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ケラスの光  作者: 小西キャンディーヌ
第1話 ちいさなお客さん
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第1話

 死は何かを変える。

 その人の時が止まり、まわりの人々は泣き、もしくは笑う。

 昨日までの生活は変わってしまうだろう。ちいさくても、何かは。

 死は何かを変える力を持つ。

 時には、世界さえも。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 どこまでも続いていくような長くまっすぐな道を背の高い青年と大きな獣が歩いていた。

「こうも何もないと道行きに間違いがないか不安になるね、フォス」

 フォスと呼びかけられた獣は、ブルルと鼻を鳴らして答える。

 そうだよねと獣の返事にうなずく青年の名はメレディ。

 スッと通った高い鼻に眼鏡を乗せ、旅人らしい厚いマントのフードの上からさらにターバンを巻いている不思議な風体だ。ブーツを履いてやけに厚着なので、雪国から来たのだろうことをうかがわせる。

 不思議といえば獣の方もそうで、まるで巨大な新雪の塊から四つ足と枝分かれしたツノが突き出しているような姿をしている。ニポラスという雪国の鹿で、巻き気味の真っ白な毛に全身がおおわれているのだ。

 だからか、メレディとフォスは少し目立った。

 いや、多分に目立っていたのだろう。

「そこの人!」

 道の右手側に見える小さな丘の上から少年に呼びかけられた。



「旅の人でしょ」

 少年は手にした棒を振り振り、メレディの周りを一周した。

 どうやらこの辺りの村の羊飼いの家の子らしかった。

 放牧した羊たちの様子を見ながら丘の上で休憩していたところを、道行くメレディたちに気が付いて声をかけたと言う。

 立ち止まらずに歩き去ってもよかったものを、メレディは少年の呼びかけに振り向いて丘の上へやってきた。

「どうしてわざわざ声を? 仕事の途中だろう?」

 小首をかしげたメレディに、少年は「旅の人はこの辺りじゃ珍しいからさ」と返す。

「ここらはなんにもないだろ。だから普通、旅するなら大きな街のある方へ迂回するんだ」

「そうだね。快適な旅をするならそうした方がいい」

「お兄さんは急いでるの?」

 もしそうなら、迂回しないでここらを突っ切った方が早い、と少年は空中に棒で道筋を描きながら言った。

 確かにそうなのだ。

 村からあまり出たことのなさそうな年若い少年でもそんなことはすぐわかる。

「急いでるってわけでもないんだ。だから、君の話だってもっとよく聞ける」

 しかし、メレディは別に急いでいるわけではなかった。

 だからこそ少年の呼びかけに応えて足を止めたのだ。

 現にフォスは主人を急かすわけでもなく羊たちと一緒になって草を食みのんきに休憩している。

「……おれが物珍しさで呼び止めただけって思わないの?」

「それだけのためじゃないんじゃないかな」

 なんとなくそう思う、とメレディは中腰になって少年としっかり目を合わせた。

 メレディは背が高いのでそうすることでようやっと少年の顔がよく見えた。

 鼻の頭を泥で汚した純朴そうな顔には不安な表情が乗っかっていた。

「妹が病気なんだ。もうひと月も咳がとれない」

 少年のつま先が芝生をかき混ぜる。

「母さんは寝ていれば心配ないっていうけど、水汲みに行くにも何度も咳き込んでそのたびに桶を下ろさなきゃこぼしちゃうくらいなんだ」

「それで、なんとかしてあげたいと思ったんだね」

「……そう。旅の人って薬を持っていることが多いだろ、だから」

 だから、と少年は口ごもってしまった。

