16.理解する脳もない鳥頭のイタズラ
ふと目が覚め、有り得ないほどに乾いた目を閉じる。
涙が必要。
目を動かし瞬きし、涙を絞り出すと体を起こした。
白いベッドにパーテーションで区切られた木造の部屋。
隣には丸椅子が二つと、ベッドの柵には移動可能な机が取り付けられており、ベッド側まで回るようになっている。
腕に繋がれた数本の管と胸に貼られたコード、首にも何かが貼られているし状況が理解出来ない。
気絶する前の記憶を探る。
確か祈りに祠に行き、組編を閉じて祈った瞬間。
どうなったのだろうか。
その圧で気絶したか。
ではここは島の病院か。
いや違う。この光は学校だ。
黎冥に怒られる気がする。
今まで怒られたことは無いが今回ばかりはやらかした気がする。
パーテーションからギリギリ見える時計で時間を確認すると二時ほどで、パーテーションの奥が少し開いた気がした。
パーテーションが開き、少し顔色の悪い黎冥とそれを心配する慧が一緒に顔を出す。
慧がいるということはやはり学校だ。
「……起きてる」
「……本当だ……」
二人は顔を見合わせると、静かにパーテーションを閉めた。
起きたらまずかっただろうか。
アヤネが小さく首を傾げ、またパーテーションが開いた瞬間。
黎冥はその場に崩れ落ち、慧はアヤネを抱き締めた。
「良かったぁ……!」
「気が付いたんだね。一ヶ月も起きないから心配してたんだよ」
「…………一ヶ月……?」
「三週間二人が行方不明になって祠で倒れてるところを発見されたんだ。二人とも普通に生きてた状態が不思議でならないほどにね。黎冥は一週間で起きたけどアヤネちゃんは全然目が覚めなくて……!」
「に、か、げつ…………かん……」
額から冷や汗が吹き出し、脈が飛び跳ねる。
「どうしたんだい」
「起きたならもういいですよね。帰ってもいいですよね」
「駄目だろ。検査してから」
「無理無理無理! 殺される!」
羽耶に殺される。
お互いの近状を知らせるために週一で会い、それを一ヶ月も断ったのに、さらに無断で一ヶ月の合計二ヶ月間。
ナイフで一刺しでラッキー、絞殺でまだマシな方、なぶり殺されたら羽耶並の優しさ。生きたまま炙られたら地獄。
「健康! 至って健康! 質実剛健明朗快活! もういいよね!?」
「だからぁ!」
「とりあえず戸永呼んでくるよ。黎冥、押えてて」
「時間ないのに!」
焦るアヤネを黎冥が押え、管を抜かないよう両腕を掴んで頭上あげるとベッドに押さえ付ける。
二人が言い合いをしていると、慧が医者の明場と兎童を呼んできた。
焦りと歓喜でパーテーションを開ければ、ベッドの上では。
アヤネが寝転び、黎冥がベッドに片膝を突いてアヤネの両腕を上にあげ、胸を押えている状態。
簡潔に言おう。
黎冥がアヤネを押し倒した状態。
「黎冥今すぐ離れろ」
「慧が押さえろって言ったんだろ。こいつ離したら自分で抜くぞ」
「にしても押さえ方ってもんが!」
「んな事より離せ! その光景に問題がある!」
兎童にによって黎冥が引き剥がされ、戸永はアヤネの管を抜いた。
「どこに行くの?」
「友達の所です。二ヶ月間音信不通を突き通したんで」
「それは心配だろうけど……待ち合わせしてないでしょ?」
「いや思考ぐらい分かるんで」
「それじゃあ行ってもいいけど絶対に戻ってくるのよ」
「はい」
戸永に離されたアヤネはびっくりなほどの俊足で保健室を飛び出した。
「慧先生、黎冥先生、ついて行ってあげて。こっそりね」
「はい」
アヤネは部屋で早着替えをすると化粧もそこそこに、髪だけ整えると鞄を持って学校を飛び出した。
いつものカフェに入ればいつもの席でいつものアイスコーヒーを頼んだ羽耶がケーキを並べて座っており、向かいには羽耶の牽制役も座って縮こまっていた。
