26.失明と要因
「アヤネちゃん、着いたよ」
慧に声を掛けられ、寝ていた目を開ける。
もう日も暮れて外は暗い。
まだ杪夏のはずなのに肌寒い風が吹き、身震いしながら上着の前を閉める。
「入口どこだったかな……」
「……壁ですよね」
「そうだよ。南にはお客様入口があるんだけどね」
「へぇ」
まもなく終点です。
そんなアナウンスが聞こえ、伏せていた目を開ける。
良い子なら眠りについている時間、研究会を三時間で終わらせて直で北校辺りにやって来た黎冥は静かに立ち上がった。
北校で化粧を取れる気がしなかったので素顔のままなのだが、かなり注目が集まる。
ドアが開き、電車から降りるとホームを出て道を歩く。
確かゴミ置き場と進入禁止の標識がある角を曲がった標識側だったはず。
初めて来た時に間じゃないんだー、と思いながら入ったのを覚えている。
少しの恐怖心で手を前に出しながら無事に中に入ると、無事に入れた中には人集りが出来ていた。
白いレンガで作られた無機質な迷路の入口部は人が溜まりやすくなっており、本校とは違う青い照明で照らされ、冷たい印象が強い。
そもそも秘学神話学校の中心学校が海外なので、どちらかと言えばこちらの建築の方が正しいと思う。
本校は木造すぎる。
ホワイトボードやコルクボードが多く置かれた広間の人集りを覗くと、それと同時に人をかき分けて中央に寄った。
「男が二人で女相手にしてんのか。かっこ悪い」
血濡れて気絶したアヤネに視線を落としてから前に女子を全員ブスだと言っていた男とアヤネに負けていた男を睨む。
「……黎冥さん、お久しぶりです。前回は挨拶が出来なかったのでこの場をお借りして」
「人を蹴るような奴と関わりを持つ気はないし静蘭グループの嫡男だろ。揉み消す気ないからな」
黎冥は無表情で黙り込んだ静蘭を退かし、気絶しているアヤネを抱き上げた。
「黎冥圜鑒! 俺は鼓アヤネに勝った! 弟子にしろ!」
「たかが紺色で威張ってんじゃねぇよ。紺色以下は存在する価値ない」
慧はどこだろうか。
とりあえず保健室に連れて行って手当してもらおう。
ある程度は覚えているので迷うことはないと思う。
「紺色以下が無価値とはずいぶん言ってくれますね。世界に四人しかいない……あぁその女も黒ですか。まぁいないようなものですよね。四人の黒が数をこなせるとは思えないのですが?」
「は? 一箇所から全箇所に祈ったらいいだけだろ。頭働かせろよ馬鹿。それとも働かせてそれか? 静蘭家も落ちたもんだ」
祈りに場所の名前を入れて祈ればなんら問題はない。
と言うか、黎冥は実在する黒六名の中で最低の力量とされているが五人合わせれば全世界に祈る事など簡単だ。
なんならアヤネ一人でも時間をかければ出来ると思う。
が、それが出来ない理由は紺色以下がいるから。
害を受けるものがいない、もしくは害を出してもいいのでやれ、だったらこんな半日かけてここまで来ていない。
祈祷室の神像は神の力で形成されている。
祈りが弱まれば加護が遠のき崩壊が始まり、祈りを続ければいずれ神が神像に力を宿す。
力が宿ったのは中心校だけだがそれでも目は掛けられているのだ。たぶんアヤネと黎冥が毎日祈り続ければ普通に降りると思う。
本校よりも人口が少ないとは言えど紺がいるにも関わらず崩壊が始まったということは紺が祈りをさぼっていたのだろう。
崩壊が始まった時期によっては誰も祈っていなかった可能性すらある。
アヤネを保健室に届け、更衣室で神服に着替えると一度職員室に向かった。
職員室に着くと慧が校長達と話しており、他の職員は机の端に避けている。
細身の百五十前後の女性は北校の、歳を重ねて視界を失った老婆は南校の校長だ。
どうやら神像崩壊に南校は校長直々にお出ましたらしい。
「慧」
「ようやく来たか」
「アヤネ放ったらかして何やってんだ」
「鼓は案内されてるはずじゃ……」
「入口前で三人にリンチされてましたけど、校長サマ。貴方のご親族に」
静蘭は海外で会社を立ち上げ、この秘学神話学校の総設立に最も大きく貢献した会社だ。
黎冥社も投資はしたが返済が見込めなかったので最低限しかしていない。
そして、最も大きく貢献した静蘭家から校長を選んだ。
南校の校長の曾孫が本校、本校のいとこが北校、そして静蘭家唯一の跡取りが後の本校校長後継者。
中には黎冥を押し上げようとする者もいるが黎冥は上がる気がないので上がったとしてもすぐに別の誰かを指名する。
黎冥が二人を見下ろすと二人は顔を見合わせ、職員室を出た。
慧と黎冥もすぐに着いていく。
「静蘭! 蜂馬! お前ら何やってる!?」
「……校長先生。良楼校長も。何かありましたか」
あくまでも平然を装う静蘭の嫡男は振り返るとニコリと笑った。
静蘭が反省しないと悟ったのか良楼はたるんだ瞼を空け、見えない目で蜂馬を睨む。
