41.双子
アヤネの指揮と現地生徒の協力と時間のおかげもあって、箱庭外での祈りは僅か三週間ほどでほとんどなくなった。
現在黎冥は生の神と世紀の大喧嘩中だが、時の使者と星の神が間に入って何とか何事もなく収まっている、らしい。
早くアヤネの力を解放しろという生の神。
それなら巫良々の場所を教えろと言う黎冥。
巫良々は神の加護を取られているので神では追跡出来ず、取り上げたのは人間側だと生の神は激怒。
死の女神の生死がかかっているのだから仕方ないが、これに関しては星の神がげんこつを落としたらしい。
黎冥は黎冥でこっちだって神の命令に従っているのだからせめてアヤネの力の場所を探れ。
指示するだけで何も出来ない神がいちいち文句を言ってくるなと、よくもまぁ信徒が神に向かって言えるなと言う言葉をつらつらと。
黎冥の寝起き一番がクソ神や馬鹿神、アホ神、クズ神と、信徒にあるまじき言葉になってきた。
その分接触しなかった朝は大喜びで上機嫌なのだが。
今朝も喧嘩して不機嫌なまま目を覚ました。
ベッドに腰かけて本を読んでいたアヤネにもたれかかる。
「死の女神が可哀想」
「生の神から言わせてみれば私が可哀想だろうよ」
黎冥は言い返す言葉もないままアヤネにしがみつき、アヤネは暑いので本で仰いだ。
本校は異空間にあるので気温も湿度も変わることはないが、ここは一部外にあるし外の部分から風も太陽光も入ってくるので自然と室温が変化する。
完全異空間は数ある学校の中でも少ないらしいが、完全異空間だからこその全てが一定した空間だ。
「零、いじけてないで準備」
「いじけてないけど面倒臭い」
「じゃあ退け。置いてくから」
黎冥はあくびをしながら準備を始め、アヤネは本に視線を落とした。
今日は定期リリス派会議の日で、もうすぐ時間なので黎冥は昨日からずっと面倒臭がっている。
「髪切りてぇなぁ」
「伸びてきたね」
「アヤネ切れる?」
「嫌」
「……そ」
無理ではなく嫌と言われた黎冥はおとなしく黙り、まだ時間があるのを見てとりあえず軽く巻き始めた。
軽く巻いた後にアヤネの髪も軽く結う。
「……よし」
「行くか」
「いっそ巫良々が来てくんねぇかな」
「ないだろ」
髪の上がったアヤネは立ち上がり、神服のマントを留めた。
黎冥も軽く叩いて引っ掛かりがないよう注意する。
「……面倒くさっ」
「諦めろ」
でも生の神はあんなんだったが縁の女神と時の女神が頑張ってくれたようで、会議の途中に中心校生徒の一人が飛び込んできた。
皆がそちらを見て生徒は顔面蒼白で口をハクハクさせるが、アヤネが立ち上がって生徒を連れて扉を閉める。
「どうかしました?」
「かっ、神來社が……! 入口広間に……!」
「……分かりました。伝えておきます」
生徒は逃げるように去っていき、アヤネはまた扉を開けた。
「巫良々が来ました」
リリス派が広間に行くと巫良々は倒れて呼吸の異音が聞こえ、アヤネは顔面蒼白のまま駆け寄ろうとするがそれを黎冥に阻止された。
直後、時の使者が姿を現す。
大きな白いローブに大きな杖を持って。
「父さん……!」
「ちょっと借りるよぅ」
使者の浩然が巫良々を抱き上げ、片手で杖を突いた。
直後、巫良々だけは消えたが浩然はそのままで、杖が消えてこちらに寄ってくる。
「……体調に変化は? 些細なことでも」
「何も。あの、巫良々は……」
「加護がない神の力を持ってたせいで中てられただけだよ。すぐ治るから。……今はそれよりもアヤネの取られた力を探した方がいい。取り込むのにはかなり時間はかかるだろうけど……このままじゃ無差別に中てられ始めるよ」
