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22.やられたやり返す。倍返しではない。

「お前って運動出来る?」

「人並みには」




 ある日の昼休み。


 何故か最近殺気立っている黎冥は例の子供の噂を片っ端から否定し、女子を虜にする代わりにその発信源を特定、本人の精神不安定まで追い込んだ。




 ついでにアヤネにコップをぶつけた子も自主退学したそうで、口封じに記憶を抜かれたらしい。


 これも教科書を落とした際に危惧される情報漏洩と同じ理由。





 三日間の夏の祈りも終わり、明日には北校と南校も帰るという日だ。




 食堂でコーヒーを飲みながら本を読んでいた席に黎冥が座ってきて、突然そんなことを聞かれた。





 黎冥が来ないように一階のカウンターの端に座ったと言うのに、目ざとくここにやって来た。


 隣に座っている人がいるので反対側から手を突いて。



 端に座ったのが仇と出たか。





「午後から体育あるんだけど」

「あっそ。私出ないし」

「俺動きたくないんだよね」

「怪我人なんですけど」

「運動神経いいだろ?」

「重い……」




 肩に体重を掛けられ、ついでに頭も机に付くほど押さえ付けられ、体重とともに圧をかけられる。





「俺動けないんだって。なぁ?」

「分かったから退け! 痛い!」

「じゃ、一時に体育館な〜」

「最低零点馬鹿!」



 用は済んだとばかりに去って行く黎冥に、勢いよく立ち上がってそう怒鳴ればひらひらと手を振られた。





 あいつ、本当に器用だ。

 わざわざ顔を横に向けて傷のないところを押さえてきた。





 いじめっ子よりあいつが辞職してくれないだろうか。




 そんなことを考えながらコーヒーを飲み干すと、本と気分転換に持ってきていた教科書ノートを雑にまとめ皆の視線を無視しながら食堂を後にした。










 髪を軽くまとめ、ジャージのまま初めて体育館に行くと中には黎冥と匡火(ただび)、数十人の生徒もいた。


 花の歌の事件の時に実験に使った生徒が数人いるので、たぶん同い歳の人達。



 数が多いのは北校と南校の生徒だろう。




「遅い」

「ピッタリ一時ですけど」

「授業は四十五から」

「お前が一時って言ったんだろ」

「時間割見ないの?」

「見る意味ないし」





 八百から八百五十畳ほどの大きさがありそうな体育館には高飛びのバーと保護マットが二セット設置されており、片方は一メートル、片方は一メートル五十センチの所に設置されている。





