Chapter:01-05
Chapter:01-05
「あの、ご多忙のところ申し訳ありません――マッケイ高等学校、二年三組なのですが」
早くシャトルに乗りたい、と言う向きも多かった事から、トイレを済ませた男子陣は、早くも指定のゲートへと向かっていたのだった。
「聞き及んでいますが、あら、もうお乗りになりますか?」
ゲート脇の係員が驚いたような顔を浮かべたが。実に、出発予定まで一時間ほども時間があった。
「みんな、早くシャトルに乗りたいようでして……問題無ければ、と」
クリストファが肩を竦めたが、乗りたいのはクリスも一緒だろーが、と野次が後方から上がった。
「あはは、大丈夫ですよ、機内清掃も済んでおりますし、そういうことでしたら」
状況を察した係員は、クリストファが示した身分証に端末を翳した。個人情報が主コンピュータ、恐らくは管制室のそれに転送されているのだろう。
「はい、認識が済みましたので、どうぞ、ボーディング・ブリッジをそのまま、真っ直ぐお進みください。なお、機外への出入りは基本的に自由です。十五分前には乗船しておくように心掛け下さいね。あ、出来ればトイレはステーションの方で済ませておく事をオススメしておきます」
ありがとうございます、副級長として大袈裟な一礼をして、クリストファは搭乗橋、ブリッジへと歩みを含めた。どこかフワフワとする、心許なさを感じつつ、備えられた窓から格納庫内を覗くと、自分達を運んでくれる機体、シャトルの全体像が一望できた。周囲を気密服装備の整備士達とメンテナンス・ロボットが取り囲んでいる光景は、嫌が応にも宇宙空間への旅路、を感じさせてくれるものだった。
「S110か。古い船だね」
続いてきたヘンリー・アディントンがクリストファの肩を掴みながら同じ窓を覗いてきた。
「相変わらず詳しいね」
「エアバス社製、20年もの、と言った所かな――ま、安定した名機さ。今、一番アポロンを飛び回っている船だよ」
実はクリストファの脳内の知識でも紐解けたのだが、続いてきた周囲の男子達が、ほうほうと頷いたりしているので、ここは黙る事とした。ヘンリーの独壇場で、これは良いだろう。
「ペイントが特殊なので、多分向かうコロニー『播磨』の専用機だと思う。これ、乗れるのちょっとした自慢だよ」
マニアックなヘンリーの発言に、男達は沸き立った。
「さ、早く乗り込もうぜ――」
ロルフやアダム、サトルが露骨にワクワクしながらクリストファとヘンリーを煽り立てる。
「ちぇっ、もっと色々解説したかったんだけどさ」
口を尖らせたヘンリーだったが、「後で幾らでも聞いてやるから!!」と言う男子の総意にこれは苦笑い。
二年三組男子は、こうして全員漏れなく、半ばのスキップでそんなS110、シャトルへと乗り込んだのだった。
実質の人員輸送船であり、旅客船ではなかったから、その内部は極めてシンプルなもので、これには大多数の男子ががっかりとしたようだ。
「メシとかドリンク、出ないのかな」
サトルのそんな何気ない質問に、クリストファとヘンリーが同時に
「「出るわけねえだろ!!」」
と突っ込みを重ねて加えた。どうぞ、と苦笑いしたクリストファに譲られたヘンリーが胸を張った。
「三十分も乗らないよ。付け加えると、みんな憧れの『16号高速』にも乗らないから」
まじかよー、ロルフが露骨に崩れ落ちたが、いや、事前のパンフ見ていれば分かる事だろうに。
「なんか椅子もリクライニングしねえんだけど」
座席のあらゆる所を両手で探りながらのアダム。
「だから人員輸送船だって! 路線バスみたいなもんじゃあ! ボケー」
ボケ言う方がボケなんですぅ――やいのやいの、常通りの男子高校生の日常をやっている中、クリストファの袖が引かれた。
「おい、クリス」
「どうしたヅエン?」