「どこにあるか分からないんですか」
「分からない。……でも大丈夫。世界の裏側ってことはないから」
「何が大丈夫なんですか」
「こっちもあの手この手で探してるんだけどね」
なんせここと向こうでは時間軸が違うし、しかもアヤネが今持っている力は全ての十分の一にも満たない力だ。
加護が五十二もあるのだから、加護とともに増える力はそれくらいあってもおかしくない。
おかしくないが、その離された十分の九が世界を均等に覆っているためどこにあるかが分からない。
所々強いところはあれど神石だったり愛し子だったりするので、検討がつかないのを手当り次第と言った感じ。
「まぁあれも少ししたら治るだろうし、もうちょっとウィリアムのはけ口に付き合ってあげてね」
浩然は黎冥の肩に手を置くと、一瞬笑った口を見せてから姿を消した。
黎冥は不安そうにするアヤネの肩に腕を置く。
「神サマ拒絶する方法教えて」
「……知るかそんなもん」
二人で振り返り、神守にてことでしばらく待とうねと伝えると二人で事務室に向かった。
ノックをして、扉を開けると中で仕事をしている人に声を掛ける。
「すみません、電話借りてもいいですか」
「あ、はいどうぞ!……出といた方がいいですか?」
「いえ大丈夫です。気にせず続けてもらって」
黎冥は電話を取ると第八分校にかけた。
『第八分校校長、馬鑼』
「月見里さんと雲類鷲に声掛けて中心校に集めろ。神來社が動いた」
『お前一回仕事しに帰ってこいよ!? 教師陣がどれだけ必死か……!』
「仕事よりアヤネなんで。もう引き継ぎ始めてもいいけどな。じゃ」
最速で電話を切り、邪魔にならないようさっさと事務室を出た。
巫良々が返されたのは十日が経過した昼前で、今は黎冥の部屋で休んでいる。
リリスがアヤネのことを思い出したのか保健室より黎冥の部屋に置けと言ってきたのだ。
チルのこともあるので、特に問題もないしそうしている。
黎冥の休息はアヤネの部屋で。
扉は常に開いていて、ベッドには巫良々、椅子には黎冥、ソファにはアヤネ、扉の外にはリリス派神守と月見里と雲類鷲。
巫良々ちょっと嫌そう。
「……圜鑒、これが来たらことは解決するか」
「前にアレイの頼みで作った自白剤ちょっと改良して安定してるしこれ使えばすぐにでも」
「それ半分の確率で意識混濁出てなかった?」
「どうだっけな」
「何匹か死んでたじゃん……」
「どうせグズグズしてたら神に殺されるだろうし。神に殺されるぐらいなら人に殺された方がいいだろ」
「二人とも……仮にも本人の前だよ……」
月見里の言葉に二人はずっと茫然と座っている巫良々に視線を向けた。
どうせ聞いてないし。
「月見里先生の目はどうしたんですか」
「事故でちょっとね」
「いつ頃? 時期によってはお見舞いに行けたのに」
「四十頃に」
「白内障を放置したんですね。早く病院に行けと言ったのに」
「事故だって」
「化学薬品が飛んだアヤネでさえ目の周りに傷が出来たんですよ。たった二十年で傷が完全に消えるわけもないのに事故で失明なんて面白い。神経でも切れましたか」
「相変わらずで何よりだよ」
傍で聞いていた黎冥は親子そっくりだなとアヤネを見下ろした。
アヤネは何故こっちを見ると問うように睨んでくるが、睨まなくてもいいだろう。
可愛いのでいいが。
「さてと……じゃあ薬飲んで寝てろ」
「さっきの話の後で薬と言われても」
「聞こえてるし……」
「本人の前って言ったじゃん……」
