2021年十月某日
先日、祖母が死んだ。満年齢でいえば88歳だったそうなので、一般に言えばまあ大往生の類だろう。
ただ、少し前に体調を崩して入院していたとはいえ、死ぬほどのこととは思っていなかったのでこちらとしては唐突な死でもある。なんなら要介護認定の等級なんかからしても祖父の方が早く死ぬことになるだろうと思っていた。ボケ始めてからの祖母はすぐ死ぬ死ぬ言う人ではあったが、本当に、こんな突然死ぬような雰囲気はなかった。だって、人は簡単に死ねるって言いながら手首を手でぎゅと絞めるような人だったので(知り合いのねえさんにこうしたら死ねるって聞いたと言い張っていた)。
故人を悪く言うのはマナー違反らしいが、寧ろ今だからこそ言えるだろう。私は祖母のことが多分ずっと嫌いだった。嫌いだからって何をするわけでもなかったが、とにかく私とあの人は精神性というか、思考が相容れないと部分があった。まあ50年ちょっと生まれた年が違って、旧来の価値観をアップデートせず生きている相手なのだから、仕方のないことかもしれない。
子供時分を戦争の中で過ごした人で、若い頃からほんの十何年前くらいまであくせく働いて生きてきた人だった。祖父とそろって船で海に出る仕事をしたり、畑仕事をしたり、漁で使う網の内職をしたり、よく働いて、碌な楽しみも持っていない人だった。娯楽がテレビか妹とと喫茶店に行ってコーヒーを飲みながら駄弁るくらいしかなかった。だから働くのを止めたら何もすることがなくなってすぐに痴呆が進んでしまった。祖父の方は(何を趣味にしているかは更に謎だが)パーキンソン病で介護が必要ではあるが痴呆はさほどでもない。ちなみに祖母は女ばかり五人姉妹の長女で、祖父は入り婿である。祖母の妹の内二人は既に逝去しているが、二人はまだ元気である。多少はボケも出ているのか、或いは同じ話を何度でも繰り返すのが老人の常なのかはさだかではないが。
痴呆が進んでからの祖母は嘘を吐くというか、自分の都合の良いように作話をするし、話が数分も経たずにループするし、話の通じない人であった。母によると老人ケア施設のデイサービスも嫌がっていかないことが度々あったし、その癖夜に今日はお風呂屋さん(デイサービスのこと)に行ったから家の風呂には入らなくていいとか言い出す人であった。後者は私も直接聞いている。寧ろ昼入ってきたから入らんでいいと言い張る日は、本当は入っていない日だと思っていいくらいだった。本当に入ってきているなら母も風呂を促す必要がないので。
ぼける前は一応ちゃんと少なくとも何日かに一度程度は風呂に入っていたはずだが、(正直記憶にないので推測)、めっきり風呂嫌いの滅多に風呂に入らない人になった祖母はなんか変な臭いがして、まあ正直臭かった。恐らく、昔は風呂嫌いでも仕事の汚れで渋々でも入る用事があったか、ちゃんと幾日おきかにでも入っていたのが、仕事がなく汚れを落とす必要がなくて入らなくても本人は気にならなかったのと、前に何時入ったのか正確な記憶がないので都合よく作話するようになって定期的に入らなくなった、ということだろう。自分が入らないだけならまだしも、別に風呂嫌いではない祖父が風呂に入るのを止めようとしたこともあったのでよくわからないが余程風呂が嫌いだったらしい。ちなみにこの辺が私と祖母の相容れないポイントの一つである。毎日風呂に入らないとか意味がわからない。
当然のことながら、私は若い頃の祖母がどんな人間だったかは知らない。だが、祖父母と、ついでに十何年か前までは曾祖母は半同居状態といっていい状態だったので、およそ日に一度くらいは顔を合わせる人間の一人であった。祖父はあまり人のすることに口を出す人ではないし、曾祖母も口煩くはなかったので、私のすることしないことにいちいち口を出してくるのは祖母くらいのものだった。分類上問題児ではあるがやんちゃをするタイプでもなかったので父母にもあまり口煩く何かを言われた記憶はない。
長女なのだから、娘なのだから、何をしろ、何をするなと口煩く言われた。まあ一切聞かなかったのだが。私にとってそれは正当な理由あっての言葉ではなかったし、やりたくないことはやりたくないし、やりたいことはやりたいので。それに私は望んで長女として、女として生まれたわけではないのに、そう振舞わないとならないというのは納得がいかなかった。女の子らしくするのが嫌というか、女の子らしくしろと言われるのが嫌だったのだろう、と今は思う。ずっと反発してきたせいで、今はすっかり女らしく振る舞うことに違和感を持つ人間に育ってしまったが。
血統の近しい人間が、私が葬式に出た記憶のある相手は祖母で三人目になる。曽祖父は私が生まれた年に死んでいて、祖母の妹やその旦那は記憶に残っていない。記憶に残っているのは曾祖母と、母の姉の夫で、後は大体健在である。その曾祖母も百歳手前まで生きていたので割合長生きの家系であるらしい。
