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ケラスの光  作者: 小西キャンディーヌ
第2話 キビル
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第2話-2

「わぁ……!」

 門から出てすぐに、メレディは腰を抜かしそうになった。

 人、人、人。

 普通の人にとっては何のことない中規模の市場だが、人が川のように流れているようにメレディには映った。

 色とりどりの布で作られたテントで露天商が様々なものを売っている。

 果物、肉、野菜。金物に食器、装飾品。

 初めての光景だ。

 隣に立つキビルに腰を肘で突かれたのでさすがにへたり込みやしなかったが、口はホッカリ開けてあふれる驚きを声に出してしまっている。

「なんだ、アンタ本当の本当に街ってもんが初めてなのか?」

 さすがのキビルも驚いた様子だ。

「オレぁてっきり、あのターバンしないでって意味かと思ってたぜ」

 メレディの相棒フォスも興奮気味にフンフンと鼻を鳴らしてキョロキョロしている。

 しかし、怪しい風体を演出するターバン無しにもやはりメレディとフォスは目立つ。

 人々の視線がジロジロと無遠慮にこちら側を見ていた。

 それに気が付いたメレディが「あっ」と声を上げて、大きな体を丸めて小さくなろうとする。

 キビルがまた腰を肘で突いた。

「堂々としとけよ、メレディ」

 少年らしからぬ毅然とした口調だった。

「普通の顔して歩いてりゃいいんだ。怖がる奴は避けるし、気になる奴は勝手に寄ってくる」

 メレディは急に恥ずかしくなった。

「……キビルの言う通りだね。僕、少し怖がりすぎてたかな」

 おずおずとではあったが、メレディは背筋を伸ばした。

 ツノをさらしたまま胸を張って歩くのは何年ぶり、いや初めてかもしれない。

「それに、今は隣に君がいてくれるから頼もしい」

 メレディが覗き込んだキビルの顔は少しばかり赤かった。

 頼られているのをハッキリと言われて照れているらしかった。

「いいから宿を探そうぜ。そのデカい雪玉も厩舎につなげるような宿じゃないとな!」



「あ~、久しぶりに水浴びできたぜ。労働の対価とはいえ、ありがとな」

 乾いた布で濡れた頭をガシガシと拭きながらキビルは「はぁ~」とくたびれた中年のような声を出した。

 それを見ながら、メレディは内心驚いていた。

 キビルの肌の色にだ。

 てっきり土埃や脂に汚れているのだと思ったが、もともと浅黒かったらしい。

 彼はこの辺りに多い人種の子ではないようだ。

 この辺りの人は日に当たるとすぐ真っ赤になるような白い肌が特徴で、キビルとは真反対。

 もしかしたら、キビルも少なからずメレディと同じように見た目の違いで苦労することもあったのかもしれない。

「いいや、いいんだよ。君のおかげでちゃんと宿にも入れたし」

 結局あの後、メレディは背筋を伸ばしたもののうまく歩くことはできなかった。

 気持ちの準備がまだできなかったのも多少はあるが、単に慣れの問題で。

 人混みが初めてのメレディは向こうから歩いてくる人をうまいこと避けながら歩けなかったのだ。

 メレディがケラスであることが幸いしてか災いしてか多少避けて歩かれはしたものの、ほとんどの人が先を急いでズンズン進んでくるものだからどちらに避けていいか迷っているうちに、川の中の岩のようになってしまった。

