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光芒のライト=ブリンガ  作者: Yuki=Mitsuhashi
Chapter:02
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Chapter:02-01

 Chapter:02-01

 『蒼い星、碧の星』



 漆黒の宇宙空間に浮かぶ一滴の水玉、地球。そこで発生した知的生命体は自力、独力とは呼べないものの、今や他の恒星系にまで進出するだけの宇宙科学技術力を手に入れた。276光年という物理的距離を隔て置いたアポロン星系第四惑星エテルナと、人類発祥の地である太陽系第三惑星。それぞれの人類は共に歴史、歩みを進める事となっていった。


 だがしかし、移民惑星であった筈の『エテルナ』の目覚ましい発展に比べ、次第に水を空けられ始めたのが他ならない太陽系第三惑星『地球』を中核とする連合国家、『太陽系惑星連合』だった。様々な分野での新技術の開発……特に、宇宙技術関係においてのそれは、エテルナ側の独壇場となりつつあったと言っても良いだろう。

 これは太陽系内においてはその系内探査、調査がおおむね完了していた一方で、アポロン星系にあっては系内の全容把握、解明が急務となっていた現実的な事情も相俟あいまって、太陽系内では需要が少なくなったその分野の技術を改めて再考、発展させる必要があったことが一番の理由として挙げられるかもしれない。必要は発明の母、と言う先人の言葉は決して、大袈裟なものでは無かったのだ。

 そんな『必要』に応じ、より高度な技術にて建造された探査衛星(有人含む)はアポロン星系全体全域に相当数が投入され、その結果、入植直後の概算を大幅に短縮した短期間での系内、その全容把握へと至ることになった。

 根幹、その基礎として存在していた宇宙開発科学力を無視するわけには無論いかないが、地球から発生した人類がその系内の全容を把握するのに宇宙空間進出時より百年以上の歳月を消費する必要があった事を鑑みると、これは尋常でない高速度であったと言えるのでは無かっただろうか?

 また、その躍進は技術面のみに留まる事は無かった。入植開始より十二年目のその年、第一衛星イザヨイ及び第二衛星リリス、その地下深層にて未知の鉱物が発見されたのである。後に『ヒヒイロカネ』と正式に呼ばれる事となるそんな鉱物は、あらゆる既存の金属との物性、物理的性質の相性に優れ、加工に尋常では無い手間こそ掛かるものの、軽量で有り頑健、また特殊状況下によっては高度な柔軟性までも保持する、とんでもない文字通りの『夢の金属』であった。

 そんな『ヒヒイロカネ』を中心とした合金は二元のみならず三元、四元合金と数多くが開発、発明され、この多くが航宙技術、科学技術の更なる発展に寄与きよする事となった。当時の技術力では限界と思われていた航宙船舶の進化は、『ヒヒイロカネ』の存在によって、新たなステージへと上っていく事になったのである。極論になるが、この金属の発見によって航宙船舶の重量は実に十分の一になった、とされる。無論、その外装、船体強度を犠牲にすることなく、である。


 そして、植物に始まる遺伝子操作技術の尋常ではない進歩も無視のできない要素であったろう。地球に酷似している環境だったとは言え、エテルナの生態系は自ずと異なっていた。ここでは生態系、と言う言葉を用いたが、厳密に言うとエテルナには高等動物の類は一切が存在せず、植物にしても緑藻類、及び原始的な羊歯しだ類の存在、複数種だけが辛うじて自生、認められているに過ぎなかった。恒星アポロン、それ自体の年齢に関しては今も尚、調査が続行中であるが、太陽以上に若い恒星である事は確実視されており、第四惑星エテルナにおける生態系は進化の途上も途上にあったのではないか、と言う見解が一般的である。

 初期入植時代のエテルナの人々はそんなささやかな、しかし特殊な植物類の保護と、実際問題としての自分達による食料の完全自給という、二律背反的な悩みに頭を抱えることになった。

 無制限、無作為に地球上の植物を植林すれば、エテルナ本来の生態を駆逐してしまう恐れがある。だが、食糧のある程度の自給、それはそれで早急の課題、いや命題に他ならない。持ち込んだ備蓄の食糧はいずれ底を突くのだし、救援を要請したところでホイホイと助け船を出して貰える訳もないぐらい、母星系は遠過ぎた。


 それでも、自給と生態保護――そのどちらの問題も解決する方法がたった一つだけ存在はしていた。生物としての本質をある意味で拒絶する技術でもある、遺伝子操作技術がそれだった。実質、太陽系でも長きにわたって実行、研鑽けんさんされてきた技術であることが免罪符となった側面はあったかのだろう。ともあれ、エテルナ固有種のゲノム調査、及びオリジナルの補完確保も同時に行われ、この問題は一応の決着を見ることにはなった。


 完全な解決策となったかどうかは定かではない。そもそも、『エテルナと身勝手に呼称した惑星』に、ちっぽけな人類が入植をした、と言う状況を冷静にかんがみれば、それこそ、傲慢ごうまんな自己満足に過ぎなかったとも言えるのかもしれない。


 初代大統領であるフローラ・シュヴァリエ、その晩年の言葉を拝借すれば、

『それもまた、人の営むところ、繰り返しの一つ』

 とでもなるのだろうか。


 ともかく、現実的な線での敬意を根幹とし、神経質、或いは妄執もうしゅうと呼んでも差し支えない、それ程に徹底された操作管理は結果的に遺伝子工学に関する技術を飛躍的に進歩させることともなった。先にも触れたが、地球起源の植物には完全以上の遺伝子操作を施す必要があったからである。

 余談ではあるが、この禁を破った者に対しては『殺人』と並ぶ刑罰が設定された、その一点からもその徹底振りが自ずと把握できよう。


 牛や豚、鶏を始めとする家畜、家禽かきんの類にあっては、完全な培養品となっており、植物と同様に『栽培されている』と言う感が強いかもしれない。魚類に関しては、トリトン湾における魚類、貝類の養殖が実験的に開始されていたが、こと大型魚となるとこれはやはり培養による採肉しか認められていない。

 生態系と言うスパンは百年、二百年では判然としない。結果が出るのは千年単位後であろう、とある生物学者は述べたものだ。現時点で、取り敢えずはエテルナ固有種の植物類が地球起源のそれに駆逐され、絶滅した――等と言う調査結果は出ていない。


 仕方が無いよな――と、若干の罪悪感を含めながらのこの考え方は、多くのエテルナ国民が等しく共有しているものであっただろう。実際問題、現実問題として、言葉をより砕けば切実な問題として。食材が増える事を期待しない国民は極少数だった。その多くは、地球由来の、或いは新たな食材が自分たちの食卓に上る事を切望して止まなかったのだから。


