プロローグ 9
『!?』
狼は反射的に、赤ずきんを振り払ってはじけるように後方に飛び退っていた。しかし僅かに間に合わない。
シュンと風を切るような音が響き、鮮血が宙を舞う。
見れば、狼の右目から胸元にかけて一文字に深い傷が刻まれていた。
傷口から湧き出す新しい血が、狼が先ほど浴びた人間の返り血を洗ってぼたぼたと地面に零れ落ちる。一見してかなりの重傷だ。
けれど傷は大動脈をわずかに逸れ、致命傷には至らない。
「(しくじった…!!)」
赤ずきんは唇を噛み、杖を構えなおす。
わずかに及ばなかった。仕留め損ねた。ただの人間が狼神を屠れる、千載一遇の機会だったのに…!
一方の狼は、驚愕からすぐに立ち直った。そして目の前の少女が助けを求める信徒ではなく、先ほどの討伐隊同様の目的を持っていることを理解する。
残された片方だけの目が、殺意を湛えてギロリと赤ずきんを睨みつける。
『ハッ。…ハハハ…そういうことか、小娘め。私を嵌めたな。私の力が必要だともっともらしい嘘をついて、油断させたところを攻撃してくるとは。
いやはや、恐れ入ったよ。お前の狙いも私のこの首か!
だが残念だったな、先ほどの騙し討ちは二度と通用しないぞ。』
赤ずきん―神に仕える立場であるにも関わらず神にたてついた大罪人―は、ふーっとため息をついた後、狼を睨み返す。
「図体の割りに、素早いのね。こちらこそ恐れ入ったわ。けれど、自分から急所を差し出してきた相手を攻撃できないというあなたたち猛獣の弱点は分かってる。あなたに私は殺せない。」
『私にはただの獣と違い、知性がある。お前が敵であることを知った以上、殺すことなど造作もないわ。ここの所硬くて臭い男の肉しか喰えなんだが、若い柔らかい女の肉はそれよりずっと旨そうだ!』
「…あら、そう。でも簡単に食べられるとは思わないことね。私を食べようとしてお口を開いたら、中にさっきと同じ一撃を叩き込むわよ。」
『では粉々に叩き潰してから食べるとしよう。それなら抵抗できまい。』
言うが早いか、狼は恐ろしい勢いで赤ずきんに飛び掛かった。赤ずきんは地面を転がり、辛うじて身を躱す。