 たまらず呼び止めたはいいが、メレディが薬を持っているかもそれを譲ってくれるかもわからないことに気が付いたのだろう。

「大丈夫。僕も薬は持ってるよ」

 少年はバッと顔を上げた。

「なにしろ、僕は薬売りだから」



 招かれた家は簡素な造りながらよく片付いていた。

 食卓の上に置かれた手編みのかご、壁に飾られたキルト、使い込まれた食器。

 温かい家庭であることが家の中のひとつひとつからうかがえる。

 少年の母親が心配することないと言ったのは決して無関心からではないだろう。

 本当に軽い風邪が長引いているか、そう言って安心させるしかないかのどちらかだ。

「入るぞ」

 案内された寝室も手入れの行き届いた部屋だった。

 幼い少女が好みそうなかわいらしいパッチワークの布団がふくらんでいる。

 その下から、コンコンと乾いた咳が聞こえてきた。

「おにいちゃん? もう、羊を帰す時間になったの?」

 ずいぶん寝すぎてしまったようだと妹は少し慌てて起き上がる。

「えっ、そ、そこの人はだれ?」

 少年の後ろに控えていたメレディに驚いたようだ。

 やや大きな声を出してしまったので、少女はまたコンコン咳こむ。

 無理もない。本当に知らない人であるし、メレディはこの辺りの人間よりだいぶん体が大きいから。

「驚かないで大丈夫だぞ。兄ちゃんがお医者さんを連れてきたんだ」

 ベッドの脇に移動した少年がメレディを紹介してくれる。

「お医者さんというか、薬を売ってるだけなんだけどね……」

 幼すぎて兄妹に違いはわからないかもしれないが、メレディは少年の言うお医者さんではなく、あくまで薬を売ることを生業としている。

 診ることは専門ではなく、買い手の求めるものを売るだけなのだが、今日は仕方ない。

「旅の薬売りのメレディと言います。怪しい者ではないから、安心して」

 なるべく不信感を与えないよう微笑むメレディに妹はコクリとうなずく。

 兄の言葉とメレディの微笑みでひとまずの信頼は勝ち得たらしい。

「じゃあ、おくちを大きく開けてね」

 口の中、その奥の喉を見た後、メレディは知りうる限り様々な簡易な検査をした。

 彼にできるのはそのくらいだ。

 たまたま隊商から仕入れた体温を測る棒だとかそういうもので、本当に素人がやるまねごとに少し毛が生えたようなことしかできない。

 それを内心申し訳ないとは思う。

 本当は少年の言う症状にあった薬を渡すだけのつもりだったのだが、わからないから診て処方してほしいと言うのだ。

 必死な様子でとても断れなかった。子どもに正確な症状を伝えてくれと言うのも土台無理な話だし、もうままよと家を訪れるしかなかった。

「はい、もういいよ」

 ひとしきりできるだけの検査をして、メレディは少女の頭を撫でた。

 二人はドキドキした様子でメレディを見上げる。

「大丈夫、安心して。空気が乾燥してるから喉の風邪が長引いてるんだ」

 それを聞いて兄妹はあからさまにホッとして脱力した。

 兄の方などは、もう壁にもたれてズルズルと尻もちをつき「よかったぁ~」と泣きそうな声をあげるくらいだ。

 部屋に入った時に聞こえてきた咳のコンコンという声から、きっと重大な病気でないと思ってはいたものの、一応の結論が出せてメレディ自身もホッもしていた。

「じゃあ、これが薬だからね。咳に効く薬草を煎じて粉にしたもので、苦いだろうけど食事のあとに毎日飲むんだよ。それとこの部屋乾燥してるから、濡らしたタオルを……」

 本来の仕事である症状の緩和に必要な薬を渡すという仕事もこなし、一安心の空気に包まれる室内に、ガタッと物音が響く。

「ちょっと、だれか来てるの? 表のあの生き物はなんなの!」

 ドアを隔てた向こうから女性の声が聞こえた。

「まずい! 母ちゃんだ。知らない人を家に入れたなんて知れたら叱られる!」