 困窮こんきゅう

 懊悩おうのう

 敬意、

 畏敬いけい

 謙虚、

 錬磨れんま

 研鑽けんさん


 それぞれに、少量の後ろめたさを含めながら。


 ともあれ、遺伝子障害等に始まる深刻な問題が発生することもなく、今や地球本星とほぼ――控え目な表現。全く、と置き換えても良いぐらいだが――同じ物の自給を可能としている、そんな現実はエテルナ国民達が心から誇りとするところである。


 その点で、彼等は今でも初期入植者達の事を讃えて止まない。到達記念日とされている3月1日には入植当時、直後の食事を再現して『ご先祖様達』に対する感謝の意を深める――これは、どこの一般家庭でも行われている代表的な儀式、その一つだった。


 薄い黒パンにフライド・チキンとマッシュ・ポテト、各種ビタミン剤。


 このシンプルな食事は確かにエテルナ入植初期の人々を支えた貴重な、命の懸かった献立だった。スパイス類もほとんどなく、味付けは基本的に塩だけ。


 この貧相な食事を敢えて、その日の食卓に並べる。その味気無さに現代のエテルナ国民は毎年、驚き、嘆く。その反面、自分たちの現在の繁栄が『ご先祖様達』、初期入植民達の努力無しにはあり得なかったことを、飾り立てた言葉にらず、実体験として認識することができるのだった。『シュヴァリエ・プレート』と呼ばれるこのセットメニューは無論、初代移民船団長であり、『エテルナ』と言う国名の名付け親であり、そして後に初代大統領となったフローラ・シュヴァリエにちなんだものである。ちなみに、この二日後の3月3日が『入植記念日』並びに、いわゆる『恋人の日』とされているが、これはこの星で一番最初にキスを交わした超銀河バカップルにちなんでのものであったそうな。


 宇宙科学、そして遺伝子工学においても目覚ましい発展を今も尚、遂げているエテルナ。


 エテルナは、過去歴史上の新国家の例に違わず、その有り余る無形のエネルギーをいかんなく発揮している。人種差別も宗教的対立も――そもそも固有の宗教は存在していない――また社会的階層も深刻なものは無く、学業、就業体勢も正に平等そのものだ。




   ◆ ◆ ◆




 さて。それでは、人類が発祥はっしょうした太陽系においてはどうなのだろう?


 新技術の多くがエテルナの独占するところとなった、とは先に述べたとおりである。確かに、地球本星内における局地的内乱、そして各自治国群による悶着は常に発生しており、効率的とは言い難い運用ではあったのだろう。だが、それでも完全に活力を失っていたわけではない。

 何しろ、『ネビュラ・リーヌ』と言う自然、天文現象を利用してはいても、276光年彼方に多くの人々を送り出す力があったのだから。


 最初は目に見えない程に小さな切っ掛けだったのかもしれない。エテルナにおいて革新的な技術が確立された――エテルナ製の無人衛星がその系内の探査の為、衛星軌道上より射出された――等と言うニュースが続くようになった。無論、それら情報がリアルタイムで届くわけではなく、当初は十年近くの期間が必要とされていたのだが。


『エテルナの人達、頑張っているんだな』

 入植開始その当初。志願制だったとはいえ、劣悪な環境下で過酷な労働を強いられている初期移民者達に対し、太陽系の人間の多くは同情の念を強く持っていたこともあり、その類の報道は非常に好意的に受け入れられていた。だが、次第にエテルナの技術力、生産力、その他が目に見えて上がり始めた時、太陽系の人々は気付くことになってしまった。


 エテルナの目覚ましい発展に対し、太陽系においては同等の発展、成果が見られない、と言う冷たい現実に。


 移民希望者達は急増した。旧態依然の体質が根強く残る、太陽系に見切りを付けた人々だ。優秀な科学者、技術者のエテルナへの流出が深刻な問題となり始めた。


 航宙技術他、でエテルナ側のライセンス品が目に見えて増えて行く中、特にインフラとしてもインパクトが強くあったのは『軌道エレベータ』に関する、エテルナからの『技術供与』であった。エテルナで建造に成功した軌道エレベータ『セレスティア』、これはひとえに希少金属『ヒヒイロカネ』の発見によって達成された発明、快挙であったが、実質のコピーが太陽系は地球、旧時代において日本列島とハワイの中間点に設置された人工島『アトラス』を地上起点として建造される事となったのである。『アトラス』から静止衛星軌道に伸びる事となったそんなエレベータは『ノーザンクロス』と名付けられ、地球本星から宇宙空間への物質、及び人員の移動移送の効率向上化に大きく寄与きよする事となった。

 余談となるが、『セレスティア型』の軌道エレベータ、その基礎概念、設計は実に旧時代の地球において完成を向かえてはいた。しかし、当時の科学者達はそのエレベータをエレベータたらしめる中核、最も重要なシャフトケーブル部に相応ふさわしい柔軟性と剛性を合わせ持つ素材をついぞ、発見、実用化を果たせなかったのである。皮肉にもその理論は未来遠方、他星系にて発見された新合金『ヒヒイロカネ』によって実用化され、こうして言わば素材ごと『逆輸入』されることになったのである。基礎理論を含めたそれが何だかんだと太陽系由来だったこともあり、エテルナからの技術供与のそれは無償に等しいものだったが、それが結果的に太陽系、一部の人間のプライド、矜持きょうじを傷付ける部分はあったのかもしれない。


 当初は片道、十年以上を要していた太陽、アポロンの星系間航海も日々積み上げられた技術革新の数々の結果、現在では最短で片道二年半と言う短期間にまで縮小されており、通信に至っては重力波を利用した通信衛星の実用化により、文字情報のみに限られる転送容量ではあったが、数ヶ月足らずでの通信が行えるようになっていた。通常の電波を受け付けない『ネビュラ・リーヌ』であったが、こと、重力波に関しては例外だったのである。


 かつては、誰もが楽観的だった。だが、現実問題として景気の低迷に歯止めは効かず、元よりその色合いは強かったが、政治は完全に個人パフォーマンスが支配する衆愚、政治ショーとし、各種メディアもまたこれをこぞって煽り立てた。一部の既得権益保持者等による極端過ぎる富の独占は解消されるどころか悪化の一途を辿たどり、また、多くの自治区にあっては犯罪が増加する一方で警察機構の検挙率は低下、高まっていく失業率を受け、自らの将来を悲観した自殺者の数も急激に増加した。


 建国当時の高潔な理念。初代議長であったフリストフ・ブルクハルトの祈り、願いは実質、百年しかたなかったのだ、とある歴史家が晩年に自らの日記、その最後に記した言葉であった。