ただ、祖父の実家の方の家系がどうなっているのかはよく考えると一切知らないのでそちらは断絶している可能性もある。実は旧姓も知らない。この辺ではよくある苗字なので変わってない可能性もあるが。
このご時世なのであまり人を集めるわけにはいかないと祖母の葬式は家族葬になったが、大体三親等内くらいの都合のつく人間ということでも20人ちょっとになった。まあそんなものなのかもしれない。祖父は病であまり長く歩いたり立ったりできないこともあり、喪主は長男である父であった。仏式の、まあ普通の葬式である。
棺の中の祖母はまるで眠っているだけかのように整えられていた。最後に見た記憶より顔色が白く見えたのは、死化粧とやらなのか、入院していた時に日にあたることを嫌がっていたのか、単に血の気が引いていたからなのか。死んだ人がそんな顔で棺の中に眠らされるのは曾祖母の時にも見て知っていたが。
私は、ああ、静かだなあくらいに思った。悲しいなあとは感じなかった。死んだ実感がなかったのかもしれない。否、死んだことが悲しいことだという実感という方が正確かもしれない。葬式で故人との別れに焼香をしたり花を供えたりする中で泣いているらしい叔母を見て、ああこれは悲しいことなのだなと思い至ったくらいだ。
火葬に向かうバスの中で人の死ぬことの何が悲しいのかと考えた。おそらく、どうあがいてももう二度とその人と会う事はできなくなるからなのだろう、としか考えつかなかった。祖母に二度と会えないことは悲しいことだろうか?私にはわからないが、そう思うと涙は出てきた。曾祖母の時は涙を流して悲しむことはできなかったので、私も少しは人が死ぬことは悲しいことだと捉えられているらしい(曾祖母が嫌いだったわけではない。寧ろ割合好きだったと思う。死ぬ少し前は少し疎遠になっていたのですぐには悲しいという実感がわかなかっただけなのだろう)。ただ、あまりそのようなことは考えないようにしていたが、私は祖母が嫌いだったんだな、という自覚もした。
私に言えの為に仕事をする長女になることを求める祖母が嫌いだった。ボケ始めてからは嫌な臭いがしたから余計に嫌いになった。後、炊飯器の中のご飯が臭くなる原因も祖母だったのでそこも嫌いだった(食べきれない量を炊いたり、余った前日のご飯を炊きたてのご飯に混ぜたりするのだ)。でも死ねばいいとかそういうことは思っていない。最初にも言ったが、もう何十年か生きてそうだなと思っていた。
燃えた後の骨は真っ白だった。太腿の骨がしっかり残っていた。生きてる時分には碌に持ち上げられない相手もこうして骨になってしまえば楽に持ち上がるものになってしまうのだなと思った。まあ生前持ち上がらなかったのは私が非力なのも大きいだろうが。
本当ならここでもっと他の人の…生きている人や己の死について考えをはせるべきなのだろうが、それをすると暫く私はポンコツにならざるをえなさそうなのでしない。この辺りが今の私に向き合える現実の限界である。既に腹が痛いし吐き気がする。
私は現実を他人事のような、よくわからないものにしないと生きていられない。多分鬱なんだろう。知らないが。自分勝手で、自己中心的だが、変わりたいと思えない。真人間になれないストレスは真人間になればなくなるかもしれないが、今の仮初の精神的安穏は喪われるだろうし、他のストレスが確実にやってくる。周りの人間を安心させることが安穏を喪うことに足る利点だと思えない。自己中だが。別にそんな自分が好きなわけでもないが。
積極的な死を選ぶほどの希死念慮はないし、長期的な展望は考えたくない。目の前のタスクをこなす以上のことを考えるのが苦痛だ。親より先に突然死にたい。
人が死ぬのは悲しいことだというのは識っている。でもそれはいつか薄れる悲しみでもある。生きていればその内、それが新しい日常になる。まだ実感がないけど。祖母が死んでもう祖父一人しか住んでいないあの家もその内当たり前になるんだろう。それを悲しいことというべきなのか、あるいは他の感情で語るべきなのかは私にはわからない。
ちなみに祖母の死は昨今流行りのコロナによるものではない。暑さで弱っているところに感染症か何かを拗らせて、合併症を起こしたりしたらしい。それでも、数日前には退院した後どうするか(家で介護するのは難しいのでリハビリ施設にいってもらうかとか)という話はしていたので、本当に突然悪化しての突然の死だったようだ。時節柄入院患者の見舞いは全面的に禁止されているので、祖母の入院中のことは勝手に点滴を抜こうとしたらしいということしか伝わってきていないが。
ちなみにどうにもならなくなって救急車で運ばれて入院する前の時点で、体調を崩して(まだ自力で歩けてた段階で)病院で点滴を受けて勝手に点滴を抜いてこれは入院できないと母に判断されていた。