1.意外な天使
突然降り出した雨が、私のばらばらの髪をぬらしていく。
もう絶対泣かない。
悔しさとか怒りはなかった。
私はただしゃきっと背を伸ばして歩く。
借りていた、古いCDを返しにあいつの部屋のドアを開けると、あいつが女をおそって(!)いた。
一瞬頭が真っ白になる。
――何これ……。
でもそれはほんの一瞬。
女のほうはまだ二十歳前ぐらいに見えた。
私とたいして歳が違わないだろうに、化粧っ気のない顔が初々しい感じ。
そして、予想通りというか、いつものことというか、彼女の髪は私と同じ長いストレートの黒髪だった。
「いや、これは違うんだよ」
あせってあいつは何かいつもの言い訳をしてるけど、そんな言葉は聞きなれすぎて耳に入ってこない。
『おまえの髪が一番好きだなぁ』
そう言うからずっと髪を伸ばしてきたけど、なんかいいかげん、すごくそれがばかばかしく感じて、あたしは勝手に部屋に上がり、チェストの大きなハサミを出すと
ザクッ
一気に自分の髪にハサミを入れた。
呆然とするあいつの目の前に、その切った髪を突き出す。
「あげる」
あいつは無意識といった感じでそれを受け取った。
「さようなら」
くるりときびすを返し、部屋を後にする。
襲われてた女を一瞥すると、彼女ははっと我にかえったように慌てて起き上がる。
「帰るよ?」
自分でもよくわからないが、なんとなくこのコを外に出さなきゃいけない気がして、彼女の手を引いて外に出て、じゃあねと別れ歩き出した。
突然私をぬらしていた雨がさえぎられる。
驚いて振り向くと、あいつと一緒にいた女が傘を差し出していた。
追いかけてきたの?
いまさらながらその女……ううん、女の子って感じか。
おとなしそうな可愛い子。
落ち着いてみれば、同い年の古女房より、おとなしくて可愛いこんなコのほうがいいに決まってるわよね?
不思議とそのコに対しての怒りは湧いてこなかった。
妙な納得。
私もこんな頃があったのかな……。
あいつに裏切られるたび気が強くなってくのを感じてた。
そうでなきゃ、一緒にいられなかった。
自分だけのそばにいてくれないのを、平気なふりをしつづけるのはもう限界だった。
きっと、今の私の顔は鬼のようなきつい女だろう。私はそんな自分自身もいやになっていたのだ。
――こんな女の子でいたかった。それこそおばあちゃんになるまで……。
「ありがとうございます」
ふいにそのコは深々と頭を下げる。
何で、私がお礼言われるわけ?
別れてくれてありがとうって?
「おかげで助かりました!!」
ますます頭が混乱してくる。
このコ、いったい何言ってるんだろう。
彼女はあいつと同じ専門学生で、知り合って間もないらしい。
なのにしつこく迫られ困っていたのだが、どうしても行かなくてはならない用事で渋々あいつの部屋に行ったところ、たまたま何かに躓いてコケ、襲われかけたのだという……。
「いえ、たぶん助けてくれようとしたのかもなんですけど」
そう懸命にフォローしてくれるけど、あれ、どう見ても間違いなく襲ってたから。
「馬鹿なの、あいつ……?」
あきれてしまう。
何を考えてるの、いったい。
「だから、誤解されてたような関係ではなくて、だから」
仲直りしてください……。
思わず笑ってしまう。
必死に誤解だと訴え、私が来て助かったこと、でも誤解させ、とんでもないことをしてすまなかったと謝る彼女を見て笑いが止まらなくなる。
このコはすごく怖かったと思う。
なのに謝るのはおかしいわよね?
「いいの」
もう、いいの!
