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18.日常その一、書道

 学校が休みの休日。



 アヤネはいつも通り出掛けて行ったので黎冥は職員室で仕事中だ。





 次期社長の事と疎遠の事を話し、給料を釣り上げられて予定の二倍の額を提示したら家庭教師も辞めてくれることになった。




 足を組み、お腹空いたなーと上の空で天井を眺めていると職員室にアヤネの声が聞こえてきた。



「零点〜、部屋貸して」

「なんで」

「毛筆やる」

「ここでやれ。絶対汚れる」

「じゃあ遠慮なく」




 職員室に背を向けたアヤネの肩を爪が立つほど掴み、いつも通り睨み合う。



「いい加減鍵返せよ」

「家庭教師続けようかなぁ」

「とりあえずここでやれ。今部屋に毛筆出来るスペースないから」

「何、内臓のコレクションでも作ってんの」

「お前の発想が怖い」




 アヤネは職員室に入ると新聞を広げ、(すずり)と水と筆を出す。

 今どき珍しい、墨を削って水で溶くものだ。




「墨池は?」

「使ったら駄目なやつ」

「何書くの」

「ちょっと黙れ」




 師範が書道段持ちのため、市販の墨や薄墨を使ったらすぐにバレる。



 この墨擦りのために朝から山の湧き水を取りに行き、さっき帰ってきたところなのだ。

 もう疲れた。




 珍しく食欲があるので後でなにか食べよう。

 吐かないだろうか、大丈夫だろうか。




 無心で十分間すり続け、新聞に試し書きしてから一枚目の三枚判の大きさの半紙を敷いた。




 筆に墨を付け、漢字を思い出しながら息も忘れる集中力でそれを書く。




 不撓不屈(ふとうふくつ)。くじけない心。



 筆を置き、変な所がないかを確認すると乾かす間に次の筆を準備する。





 三枚とも、全て違う筆跡で書けと言われたので筆も変える。



 これは根元が一番太くなっている、力強い文字を書くのに適した筆だ。




 後二枚は力強い不惜身命と達筆の虚心坦懐を書き、全て問題がないかを確認すると硯と筆を洗い始めた。




「うま……段持ち?」

「準師範」

「……多才なことで」

「汚したら寸分のズレもない同じの書かせるからな」



 覗き込んでいた黎冥は静かに離れ、アヤネは硯を雑巾で包むと筆を整えた。



「なんのやつ?」

「道場の心得」

「道場?」

「道場」



 そう言われてみれば非力なくせに動体視力が良く、瞬発力があって人の急所や構造を理解している。


 何をやっていたのだろうか。

 是非奪とやらせて奪が負ける姿を見たい。



 一番初めにちょっと見たが。





「なんの武道?」

「しつこいなぁ……」

「真面目に返せば三回で済む」



 なんですか、○○です、いいですね。終わり。



 アヤネがふざけるから伸びるのだ。

 それを黎冥にしつこいと言われても困る。






 アヤネは乾いた半紙を新聞に挟むとそれを持って寮に戻って行った。



 暇になった黎冥は午後にやる予定だった仕事を片付ける。




「アヤネちゃんとは上手くいってるみたいだね」

「黎冥、アヤネちゃんに俺を勧めろ」




 慧と羽鄽が机に座り、左右から見下ろしてくる。





「お前の被害者は少ない方がいいだろ」

「確かにそうだね。黎冥のせいで開花したわけだし」

「こうなるとは誰も思わない……」






 羽鄽の低身長やせ細った色白のタレ目で目付きが少し悪く不健康そうな女の子という性癖は男である黎冥が開花させた。


 十五歳で色恋に目覚めた周囲が煩わしかった黎冥が今の隈メイクを施した結果、未遂された。




 隈は化粧品を合わせて少し青っぽい黒を作り、瞼を重くするのは薬品で腫れさせている。


 瞼は非常に薄く、眼球という粘膜の真上にあるものなので下手したら眼球に傷が付く。が、それでも女子の大群から逃げたかったのだ。





 毎日決まった使用時間で使っているので今のところ問題ない。




「というかアヤネじゃなくても同じような女子でもいいだろ」

「アヤネちゃんじゃないと! なんか黎冥に似てるし!」

「お前一回死んでこい」

「黎冥よりアヤネちゃんの方が好みかもしれない」

「じゃあ二度と俺に触るなよ?」




 羽鄽が二人を比較し、黎冥が睨んでいると慧が立ち上がった。



「二人とも昼は?」

「まだ」

「アヤネちゃん誘おう」

「食事ぐらい安心して食べさせてやれ」













 その日の翌日、今日も休みだ。




 黎冥がひと休憩しに食堂に行くと、いつもの吹き抜け二階席。

 皆が黎冥が座る席だからと、何故か避けている席だ。


