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25.設計図

 頭が痛くなってきた。




 黎冥が一マイクロメートルのズレもなく設計図を書いている間にアヤネは頭の中でそろばんを弾きながらブツブツと呟きながら手を動かす。




 アヤネの言葉を羽鄽が紙に書いて筆算し、その答えをさらに計算する。





 この幅の板はこの隙間がないと動かない、最低限この間隔はいる。



 それはまだ基礎の基礎でいいのだ。


 面倒臭いのは風の抵抗を流すための羽の極小さな角度。



 骨組みの太さや重さ、質量も羽の鉄の暑さと角度、重さと風の抵抗とそれを流す方法、全方向からの風に耐えられる強い骨組みをいかに軽く作るか。







 まぁアヤネはまだいい方だ。


 紙もあるし自動計算機もいる。



 ただ、黎冥に関しては計算しながら設計しながら次の設計図を計算しながらマイクロメートルのズレも許されず書いているため、そろそろ狂ってきている。




 先程から書き終わる度に奇声を上げるのだ。



 夜中の二時、今日の昼にアヤネは慧とともに本校を発つ。

 と同時に黎冥は研究会をさっさと終わらせ、直接アヤネの方に向かう。




 現在、黎冥もアヤネも羽鄽も二徹状態。

 三人で震える手で吐くほど甘い砂糖を舐めながら脳を働かせる。



 もう泣きたくなってきた。





 黎冥も壊れ始めたし羽鄽などほぼ気絶に近い。




 て言うかこの二人、この状態で研究会に行っても大丈夫なのだろうか。



 アヤネは移動中に眠れるらしいが二人は眠れるほどの移動時間はないはずだ。





 夏も終わりに近付き、虫の声が響く実験室(理科室)で、それをかき消すように黎冥が化学物質を唱え始めた。



 痛い首を上げればまだ血に染った目を動かさず、手だけという最低限の動きで書いている。

 いよいよ狂ってきた。





 アヤネが砂糖瓶に入ったスプーンを手に取りそれを動かすと、砂糖がなくなっていることに気付いた。



 今から取りに行くと途中で気絶する気がするので諦めて回らない頭を無理矢理動かす。









 三人の砂糖が尽き、黎冥と羽鄽がぶっ壊れた矢先。


 狂室の扉が開いて薄暗く付けられていた電気が付けられた。




 今眩しさで目を閉じると確実に意識が飛ぶので手で影を作ってペンを走らせる。





 普通の徹夜なら慣れているが、こんな計算三昧の徹夜は初めてだ。

 頭も精神もすり減った。





「うわぁ黎冥先生が壊れてる……!」

「おーい戻ってこい黎冥、羽鄽」



 そんな聞き慣れた声が聞こえたような気がして、一瞬意識が飛びかけたのを黎冥の叫び声でハッと顔を上げる。




「あぁ違う! 全部ズレてるし!」

「うるさっ……!」



 傍にいた慧は聞いた事のないその大声量に耳を塞いでしゃがみ、アヤネは気合いを入れ直す。



「消すより書き直した方が早い」

「紙どこ」

「左上の右下。……羽鄽起きろ!」

「もう、む……」

「……うわぁびっくりしたえぇ!?」



 紙を探しに顔を上げた黎冥の叫び声で羽鄽の悲痛の声は遮られ、黎冥はその場を飛び退いた。




「よよよ嫁陣(よめじん)さん……!?」

「うっそどこお疲れ様です!」

「だいぶん決まってるね……」



 羽鄽は机を叩いて立ち上がるとすぐに頭を下げた。



 計算式のズレたアヤネは羽鄽を蹴り飛ばして書き直す。




 嫁陣、黎冥とは親子ほどの歳の差がありながらも二人とも我が国が誇る天才達だ。




 化学、生物の天才、黎冥。

 数、物理の天才、嫁陣。

 実験、機械、性質の辞書、墓千(ほち)


 そして、金と女の猛者でありながらも圧倒的頭の回転と記憶力、人をまとめるリーダーシップの塊である鳴嬪(なひめ)