 これが、西暦2300年代の太陽系の現実だった。


 だが、何よりも太陽系惑星連合において致命的な痛手となったのは、西暦2358年に勃発した火星自治区による『叛乱はんらん』だった。


 突如とつじょ、その自治政府が独立を宣言することとなったのである。いや、本当に『突如』だった。状況が混乱を極める中、軍主導によるクーデターが発生したことが明らかとなり、太陽系惑星連合首脳はそれこそ蜂の巣を突く大混乱におちいる事となった。


 あらゆる意味で何ら、前振りの無かった独立宣言より一分遅れで宣戦は布告され、本来はその太陽系惑星連合火星方面軍所属であった宇宙戦闘艦艇が地球の衛星である月、及び周辺のラグランジェ・ポイントに設置されていたスペース・コロニー群へと向けて侵攻する様子を見せ始める。その軍事的規模は、実に当時の太陽系惑星連合宇宙軍の30%近くにも値していた。


 全軍の三割、と聞けば、大規模だが深刻な物では無いのではないか、と思うかもしれない。だが、これは数字のマジックに過ぎない。太陽系惑星連合軍――この場合は正規宇宙軍だが――の全戦力が、一点に集中していた訳では無かったのだから。


 全く想定もしていなかった火星方面軍の行動に対し、惑星連合議会場はそれこそ阿鼻叫喚あびきょうかんが響き渡るだけの大劇場と化し、事態が切迫を極める中にあってもこれといった対応、対策を速やかに講じる事も叶わず、それでもどうにか正規軍を軍備、人員共に編成するのに無駄に数日を消費するという醜態しゅうたい露呈ろていする結果となった。


 結果的に、後に『火星沖会戦』と呼ばれることになるこの戦争――実質は内乱――において太陽系惑星連合宇宙軍が反乱軍に対してき集め、投入できた即時戦力というのは、辛うじて同数に過ぎなかった。軍の上層部、司令部は政治組に対して『衝突の回避』を強く要請、進言し続けたが、これも通らなかった。


 ここに、人類史上で初の大規模な宇宙戦争が勃発した。


 劣化ウランを仕込まれた実体弾の十字砲火、荷電粒子の嵐が戦場を吹き荒れ、ミサイルの雨が戦場を蹂躙じゅうりんした。航宙戦闘機が種類、新旧を問わず、激烈に過ぎるドッグ・ファイトを展開、結果的に多くのパイロットが星間物質へと強制的に還元されることになった。言うまでもなく、その対象はパイロットに限定されたものではなかったが。


 屍山血河しざんけつが――文字通りの血で血を洗う様な大激戦、新兵器類投入の末、太陽系惑星連合軍は辛うじてその鎮圧に成功はするものの、火星の一部都市部の物理的損壊に伴う大量の人的犠牲、また海産物養殖プラント及び農耕プラントへの少なからぬ被害打撃、を被る結果となった。


 ことに、建造が途上であった『セレスティア型』の軌道エレベータの完全崩壊に至っては累計損失額がどれぐらいのものになるのか見当も付かない有様であった。


 そして、定義によっては『全滅』と表現されても差し支えのない『全損三割』と言う冷たい数字が示す現実。組織軍隊、宇宙軍としての損耗そんもうはこれもまた、はなはだ深刻に過ぎるものだった。


 光明、唯一の救いは火星本星において最大の人口を抱える首都、スキャッパレリ市の被害が皆無に等しかったことだけ。


 火星における経済活動は主要プラント群が少なからぬ被害を被った事、そして期待されていた軌道エレベータによる経済の浮揚効果が皆無になった事もあって停滞、これを皮切りに更なる深刻な不況の嵐が太陽系内を駆け抜ける事になる。火星それ自体の経済力、生産能力は地球本星に続くものだったのだから、当然と言えば当然の帰結ではあった。


 様々な面での文字通りの痛みからの復興、人心の回復が急務であった一方、その舵取り、リーダーとなる政治、組織、人材の不在。


 そんな指導力、及び自浄能力に欠如けつじょした現政治体制の存在理由とは、果たして何であるのか。


 人々、国民の不安感に裏打ちされた不満感は、いよいよ増大の一途を辿っていた。




   ◆ ◆ ◆




 太陽系第三惑星、地球が所有する唯一の衛星、月。


 かつては『静かの海』と人間の身勝手な都合で命名呼称されていた場所に、月面都市の中でも最大の規模を誇る都市『アルテミス』は存在する。


 アルテミス市は人類初の月面都市でもあり、そして地球外天体における初の人工都市でもあった。このアルテミスと、それより以前に建造された数千人単位の居住を可能とする数基のスペース・ステーションを足掛かりとして、人類はその活動領域を少しずつ少しずつ、拡大していったのである。また、エテルナへの初代移民船団『アドヴァンス』も、ここアルテミスにて基礎建造を施されていた。

 月面の重力は言うまでもなく、地球上の6分の1でしかない。低重力が人体に与える悪影響に関しては、人類が宇宙空間への進出を果たした古き時代より知られて久しかったが、ややもすると骨から流出してしまうカルシウム分はより進歩した錠剤――通称『Cカプレット』や、その他諸々の薬剤の投薬などで簡単に補うことができるようになったし、何よりも過去に発明、実用化された『重力制御機関』の存在が特筆して大きかった。開発当初は極めて高価で、病院や福祉施設等ごく限られた地域にしか設置されていなかったそれはしかし、発明者によるライセンスフリー化、特許権の放棄が行われた事、またメーカー同士の激しい開発競争も手伝って、どんどん安価なものとなっていった。今となっては重力の低い場所を見付けるのが至難しなんの技となっている程である。ちなみに、この莫大なパテント、特許料を放棄した事で世間を驚かせた発明者、集団の正体は今の時代にあっても謎である『十賢者』なる存在であり、これをバックアップとしてフリストフ・ブルクハルトという一個人が歴史の表舞台に登壇した事は記憶に痛ましく、新しい。


 そして、そんなアルテミスの都市最北端部に本社、工場、研究所の全てを構えるのが、太陽系内最大の複合企業『ラリー・インダストリー』であった。一般市民の月面や火星への移住が本格化した頃に設立された企業群をその母体とし、主に宇宙船舶(当然、軍艦も含まれる)の建造、整備等を請け負っていることもあってその技術力は非常に高く、太陽系に於ける宇宙船舶業界にあっては七十%以上のシェアを常に維持する事に成功しており、業界内では抜き出た存在感を誇っている。近年にあってはエテルナにも支店を置き、実験的な営業を開始している。過去の遺産と言えば響きは悪いが、エテルナ側からのパテント、ライセンス料の支払いで潤っている側面も有り、不況の嵐が吹き荒れ続けている太陽系にあって数少ない、安定性を保っている企業体の一つでもあった。もっとも、そのライセンス料の支払いの大半はエテルナでしか算出されない『ヒヒイロカネ』、及びその合金との等価交換になっているのが現実でもあったが。