 それを引っ張ってきたのがキビルだ。

 ついでに言うと宿の台帳を勝手に書いたのもキビルである。

 メレディが呆然としているうちに、売り上げ第一人相第二の信頼できるようで信頼できない宿を探してきて台帳を書いていた。

「そうそう。こうやって宿にも入れたし街中でも別に絡まれやしなかったろ」

 あんまりちいさくなりすぎんなよ、とキビルは釘を刺すように言った。

 そして言いながら、これでもかと水差しの水を飲んでいた。

 浮浪児である彼にとって安心して飲めるきれいな水は貴重なのだ。

「この辺りではケラスの人は珍しくないの?」

「そこそこデカい街で旅の通り道だから。何年かに一度は見かけるさ」

「そうなんだ……。キビルも? 僕を見て、そんなに驚かなかったね」

「……まぁな。見かけたことあるぜ」

 それはどんなツノの? と根掘り葉掘り聞きたかったが、キビルはすぐに続けた。

「路地の隙間からチラッと見えただけ。ただ、アンタとは全然違うツノの形をしてた」

「そうかい、僕とは違うツノか……」

「なんだ? 探し人か?」

「いや……そういうわけじゃないんだけど」

 そう言うと、キビルは「そうなのか?」と首をひねった。

「オレの見立てじゃアンタは薬売りのフリして人探しの旅をしてるってとこだったんだけどな」

「どうしてそう思うの?」

「だってアンタ、見るからに商売っ気なさすぎるんだもんよ」

 ズバッと言われてしまっては返す言葉もない。

 別に隠すつもりも薬売りに化けていたつもりもないが、確かにメレディには旅の目的が商売のほかにあった。

「ツノを探してるんだ」

「だから、同じケラスを探してるってことだろ?」

 メレディはかぶりを振った。ツノの重みが横に振った頭にくっついてくる。

「いや。少し違う。僕が探してるのは、ツノなんだ」

 言うのに勇気が要った。

「死んだ同胞たちのツノを探してる」

 キビルは一瞬黙ったが、すぐに「そうなのか」とうなずいた。

「深くは聞かないが、アンタにも事情があって旅をしてるんだな」

 隣の寝台に腰かけてキビルは「ドンパチやってる東に向かう旅をわざわざしてるんだもんな」と言う。

「正気ならアンタがやってきた西から動かないところだぜ」

「やっぱりおかしく聞こえちゃうかな」

「いいや。そんなことないさ。アンタ、またちいさくなってるぜ」

 キビルは続ける。

「アンタにとって大切な旅の目的だろ。卑下するこたぁない」

 しかし、少し言い方が悪かったと思ったのか「オレのはそう、言葉のアヤだよ」と付け足した。

「ありがとう、キビル。君は僕より年下なのによほど人間ができてるよ」

 メレディが微笑むと、キビルはまた困ったような照れたような顔をして「この布団よりあの雪玉みたいな鹿の方がやわらかくて気持ちいいな」と話題を変えた。

 彼もまた、メレディと同じように人と話しなれていないのかもしれない。

 名前しか知らないに等しい彼に、メレディはなんだか親近感がわいた。

「フォスはあの毛が自慢だからね」

 相棒を褒められたメレディは得意そうにフフと笑んだ。

「あれ、なんていう鹿なんだ? ここらじゃ売り物でも見たことないぜ」

「ニポラスって言ってね、雪国原産の鹿なんだ」

 全身をフワフワの白い巻き毛に覆われている。新雪をやさしく丸めた雪玉から四肢と枝分かれしたツノが突き出しているような見た目の相棒をメレディは大層大事にしていた。

 ずっと一人と一頭で旅してきたのだから無理もない。

 そもそもメレディとフォスは旅に出る前からの親友同士なのだ。

「関所でも言われてたが、毛だけでも高く売れそうだ」

「う、売り物じゃないよ!」

「バカ、ほかのやつらにとってはだよ。珍しい種類なんだろ。関所でも高く売るためのなんかだと思っただろうぜ」

「確かにそうだけどね……。でもそんなんじゃなく、フォスは僕の大切な……」

 そう言いながら、メレディは窓の外を覗き込んだ。

 部屋からちょうど馬小屋が見えるのだ。

「い、いない!」

 メレディは大慌てでキビルを振り返る。

「フォスが見えない! 部屋に入った時は毛が小屋からはみ出して見えてたのに!」

「なんだって?」

 二人で慌てて部屋を飛び出す。

 もちろん荷物を持つのは忘れない。いくら宿と言っても旅人相手。自衛のためだ。

 しかし、小屋についたときにはもう遅かった。

「やられた。アンタの相棒が盗まれちまった」

 キビルは奥歯をギュッと噛んだ。

「珍しい種類だってのはわかってたんだから、用心して見張っておくべきだった」

「僕も、知らない人についていっちゃだめだって言っておかなかったから……」

「バカ! 鹿相手に口で言って通じるかよ!」

「通じるよ! だって、ほら……」

 メレディは地面を指さした。二人ばかりの足跡とフォスの蹄の跡がある。

 明らかに争った形跡、フォスがあらがった形跡がない。

「素直な子なんだ。ちゃんと言っておけばわかっただろうに」

