3.上機嫌
アヤネが来て二日目、今日は一日パーティーがある日だ。
この日は授業がないためアヤネの授業デビューは明日からになるが、どう過ごしているか。
暇なのでアヤネの寮に行く。
「入るぞ」
「出てけ零点男」
開けた瞬間閉められ、今の一瞬で分かったのは確実に改良されているということ。
まぁ力勝負で男と女、大人と子供なので無理やり開け、中を覗いた。
二段目の板は奥側に上げて留められ、一番上は四等分に切られてそれも奥側に畳めるように長さを整えられていた。
一番上の右端の板だけが下げられ、そこに時計と灯りが置かれている。
板によって圧迫されていた棚が見事一つの空間になっていた。
「あ、いいじゃん」
「出てけよ……!」
今まで何人かの生徒の寮を見てきたが全員が失敗に終わっていた。が、アヤネは計算してやったのだろう。
上手く活用出来ている。
足を蹴ってくるアヤネを見下ろし、首を傾げる。
白いボストン型の眼鏡をかけている。
「出てけ変態!」
黎冥がしゃがみ、眼鏡に手を伸ばすと後ろから兎童に引き剥がされた。
瞬間、兎童もびっくりなほど早く閉められた。
このドアノブは対の指輪さえあれば開けられる。
アヤネが指輪を一つしか作らなかったので師である黎冥がはめた。
初めは別にいいかと思っていたアヤネも絶賛後悔中だ。
「冷た……」
「黎冥先生のせいですよ?」
「どうでもいいや」
黎冥は立ち上がると職員室に入って行った。
それを見送り、兎童は寮にノックをする。
「何」
「こ、今夜パーティーがあるんだけど……」
「強制じゃないなら行かない」
「うぅ……」
人付き合いが悪いというわけではないが、なんせやらなくていいことはやらない主義なのでどう会話すればいいか困る。
黎冥はなんの躊躇いもなく人の心を抉る毒舌少年だったので話せたが、アヤネは必要最低限以上は話さないのでキャッチボールが出来ない。
「れ、黎冥先生も行くけど……」
「死んでも行かない」
完全に嫌われてるじゃないですか。
兎童は呆れの溜め息を吐くと静かに去って行った。
その足音を聞いたアヤネは小さく息を吐き、気分転換に髪を編み始める。
昨日は時間がなくて遮音シートが買えなかった。
昨日、ある程度の私服は持ってこれたし更衣室に私服を入れられるロッカーが付属されていたので衣類のスペースは取らずに済んだ。
衣は問題無し。
食も食堂があるので大丈夫。
住は大丈夫とは言えないが言うしかないので我慢する。
遊は遊ぶ気はないので不必要。
休も不必要。
知は教科書とお気に入りの本は持ってこれた。
美はメイクするスペースさえあれば無問題。
健は、まぁ昔から不健康だったので関係ない。
大丈夫、生きていける。
神話の教科書をめくり、また神の話を覚え始めた。
外が騒がしくなり始め、時計を見上げるともうすぐ二時半を回りそうだった。
寮から這い出でると短すぎるスカートを整え、まだ慣れないローブを羽織ると教科書を持って体育館まで繋がる階段に向かった。
地下は体育館と祈祷室だが隣の階段を上がれば図書館に行けるらしい。
案内の時には行っていないが説明された。
そう言えば体育がないはずなのに何故体育館があるのだろうか。
窓も外もないので走り回りたい子のためか。
図書館の角の席に教科書を積み、席だけ確保して本を探しに行く。
パーティーのせいか、いつも通りかは知らないが人はスカスカで本は背表紙だけが褪せていた。
基礎や入門編と使われているものを取り出し、自分の今の知識を確認してからそのレベルに合いそうな本を引っ張り出す。
とりあえず、前の学校で基礎五教科と副教科は全て終わらせているので特別教科だけを選ぶ。
五大神やその属神は覚えたのだが属神の神話と繋がりがこんがらがりやすい。
とりあえず時系列整理とお話同士が及ぼす影響について調べよう。