「高飛び……。頭割れてるんですけど」

「鼻血出すなよ」

「辞めるという選択肢は?」

「ない」



 このクズ狂師が。






 自分もジャージのくせに恥を晒したくないからと我関せずを突き通す気だ。





「……分かった。師匠の尻拭いは弟子の役目でしょ」

「あ、他もやってくれんの?」

「甘ったれんな」

「厳し」





 アヤネはかかとを踏んでいた靴を履き直し、匡火に説明されている皆の後ろに行った。






「……で、はさみ跳び、背面跳び、ベリーロールのうち、最も一般的なのは背面跳び。ただ、無理な人も多いので今日は何跳びでもいい。床に落ちないようにだけ気を付けて」



 何飛びでもいいらしい。


 何跳びがいいのだろうか。

 皆のを見て決めよう。





「それじゃあ……今日はお手本がいるらしいので」

「アヤネ、頼んだ」

「お前後で締めるからな」

「やれるもんならやってみろ」

「運動音痴が」





 アヤネは匡火に寄ると少し話して、高い方のバーに向かう。




「何飛びですか」

「何飛びでもどうぞ」

「何飛びがいいんですか」

「何飛びでもいいんですけど……お得意なので」




 全て困らない程度には出来るので得意も苦手も好きも嫌いもない。




 とりあえず久しぶりなので一番慣れているはさみ跳びでいいか。





「越えればいいんですよね」

「飛べば大丈夫です」

「越えます」

「はい」




 アヤネは軽く助走をつけてから走り出し、勢いよく高く飛んだ。






 これ、本当に拒食症の百五十センチだろうか。


 平均よりも筋力は劣っているはずなのに百五十どころか百七十近くまで飛んでいた。




 匡火は唖然とし、興味のない黎冥はバケモノだなーとだけ考えておく。




「……飛べた?」

「百七十」

「うわぁ落ちてんなー……。……まぁこんなもんか」




 アヤネは痛む頭を押え、髪を整える。



 中二で部活に引っ張りだこのまま大会に出た時は世界レベルで飛べたのだが、やはりなまっているらしい。



 何回か飛べば戻るだろうか。

 そもそも筋力が落ちているのかもしれない。


 目指せ二メートル復活。




「……帰っていい?」

「匡火先生いいですか」

「ベリーロールと背面もお願いします」

「行ってらっしゃい」

「終わったら帰るかんな」




 うんともすんとも言わない黎冥を睨み、ふと匡火の方を見ると生徒と共にバーを七十まで上げていた。


 頭の中に感嘆符と疑問符が浮かぶ。




「匡火先生!?」

「お願いします!」

「脳筋だからな」

「私素人!」

「素人であれだけ飛べたら苦労しねぇよ。行ってこい」




 黎冥に背を押され、匡火の輝く視線にプレッシャーを感じながらまた助走を付けて走り出した。




 ベリーロールで一瞬触れたかと思ったが気のせいだったらしい。




 マットから降りた頃には九十に上がっていた。



「先生遊んでません?」

「プロの技が見たいんです!」

「素人!」

「大会で金取ってるやつが何言ってんだか」

「なんで知ってんの」

「当たり前だろ」




 不服のまま、でも楽しかったので良しとしよう。




 目視で自己最高記録を出し、そのあとは黎冥と匡火に代わって指導を頼まれた。



 学校で高飛びが出来たからと言って将来何になるかは知らないが皆、楽しそうなのでアヤネも気楽に教える。





 これ以上飛んだら傷が開きそうなのでおとなしく座って教えていたのに。




 体育館のスライドドアが強く開き、皆がそちらを向いた。



「鼓アヤネ! 俺と勝負しろ!……高飛びか! よし、お前がそれをやりたいと言うなら乗ってやろう! 準備しろ!」

「五月蝿いよ蜂馬(ばちま)、他の子に迷惑する」



 いきなり現れたガタイのいい男といかにも頭いいんですと言っているスクエア眼鏡をかけた長身の男は体育館を見回すと眉を寄せた。




「どれだ?」

「絶世の美女らしいけど。全員醜女(ブス)だね」

「もしかして男か……!?」

「黎冥さんって若気だっけ」

「知らん。人はそれぞれ個性がある」

「生物学的にはおかしいんだけど」




 あのスクエア男、慧の弟子のスクエアと気が合いそうだ。



 黎冥も興味なさそうだし向こうもアヤネを知らないようなので知らんぷりしておこう。




 二人とも同じ気持ち。




 これ以上面倒事に巻き込むな。





「つずみー! アヤネー!」

「うるっさいなぁ……! 低身長で痩せてる隈の醜女って言われただろ。それを探せ」

「分かった」




 アヤネがしゃがんで頬杖を突き、早く帰らないかなと待っていると上に影がかかった。



 見上げるとスクエアがアヤネを見下ろしている。




「隈の醜女、お前が鼓か」

「礼儀のなってない猿が人間見下すな」

「……は?」



 おっと口が滑った。





 アヤネは立ち上がるとニコリと笑って黎冥の反対に逃げた。




 スクエアから冷気が放たれ、二人で静かに離れる。




