49.テスト
「零」
力の入れ替えが終わり、神に関することも約二年半かけて一段落着いた。
ラムス派の情勢は当主を取られなくなったリリスが抑えているし、アヤネの体調も回復の一途を辿っているのでこれからしばらくは問題は起こらないと思う。起こらないといいが。
皆の記憶も戻ったし、世間に神の実在がバレたものの表向きにも有名な黎冥家や多くの研究者、警察官、医者、芸能人が信徒関係者だったため偏見も問題も特にないままいつも通り過ごせている。
少し変わったことと言えば、学校の制服が外でもよく見られるようになったぐらい。
あと白い神服の大人が多くなったぐらい。
「どうした」
もうすっかり日常に戻った本校の職員室、仕事をしていた黎冥は振り返ると首を傾げた。
「卒業試験させて」
「嫌だ」
「は?」
「お前まだ三年もいてないじゃん」
「別に信徒関係の進路ってわけじゃないしよくない? 普通の信徒じゃ有り得ない経験は十分すぎるほどやったでしょ」
「それはそうだけど」
逆に波乱万丈すぎて普通が分かっていないだろう。
「別にいいじゃん。現役で大学行きたい」
「大学決まったん」
「元々行きたい大学に有利な高校行ってたんよ」
「あそう。……まぁ、頑張れ」
「普通に試験の要領でいいんでしょ」
「別にいいけどカンニング分かった時点で一年間は受けられないからな」
「せんわそんなこと」
アヤネは紙の束を受け取ると職員室を出ていき、それを見送った黎冥は軽く息をついた。
隣から聞こえてくる小さな笑い声の主に目を向ける。
「何」
「黎冥先生アヤネちゃんが心配で仕方ないんですね。案外親バカ」
「お前らの不出来な弟子たちを見てきたから余計にな」
「……ひっど」
「事実だろ」
笑っていた兎童は口角を下げ、これからやってくる無期限地獄期間に遠い目をした。
黎冥が教師を辞めるのは決定。
新米教師、新人教師が入ってくる時期は未定。
黎冥が中心校で仕事を捌いてくれていたから何とかなったものの、完全黎冥なしとなると寝る暇もなくなりそう。
しかもよりによって精密機械頭の黎冥が抜けるなんて。
「……黎冥先生、教師辞めないでください」
「俺も辞めたくねぇよ……」
「そうなんですか? 必要ならすぐに辞めそうなのに、ちょっと意外。楽しかったですか」
「予備研究所……」
「さっさと辞めてしまえ」
「俺が抜けて困るのどっちだよ!?」
「私の弟子今年で卒業しますし!? 私慕われてますし!?」
「慕われるだけで教師になるならこんな惨状になってねぇ!」
二人が怒鳴り合いをしていると、黎冥達より少し遅れて先日中心校から帰ってきた春纚がやってきた。
白熱して立ち上がっていた二人のうち、黎冥の首根っこを掴んで無理やり椅子に座らせる。
「五月蝿い」
「首絞めんな……」
「これレチェット様から。こっちアヤネさんに」
「何これ。いらん」
「朗報だから読んで。あと校長にも渡しとって」
「自分で行け」
「あの道が怖いんか。可哀想に」
「そういやお前に見合いの話来てたな」
「絶対断ってや!」
一瞬で必死の形相に変わった春纚を鼻で笑い、おとなしく手紙を三通受け取った。
断れと首を絞めてくる春纚を無視して、とりあえず自分の手紙を開ける。
「……兎童、これ読んでこっち校長に渡してこい」
「私!?」
「たぶん一番喜ぶ」
「……お菓子!?」
「あいつからそんな内容が来るなら記憶が戻って人格変わったな」
嫌味ったらしく言えば兎童は無表情に戻り、黎冥から受け取った二通のうち一通を読みながら職員室を出て行った。
ラムス派対リリス派、リリス派の動きが大きく、巫良々の安全が確立されたためリリス派の勝利となった。