「退学を求めなかった圜鑒様に感謝しておけ」
「静蘭、蜂馬、五ヶ月間の停学と一ヶ月間の居残りだ。校外外出を禁ずる」
「こ、校長! 俺は週末に大会がっ……!」
蜂馬の訴えを無視して良楼と真惢は体の向きを変えて黎冥に深く頭を下げた。
黎冥は無視して慧と歩き出す。
「祈りは?」
「まだだよ。アヤネちゃんの様子を説明してたものでね」
「あんまり喋るなよ。アヤネの動きが制御されて困るのはこっちだ」
「分かってるよ」
小声の会話を終え、二人が保健室に向かうと養護教諭が顔を出し、黎冥を見上げて少し眉尻を下げた。
「黎冥さん……鼓さんのことなんですが……」
「何か問題が?」
「右目に何かが入って手術の必要があるかもしれないんです。精密検査は必要ですが……」
慧は絶句し、黎冥は少し視線を逸らして考えてから小さく頷いた。
「本人は?」
「中で座っています。どうぞ」
慧と養護教諭が校長に伝えに行ったので黎冥は中に入り、目に包帯を巻いて俯いているアヤネに声をかけた。
「アヤネ〜」
「……零点」
声を頼りにこちらを向いたアヤネに対し、わざと足音を立てて向かいに座った。
「傷の調子は?」
「今の怪我より前の頭の方が痛い。あと目」
「両目見えない状態?」
「うん。……左が結膜下出血で右が石か砂が入って角膜……? 角膜?」
「うん」
「角膜の中に入って傷が付いてる状態。すぐに摘出したら見えるはずって」
ただ、手術後もしばらくは見えないだろう、と。
「……俺は医者じゃないし保護者でもないから手術のことに関しては何も言わない。言ったとしても聞かなそうだし」
「まぁ」
「俺が考えるのはアヤネをリンチした二人に対する処分とお前の生活について。物の多い本校で白杖は危ないからどうするか要相談」
アヤネが頷いたのを確認してからリンチの理由と状況をある程度聞き出した。
まぁ、簡潔に言えば黎冥の弟子になったこと、ぽっと出の黒、無名のアヤネが黎冥推薦で入学したことによる嫉妬の嵐の結果。
主犯格はたぶん静蘭、実行人は蜂馬。
「……なるほど?……アヤネが襲われた時の状況は?」
「慧先生が誰かと話し始めて、生徒代表で静蘭に案内してもらってて、寮が集まってるところで蹴られた」
「入口じゃなくて?」
「入口まで引きずられたのはその後」
静蘭の母親には要報告か。
退学処分に誘導しよう。
「……あ、あとこれはたぶんだけど。私の鍵作ったの静蘭って人。取られた箱の鍵持ってたから……」
「……分かった。とりあえずアヤネは治療を優先しろ。しばらく行動は俺か慧か羽鄽が付き合うから、絶対一人で動こうとするなよ。それで骨折とか洒落にならん」
「お願いします……」
こればかりはさすがのアヤネも危機管理能力が警笛を鳴らしているので頼んでおく。
拒食症の骨折は折れやすいし治りにくいので面倒臭いのだ。
「この後は?」
「緊急病院らしい」
「祈りは俺が片付けとくから慧についといてもらう感じでいい?」
「うん」
「じゃ、お大事に」
黎冥は立ち上がると怪我のないアヤネの肩に手を置き、静かに保健室を出た。
とりあえず処分と連絡は校長に任せて、アヤネは養護教諭と慧に任せて、黎冥は仕事の処理をしよう。
神像の崩壊なら二、三時で終わるだろう。
と、思っていたが。
祈祷室に降りれば神像はほぼ半壊しており、大理石の地面は砂漠の砂のような、石の粉のように歩いただけで舞ってすぐに埃っぽくなった。
本来は座ってやるものだが、これでは無理なので立ったまま祈る。
そもそも姿勢はあまり関係なくて、敬意と信仰を示すために行っていたポーズだ。
神の目が離れたここで座ってもあまり意味がない。
それでも癖で項垂れるには項垂れるが。
我、聖なる五大神に仕ふる者なり。
死の女神ヴァイオレット
生の神ウィリアム
命の神アーネスト
時の女神ミシェル
星の神ルーメルウス
神あはれがり、神に思はれし我が祈りにいらへよ。
命賜り、生受け、時刻み、死受け星となる。
人の踏む大地を豊かに。
人とのたよりこはく。
人の想ひの消えぬ極み。
神よ、人を見守る化身に御力宿し給へ。
部屋に突風が吹き荒れ、力が吸い取られるのを感じながら祈りを捧げる。
力が吸い取られる際の風に神像の破片が乗って神像が再生し始めた。
黎冥は死の女神の加護がないので生の神の加護を介して死の女神を呼ぶ必要があるのだが、それに予想以上に力を使ってしまった。
祈りながらもしゃがみこみ、吐きそうなのを我慢する。
胃には何も入っていないはずなので胃酸のみが上がってきそうだ。
お腹空いた。
少しして、せっかくだし出来る分だけ祈りを捧げておこうと祈り続けていると突然祈祷室の扉が開いた。
小さく拍手が聞こえ、誰だと眉を寄せて振り返ると、黎冥は大きく目を見開いた。




