暴力のススメ
Q小学生の頃から、暴力がなぜ駄目なのかよくわかりません。何故駄目なのですか?
例によって少し昔話を最初に。
私が小学3年生の頃です。上級生3人に囲まれて悪口を言われたので殴りました。私と母が職員室に呼び出され、お叱りを受けました。私は相手が悪いと主張しましたが、先に手を出したのは私ということで、私が悪人とされました。菓子折りを持って相手の家に謝りに回りました。慰謝料も払いました。
大人な人間はこう言います。
「何があろうと先に手を出した方が悪い」
私は尋ねます。
「何故言葉で殴るのは良くて、手で殴るのは駄目なのですか?」
大人な人間はこう答えます。
「手で殴ったら跡に残るし、後遺症や死の危険があるから」
私は尋ねます。
「じゃあどうすればよかったのですか?」
大人はこう答えます。
「先生や親に言えば良かった」
私は尋ねます。
「言っても相手は私のところに菓子折り持って来ないし、慰謝料も払いません。彼らが言葉で殴って私が自殺するのと、私が手で殴って相手が死ぬのと、結果的になにも変わりません」
大人は言います。
「喧嘩が強いお前が殴るのはズルい」
人数差で負け、年齢で負け、言葉で負けている私が力で勝つのはズルいのです。
私が友だちと言える人物は2人だけです。陰口などの手段を卑怯と感じるので行いません。中学校でその2人とも離れました。
中学生になったある日、私のもとにとても良い笑顔で報告に来たクズどもがいました。彼らはこう言いました。
「教科書が廊下に落ちてたよ」
私が見に行くと踏まれてぐちゃぐちゃになった教科書がそこにありました。私の後ろでクズどもがニヤニヤしていました。
彼らがやった確たる証拠は(どう考えてもコイツらがやったのですが)ありません。私は「殴ったら駄目だ」と言われていたので、殴りませんでした。担任に言ってもなにもなりませんでした。
たぶん私は苛められていたのでしょうが、自覚はありませんでした。苛めとは強者が弱者に対して行うことで、私には"殴り返す"という手段がありました。この強弱ですが、それは人数差であったり、年齢差であったり、地位の差であったり、言葉より手の方が悪いというルールです。私の殴るという手段は相手のそれよりも"弱"かったので、事実私は苛められていたのでしょうが、その頃の私は(今もですが)言葉より手が悪いとは思っていないので、認識として"苛められている"ではなく"許している"でした。
彼らにとっては、徒党も組まずやり返しもせず悔しそうな顔をする私はちょうど良かったのでしょう。
正直になところ、私は殴らなかったことを今でも後悔しています。私は殴られたのですから、殴り返しても問題はないはずです。私が打ち所が悪くて死ぬ可能性もあったのだから、殺されても文句は言えないはずです。先に"手"を出したのは相手なので、私が何をしようが相手が悪いです。先に手を出した方が悪いと、そう小学校で習いました。
私はこの論に何も問題は無いと思います。ですが世間では問題があるそうです。なぜ?
結論として、私はこうしました。
「殴られたからといって殴り返して良い道理はない」
殴らなかった後悔をこう納得させました。ですが、私が殴られたか事実は残ります。
言葉だろうが手だろうが殴ることは駄目です。そこは等しく悪です。
これは私の論です。
一般の論は、手で殴るくらいなら言葉で殴れ。人数差で殴れです。
理解ができません。
何故、殴り蹴り、踏む潰してしまうことは(言葉で殴ることより)駄目なのですか?
Aそういうものだから
それならやっぱり世界はどうしようもなく、くだらない。
その世界を構成する人間が、どうしようもなく。
もうどうでもいい。