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24.緊急事態

 黎冥の布団で目を覚まし、小さくあくびをした。




 夢見良し、気分最悪。



「あ、起きた」

「眼鏡は?」

「今はかけてない」





 椅子に座って刺繍をしている黎冥は素顔のままでさらに珍しく眼鏡をかけていない。


 眼鏡なしの素顔は体調不良以来だ。



 それでも起きたら眼鏡だったので新鮮感がある。

 あるだけで特に変わらないが。





「見えんの」

「たぶんアヤネよりは視力いいはず。近視だから近くにさえあれば見える」

「ふーん」




 アヤネは起き上がると髪を整えた。



 なんの悪気もなくこんな事をするから妊娠の被害者にされるんだろうなと予想はするが自重はしない。

 実際、アヤネも襲われたくはないので自己防衛だ。






 ベッドから立ち上がるとスカートを整え、黎冥の手元を覗き込む。




「てか長期の祈りってそんな無いでしょ。三枚もいる?」

「黒だからなぁ。二人以上になったら結構来る可能性がある。普通よりも人も時間も少なくて済むし移動費がかからない」




 校長は移動費も給料もボーナスも、出来ることなら払わない、払っても最低限なので人員は最低限を使う。



 口だけは達者なので客に黒の存在をアピールし、最高の人材を最低限派遣する。





 要するに、こちらは移動費も給料もボーナスも最低限。

 でも向こうには最高人材だと言って高い依頼費を払わせる。




 だいたいこちら四の出費、向こう六の支払いになる。




「向こうが優しさで移動費も食費も負担するって言うなら水色を百人近く動かすけどな」

「商売たくましいというかただのクズだなそれは」






 本当に、だから黎冥も副業を三つと一つ(教師)本業(研究者)を全てこなしている。

 じゃないとまともに薬品を買うことも出来ない。



 教師は低給料の激務だ。








「もう七時だけど」

「昨日当直だったから午前は非番。ま、行くけど」

「仕事人?」

「情報集め」




 針を針山に刺しておき、まだ未完成のマントをハンガーにかけるとローブを羽織った。





 アヤネが寝ている間に風呂には入ったのでこのままだ。







 二人が寮から出て職員室に行くと、慧がこちらを向いた。



「なんだ、仲直りしたのか」

「それどころじゃなくなったんでね」

「悪かったよ。拗ねるな」

「拗ねてんじゃなくて苛立ってんの」

「よ……」

「やめろ」




 頭に置かれた慧の手を払い退け、いつの間にか本棚の方に回っていたアヤネを横目に席に座る。



「慧、新しい指輪作った?」

「作ってないよ。転校生も新入生もいないのに」

「なんか知らない?」

「特には……。……兎童に聞いた方がいいかも」

「なんか聞いたら教えて」

「あぁ」




 黎冥は自分の机から立ち上がると色々な教師に話を聞く。






 しかし全員知らないようで、数を確認しても減っていなかった。


 黎冥も外していないし取られていないのでここでは無さそうだ。





 なんせ北校も南校も来ていた時だったので人数が多い。

 と言うか、ちょうど人目が多い時期にやったとしたら北と南の方が怪しいか。



 無地の指輪に種類はないので北校の指輪をアヤネのものに変えることも、指輪を変える機会さえあれば出来る。




 今日は平日なので行くとしても週末、北と南に行くのは往復一日ほど掛かるので、今週末に北、来週末に南か。


 アヤネだけを送り出すわけにもいかないし黎冥の休みの申請は永遠に放置されるので無理だ。

 兎童と慧は揃って休むくせに黎冥には休みが来ない。







 椅子に座ってこめかみを押さえアヤネと話していると、アヤネがふと入口の方を見た。



「誰あれ」

「……何の用」

「上司に向かって何を言うか」






 アヤネよりも小さな、百三十ほどしかない身長に引きずりそうなほど大きなマントを羽織った少年は黎冥を睨んだ。


 裾と首元にはそれぞれ赤い刺繍が入っている。





「……あ、それが噂の弟子か。骨格は綺麗だな。骨格は」

「誰この餓鬼」

「校長サマ」

「これが!? うわぁ……何、神に選ばれたの」

「そんなやつ選ぶ神ってなんだよ」

「さぁ、酒の女神が酔っ払って選んだとか」





 黎冥は机を叩いて大爆笑し、他の教師も静かに顔を逸らした。


 兎童などもう肩が震えている。






「黒は失礼なやつしかいない」

「貴方の教育不足では」

「お前らが成長しないんだろーが!」

「お前の腕が悪いからだよ」





 急に無表情になった黎冥は頬杖を突き、飛んでくる拳を止めた。




「何しに来たんだ暇人」

「……減給するからな?」

「別にいい。俺の収入の六割本業なんで」

「教職が……」

「研究職が六割、副業三割、教師一割未満、残りは本家からの貢物売っぱらってる」

「ゲス!」

「クズらしいですね」





 今朝の黎冥の話を思い出したアヤネが口を挟むと校長は目を丸くし、首を傾げた。




「誰が言ってた」

「この人」

圜鑒(るいが)!」

「減給でも停職でも喰らってやるよ。就職先なんかそこらじゅうにある」

「クズ!」

「俺を育てたのはお前だろ」

「育てられたんだ?」

「黒が暴走しないように校長サマ直々に見張りに来てたからな」





 黎冥の他にも黒はいたのだが、黎冥の入学とほぼ同時にいなくなってしまったので校長直々にお出ました。



