第7柿 正反対の凸凹バッテリー(大体そういう奴らは相性がいい)
カニの朝は早い。
朝の4時前に目を覚ますと、
歯磨きや爪ハサミの手入れをした後
庭に新しく植えた桃の種に水を
やることから彼女の一日は始まる。
みなさんは既にご存知かもしれないが、
カニは雌である。
さるカニ合戦正史でも、猿に柿を当てられたときに
ショックで力んで出産している場面がある。
というわけでこちらのカニも必然的に雌となる。
物語の中でカニは言葉を話さないので
分かりづらいところである。
彼女の情報発信手段といえば爪を
カチカチ鳴らせて発する
モールス信号だ。(モールス信号が分からない人
は調べてみよう、すべて相手からの説明を
待っているのでは知識を身に着けたとは言い難い)
これはカニの祖先が代々コミュニケーションの時に使ってきた技法である。
家事を一通り済ませると、カニは息子
を起こして朝ごはんを食べさせてから
近所の蟹がボランティアでやっている
蟹の託児所に子どもを預けにいく。
実はカニは最近、出産したのである。
正史ではカニが死ぬときに子供
が生まれるが、こちらは出産予定日が
早まることはなく予定通りに生まれた。
子供は雄であり、父親は数年前
に出て行ったきり行方不明なのであった。
他に家族や親戚のいないカニはシングルマザーとして
1匹で子供を育てながら仙台育米高校に通っていた。
高校野球の公式試合や甲子園には当たり前だが
男子の部では男子しか出場できないため
野球部に入ることが前提のカニは
性別不明ということで高校に入学していた。
朝、1時間半かけて登校すると野球部の
朝練の部員たちと準備を始める。
グラウンドを整備して、ストレッチ、
走り込みのあとにキャッチボールなど
の基礎練が始まる。
カニの野球用具は全てオーダーメイドで
カニの体に合わせて作ってある。
噂では、カニの野球用具にかかった経費で
野球部の部費は半分以上なくなったんだとか。
カニはだいたい猿とペアで練習していた。
猿はいつもグラウンド整備や走り込みなどはさぼって遅く来ていた。
まぁ、猿の身体能力を考えれば
体力づくりはいらないといえば
いらないわけだが、部員の士気に
かかわるのでしっかりしてほしい
とカニは思った。
朝練が終わると、カニと猿はそのまま授業に向かう。
カニは新しいことを知るのが好きで
勉強も苦じゃなかったので
高校生活は割と充実していた。
現代の大学生は彼女の爪の垢を
煎じて飲むべきかもしれない。
猿はといえば、カニが授業中にちらりと見ると
前の席の生徒の陰に隠れて
消しゴムを定規で切って遊んでいた。
仙台育米高校は地方にあるそこそこの
偏差値の高校で進学校、制服は男子は学ラン。
女子は理事長の意向で「うる星やつら」の
ラムちゃんみたいな恰好をさせられていた。
私立であるため校舎は綺麗だった。
カニは校舎を散歩するのも好きだった。
日中の授業が終わると、夕方からまた部活が始まる。
バッティング練習や守備の練習など
朝練よりも試合を意識した練習が組まれている。
カニは瞬発力に定評があり、
バッティングや守備はうまくこなせたが
走ることが苦手だった。
そして部活全体が終わると
今度は猿とカニは野球のルールがあやふやで
うろ覚えのため、キャプテンの臼田くんと
栗原監督に30分ほど野球の仕組みを
教えてもらっていた。
臼田くんと猿は仲があまり良くなかった。
まじめに練習してほしい臼田と
まじめに練習しない猿では
衝突するのも納得である。
それでも猿が野球部をクビ
にならないのは他の部員を
黙らせるだけの球を投げられるからだった。
コントロールも良く、重く、速い豪速球。
投球フォームは素人もいいとこだ。
変化球を持っていないのは玉に瑕だが
投げ方の癖で球にはジャイロ回転がかかり、
ストレートしか球種がなくても十分バッター
には打ちづらかった。
そして高校生どころかプロ野球選手でも
投げられないような球速なので
カニ以外の部員に、猿のキャッチャーは
務まらなかった。
カニはいつも学校から帰ると子供を引き取って
たまった家事をこなして、夕食を作って
明日の予習と野球のルールの確認をして
眠りにつくのは夜の1時を回っていた。
帰宅してから音楽を聴いて、
夜10時には寝る猿とは大違い。
そんな二匹と仙台育米野球部もいよいよ
次の土曜日に、このメンバーで初の
練習試合を控えていた。