 そのスケールの大きさは、ルナ・ヘヴン市民400万人、実にその半数がラリー・インダストリーの社員、もしくは関係者である、そんな数字からも把握できよう。



 ――さて、場面はそんなラリー・インダストリーが多くを抱えている特殊ドック兼研究所、その一つへと推移する。


 公称は地上15階建ての施設ではあるが、実はその直下100メートルに、コード『AAAトリプル・エー』と銘打たれた社外秘の研究所、及びドックは存在していた。数多い技術者達の中でも、特に優れ、選ばれた者達だけに入室が許される極秘のエリアである。


 ここで、日村一家とその仲間達がある意味では初めて、歴史の表舞台に登場する事になる。


 時は西暦2359年。痛ましい、そして今なおその傷痕、爪痕を残す『火星沖会戦』の終結から、実に一年が経過していた。




   ◆ ◆ ◆




「聞いていますかっ!? 主任!」

 コード『AAA』、そんな重々しいネーミングを誇るドックにはまるで似付かわしくない、明るくも抜けた声が響いた。声の持ち主はこれまた、この様な場所には不釣り合いな若い女性だった。見ようによってはティーンエージャー、『女の子』という表現がより近い印象を受けるかもしれない。ピンク色の整備服の所々に自作と思しきアップリケが施されているようだ。

「――おう? ……どうした? 俺か?」

 電子書類の束と格闘を行っていた、中年が生気の乏しい声で言葉を返してくる。見るからに手入れのされていない中途半端な黒長髪に無精髭、良く言えば『ワイルドなクリエイター』、悪く言えば『売れていないロック歌手』と言った形容になるだろうか。

「他に誰もいないじゃないですかあぁ――ちょっとココの配列が分からなくって……組んだのは主任でっしょー? 確認してもらえませんかぁ?」

 ここは栄えあるラリー・インダストリー、その極秘の開発エリアであって、ハイスクールでもサブカル芸術関連の制作室でも無論無かったのだが、この二人の外見的な組み合わせがこの場所に相応しいかと尋ねれば多くの人間が否、とは答えるのだろう。

「ちゃんと確認したんだろうなぁ」

 物臭ものぐさに髪を掻き上げた中年は、壁に固定されていた別の携帯端末を操作した。その眼前に該当の設計図面らしいデータを立体的に、複数のウィンドウごと呼び出す。

「なんか問題あるか、コレ――?」

 間違いなく、つい先程自分が手掛けた部分だ。ミスをする様なポイントでは断じて、無い。だが、女の子は引き下がらない。いや、引き下がれなかった。

「でも、第NF-13ラインから38までがズレ込んでいるようなんですよぅ?」

 ココっす、そう口にし、ふわふわ浮いているウィンドウの一つを、むんずと掴んで該当の部分を拡大してきた。

「――あ、本当だわ。スマン……」

 主任は溜息混じりの謝罪を行った。伸び始めた無精髭ぶしょうひげを撫で付けながら、一体、まともに剃刀かみそりを当てられたのは、果たして何日前のことだったかと考えてしまった。

「……最初ッから組み直しだなこりゃ」

 どうやら今日も自室には戻れそうにない。主任は天井を仰いだ。ぶっちゃけ逃げたい。

「――そろそろ休憩タイムにしましょうよ……お疲れのようですし」

 疲労感に基づく負のオーラを露骨に発散させている上司に向かって、女の子は両手でTマークを作りながらそんな提案を行ってきたが。

「……そんな時間、経ったかぁ?」

 実に健全な提案だ、とは感じたのだが、口を突いて出たのはそんな言葉だった。そんな生けるしかばね――主任に対し、呆れた様子で彼女は腕時計を突き出してきた。立体時計は二十三時ちょうどを示している。

「もう六時間ブッ続けっすお! 私がこもってから! 主任はもう丸一日、でしょ!!」

「むうん、確かにこれ以上、つまらんミスが続くのもなんだしなぁ……そうするか」

 心が揺れる。出来れば、もう少し区切りの良いところまではやっておきたい本音もあったけれど。

「そうしましょう!」

 と、相棒の彼女はスパナを持った左腕をグルグルと回した。

「――だね。では、すまないんだがコンピュータ群を待機状態にしておいてくれ。念のため、パスロック掛けるの忘れないでね」

「ウイス!!」

 ご褒美を貰った子犬、よろしく上気している部下に対し、隠しきれなかった笑い声が自然と漏れ出た。

「何がおかしいですか?」

 嬉々として端末操作を行っている彼女が怪訝けげんそうにこちらを窺ってきたが。

「なんでも」

 としか答えられなかった。それは、全くの事実であり、自分自身でも理由は分からない。若い者は良いなと思い掛けたのでは、と言う想像は心の底から全否定したいものだったが。

「…………変なの」

「ロック、ちゃんと頼むぜ」

 念押しをして、青年はすっかり機械油で汚れてしまった作業上着を脱いで、テーブル上に無造作に置かれていた社章が大きく刻まれているブルゾンを着込んだ。その腕の部分には大文字で『HK』とだけ刻まれている。そんな原色、真っ青のブルゾンは『AAA』の栄誉を預るセクション、その構成員に対してのみ着用を許されるものである。

「終わりました! スタンバイへの切り替え、確認!」

 満面の笑顔で報告を行った彼女だったが、当の主任は虚空を見つめたまま何か考え事をしているようだ。

「…………」

 その何時に無く真剣な表情に思わず見入ってしまった彼女だったが、

「……日村主任!!」

「――ン??」

 二度目に声を掛けた時の彼の顔は、いつもの緊張感の無いそれに戻っていた。

「終わりましたよ」

「ああ、ご苦労さん」

「……あのう………?」

「何だいシャリー?」

「カフェに行くんじゃないんですか?」

「――ああ、そう言えばそうだったねぇ」

「……………」

 二人は開発エリアを後にした。エリアの出入り口には管理コンピュータが設置されており、そこでまず二人は自分のIDと暗証番号を、それから網膜及び掌紋の照号、全身の精密スキャンを経てようやく外部と連結をするエレベーターに乗り込む事が許される。


 ちょっとした休憩に赴くにしてもこの手続きを省く事は出来ない。このフロアが『極秘』のコードを持っているのは、伊達では無かった。


   ・

   ・

   ・


「お腹ペコペコですねぇ」

 そんな二人組はようやくカフェテリアに到着した。時間が時間なだけに、他の社員達の姿はほとんど見られない。手近な席に腰を降ろすと、来客を認識したテーブルがウインドウ・モニターを展開してくれた。今現在、注文可能なメニューがイラスト入りで表示されている。