「羽耶……じゃない。音弥君……」
「お前音信不通で二ヶ月間もどこ行ってた? 島か? 男か? 仕事? 体のか?」
「痛た……ごめんね、長引いちゃって……」
向かいに座り、髪を鷲掴みにされ顔がすぐそこまで迫ってくる。
店員は声を掛けるかかけないか迷っているようだ。
「長引いた? 一ヶ月も? 手紙は出せるって言ってたよな?」
「いや、本当。島にポストがなくて」
「んなわけあるかボケ。どんな田舎だよ」
「郵便局がなかったんだよぅ……」
「言い訳も程々にしろよ」
「お、奢るからさ……」
「人の命を金で解決できると思ってんならお前とは絶交だ。二度と合わないし男も女も助けない」
強く押され、音弥は立ち上がると店を出て行った。
アヤネは隣から睨んでくる鈴羅の方を見る。
「……ごめん」
「羽耶のケーキ代、二ヶ月間俺が払ったんだからな。全部返せ。あと三万貸せ」
「……はい」
「俺は金より重いもんはないと思ってるけど音弥には通じないって分かってんだろ」
「悠海ちゃんが戻ってくるの待ってるよ」
「おん」
二ヶ月間の溜まりに溜まったレシートを受け取ると三万を渡し、店を出て行く鈴羅に手を振った。
アヤネはブラックコーヒーを頼むと胃を満たす。
「お二人さんは何の用?」
「お前の友達個性強すぎるだろ」
「大丈夫なのかい」
「そういうこと集まってるんでね。しばらくしたら戻ってくるでしょうよ」
家庭教師で教えていた子にも謝らなければ。
父から手紙は返ってきただろうか。
暑い八月の始まり。
最悪な月初だ。
三人が時々会話をしながら時間を潰した夕方。
また同じ子が戻ってきた。
「アヤネちゃーん、久しぶり〜!」
「悠海ちゃん、久しぶり。ごめんね」
「大丈夫だよ〜! あ、お友達?」
「気にせず座って。ケーキ食べていいよ。音弥君が頼んだやつだから」
「わーい! 羽耶ちゃんの体っていっぱい食べても太んないからいいよね!」
「いいねぇ」
アヤネは黎冥と慧の間、悠海の向かいに座り、悠海は机に残っていた七つのケーキを食べ始めた。
定員が奇妙な目で見てくるが慣れているので二人とも気にしない。
黎冥の奇妙な目はアヤネが足を踏んで制している。
「音弥君、一番心配してたんだよ。自分が男の子だから男の子の怖さが分かるんだって。毎日羽耶ちゃんが寝てるのにアヤネはアヤネはって聞いてね」
「心配かけてごめんねって言っといて」
「聞こえてるみたいだよ。ぷんぷんしてる」
「今度遊びに行こう」
「いいなぁ!」
「悠海ちゃんも行こうね〜」
悠海が半分のケーキを食べ終わり、アヤネが追加メニューを見せていると遅れて鈴羅がやってきた。
アヤネは十五、羽耶の体は十七、鈴羅は十三。
皆、歳はバラバラだ。
「悠海早い! 置いてくなって」
「鈴羅君おそーい」
「悠海が早いの。……アヤネ、友達?」
「空気と思っといて」
たぶん女だがマッシュヘアに男のような服装と話し方をした子は首を傾げながら悠海の隣に座った。
「音弥とは仲直り出来た?」
「音弥君ねぇ、ずっと溜め息してる」
「安心してんだ。良かったなアヤネ」
「本当に。三万返せ」
「はい」
三万は二人の移動代だ。
アヤネが行ってもいいのだが、外出制限が付いたことを説明すると二人が来てくれるようになった。
飲食物の貸し借りはあれど移動代、物品代の貸し借りはない。
「にしても二ヶ月間もどこ行ってたの? 羽耶ちゃんは島って言ってたけど、旅行じゃないんでしょ?」
「家庭教師の手伝いみたいな。島に家庭教師がないらしくって、人と付き合う子が苦手な子に教えに行ってたの。中学受験するらしい。偏差値六十七だって」
「アヤネは七十なんちゃらだろ?」