昨日も一昨日も一睡も出来ず、実質二徹状態だが不眠症なら慣れた。
変に寝ようとするより動き回っている方が楽だ。言い訳的に。
早く寝なければと思うよりやる事があるから無理に寝なくてもいいよ、と楽観的にいることが大切。
不眠症になりやすく、時間に追われている大人とは反対の考え方だ。
本の続編を探し、本棚を見回していると一番上の段に誰かが適当に置いた風に並ぶ本の上に置かれていた。
圧倒的身長不足。
近くに台もないしもういいやと諦めようとまた視線を下ろした時、誰かがやってきた。
「鼓さん、取ろうか?」
「……大丈夫です」
「遠慮せんでええよ〜」
「いや本当に……」
優しい顔、言葉を選ばずに言うなら詐欺顔の紺ネクタイの青年はアヤネが諦めた続編を取り、本に重ねるとアヤネが持っていた本ごと持ち上げた。
「運ぶん手伝うよ。俺、多鶴詩渚って言うねん。君が噂の鼓アヤネさんやろ? 黎冥先生の弟子の。黎冥先生スカウトなんやろ、凄いなぁ」
「……別に……」
「あはは、謙虚やね。神話は勉強中? お話はややこしいよね。俺も苦労したよ」
アヤネが小さく頷いて同意すると、詩渚は顔を明るくしてにこっと笑った。
「俺教えてあげようか? ちょっと自慢やけど神学は学校一位やねんで」
最近、アヤネの外出頻度が増えた気がする。
いや校内にはいるのだが、授業に不参加でその時間を図書館行きに当てている。
ほぼ自我のない状態を無理やり連れてきたので校内の行動を縛る気はないが、それでも気にはなるものは気になる。
図書館通いとその前後は妙に上機嫌な気がするので何か楽しみが出来たのならいいが、あの目の子供がどんなものを好むのかが気になる。
頬杖を突きながら考え事半分仕事半分でゆっくりと手を動かしていると上から声が聞こえてきた。
「黎冥、また研究者らしい顔になってるよ」
「慧」
温かい紙コップに入った珈琲が頬に当てられ、見上げると技術科目を受け持つ慧が片手に自分の珈琲を持って、もう一つの珈琲を黎冥の頬に当てていた。
「ちょっと気になって」
「またつずみちゃんの事?」
「まぁね」
「即決したらしいけど。いくら同じ目だからって相性があるだろうに、嫌われてるんだって?」
「思春期だからさ。……実は父親だった?」
「九の時にやってるならそうかもね」
慧は鼻で笑い、黎冥は大きめの溜め息を吐いた。
眼鏡を外し、珈琲を一口飲むと後ろに仰け反る。
机に慧が座り、紙を見下ろした。
「……つずみちゃんの調査か」
「色々気になったからさ」
「何か分かったか」
「なーんにも。分からなさすぎた。誰かが消してるっぽい。近隣住民もそんな子は見た事ないの一点張り、元の高校も中学も小学校も卒アルにも卒業生にもなかった」
誰が、何故そんなことをするのか、どうやってやったかなど知らないが黎冥の弟子になったのなら黎冥の庇護下だ。
そう簡単に手を出させる気はない。
「見付けるのか?」
「まぁ見付けて吐かせて潰したら楽ではあるけど……適当に割り振るか」
「頑張れ嫡男様」
「さて、図書館行こ」
あの根暗冷徹残虐ひねくれ男がずいぶん明るくなったものだ。
自らが望んだ弟子がそれほど可愛いか。
やはり人はどう変わるか分からない。
素直に形を保ち、物質も質量も形も色も、全て自分の言いなりになる物の方がよっぽど扱いやすい。
やはり工作は神の遊びだ。次は何作ろっかな。
最近、アヤネの機嫌がいい理由が分かった気がする。
図書館を覗いてみれば詩渚と共に勉強をしており、ヘラヘラと笑っている。
人の恋愛とやらに興味はないがアヤネの警戒心が低く、危機管理能力が壊滅的で、ついでに人を見る目がないことはよく分かった。あと自分の価値を理解していないことも。
とりあえず今月末のテストの成績を見て口を出させてもらおう。
たぶん、あいつと勉強するよりもアヤネ一人かせめて兎童と一緒の方がマシだ。