 ヒムラ青年は和食御膳を、シャリーと呼ばれた女の子はサンドイッチとコーヒーのセットメニューをそれぞれ注文入力した。テーブル上のコンベアーに乗って、先にサンドイッチが、続いて和食御膳が流れてくる。実に迅速じんそくである。

「あ、いいよ俺が払っておくから」

 手を挙げ掛けたシャリーを制しながら、ヒムラは表示された支払いウィンドウに向け、右手人差し指を踊らせた。軽快なチャイム音が鳴って、支払いが滞りなく終了した事を示してくれる。

「えへ、ラッキー。ゴチソウサマでっす」

 両肩をすくめさせ、シャリーがその顔をほころばせた。

「いやいや。こんな夜更けまで付き合ってもらってんだから、このくらい安いモノですよ、ミズ・パーティントン」

 半ば、芝居めいた物言いは百も承知だった。二人分を合わせて5アースと60ムーンと言う通貨単位表記。社員食堂であるから安くて当然だが、質は悪くない。天下のラリー・インダストリーであればこそ、ではあるのだろう。

「確かにそうですねえ――今度もっとマシなもの、オゴって下さいね……具体的に言うと寿司とか、寿司とか。露骨に言うと寿司とかですけどね」

 シャリー女史は首を思い切りかしげながら、ヒムラ主任の顔を覗き込んできた。

「……一考に値する提案ではあるな……さ、食べようよ。冷めちゃうぜ」

 巧く誤魔化された気もしたが、実際のところ、シャリーもかなり空腹だったので、それ以上の追求を当座は避ける事にした。

「「いただきまーす」」


   ・

   ・

   ・


 二人は、しばらくは無言でそれぞれの食事の摂取に努めた。話題がまるで無い訳では決して無いのだが、それほどに両者の疲労感、空腹感は根強かったのである。そんなカフェでは有線かラジオかは分からないが、妙に浮ついた流行歌がひたすら、耳障りに流されていた。

「――最近の歌は分からんな……」

 この食事を開始してから初めての日村主任の発言である。

「最近に始まったコトではないじゃないですか、主任の流行音痴は」

 辛辣しんらつな言葉を容赦なく返してくれるシャリー。勿論、嫌味を含んだりしているモノでは断じて無い。

「……そりゃ、認めるがねぇ」

 日村からすると部下の発言を肯定するしかない。

「……でもね、最近の歌は確かに面白くないですよ、実際。オリジナリティが皆無、っていうか」

 これは先の言葉の返し方が無慈悲に過ぎたな、と自覚したシャリーのささやかなフォローだったが、当の主任は焼き魚の骨を取り除くのに余念が無く、

「――まあ、そんなモンかもね」

 とだけ呟くのだった。何とは無しに無言で再開された両者の食事であったが、シャリーの方は軽食と言う事もあって、最後の玉子サンドを残すのみとなっている一方で、上司である日村主任の箸の動きが妙に緩慢なのが非常に気になってしまっている。膳の中の器、その内容物のいずれもが、少しずつだけ残されているのもなんだかなぁ。

『早飯早糞芸のウチ』

 などと普段、女性陣を前にしても豪語してしまう人物とはとても思えない。だが、そもそも緩慢なのはそんな箸の動きに始まった事では無かった現実。軽作業を共にしてこっち、主任らしくも無いイージー・ミスがどうにも続いている事をシャルロッテ・パーティントンは彼女なりに、ずっと気には掛けていたのだった。

 偶然、偶々《たまたま》。今日のこの日はダブル、二人による軽作業であったのだけれど、普段のように多くのスタッフ達と作業を共にしていたとすれば、そんな主任、日村の『らしくなさ』は噂好きなスタッフ達の間に様々な憶測を呼んだ事だったろうと思う。

 玉子サンドを手に掴み取ったままの状態で、シャリーは思い切って口を開いた。

「あのう――主任? ……何かあったんですか? 何だか、何回話し掛けても上の空だし、いつもと違いますよね」

 そんな主任は部下のシャリーがそれなりに神妙な面持ちを作っている事に、少なからず驚いたようだった。それでも箸の動きを止める事はなかったが。

「――そうかえ?」

「ええ、なんだか……らしくないなぁ、って」

 日村は箸を置いて味噌汁椀の蓋を取った。熱い湯気が静かに立ち昇る。

「――なあシャリー、仮に、俺等が『軍属』になるとしたらどうする?」

 想定外で想像外の言葉を上司からカウンターされてしまったシャリーは、サンドイッチを皿の上に取り落としてしまった。

「い……いきなり何を言うんですかっ!?」

 ヒムラの方は、自分のペースを守って赤出汁の味噌汁をゆっくりと傾けている。

「……有り得ない話でもないらしいんだよねコレ。まあ、古くから『技官』って言葉、立場階級は存在しているんだけどさ」

 等と、更にとんでもない事を言ってくれた。自分達が所属しているこの会社、『ラリー・インダストリー』は軍関係の受注を多く受けているとはいえ、生粋の民間企業である筈だ。シャリーはいよいよ、混乱を覚えた。

「ちょ……ちょっと待って下さいよ! そんなの初耳ですよ!?」

 半ば、身を乗り出しながらシャリーはまくし立てた。その性格、極めて剽軽ひょうきん――として内外を問わず知られている彼女の上司であったが、幾らなんでもこんな物騒なジョークを飛ばす事に、歓びを覚えるような悪い趣味は持ち合わせていないだろう。

「そりゃそうだ。今、初めて話したんだもん。他の誰にもまだ話してねぇですおー」

「主任――いや、敢えてこう呼びますけれどね、部長!!」

「お、おう?」

 部長と呼ばれるのは実に新鮮だった。響きが好みではないので部下には主任、と呼ばせていたのだが。

「『軍属』ってどういうこと!! 三行で説明して下さい!!」

 味噌汁椀を空にした日村部長はゆっくりと番茶を啜り、一息を吐いてからその口を開いた。

「今、僕達が建造している『アルティマ(仮)』に実際にクルーとして乗ることになるかもしんねー。以上」

 一行じゃねえかよ! あわや、対面の上司、その膳にコーヒーを盛大に噴き撒くところだったが、それはどうにか防ぐことが出来たシャリー。

「なななななんでどうしてどうしてそうなるんだぜ????」

 置かれていた布巾ふきんで卓上にこぼれたコーヒーを拭いつつ、動揺を禁じ得ない彼女であった。

「宇宙軍の『人員不足』の一言に尽きるらしいがね――んー、これから実際にどうなっていくのか、皆目見当も付かんけど――まあ実際に建造に従事している俺達、って存在は手っ取り早いクルー候補に見えているんじゃねぇかな、色々なお偉いさんからしたらね」