 そこにアヤネが座り、皆の睨むような視線を無視してミニドーナツ片手に課題を進めていた。




 寮があんなところなのでここで課題をやる子は結構いるが、何よりアヤネが何かを食べている姿が珍しい。




「珍しい」

「勝手に座んなよ」

「気にすんな」

「はぁ?」




 黎冥が向かいに座るとアヤネは顔を上げて黎冥を睨む。




「昨日、登山から帰った後にお腹が空いたから動いたら食べれるかもと思って」

「じゃあ昼間は空かないってこと?」

「空腹感はあるけど食欲がない……に近い。たぶん発熱時のお前と一緒」

「かわいそ」




 食べれるかと思い、調理員に作りたいものがあると言うと快く材料も場所も譲ってくれた。


 大きな一つのものは食べきれないので一口サイズだ。




 花の女神の時に作ってもらったドーナツが美味しかった。





「食べる?」

「甘いもの嫌い」

「甘くない」

「じゃあ食べる」




 甘いものは嫌いなので普段は見向きもしない。

 今もアヤネが何かを食べているという状況が珍しいのでやってきただけだ。




 甘酢などは大丈夫だが本当の砂糖の甘さは無理。

 コーヒーもブラックのみだ。




「コーヒー飲みたい……」

「職員室にある」

「生徒が飲んだらまずいだろ」

「ブラック派?」

「牛乳嫌い。甘いコーヒーは吐き気がする」




 聞いてはみたが動きたくないので無視して椅子を揺らしながらドーナツを食べる。


 十三、四の頃から甘いものが苦手になったのでそれ以来食べていなかったが、これなら普通に食べれる。




「あ、そう言えば。羽鄽が俺よりお前の方が好みだって」

「あの人ストライクゾーン広すぎ。誰でもいいんじゃないの。ほんとに」



 男でも女でも同い歳でも未成年でも、たぶん歳上でも大丈夫だ。




「零点の偽装メイクで開花したんでしょ」

「偽装って言うな。変装って言え」

「なんでもいい。最近やってないし」




 昨日はやっていたが今日は素顔だ。


 最近はやっていない日の方が多い。





 アヤネがペンを置いてドーナツに手を伸ばすと黎冥がニヤリと笑った。



「お前に俺のメイクやらせたら羽鄽どうなるかな」

「弟子と同級生で遊ぶな」

「メイクありの方が好み?」

「その顔と性格が嫌い」



 メイクすれば底辺だし素顔はどこぞのイケメンだ。

 性格は人の心が欠けたクズ、家は玉の輿と言われるほど裕福。


 顔も良くて外面も良くて人脈もあって名家の金持ちなど、仲良くした瞬間女たちから刺されてもおかしくない。




 加えて赤の他人には優しく善人を装うので余計にタチが悪い。




「そんな酷い?」

「良物件が嫌いなだけ」

「羽鄽は悪いけど」

「普通でいいんだよ」





 そんな一見下衆のやるような、更に黒い会話を広げていると慧と弟子二人がやってきた。



「おや黎冥、珍しいじゃないか」

「無糖」

「あぁ。……手作りかい?」

「はい」

「今度私にも甘いのをちょうだい」

「いいですよ」




 黎冥はドーナツの最後を食べると腕を伸ばした。

 結構膨れたので昼食はいらないかもしれない。


 アヤネは結局二つしか食べなかった。




「……君ら、公の場でそういう話をするのはやめた方がいいよ」

「女子が避けるなら大声でするさ」

「男に嫌われるなら徹夜でやりますよ」



 二人の声が重なり、本人達の自覚ありに慧は大きな溜め息を吐いた。



 (ゆだ)は不快そうな目でこちらを見てきて、早津(さず)は黎冥に小さく手を振る。



藥止(やくど)先生、こいつ失礼だと思いませんか」

「ん〜? どうだろうね、近くで見てきた私は黎冥に同情するしそれと似た境遇のアヤネちゃんがこうなるのも分かるよ。似た二人だからこそ分かり合えるところもあるだろうしね」

「流石慧、分かってる」

「黎冥先生はなんでこんなやつを受け入れたんですか」




 やはり周囲には誤解されているらしい。



 アヤネは大きな溜め息を吐くと教科書ノートをまとめ、席を立った。



「慧先生どうぞ。私は終わったので」

「え」

「それじゃあドーナツ楽しみにしてるよ」





 アヤネは慧にだけ会釈すると階段を降りていった。



 黎冥は少し腹立たしそうにしている委を見上げる。



「言っとくけどアヤネが俺を選んだわけじゃない。あいつ誰も選ばないし」

「恋してるみたいなセリフになってるよ」

「俺彼女いるんで〜」




 黎冥は大きめの声でそう言うと立ち上がって去っていった。






 慧は呆気に取られ、我に返ったのは食堂にいる女子の悲鳴が聞こえてからだった。

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