 黎冥以外の三人は小さく手を振り、羽鄽はひれ伏した。

 そのまま気絶する。




 アヤネは興味がないし誰かも知らないので計算し続けている。



「零点早く書け。羽鄽が倒れた」

「うん、目覚めた」

「じゃあ両手で書け」

「それは腕が四本ないと無理」

「キモ」




 アヤネの頭を本で叩き、紙を出すとその本で丸まらないように重りを付けて新しく書き直す。






 もう二人とも仕上げるのに必死すぎて何故三人が来たのか、今自分たちがどういう状況なのか分かっていない。





「あ、女いるじゃん。やっぱ(フラワー)! が、ないとな」

「れ、黎冥さん……代わりますよ……?」

「藥止さん、羽鄽君運んであげて」




 鳴嬪はアヤネの肩を掴んで顔を寄せ

 墓千は読んで字のごとく血眼で書く黎冥を覗き込み

 嫁陣は倒れた羽鄽を慧とともに他の教師が運んでくれた布団に寝かせる。




「ねぇ君歳は〜? メイクしたら絶対可愛くなるよ。俺と付き合わない? 圜鑒(るいが)より良物件だし金も男も漁り放題だよ? 勉強もしなくていいよ? 俺が養ってあげる」

「養ってあげるじゃなくて養わせて下さいだろクズ。欲しいもんがある時は相手を煽てて頭地面に擦り付けろ」




 墓千は嫁陣の後ろに逃げて涙目で震え、鳴嬪は高笑いをする。




「いいね君! 威勢いい子は好きだよ! あ、性別の方じゃなくて勢いの方ね。毎晩愛でて癒されたいよ」

「お前に愛でられる時間なんかない。……終わり。零点、式は?」




 立ち上がったアヤネは消しカスを払い、紙をクルクルと巻いて黎冥に言われた計算式を答えながら輪ゴムで止めると次の設計図の計算を始める。



「……ズレてる! しっかりしろ!」

「はぁ!? どこが!」

「ここ! 基礎の基礎が狂ったら崩壊するぞ!」

「あぁん……?」




 アヤネは黎冥の方に紙を向け、二人で覗き込んで全て説明する。





「……違うこれは合ってる。間違ってない」

「じゃあこっちが違うんじゃないですか!? このまま作ったら作り段階の寒暖差でヒビが入る!」

「……違う間違ってんのこっち」

「分かってんなら初めから間違えんなや……」





 黎冥が直している間に黎冥が書いていた途中の設計図の完成しているところを計算する。




 靴を脱いだ足で椅子を寄せ、片足正座のまま付箋に式を書いていく。






 普段無口で人と最低限しか関わらない黎冥の珍しい様子に三人は興味を示し、アヤネと黎冥のそれを覗き込んだ。




「……はい出来た」

「十五マスの三角(さんかど)がズレてる」

「はい。上右二の計算式間違ってる」

「知ってる」

「知ってんなら初めからやんな」

「うっさい」



 身を乗り出して黎冥の頭を本で殴り、また計算を始める。





 羽鄽がいなくなったので二人で頭の中で計算の式を伝えながら間違いを指摘し正しを繰り返す。









 それから約四時間した朝の七時。



 アヤネとアヤネを手伝っていた黎冥がペンを置き、一瞬息をついたのも束の間、二人で計算確認を始めた。




「……ここ違くない」

「それ六」

「字きったね」

「知ってんだろ。…………大丈夫……?」

「…………た、ぶん……」




 二人で最後の確認をし、アヤネは椅子に勢いよく座り、黎冥は机に潰れた。





「終わっったぁー!」



 二人の歓喜の叫びが響き渡り、寝ていた慧と兎童はハッと目を覚ました。




 黎冥とアヤネは紙をまとめると全てダンボールに差し、黎冥は私物であるマイクロメートル定規とアヤネの私物であるそろばんを二つ片付ける。





「私準備しないと」

「あ、刺繍出来てるから」

「前までまだだったじゃん」

「息抜きにやってたら完成した」

「三、四時間抜けたのはそのせいか?」

「アヤネが目立ちたくないって言うから」

「もう目立ってんだよ」





 二人は揃って狂室を出て行き、研究者三人は顔を見合わせる。