派閥対決で負けた家が没落するのは極々当たり前で、それでも先に縁を切られかつリリス派になっていたレチェットは家とは違って落ちぶれることはなく、今は就活中。
神守の順位が大きく動く中で、人脈が広く地位を保ち続けた人なら誰でもよかったのだろう。
その中でも最も人脈が広く強い黎冥に。
宗教がバレたことで多少人脈に変化はあったものの、だいたいそう言う情報に疎い変人か元から関係者か、黎冥に少し依存しているような、そんな人達としか関わりがない。
と言うかそういう人種じゃないと黎冥の性格的に付き合っていけない。相手が先に音を上げる。
なので黎冥の人脈に頼ってきた。
あれは生真面目な性格と謎の自尊心、あと同業者への対抗心が強いのでいい教師になるだろう。
兎童の傍にいれば嫌でも世間一般で良いと言える教師にならざるを得ない。
黎冥もそうやって育てられた。
「兄はお見合いどうすんの?」
「俺がやらないからお前に繋げてんだろ?」
「そんな当たり前みたいに言われても困るわ。私まだ十歳やで?」
「十分大人」
「まだ子供」
「良かったじゃん。出会って一ヶ月で結婚とかザラにあるから」
「両極端すぎるわ……!」
でも黎冥家で見合い話になる場合、多くは十歳から見繕って十二から十五で相手を見付け、だいたい十八までに婚約させられる。
あとはお互いの環境が整ってからだが、たぶん昦瓈が使い物にならないので姉が頑張るしかない。
「頑張れ、上三人は使い物にならんのよ」
「上も下も使えんやん! クソ!」
「反骨精神が強い兄弟なんよ」
「ソラに関しては反骨精神よりもただの呑気なアホやん……!」
「よく分かってらっしゃる。頑張れ次女」
「お前が頑張れよ長男さんよぉ!?」
「俺は頑張り終わったから」
「死ぬまで家にとっての最善を尽くせ」
「酷すぎる……! 道具に言うにしても酷すぎる!」
黎冥が妹の言葉に絶句していると、ちょうどふらっと稔想がやってきた。
春纚が黒に上がり、大人びた性格になったことで稔想の春纚嫌いもなくなり、今は普通に他人か、少し気にかけてやっているぐらい。いい兆候。
「兄さん、羽鄽さんから」
「羽鄽は?」
「なんか……教室の前立ってずっと中覗いてた」
アヤネのストーカー卒業後、黎冥とアヤネ推しのオタク兼ストーカーに昇格。
今はアヤネのテストが邪魔されないように監視兼見学、か。
いよいよ迷走し始めているな。
「あれお前その指輪」
「あぁ、貰った」
「……婚約?」
「ちゃうけど」
じゃあいいや。
左の薬指に付けていたのでもしかしたらと思ったが、結婚でも婚約でもないならいい。
「兄さんは大丈夫なん?」
「俺は当たって砕けろだから」
「砕けてどうする」
「アヤネちゃん大学でいい人見つかるとええなぁ。なぁ春纚」
「アヤネさんの行く末は興味無いけど兄さん達、妹に迷惑かけやんといてや」
「迷惑受け止めるための弟妹だろ」
「私よりソラに振って。私家の言いなりになる気ないから。じゃあね」
なんでこうも反骨精神の強い兄弟になったかな。
春纚が出ていったあと、黎冥と稔想は顔を見合わせるとそれぞれの仕事を始めた。
アヤネのテストの点数は卒業試験でも変わらず満点で、卒業には全く問題ない点数だった。
これを見越して答案用紙とともに卒業証書は渡してあるし、あとは黎冥退職の時期になるのを待つだけか。嫌だな。
「黎冥先生、レチェット様ってどんな方ですか?」
「生真面目で鬱陶しい人間」
「仲悪いんでしたね。アヤネちゃんに聞きます」
「そうして」
黎冥の後任も決まったことだし、しばらく平穏が続きそう。