静蘭(しずらん)、そいつか?」

「間違いない。蜂馬、こいつ締めろ」

「おー! 静蘭が許すのは珍しい! じゃあ遠慮なく……」



 黎冥はアヤネに服を引かれると同時にしゃがみ、黎冥の頭上をアヤネの足が音を立てて空を切った。



 アヤネの裏回し蹴りは躊躇いなく蜂馬の顎に直撃し、蜂馬は歯を食いしばるとアヤネの足を掴んだ。



「お前罰則な」

「退学覚悟でやっていい」

「死なない程度に」




 アヤネは黎冥の上を飛び越えると足が掴まれているのをいいことにそれを使って飛び上がり、異様に軽いその体を駆使して蹴りをかます。




 アヤネの足に血管が浮いていないのは筋肉のおかげだ。



 幼少からの柔道、居合道、跆拳道。

 加えて小中で開花した陸上競技による筋トレ。





 クラブや部活に大会で呼ばれ、体験に行っては練習をしてというのを繰り返した結果、足技だけ異様に上達した。



 喧嘩は嫌いだがこんな人生を過してきたのだ。

 最低限護身術と報復術は身に付いている。







 蜂馬の足を内から払い、そのまま回すと肩に落とした。




「いっ……!」

「よし。傷開いたんで帰りまーす」

「……あ! アヤネ、放課後実験室な!」

「無理」

「罰則」



 体育館の一部だけ血濡れたリンチ現場になってしまった。



 見つからないうちに撤退しよう。




「じゃ、匡火、あと頼んだ」

「……え、えぇ!? 黎冥先生!?」



 逃げ足は一流の黎冥はあっという間に出て行き、肩を押さえてうずくまっている蜂馬を見下ろした静蘭も舌打ちをしてから出て行った。







 アヤネの寮にて。


 アヤネが開いた傷を止血しながら包帯を準備していると部屋にノックが鳴った。



「アヤネー」

「今は無理」

「手当中だろ。手伝う」

「……ん」



 黎冥は扉を開け、中を覗いた。



 アヤネは半袖になり、髪を上げて頭を押えている。





 匡火が手本だけだと言うのでやらせたのだが、まさかこんなことになるとは。





 中に入り、引き続き押えさせたまま黎冥は包帯とガーゼを用意する。




「……お前って元ヤンキー?」

「私の生い立ちからヤンキーと思えるその頭が凄い」

「喧嘩慣れしてんなーと思って」

「喧嘩慣れじゃない。やられかけたらやり返さないと死にかけることが当たり前だったから」




 拒食症は非常に食が細い。


 故に骨が脆く、軽く蹴られただけで骨折など当たり前になってくる。



 アヤネの場合はそれが永遠に続いていたので自己防衛として覚えただけだ。


 決して喧嘩を仕掛けることはなかったし、相手に大怪我を負わせることもない。




 その場がしのげたら良し。

 相手が怯えて近づいて来なくなったらラッキーだ。




「……大変な人生で」

「神様がどうやらって言うからもっと平和な学校を期待してたけど。普通と変わらない」


 アヤネがそう言うと黎冥は少し息を詰まらせた。



「……いつもは穏やかなんだけど」

「私が来たからか。じゃないと狙われないもんね。あぁそう」

「こっちも動くからちょっと待ってろ。とりあえず羽鄽でも誰でもいいから二人以上、一人になるな。羽鄽は気持ち悪いけど無理矢理なんかするような奴じゃないから」




 そうやって庇われるから余計に嫉妬と懐疑の目を向けられ、こういう事が増えていくのだ。



 寮が黎冥以外開けられなくて良かった。



 鍵付きの更衣室のロッカーは壊されてゴミ箱と化しているし更衣室にある靴箱もだ。




 命より大切なものは寮にあるのでたぶん問題ない。



「別にいいよ。慣れてるし」

「それに慣れたら……」

「一生付き纏う事なんだよ。次に進めば無駄になることをやるほど馬鹿じゃない。こっちが慣れて受け流すのが最善なの。似た立場だからって知った口聞かないで」



 アヤネはそう言って包帯を縛るとジャージと本を持って寮を出て行く。




「ちょ、他は!」

「ちゃんと閉めてよ」



 アヤネはそう言いながら保健室側に曲がっていき、黎冥は大きな溜め息を吐く。





 今まで自ら上に立つという行動をしなかったので接し方がイマイチ分からない。



 加えて複雑な過去と本人すら分からない空白が多い子だ。

 きっと慣れている人でも難しい気がする。




 何に触れてはいけないのか、何なら興味を持つのか、何で機嫌を損ねるのか、何を大切にするのか。



 小中の学校のことは普通に話す。

 持病や友人のことも話す。

 親のことも比較的平気そうだ。


 運動が好きで、友人を大切にし、平穏のためなら自分を犠牲にする。


 元彼の話で自己嫌悪を示し、元彼の浮気相手を哀れみ同情し、元彼の絶望した顔を思い浮かべて黒い笑みを浮かべる。




 本当に分からない。

 分からないし掴めない。


 本当に、アヤネを後継に出来るのだろうか。





 慧に言われた言葉が頭に響き、泣きそうなほど震えた溜め息を吐き出した。

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