「うん。簡単だったよ」
アヤネは頬杖を突きコーヒーを飲みながら難なく嘘を吐き、二人はそれを信じ込む。
「それじゃあ本当に仕事だったんだ?」
「うん」
「良かったぁ。羽耶ちゃんが男の人と一緒って言ってたって言うから!」
「教えてる子が男だからね」
「そういう事! 良かった〜」
悠海と鈴羅が追加でケーキとパフェを頼み、机の上が入れ替わったところで鈴羅が小さく咳払いをした。
「えーと、お知らせ!」
「はい」
「なになに〜?」
「二学期から改名します!」
「えっ本当!? 何になるの!?」
「おめでとう〜。手続きはこれから?」
大はしゃぎする悠海を落ち着かせ、アヤネは小さな拍手を送る。
「手続きはこれから。それで、変わった後の名前なんだけど。二人とも考えてくれない? アヤネは漢字知ってるし悠海はセンスある」
「……あ、羽耶ちゃんが出たいって」
「羽耶でもいいよ。分かるでしょ?」
「うん! ちょっと待ってねぇ……」
悠海と羽耶が替わっている間にアヤネは鞄から手帳とペンを出し、鈴羅が好きな漢字や改名への思いを書き出し、それらに合いそうな漢字を書き出す。
「……あ、アヤ〜、久しぶり〜」
「久しぶり羽耶。心配かけてごめんね」
「だいたい聞けたからいいよー。音弥も落ち着いてきたし」
「良かった」
「全く不器用なんだから。泣いて喜んどけばいいのにさ」
「男のプライドだろ」
「そんなプライドかなぐり捨てろ」
羽耶は座り直すと悠海が頼んだりんごジュースを飲みながら悠海の話を聞く。
「えーと……ソウリとかハイラとかラルとか」
「ハイラいいなぁ。漢字どんなん出来る?」
「えーと……」
アヤネはハイとラと読む漢字に込められる想いを説明し、二時間ほど話し合って名前は霈霸に決定した。
恵をもたらす統治者だ。
「漢字むっず。小六に書けんのか」
「中一! こんくらい書ける!」
「おちびー」
羽耶が霈霸をからかい、アヤネは霈霸の字を大きめに書いて霈霸に見せた。
「雨冠にさんずいに市書いて……雨冠に革に月。たぶんいける」
「はいじゃあどうぞ」
真っ白な手帳とペンを渡し、霈霸に書かせる。
さすが短期記憶だけは一人前な霈霸。
難なく書けた。
「じゃあこれ親に渡して申請してもらってね」
「あざす」
「あ、もう七時半すぎてんじゃん」
「解散するか。アヤネの生存も分かった事だし」
「だね〜。それじゃあまたね〜」
二人に手を振り、店を出て行ってから小さく息を吐いた。
「……帰ろ」
「説明無しか」
「ない」
机を片付けると立ち上がり、霈霸と羽耶と悠海と音弥の分も奢った。
慧の分は黎冥持ちだ。
「皆何かと患ってるんみたいだけど」
「そういう会があったの。あの二人はそこで知り合った人。あれが本名なのかも学校も知らない」
「今はないのかい?」
「民間ホールの一室を借りて交流してたんだけど。市民が貸すだけ無駄だって抗議して解散になった。理解する脳もない鳥頭のイタズラって呼んでる」
拒食症、過食症。
解離性同一性障害、性同一性障害、双極性障害、鬱病、自律神経失調症、多動性衝動性障害、超過敏。
解散する直前に五十人を超え、皆が仲のいいグループだった。が、今は他の人たちとの交流はない。
たぶん仲のいい人同士は交流を続けているが、歳や住んでいる場所が離れていたからバラバラだろう。
なるべく出席の集合も月一の月末、あとは毎週末に好きに来て帰っていいよという感じだった。
反発と言うと聞こえが悪いので理解する脳もない鳥頭のイタズラと言い、もしどこかで会えたらと言うのを最後に解散した。
言わば皮肉の合言葉のようなもの。
二人に説明したアヤネは二人の様子を見ることなく、青になった横断歩道を渡った。