プロローグ 5
少女―赤ずきんは狼の反応に意表を突かれたらしく、ほんの少し目を見開いた。けれどすぐに元の険しい表情に戻って呟く。
「私たちのこと、まだ覚えてるのね。」
赤ずきんの凛とした声は、心なしか悲し気に響いた。
それに対し、狼は喉の奥で自嘲的に笑って答える。
『忘れるものか。かつて私は、お前たちこの村の者に神と崇められていた。今となっては化け物と蔑まれ、薄暗い洞窟に封じ込められているがな。』
狼は、今や目前の距離までやってきた赤ずきんを睨みつけて言葉を継ぐ。
『お前たちこそ、私のことを覚えているとは思わなかった。その衣…私の祭司である証の緋衣を最後に見たのもずいぶん昔の事だ。
祭司赤ずきんよ。何年もの間、私への贄も、祭儀も中断しておいて今更何の用だ。』
赤ずきんは微かに目を伏せた。
「奉仕を止めたのは本位ではなかったわ。…世の中はここ十数年で大きく変わってしまった。少し前までこの地方には狼神であるあなたを含めて沢山の神々がいたけれど、『教会』が力を付けてから他の神への迫害が始まって…それに立ち向かった多くの神とその信徒は皆殺された。だから私達はあなたへの信仰を止めた。殺されないために。」
多様な信仰を持つ集団の中で一つの信仰が力を持ち、他の信仰を排除し始める―それは歴史上嫌というほど繰り返されてきた出来事だ。
後世に中世暗黒時代として伝わるこの時代、公認の信仰を拒む者や魔術を使った者、あるいはその疑いがある者は悉く異端審問官の手で火刑台へと送られていた。
狼神の住むこの地域も例外なく、異端審問の狂信と暴虐の嵐に包まれている最中だったのだ。