それは、私の正直な気持ちだった。
私はたぶんあいつに見切りをつけていたのかもしれない。
今じゃ喧嘩したって追いかけてこないあいつだもの。
八方美人で、他人に対してだけいい顔をするあいつ。
長い髪が好きで、あいつに甘えられるとどうしても放って置けない感じがしてた。
でも……。
私は切った重い髪と同時にあいつの呪縛からも開放された気分だった。
久々の軽い頭。
見た目は惨めかもしれないけど、私は新しく生まれ変わった気分なのだ。
私たちは、そのまま近くの公園の東屋に入ると、彼女は小さなハサミやピンで私の髪を整えてくれた。
「ありがとう」
「いいえ、とんでもないです!」
雨はだんだん強くなってくる。
「あの……」
彼女は私にコーヒーを飲もうと言い出した。
本当だったらお酒って所だけど、私は彼女の真剣な申し出をありがたく受けることにした。
おかわり自由のコーヒーと軽い食べ物をつまみながら、私たちはなぜか古い友人のようにおしゃべりをつづけた。
彼女はあいつの話を聞いては、一々一緒に怒ったりあきれたりしてくれる。
面白いコ。
「でも、好きだったんだ……」
ふと無意識に漏れた自分の言葉に、一瞬会話が止まる。
「じゃあ、戻ったほうがいいんじゃないですか?」
戻る……。
あいつのところに……?
よく自分の中で反芻し、やっぱり自分の中に不思議なほど未練がないことを確かめる。
どうしても、あいつのためにって思ってしてきた事がむなしくてばかばかしくて、もう戻るなんて考えられなかった。
出会って十二年、付き合って六年、いや、もうすぐ七年か。
うん。もう十分だよ。
「あれ、愛紗?」
突然振ってきた声に顔を上げる。
彼女の知り合いらしい二人の男性がそこに立っていた。
どちらも背が高く、何かスポーツをしているのかがっしりとした体格だ。
「お兄ちゃん」
私は慌てて髪を撫で付ける。
そういえば私、まだ自分の頭がどうなってるか確認してなかった。
「あ、私の兄と、兄のお友達の……赤木さんです」
彼女の紹介を受け、私は慌てて
「木島沙耶です」
と頭を下げる。
いつも妹がお世話になってと、彼女――愛紗――の兄はぺこっと頭を下げ、二言三言会話を交わして行ってしまった。
「びっくりした!!」
愛紗は顔を赤くして息をついた。
「すみません、沙耶さん」
そういいながら、視線は兄……ううん、あれは友達のほうか……を追いかけていく。
ふうん、好きな人いるんだ。
ほほえましい気持ちで、私もつられて彼らを目で追う。なんだろう、すごく胸の中が暖かくなる。
「もっと彼と話してきたら?」
私が言うと、愛紗は途端に耳まで真っ赤になって、ブンブンと頭を振った。
「か、彼だなんて、とんでもないです!!」
「そうなんだ。赤木くんて彼女いるの?」
「いえ、いない……と思うんですけど……。あ、だめですよ!!」
私が狙ってると勘違いしたのか、慌てて愛紗は釘をさしてきた。
かわいいなぁ。
私はちょっと席をはずし、化粧室で身なりを整える。
そこで初めて自分の頭を見てびっくり。
ほんの数時間前と、ぜんぜん印象の違う自分がそこにいた。
簡単に化粧を直し、愛紗の元に戻り、改めて髪のことに礼を言う。
愛紗は見た目も気持ちも新しく生まれ変わらせてくれたんだもの。感謝してもいいぐらいで、いまは彼女のために何かしてあげたい気分だった。
誰かが言ってた。
――始まりがあるから終わりがあるんじゃなくて、
終わりがあるから始まりがあるんだ。――
これはきっと新しい始まり。
ボーイミーツガールじゃなくて、ガールミーツガールってところがいいじゃない?
出会い方はとんでもなかったけれど。
そして私は、不毛な初恋に終止符を打ち、新しい生活をはじめるのだろう。
とりあえず、恋のキューピットなんて最高じゃない?
*おまけ*
その頃の沙耶の「元」カレ。
→「びびらせやがって」と、しばらくお仕置き(!)のために沙耶に連絡してやらんと思っています。
沙耶がスッパリ自分を切ったなんて想像もしてない、めでたいお花畑思考です。
次回は同じ場面の愛紗視点です。