 たぶんアヤネも他色の師になっていたら今頃の見張られていただろう。




 自ら圧をかけたくせにその報復を恐れて触らぬ神に祟りなしを貫き通しすぎたが故に休暇申請まで無視するただの馬鹿。






「酷い言われよう」

「名前は……鼓だったか」

「そうです」

「よくこんなやつの弟子になったな」

「案外有能ですよ。人脈広いですし」

「人脈だけはなぁ……!」






 何故か二人が頷き合っていると黎冥がアヤネの腕をつねった。




「痛っ!」

「お前はどっちの味方だ」

「中立で」

「つまんな」




 用がないなら早く帰っていただきたい。





 黎冥の人脈だけを褒めて後を貶す二人を睨むと、突然校長が合唱した。


 耳元で鳴らされた黎冥は驚き耳を塞ぎ、アヤネも突然の事に目を丸くする。




「五月蝿い……!」

「圜鑒、お前明後日から北校に出張な」




 耳を塞いでいた黎冥は小さくそんなことが聞こえ、目を瞬いた。




 一瞬思考が停止してから、北と南校にいかなければならない責任感からの空耳かと結論付ける。




「もう一回」

「圜鑒、明後日から北校に出張な」



 アヤネの言葉で繰り返されたそれに黎冥は勢いよく立ち上がり、皆がそちらを見た。




「はぁ!? 無理無理無理! 無理!」

「もう了承してある」

「本人の許可取れよ! 明後日!? 明明後日でいいだろ!」

「明後日の昼間」

「無理……!」




 明後日の放課後に大学の教授と共同研究を進める予定なのだ。

 明後日は絶対無理。


 ただでさえ前回の発表会を体調不良と誤魔化してすっぽかしたばかりなのに、本業を休む理由に副業は付けられない。



 絶対に無理。





「何の用だよ」

「北校の石像が崩れかけてるらしい」

「生贄でも出して絞り取れよ! 人を! 易々と使うな!」

「そうは言ってもなぁ。生徒を殺すわけにはいかないし……」

「教師でも生徒でも殺せ! 明後日は無理! てか石像ぐらいなら慧でも兎童でもどうにかなるだろ! 本校の紺色全員送り出せよ!」





 そんな叫びも移動費削減のために虚しく拒否され、黎冥は膝から崩れ落ちた。




 机に頭を突っ伏し、唸るような低く重い声で校長を罵倒する。




「明後日なんかあんの」

「共同研究。国が何億掛けてると……! 国境を越えた世界最先端の天才が集まった研究会……!」

「お前そんなものに呼ばれてたのか」

「本業研究者つってんだろ」

「そんな大変なら私一人で行って後から合流すりゃいいじゃん。祈り捧げるだけでしょ」




 アヤネがそう言うと、黎冥が絶望したまま顔を上げた。



「いや行くよ……アヤネ危ないじゃん……」

「精神崩壊するでしょ」

「大丈夫だってあはは」




 どうしよう壊れた。


 黎冥が頭を抱え、アヤネが慧に助けを求めると同時に羽鄽が入ってきた。



「アヤネちゃーんっと……どうした」

「ばぐら〜、嫁陣(よめじん)さんに明後日休むらしいって連絡しといて〜?」

「……はぁえぇ!? 国家主催のやつじゃん! 無理! 嫌だ俺が殺される! 自分でやれよ!」

「俺明後日から北校だからー」

「そっちを体調不良で遅らせろよ! お前本国責任者だぞ!? 三人しかいないリーダーが欠けてるって失敗しますって言ってるようなもん!」




 思ったより重要な役らしい。





 流石に国を出されると校長もマズいと思ったのか逃げようとしたが、アヤネが掴んで逃がさない。




「この前のドタキャンで俺と嫁陣さんが胃に穴開けたの知ってるだろ!? 国の信用ガタ落ちだかんな!? 損害賠償とかどうするよ!?」

「そんなん俺の貯金で何千億でも何兆でも払ってやるよ。そんなことより俺が界隈から干される。お前の人脈確保してんの俺だからな?」




 羽鄽は何故か本棚と机の間にしゃがんで隠れ、黎冥は目が乾くのを感じながら頭をフル回転させる。

 何をどう計算してもどちらかが間に合わない。



 かと言ってアヤネを一人で向かわせると確実に問題が起こるし、最悪の場合アヤネが壊れる。



 それは師としてのプライドが許さないのだが、今研究会を休んだら計画から外される。

 それだけは絶対に嫌だ。



 あれで年に何千万稼いでいると。





 二人の顔面から血の気が引き、黎冥の眼球が赤く染まり始めた。



「零点、眼球出血してる」

「……あぁ、結膜下出血だ。気にすんな」

「そう?」

「ストレスとドライアイ。問題ないない」


 それは結構問題ありな気がする。






 研究者二人がブツブツと何かを呟き、羽鄽が吐きそうになってきた胃を押えていると慧が溜め息を吐いて立ち上がった。




「圜鑒君、大変そうだね」

「アヤネ、人殺してでも自己防衛出来るか」

「弟子に何やらせようとしてるんだい。……黎冥と羽鄽が研究に出席出来たらいいんだろ。一日で終わるのかい」

「まぁ精密計算と理論の持ち出しあいですから。最低三時間で出来る」



 黎冥がそう言うと、今度は羽鄽が机を叩いて立ち上がった。


 唇の皮が剥けて舌の切れた口を早口に動かす。



「はぁふざけんな!? 最低六時間はいるだろ!? てかお前が六時間は必要だって……!」

「今から設計図立てて二十四の候補作って計算して当日は微調整だけでいいようにする」

「お前また徹夜する気か!? 二十四通りに何十時間かかると……!」




 羽鄽が血で染まった歯を剥き出しにして怒鳴ると、黎冥はアヤネの肩を掴んだ。





「うちの弟子、精密計算機なんで」

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