 湯呑みを膳に戻した日村主任は溜息を再度、絞った。

「あー、先の『会戦』で随分、居なくなっちゃいましたもんねえ、宇宙軍の人達……」

 流石に笑い顔で話せるような内容では無いので、自然、シャリーの表情も厳かなものにならざるを得ない。

「平時の軍隊だった、とは言えベテラン、熟練の連中がことごとく死んじゃったからなあ……一年程度でどうこう出来るってレベルじゃないんだよね、これ。そう考えると、動かすだけなら民間人でも猫の子でも借りてやってみようか、となるのは自然の流れ、なのかもしれない。お偉いさんの考えていることなんて、まるで分からないけどね」

 んー、と首をコキリと鳴らして主任は言葉を繋いだ。

「僕等みたいなのが『技官』、『軍属』となるのはそう言う意味では当然、自然なのかもしれないね」

「……んっマ、冷静に考えたら今も『軍属』みたいなモンですけどねえ、あっちらって」

 驚きを通り越せば冷静な判断だって下せる。そう、日村部長の部下に『本当の意味でのバカ』は一人もいないのだ。しかし、それでもシャルロッテの顔にはかげが根深く、刻まれつつあったのだが。

「そういうこった。まあ『軍』も未だアワアワしてっからな。場当たり的なモノもあるんだろう。確定事項じゃないし、故に、まだ君以外には話していないわけだが」

「そういうことですかい――」

「そういうこってす」

 お茶のお代わりを注ぐ日村は、あくまでも他人事の口調ではあった。

「……まあややもすると『今』よりは規則正しい生活、出来るようにはなるのかもしれんけどな」

 規則ってよりは規律、軍律だがなぁ、そう呟き足して、日村氏は最後の番茶を啜る。

「それ笑えないし!!」

 言葉とは裏腹にゲラゲラ、と下卑げびた笑い声を立てる部下だった。邪悪な表情はしかし一転し、常の、当たり前の二十代前半女子の顔へと変貌へんぼうを遂げた。仲間内からは『シャル太』と呼ばれる、実に健やかで無害な顔がその素顔、本質なのだが。

「で、どします? 現実問題として作業に復帰します――? わたしゃもう部屋戻って酒をあおって眠りたいレベルなんですが? 主任が今日は一人で寝るの寂しいとかってんなら添い寝してやってもイイですよ!」

 もう部下女子の実は逆セクハラだろそれ、的な発言内容に突っ込みを入れる気力も無い程に、実際に日村氏は疲れてはいた。

「……嫁さんが聞いたらメンチカツにされちまうから冗談でも止めてくれや――今日はお開きにしよう。明日から復帰する連中とも時間を合わせないとならないからね」

 半ば、強引に言い訳を作った感も否めなかったが、こんな状態で作業に復帰しても要らないミスが続く事が充分に予想される以上、業務から離れるのがベストなのだろう。そもそも、考え事をしながらの作業なんてはなからナンセンスなのではあった。

「ウェェェイ、カシコマリマスタ」

「む」

 二人はそれぞれのトレイを回収台に乗せ、エレベータホールへと向かった。女子寮直通のエレベータ前で一礼を行ったシャリーが、

「うー、じゃあまた明日宜しくですー」

 日村も、おう、と片手を軽く挙げる事でその返礼としてやった。エレベータ脇の自動販売機で缶ビールを数本購入し、ほとんど私室と化している『部長室』の存在するフロア直通のエレベータに乗り込んだ。社宅棟にも自分を含めた家族の部屋は存在していたのだが、一家三人分を合わせても多くも無い私物、荷物を搬入してからこっち、数える程しか戻った記憶が無く、ほとんど家族共用の物置と化している現実があった。嫁さんも一人娘も同じ会社の所属ではあるのだが、この一年近く、一体全体何処で何をやっているのやら。忘れた頃にメールが来たり家族間SNSで呼び掛けられたり、はあるから息災は息災なのだろうけれど。


 寝馴れていないそんな社宅のベッドよりも、余程に部長室のソファに寝転ぶ方が安眠は約束される――そんな自分は可哀想だな、と思わなくなっているのが可哀想――日村はそんなことを考えてしまうのだった。


   ・

   ・

   ・


 『特殊開発研究部(AAA)』と刻まれた扉、『室長:日村霧男』の札を『在室』へと切り替えた。この時代にアナログはなはだしいが、この古臭いシステムを霧男きりおは嫌いでは無かった。逆セクハラ部下と別れてからおおよそ三十分後の主任こと部長、部屋のぬしである日村霧男は髪を完全に乾かさない状態で二杯目のビールを傾けていた。シャワーを浴びた事で心身共のリフレッシュを果たす事には成功したものの、これは全く一時的なものでしかなく、普段であれば至福の一時をもたらせてくれる筈の風呂上がりのビールは妙にほろ苦くて、寧ろ苛立ちを含んだ不安感を募らせてくれていた。

「――はあ」

 先日、直接の上司である常務取締役から暗に臭わされた『クルーとしての新造艦への搭乗』。実際のところ、技術者が軍艦に同乗、添乗する点に関してはラリー・インダストリーでも過去に前例が数多、存在はしていたが、クルー、乗組員として期待されるような搭乗行為となると、これは例が無い筈だ。例えばアドバイザーとしての短期間の乗艦ならば、或いは。いや、やっぱりそう言う話もほとんど聞いた事が無いな。先の『火星沖会戦時』に自分は一人娘と共に戦線、最前線にお荷物を抱えて向かったことはあったが、あれはもっと別の意味で特殊な事例であった筈で、比較になるようなものではないだろう。


 前代未聞の今回の要請――もしかしたらいずれは正規の『命令』になるのかもしれない――は一体何を意味しているのか? そして、自分……いや、何よりも部下達の向かう先はどうなる?


 そもそも、『新型艦』。


 ここは一つ、順序立てて考えてみるべきか――泡の消えかかったビール、その表面を眺めていると不思議にもそんな気分になった。疲労の極みにありて物好きなこった――日村霧男はまずは冷静に、現状の把握から試みることとした。


 新型。自分達が過酷な労働条件下で、それこそ心身を大いにり減らしながら建造している『それ』は武装した軍艦であり、それも従来の航宙艦船の概念を覆す機動性を持つ、次世代航宙艦『ニュー・ゼネレーション級(仮称)』のフラグシップ、一番艦であるという事。先の火星沖会戦を経て、損耗そんもう甚だしい惑星連合宇宙軍、その再建のかなめであり、象徴となることを期待されている船だ――と聞いている。仮称ずくめでアレだが、自分を含めた船大工からは『アルティマ』と仮に呼ばれている存在。ちなみに建造自体は会戦の勃発ぼっぱつ前から水面下で行われていたことは強調しておくか。再建の要、と言う表現は実に戦後、突然に使われ始めた比喩表現であった。


 金額に関しては日村の管轄かんかつではないので詳細は不明であるが、通常、標準戦艦の軽く50倍、或いはそれ以上の『かね』が動いているのだろう、とは推測できる。地球本星上の自治国二つ三つ分の年間予算ぐらいは軽く凌駕りょうがしているのではないか、と目算しているが。もっとも、新機能、新装備の多くは自分達がゼロから開発したものでは無かったし、様々な特殊背景が介在した結果、これでも『金』の大半は実は浮いてはいるのだが。船だけに。誰が上手いことを言えと言った。やかましいわ!