「藥止さんに呼ばれて来たけど……手伝えなかったね」

「あの二人……黎冥さんはやっぱり怖い……」

「女の子可愛かった〜! アヤネちゃんだっけ?」

「二人とも確りしなさいな……」




 三人とも、黎冥より歳上だがここの元生徒だ。



 一番近い鳴嬪でも十四つ離れている。


 墓千は十六、嫁陣は非公開。





「てかあの二人息ピッタリすぎ。ずるー!」

「黎冥さんってあんなに話するんですね……」

「圜鑒君があそこまで話すのは驚きだね。……圜鑒君を殴ってたあの子にも驚いたけど」

「十六歳らしいですよ……」

「十六歳!? ピチピチの女子高生神キタコレ! 縁の女神のお導き!」




 墓千が鳴嬪の大声に怯え、嫁陣が墓千を落ち着かせながら鳴嬪を諭していると黎冥が戻ってきた。



「そう言えば御三方はなんで来たんですか」

「圜鑒君の手伝いをと思ってたんだけど……」

「圜鑒! アヤネちゃんを俺に譲れ! 先輩は俺だ!」

「机に足乗せんな! 解剖した時に雑菌が湧いて感染症がで……」

「入口で止まんな邪魔」



 アヤネに蹴られた黎冥はおとなしく中に入り、アヤネを見下ろす。




 黎冥もアヤネもローブ姿だ。

 白衣の袖が鉛筆で真っ黒だったので洗濯に出した。



「やっぱり現役教師は似合うね」

「副業ですけど」





 黎冥は椅子に座ると鞄から色々とファイルを出した。



 嫁陣は不思議そうにする。




「寝ないのか?」

「頭冴えたんで副業で一稼ぎします」


「今から!? お前貯金だけで一生遊んで暮らせるって」

「遊んで暮らせるけど研究費がない」

「遊びって研究じゃなかったんだ……!?」

「俺にとっての研究は遊びじゃなくて本業ですけど!? お前俺が遊んでやってるように見えてんのか」




 アヤネは雑巾を洗うと手を拭いて黎冥の向かいに座った。




 アヤネは家庭教師を辞める代わりに黎冥から給料を貰うことになっている。



 時給制で、黎冥の研究の手伝いと今回のような特別業務、それに加えアヤネが自主的に手伝った副業で月の給料が換算される。






「……朝の八時に何やってんだろ」

「副業」

「飽きた……」

「あー刺繍したい……」

「是非」





 二人で愚痴りながら手を動かしていると八時半頃に慧が、少しして兎童も二度か三度目の眠りから目覚めた。



「……あぁ、終わったのかい」

「甘い物食べたい……」

「零点が壊れました」

「兎童、砂糖を」

「えーと……」



 兎童は当たり前のように鞄から焼き菓子アソートを取り出し、それを開けると黎冥の口に突っ込んだ。




 黎冥は顔をしかめるとそれを口に含み、少し固まる。



「……うわぁ甘い……!」

「アヤネちゃんも……」

「私コーヒー取ってきます……」




 砂糖でコーティングされたバームクーヘンはいらない。




 アヤネは立ち上がると慌てて去って行き、黎冥は口を押えて必死にそれを飲み込む。






 兎童がそれを三つも四つも食べるのを眺めて固まった後、静かに副業ファイルを片付けると教室を出て行く。




 それと入れ替わりでコーヒーを飲むアヤネが戻ってきた。



 一つ、空になったコーヒーカップを置く。




「空っぽなの?」

「零点が階段で飲み干しました」

「はっや……」

「えーと、鼓さん? その零点って……」

「顔面零点性格マイナスなので優しく零点」

「あいつ何やったんだ……」

「ぜろ……」



 アヤネは準備室から未開封の水のペットボトルを持ってきて開けると黎冥のコップに注ぐ。



 後で目の保護に抗ヒスタミン薬を飲むらしい。




「黎冥先生はどこに行ったのかしら」

「寮に戻るらしいです。刺繍熱が付いたようで」

「……刺繍?」






 アヤネの神服を持って降りてきた黎冥は満足そうに下書きを描きながら、それを皆で興味深そうに眺めていた。

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