いつからこんな過保護な性格を持ち合わせたのかなと考えながらアヤネ達のいる右端とは反対の左側に行く。
図書館の入口自体が少し右に寄っており、右手前から左奥角までカウンター席が続いている。
左手前の角に貸し出しを確認するカウンター。
例に漏れずオレンジ色の温かい色味の灯りだ。
ここの通路は全て本棚で作られている。
最後に借りたのがだいぶ前になったのでどこまで読んだか覚えていない。
こんな残念な記憶力だからこそ研究者という役職になったのだと思う。
化学と生物を担当するのは黎冥ともう一人、去年の卒業生で今年新任になった子だ。
ちなみに兎童は歴史と数学を受け持っている。
歴史は大嫌い。
「おや、黎冥君。久しいね」
「あ、藥止さん。お久しぶりです」
白い髭と髪が特徴的なもう九十近い老輩、藥止はここの司書だ。
司書はそうそうなれるものではないが、藥止の賢さと優しさと堅実さで司書になった。
「ついに弟子を取ったそうだね。毎日ここに来て本を借りていくよ」
「喋り声で迷惑になっていないといいんですが」
「いやぁ……女の子はいいんだけどね、男の子の方はかなり元気で……」
「あっちは……近いうちに注意しておきます。ご迷惑をおかけしてすみません」
詩渚は兎童の弟子だ。
あの管理が杜撰な御局様は弟子までも放置する。
「黎冥君が謝ることじゃない。ここはほとんど人が来ないし迷惑する人はそういないからね」
「ありがとうございます」
頭を下げると藥止は落ち着いた弾むような声で笑い、話題を変えた。
「新しい本を探しに来たのかね」
「前回の続きを探していまして」
「それじゃあ履歴を見てみようか。黎冥君や常連はなんの本を借りたか留めてあるはず」
「ありがとうございます」
二人はカウンターに移動し、黎冥はカウンターの外で、藥止は奥に入って資料を取りに行った。
カウンターに並んでいた今月のオススメの本を手に取り、新しい論文はあるかなと探しているとアヤネと詩渚の声が聞こえてきた。
そんな事より新しい生物の論文が気になるのでそれを読む。
「司書さんいいひんね」
「奥じゃないですか」
「ちょっと待っとこうか」
アヤネの隈が濃くなった気がする。
理由は色々推測出来そうだ。
興味無いのでやらないが。
「おまたせ黎冥君。……あ、先に二人をやろうか」
「後で大丈夫です」
「いやいや、たぶん長くなるからね」
黎冥は論文の続きを読みたいので二人を優先させる。
「あそうだ……。……アヤネ、後で職員室」
「はい」
「あと喋り声五月蝿いから抑えろ。特に詩渚」
「あ、すみません」
やっぱり五月蝿いよな。
迷惑だと思っているのが自分だけじゃなくて良かったと安堵の息を吐きながら本を司書から本を受け取った。
「じゃあアヤネちゃん行こうか」
「はい」
またニコニコと笑い、図書館を後にする。
階段のいらないエスコートに付き合い、寮までついてきそうな雰囲気を破って階段下で別れた。
大きなあくびをしながら寮に戻る。
あの人と付き合い始めてからまともに寝れていない。
ようやくこの空間に緊張しなくなってきたのに勉強が間に合わないのだ。
途中、というか結構初めの方からおかしな人だとは思っていたがなんせ人との縁の切り方が分からない。
今まで人付き合いがなく、切る縁もなかったしあった縁は勝手に切れたのに自分から切ろうとしたことがないのだ。
距離を置くにしても図書館には行きたいし、でも図書館に行ったら絶対いるし、でも寮は五月蝿いし。
で、昼は詩渚に付き合い夜は静かな空間で勉強。
受験生でもないのにそんな事をしていたら完全な寝不足になってしまった。
黎冥は図書館に長居しそうだったし、今は四時半。
一時間半ほど仮眠しよう。さすがにもう無理だ。
アヤネはブランケットを手繰り寄せると後ろから羽織って角に座った。
そのまま壁に頭を付けると、正しく死ぬように眠り始めた。