「じゃあ単刀直入に聞く。持ってる全員の記憶とアヤネの力返せ。あと関係のある神の名前は?」
「……よく知ってるね」
「どうでもいいから返せ」
「記憶を留めておく方法があるとでも?」
黎冥が椅子に座り、巫良々が視線を逸らしながら鼻で笑うとたぶんこの中で唯一巫良々と対等になるであろうアヤネが本を閉じた。
数秒間一点を見つめ、ふっと黎冥に視線を飛ばす。
「命をいじれる契約が出来るなら記憶をいじれる契約も出来るでしょ」
そもそも命をいじれるのは全ての理の権限を持つ死の女神と命を司る命の神のみ。
それを死の女神が裏切りで秩序が崩れないよう、命の神が必要以上に命をいじるのは禁忌になったはず。
問題はそこで、死の女神の掟に書かれたのは『神が世界の理、死、命、時、縁、氣に触れるのは禁忌とする』と書かれていること。
星の神が言うには死の女神の魂が死んだことで契約が一気に弱まり、今は死の眷属を縛るのでギリギリ。
他の五大神は力が弱まりすぎて縛れないどころかほとんど反乱状態にあるらしい。それを五大神が必死に留めている状態。
五大神以外が命どうこう記憶どうこうを出来るかは知らないが、世界をまたいで接触してきた場合やこちらから呼んだ場合はだいたいなんでもありだろう。
自分の眷属ではないその他の神を縛るには非常に強力な契約が必要なはずなので、魂が死んでいる死の女神には無理。
死の女神除く五大神の目さえかいくぐればもうあとは自由だ。
「……そもそも契約結んだのは神様なの? 向こうの人間とかじゃなくて」
「生の神の悪知恵か」
「神話からの推測です」
「うーん……そこを教える気はないな。記憶はいいけどアヤネの力を返す気はない。二度も娘の死に様を見れるほど精神は強くないんでね」
じゃあ記憶を返せと黎冥が口を開きかけた時、その場に神が実体のまま降りてきたほどの強い圧がかかった。
なんの圧も感じないアヤネはハッと立ち上がり、何とか動けている黎冥に巫良々はアヤネを押し付けると二人を庇うように立つ。
「誰だ」
真っ白な髪に真っ白な肌に、真っ白な瞳に真っ白なまつ毛。
白い布に包まれた少女たちは淡く色付いた唇と瞳孔だけが異様に目立って、小さな双子の女の子は巫良々の方に目を向けた。
しかしその目は巫良々よりも、その奥の娘、アヤネに向かっている。
「本当にいた」
「力はないよ」
「少しだけならある」
「少しだけでいいんだね」
「でも全部必要」
「じゃあ奪わないと」
幼児特有の幼さの残る声で紡がれる淡々とした会話が余計に気味悪く、黎冥に庇われているアヤネは黎冥にしがみついた。
左の少女が一歩踏み出すとさらに圧が重くなり、また一歩進むとさらに重くなる。
扉側の人は既に全員が失神し、巫良々も黎冥も視界が点滅して息をするので精一杯だ。
「こっちに」
「これ以上行ったら死ぬよ」
「早く」
「逃げたら殺す」
「来て」
「貴方が殺したのと同じ」
「早く」
近付いてくる少女の威圧感とその場に立ち止まっている少女の誘いで、だんだんわけが分からなくなってきた。
何が怖いのか謎の恐怖心と混乱と視界に移る倒れた皆の姿で、気が動転し、それでも黎冥が失神寸前でも離さない手のおかげで足は後ずさってばかり。
「殺すよ。その男も父親も。貴方が来なかったから死ぬ。貴方のせいで親しい人も親も友達もみんな死ぬ。貴方のせい。親子揃って人の役に立てない役立たずになる」
少女がまた一歩踏み出そうとした瞬間、ほぼ意識がないにもかかわらず立ち上がった巫良々が少女に手を伸ばし、それと同時にアヤネと、アヤネの隣で失神した黎冥が大きなローブに包まれた。