 どこかへ隠れて! と少年はメレディを戸棚の隙間に押すが、再三言うようにメレディは大きい。とてもではないが狭い部屋の中に隠れられる場所はなかった。

「あんたまた羊をほったらかして友達と遊んで……!」

 ガチャ、と無慈悲にドアが開いて女性が入ってきた。

 兄妹の母親だろう。二人とよく似た面差しをしている。

「えっ、だ、誰!」

 反応までそっくりだ。

 しかし、幼い少女と違って相手は大人だ。

 不法侵入。泥棒。誘拐犯。どれだと思われても非常にまずい。

 そもそも表にフォスをつないでおいたのが間違いだった。

 どうして僕は考え無しなんだとメレディは己の行いを悔いたが、こぼしたミルクを嘆いても無駄。同じように失敗を嘆いても無駄だ。

「ち、違うんです! 僕は旅の薬売りで、その、娘さんに薬を、その!」

 困りに困り、相手の不信感が強くなったのを感じて、メレディはとにかく頭を下げた。

 勢いよく。

 すると、頭に結んでいたターバンが落ちてしまった。

「あっ、しまった」

 もっときつく巻いておくんだった。メレディは内心そう思った。

 しかし、やはりこぼれたミルクは……である。

 下を向いているのでフードはまだ頭の上を覆い隠してくれているが、頭を上げればそれも滑り落ちてしまうだろう。

「お兄さん、頭が」

 少年が近寄ってきて恐る恐る頭に触れた。

 正確には、フードを奇妙に押し上げる二つの山に触れたのだが。

「硬い……。なにこれ? ツノ?」

 少年は首をかしげる。

「ツノ? あ、あんた。ケラスなのかい……?」

 兄妹の母親は驚いたように言って、息子を自分の方に引き寄せた。

 ああ本当に仕方ないことだけどこぼしたミルクを嘆かずにはいられない、とメレディは思った。

 これについては、違うとは言えなかった。

 彼女の言うケラスとはツノのこと。

 メレディには額から後頭部に向かって生える立派な二本のツノがあった。

 これを持つ者は古来からケラスの人たちと呼ばれ、時に神格化され、時に恐れられた。

 ツノを大多数の人々は持たないからだ。

 実際の殺傷能力のあるなしに、攻撃的な見た目のそれを恐れて忌み嫌う人々がいるのは確かだった。

 不自然ながらもフードとターバンで頭を隠し、人の少ない旅程を選んでいたのはそういうわけだ。

 こうなるのが怖くて人目を忍ぶ旅をしていたのになぜこんなことになっているのだろうと悔やんだが、メレディはまたミルクのことを思ってかぶりを振った。

「娘さんの咳の薬をお出ししただけです。お代はいりません。すぐに出ていきます」

 矢継ぎ早にそう言ってメレディは逃げるように温かで手入れされた家を飛び出した。

 ひるがえるマントを捕まえようと少年の手が空を切ったが、それも無視した。

「お兄さん! ありがとう!」

 せめて、と少年の大きな声が聞こえたが追いかけてくることはなかった。

 母親に止められたのだろう。それでいいと思った。

 表につないでいたフォスの縄を外して飛び乗る。

 ゆったりとした旅路は一転した。しばらくはフォスに速く駆けてもらおうとメレディは「速くお願い。ね」と相棒の首を撫でた。

 早く家を遠ざかった方がいい。

 それが家族とメレディ、お互いのためだった。

「ただ、薬は飲んでくれるといいな」

 メレディはあの家族がこれからも幸せだといいと思う。

 風邪をこじらせた妹を思って見知らぬ旅人に勇気を出して声をかけた兄。

 兄を信じて見知らぬ男の診察を受け入れてくれた妹。

 子どもたちを恐ろしいものから守ろうとする母。

 それはすべて、優しさを含んでいると思うからだ。

 メレディは、それを大切なものだと、信じている。

 フォスが力強く地面を蹴り走る音はしばらく続いた。


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