 相棒の美徳をこの時ばかりはメレディも悔しく思った。

 しかし、こぼしたミルクを嘆いても無駄だ。

「フォスを探しに行かなくちゃ」

「幸いにも連中、足跡さえ気にしちゃいないからな。何とかなるかもしれない」

 素早く走り出した身軽なキビルの後ろを、いつもはフォスに乗せてもらっている分まで荷物を背負ったメレディがドスドスと追いかけた。



 案の定、犯人にはすぐに追いついた。

「おい、動けったら!」

「コイツ重いぞ! もっと強く引っ張れ!」

 いかにも荒くれ者といった風な男二人が暗闇の中でフォスを相手取ってうなっていた。

 月明りにも汗をかいているのが見える。相当苦労しているらしい。

 フォスはといえば、のんきに草を食んでいる。おいしそうだ。

「おい、ありゃ何の喜劇をやってんだ?」

「フォスはおなかが空いてる時に草があると食べ終わるまで梃子でも動かないんだ」

 物陰に隠れたメレディとキビルはヒソヒソ言い合う。

 キビルはハァとため息をついた。

「アンタの雪玉、ほっといたって回れ右してくるんじゃないか?」

「そ、それはもしかしたらそうかもしれないけど助けないと」

 頭を掻いて、心配して損したとでも言いたげなキビルを後目にメレディは飛び出す。

「バ、バカ! さすがに考え無しに飛び出すな!」

 しかしもう遅い。

 大荷物を背負ったまま、メレディはズンと大きな足音を響かせて躍り出た。

 泥棒二人からは若干遠いが、声は十分に届く距離だ。

「そ、そこの方々! その子は僕の相棒です! 返してください!」

 夜の闇の中から聞こえてきた声に泥棒は振り返った。

 影に近いメレディのことはよく見えていないらしく、多少見当違いな方向に「ああ?」とすごんだ。

「どこのどいつか知らないが、何言ってやがる。これは俺らの鹿だ。なぁ、兄弟」

「ああ兄貴。コイツがお前のだって根拠がどこにある!」

 物陰のキビルは「バカ」とちいさくつぶやいた。

 こんなのは悪魔の問答だ。鹿がしゃべるわけでも名前が書いてあるわけでもなし、どちらが嘘つきなのかを客観的に判断する方法がない。

 メレディの正当性を証明することは鹿泥棒の嘘を証明するのと同じく不可能だ。

「フォス! こっちにおいで!」

 ただ、鹿は物言わぬ無機物と違って生きているので主人がわかる。

 フォスはしゃべりこそしないが、メレディのそばへ行って親愛を示すように顔を擦り寄せた。

「ほ、ほら。どうですか! 僕の言うことがわかるんです、この子は!」

 しかし、ここは別に裁定者のいる裁判所でもなんでもない。

 荒くれた泥棒二人と明らかに争いに慣れていない青年一人の空間。

「それがどうした?」

「お前をやっちまえば、鹿は俺らのもんになるってことだろ?」

 目撃者のいないこの状況、持ち主を黙らせてしまえば真実を知るものはいなくなる。

 当然行きつく考えだ。

 メレディが本当に一人ならば。

 半ば祈るような気持ちでメレディは背後に視線をやった。

 キビルの「仕方ねぇ」という声が聞こえる。

 少年は痩せてちいさな体の肺にスゥッと息を深く吸い込んだ。

「泥棒だぞ! 誰か! 誰かーーーーーーーーーーーッ!」

 こんな古典的な手があるか、というような手法で助け舟を寄こしてきた。

 しかし、使い古されているというのは実際に効き目があるということ。

 人の走ってくる音がするのは早かった。

「物取りか!」

「こっちから声がしたぞ!」

 何人かの声が聞こえ、明かりが近づいてきた。

 松明を持って走る人影が見えた。

「もう大丈夫だぞ、って……」

 現場に到着した街の住民は、困惑した顔をした。

「泥棒は、どっちだ?」

 松明を持った先頭の男が眉をひそめる。

 視線を荒くれ男二人と、メレディとキビルで往復させて「浮浪児と、ケラス……?」とつぶやいた。

 松明の男が何かを言おうと口を開こうとした瞬間、キビルが叫んだ。

「行くぞ、メレディ!」

 ちいさくて痩せた細い手がメレディの腕をつかむ。

 雪玉のような獣の巨体に乗るよう素早く促して、自らもヒラリと飛び乗るとフォスの尻を思い切りたたいた。

 驚いたフォスが勢いよく走り出す。

「うわあああああ!」

「行け行け! このまま走って東側の関所を突破しろ!」

「どうして!」

「理由はあとだ、さぁいいからこの雪玉を転がせ!」

 市場が閉じ、静かになった夜中の大通りをドスッドスッと大きな足音をさせながらニポラスらしいたくましい脚でフォスが駆ける。

 なんだなんだと人々が起きだしてきて窓の外を見ると、巨大な綿のかたまりのような生き物がものすごいスピードで走っていて、その背に大きなツノを生やした青年と痩せた少年が乗っているという不思議な光景があった。

 それから数分後のことだ。

 夜の見張り番の「関所破り! 関所破り!」という大きな伝令が夜の街に響き渡ったのは。


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