 ……そんな文字通りの最新鋭艦であり、最高水準の技術、そして惜しみの無い予算投入を得ることで『生』を受けたこの艦に対し『バケモノ』以外にいかなる形容が可能だろうか。実際に自らが設計建造に従事していてなお、霧男には他の言葉が見付からない。まず、大前提としてその『サイズ』の違い。全長が1000メートルを超え、1400メートルとなる点。これまで太陽系惑星連合宇宙軍が保有『していた』最大の艦艇が『シャイン級』航宙空母の680メートルであったが、実にこれを軽く倍する数字である。空調、循環系を始め、乗組員達の生命維持に必要な全ては基本的な自給を可能とし、あらゆる設備が備えられた『動く要塞』だ。


 そして、何よりも忘れてはならないのが、そんな『バケモノちゃん』は最新鋭の推進機関である『GRDS(Gravite・Repulsive・Drive・System=重力波反発推進機関)』を搭載しており、従来の、例えば高速航行に特化した高機動駆逐艦のそれを遥かに凌駕りょうがする機動力、高速度の獲得を可能としている点であろう。無論、通常空間での高機動に留まるものではなく、今までにない短期間での『ネビュラ・リーヌ』突破をも可能とする、初の戦闘艦、と言う事になるだろう。


 ……まあ、実際に試したわけでもなし、多分いけるんちゃうかなーと言う数字ではあるのだが、これまでに人類がひいひい泣きすがりながらも獲得してきた膨大な量の実データが存在しているので、シミュレーション結果にもそれなりの説得力が含まれてしかるべきだろう。


 ド級という表現もかすむ超大型航宙戦闘艦でありながら、実にどんな軽量小型の船舶よりも『速い』。残念なことに、加速性能がそれに伴っていないのだが、まあこれこそ今後の課題であろう。本当に数少ない、課題だ。


 自分の携わっている新造艦の使途――使い道について、深く考えてきた事は全くと言って良いほど無かった現実、過去形。本来、日村霧男とその部下達に求められているのは、上層部から提示された性能を可能な限り実現、若しくは凌駕りょうがすると言う一点にあるのであって、使途用法の面まで考えを巡らせる事はつゆも期待されていなかったのだから。


 だが、今回、臭わされた『搭乗要請』が皮肉にも霧男のこれまでの日々、一エンジニアとして、それ以上でもそれ以下でも無い、生き方に転換点を与える契機とはなったのかもしれない。


 ヒムラは考えられる可能性を更に一つ一つ、その脳内で拾い上げていく事にした。数字やプログラミングとは無縁の部分、分野に思考を振り分けるのは本当に久し振りだな、軽く自嘲してしまった。


 ――治安維持活動の強化が目的?


 太陽系惑星連合は、お世辞にも一枚岩の連合国家とは言えない。肝心の本星、地球上にあっても内紛は常にどこかで発生していたし、火星自治区が軍によるクーデターがあったとは言え、連合に叛乱はんらんを起こした事は記憶に新しいところである。つーか、『火星沖会戦』という深刻な『内戦』があったからこそ、今日の宇宙軍が困窮している現実は間違いなく存在していたんだし、しかしぶっちゃけ連合側宇宙軍の被害も酷かったが、火星方面軍のそれは文字通りに壊滅、全滅と呼べるレベルであったから、何かをどうこう、例えば次なる野望だの悪いくわだてだのとかそんな余裕があるとは思えない。政治システム含めた諸々もかなり厳しいものが採用されているはずで、二度目の軍部暴走はちょっとどころじゃなく考え難い。


 ちょっとどころじゃなく更に遠く離れた、木星の自治区は良い意味で純粋に木星以遠での活動領域の確保、進展に全力を注いでおり、それこそエテルナにお株を奪われてはいるものの、太陽系のフロンティア、開拓前線として活気立っている存在だ。宇宙軍は駐留せず、代わりにやや強めの武装を施した航宙警察が治安を守っているぐらいで、辺境にありながらも安定した政治情勢を維持していると聞く。また貴重なヘリウム類、その供給源としての存在感も小さなものではなく、地球圏と往還する輸送船は船乗りの間でも高収入のシノギとして広く知られ、一攫千金の野望を持つ宇宙野郎共、けれど『エテルナには行けない、行きたくない』の連中の夢の職場ともなっている。繰り返しになるが、太陽系惑星連合はエテルナへの人材流出を危惧していることもあって、ここ十年は特に極めて厳しい渡航規制を掛けている事も大きい。


 後はまあ、別の意味で厄介なのが俗に言う『宇宙海賊』の存在だ。自称『義賊』の彼等は違法に改造した高機動船で、小規模の貨物船等を襲う。押っ取り刀で連合宇宙軍や航宙警察が駆け付けた時には現場から離脱しており、破壊、若しくは肝心の物資を奪われた貨物船だけが残される、と言う寸法だ。更には何が救いようの無い部分かと言えば、先だっての『火星沖会戦』で深刻な宇宙軍正規軍需品が流れまくった、そんな側面もある。気合いの入った連中は軍隊さながらの海賊行為を行っており、正規軍すら襲撃する猛者もいると聞いている。うーん、地味に怖いデスネー。いい大人になっているので、いわゆる義賊めいた宇宙海賊なんて絶対に存在しないのも、知ってる。哀しいけれどこれ現実なのよね!


 ――いや、だけど?


 新型艦は従来の艦船に改良を施した、と言うような『かわいい』ものではない。


 そして、未だその規模が無視出来ないとは言え、宇宙海賊やテロリストを相手にするにしても……明らかに物々し過ぎる。その気になれば200機以上もの艦載機を搭載する事を可能とする、ぶっちゃけると『すっげえ早く動くスペースコロニー』みたいな代物なんだが。


 ――宇宙軍再建、象徴


 まあ順当なところではある。


 ――治安維持活動の強化


 上記の理由とこれは同じでいいだろう。


 ――海賊対策


 オーバースペックにも程があるがまあやはり治安維持的には……ありか。


 んん??? 何かが引っ掛かるぞ……。



 そこまで考えて、ヒムラはある推論に突然、辿り着いた。


 ――対エテルナ兵器?


