きをする意味がないだけ」
「金の亡者め」
圜鑒の足を机の下で蹴り飛ばし、たくのなくなったトロを放置して塩焼きを食べる。
本当に食べる量が増えた。
「別に金じゃなくてもそれで利益が取れるなら働くし」
「へー意外」
「お前の中で私はどういう認識なんだよ」
「金の亡者」
「クズが」
呆れた慧は去っていき、二人が言い合いを続けていると羽鄽と兎童もやってきた。
食べ終わった二人は箸を置く。
「黎冥先生〜。……あれ、こんな時間にご飯ですか?」
「アヤネが捌いた魚」
「これに捌けと」
「はぁ!? 黎冥お前! 俺より先にアヤネちゃんの手料理食べたのか!? せっかくプレゼント買ってきてやったのに!」
「アヤネからの誕プレでいいじゃん……」
「却下! せめて俺にも食わせろや!」
「五月蝿い……」
本日二度目の胸ぐらを掴まれた黎冥はしかめた顔を鬱陶しそうに逸らした。
「黎冥お前ー!」
「アヤネ、なんかこいつに作ってやれ」
「疲れたんだけど」
「給料払うから」
「金で体力が釣れると思うな」
が、羽鄽と黎冥の仲が裂けるとストーカー被害者のアヤネに何かと不利だ。
頬杖を突いた手で頬を何度か叩き、羽鄽の方を見るとにこりと笑った。
「じゃあ今度お弁当作ってあげる」
「本当!? やった!」
「お前騙されてんぞ」
「騙すのがアヤネちゃんなら最高だ!」
両腕を振り上げ大喜びし、上機嫌になると黎冥にプレゼントを渡した。
「はい誕生日おめでとう」
「一つ言っていい?」
「何」
「俺誕生日明日」
「えっ」
その場が凍り付き、羽鄽と兎童が顔を見合わせると黎冥は羽鄽から貰った紙袋の中を覗いた。
「嘘だけど」
「ちょ、ちょっと黎冥先生!」
「嘘の嘘の嘘の嘘の嘘の嘘の嘘」
二人が指折り数える間、アヤネは空いた食器を片付ける。
これ、皆に祝われて上機嫌になっている。
普段なら冗談の欠片も言わないくせに、少しうざったい。
今日は何日だっただろうか。
十月十三日だった気がする。違っただろうか。違うかもしれない。たぶん違う。
まぁ何日でもいい。どうせ来年も祝う気はない。
「あれ……? 今日ですよね!?」
「うん」
「もう、からかわないでくださいよ! 本気で驚きましたよ!」
「日付感覚が怪しい証拠だろ」
「誕生日が今日かどうか分からなくなったんです!」
「十八年間の付き合いで……!?」
「私を悪者にしないでくれます!?」
二人の喧騒を聞き、アヤネは片付けを始める。
洗い物は昼食後にまとめてやってくれるらしいのでお言葉に甘え、そのまま食堂には戻らず寮に帰った。黎冥兄に取られた本を忘れて。