 ぶる、と自問した瞬間に震えがやってきた。『彼ら』には対抗し得るだけの武装兵力と呼べるものは持ち合わせが無いだろうし、こちらが凶悪な新造艦の建造に成功し掛かっている事なんか、つゆも知らない筈だ。秘匿されたエリア、ドックでこっそりと建造しているのは伊達では無く、全てのネットワークからも遮断された、本当の意味での閉鎖空間で自分達はひいひい言いながら日々を過ごしているのである。


 そんな可能性に今まで全く思い至らなかった自らの無能さを、ヒムラ・キリオはこの時、初めて自覚した。


 ……先の自らの思索しさくを、これは今一度、改めて視点、深度を変えて辿たどり直さねばならないか???


 『ネビュラ・リーヌ』内、つまり圧縮空間内と言う特殊状況下においても、いわゆる従来の推進機関によって産み出される加速度には、限界ががんとして存在していた。

 燃料物質の問題に関しては言わずもがな、そもそもが超長時間の完全燃焼状態に耐えられる機関等は現在のところ、存在していない。よって、従来の星系間航行船舶は突入直前にのみ全速噴射を行い、ある一定の速度を得た後は慣性力だけで『リーヌ』対称点へと向かう、そんな極めて原始的な方法でリーヌ突破を行っていた。当然、リーヌ離脱後の逆速噴射の為の燃料も残しておかなくてはならない事に付いては述べるまでもないだろう。


 故に、より長時間の完全稼働、並びに燃料効率の優れた推進機関を搭載している船舶がより、短期間の『リーヌ離脱』を実現する、と、これまでの『常識』ではされていた。


 だが正に今、この時にヒムラ・キリオを中核とする『ラリー・インダストリー特殊開発研究部』、通称『Team-AAAチーム・アルファ』がその総力を結集して建造に当たっているくだんのバケモノちゃん『アルティマ(仮名)』は、それら従来の問題点を抑え、安定した高加速を得る事のできる最新鋭の推進機関を内蔵しているのだった。


 『GRDS』と呼ばれているその推進機関は、重金属粒子を加速させる事によって産み出された重力波を、ついとなるユニットにて同時に発生させ、互いに干渉をさせ合った際に生じる反発力によって推進力を獲得する、そんな全く新しいコンセプトに基づいて設計された最新鋭の推進機関である。通常空間においても従来の推進機関とは比べ物にならない高速を獲得する事が可能であり、根底、理念、概念が従来のそれとは大きく異なっている存在だ。半ば、その『空間』に無理矢理干渉する形で、推進力を得る構造であり、すっげー分かり易く言うと『物を投げる力』で飛んでいたのが『従来の推進機関』だとすれば、この『重力波反発推進機関』は、『物が相互に反発する力』を『内側に向ける』ことで強引に船体に加速を与える構造だった。これって地味に、前代未聞の『空間干渉』とかしているんじゃないかと恐い事を言われるけれど、その辺の事は良く知らんし、知りたくも無い。それは、学者の仕事であって、少なくとも俺の仕事じゃねえし。あまりぶっちゃけられるところではないが、そもそも開発したのは『自分達では無い』のだ、実は。自分達がやっているのは、『実用化』に成功した、その一点。いや、それだって凄い筈なんだけどね……。


 そして、それらを総括する主機関は従来の核融合から対消滅のそれへとシフトしている。核融合と比較すると燃料効率は極めて良好、高出力でありながらも安定した出力を保障する、これも最新型、次世代の機関であった。その潤沢なエネルギーは推進機関への供給のみならず、その巨大過ぎる船体、実質の多層複合の連結各部を重力波の束、通称『トラクタービーム』で堅固に支える、文字通りの骨格を維持する為にも使用されている。ややもするとただ、そこに浮いているだけで自壊してしまうこの船は、『非物質』の介在存在に依ってギリギリ、その存在、在り方を担保たんぽ、許されているのだ。


 そんな最新鋭の技術、そして莫大と言う表現がはばかられるほどの資金が惜しみなく投入された結果、新造艦は従来の船舶がどんなに頑張っても二年半と言う期間を費やしていた『地球』『エテルナ』間をわずか半年間で駆け抜ける事が可能――と言う事になっている。実際に運用された事は無いので、あくまでもデータ上は、であるのだが。いやいや、前述の通り、シミュレーションをつかさどるコンピュータ群の発展振りと血と汗と涙で獲得されて来た膨大な実データの数々は、それはそれは凄まじかったので実の所、『データ上』という表現は死語になって久しいのだが。量子コンピュータさん、まじパねえっす。


 そして、火力面においても当たり前の様に、従来の宇宙戦闘艦のそれとは『比較にも』ならない武装火器が採用される予定。惑星連合軍技術部の提案、実用化したのは他ならぬラリー・インダストリーであり、自分達だ。


 『対消滅機関』の有り余るエネルギーによって生成される荷電粒子に『GRDS』の余剰エネルギーを相乗して投射される、『荷電重力波砲』。


 従来のビーム兵器に重力波動が加わった時、この史上最強の火器は誕生した。用法次第では、地球型惑星であれば大気圏外より大陸を穿うがつ事すら可能な大火力。二つの異なる機関を所有する『マシン』だけに振るう事を許される、有史上最強の破壊力を持った『悪魔の剣』。スペースデブリ(宇宙ごみ)による航路汚染対策も期待されているらしかったが、何と言うかそれって地雷原を丸ごとナパーム弾で焼き払うようなレベルではある。


 ――無我夢中でやってきたけれどもしかして俺等とんでもねぇふね造ってんじゃないか?


「悪い方に考え過ぎ……だよな?」

 本来はポジティブ思考の自分が、いかにも悲観的な想像をしてしまった事に霧男は、自分自身でも驚きを隠せない。


「十賢者さん達、なんか地味にとんでもねえ宿題を残していってくれたんじゃないのか――」

 部下の前では絶対に言えない独り言を、敢えて意識して口にした。苛立って頭を盛大にきむしった後、霧男はグラスに残ったビールを放棄して好みの日本酒を同じグラスにたっぷりと注ぎ込んだ。辛口の酒を口に含むと、自分自身が疲労の極みにあったことが今更ながらに思い出された。

 残った日本酒をほとんど一息で飲み干し、日村霧男は毛布にくるまりながら、ソファに体を横たえる。寝付きの良いのが数多い自慢の一つでもあるキリオは、あっという間に夢の世界の住人となった。


『酷いことにはならんよな――』





 しかし、日村氏が深い眠りに落ちた、正にその時刻。世界は、世の中は激動の時を迎えようとしていた。



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