振り向いた先、搭乗口からこちらの様子を不安げに窺っているご婦人の存在があった。しかも、ベビーカー、それも双子仕様。
「全員、静かに!」
クリストファの静かだが、凛とした声に全員がピタリと動きを止めた。全員が等しく、状況が把握できた事もある。
「騒がしくして申し訳ありません、奥様」
クリストファがご婦人の元へと歩み寄った。さすが副級長だ、なんともないぜ!! と、クラスメイト全員がクリスの背後にエールを送っていた。この年齢時期の男子高校生が、カーチャン達よりも若い奥様を基本的に苦手とするのは、時代を問わない。
「あ、いいええ――係の方から高校生の皆様と同便になる、とは聞かされておりましたから」
婦人はそう言い、笑ってくれた。取り敢えず、むくつけき男子学生とはイメージが異なるクリストファの存在が、極めてドでかい事を全員が共有把握していたので、なんかこう、三々五々空いた座席に座ったり機外を眺めやったり、と。全部俺に丸投げかよ、と若干、モヤッとはしなくもなかったが、それでも俺は副級長なのだった。しかしこれぐらいの年齢の女性と話を通すのは俺も苦手なんだがなあ。
「私達はエテルナマッケイ高校二年三組、自分は副級長のクリストファ・アレンと申します――奥様も『播磨』に?」
紳士というか執事然としたクリストファの応対に、皆が肩を震わせて笑いを堪えている空気が伝わってくる。
「ウチのバトラー(執事)まじパねえ」
「執事と言うよりオーラバトラーだろあれもはや」
「百戦錬磨のバトルマスター様やでぇ」
そんな陰口ならぬ陽口が背中に容赦なく届いてくる。お前等郎党、七年殺しをしてくれるわ、後で。
「はい、主人が勤めておりましてねえ、一ヶ月に一度はこうして訪れているんですが――」
ここで婦人は、ぷっ、と笑った。これは意外だったが。
「あの、ウチの双子、賑やかなの寧ろ好きなので、大丈夫ですよ、皆さんいつも通りで。静かにされる方が困っちゃうわー」
なかなか、ノリの良い若奥様だった。
「あ、遅れちゃったわね、私はダニエラ。ダニエラ・アルマーダ。この二人はケビンとレオン。どちらも男の子よ。ケビン、レオン、お兄ちゃんに挨拶してごらん」
ダニエラさんのキャラをまだ掴み切れていないので、クリストファは取り敢えず腰を落としてベビーカーの赤子二人に挨拶をするしかなかった。
「ケビン、レオン、少しの間だけどヨロシクな」
キャッ、キャッと、多分これは笑ってくれているのだろう――そう考える事にしたクリストファであった。
「かわいっすね――」
どうやら、全てクリストファに投げるのが我慢、辛抱ならなくなったロルフが空気を読みながら近付いてきた。
「ありがとおー」
一見強面のロルフにも動じない、ダニエラさんだった。まあ、ロルフはロルフで最近は牙を抜かれたイノシシみたいなものだしな。って、この喩えも絶対エテルナの人には通じない。
「奥さん、ベビーカーだったらこっちではないですか? 差し支えなければ用意しますよ」
ヘンリーのサポートは素晴らしかった。非常口近くに、ベビーカーや車椅子を物理的に固定する一角があった。
「わあ、すごい――ありがとう、気が利くのねえ」
ダニエラさんの指示でヘンリー達が稼働座席をああでもない、こうでもないと動かしている間、自然とクリストファが固定されたベビーカーを預かる流れになっていた。まあ、可愛いものだよなあ、顔を近付けて見れば、容赦なく伸ばされたそれぞれの手が癖の無いクリストファの頭髪をむんずと掴み、引っ張り、と。自然、クリストファも笑顔にはなっていったが。
「――野郎共、大人しくしてやがるだろうなあオイイイイイイ」
凄みのあるアルト声。まさか。このタイミングか、このタイミングだと言うのか。赤子から咄嗟に距離を置こうとしたクリストファだったが、無慈悲な赤子はその頭髪から手を放してくれなかった。
「一般の方々に迷惑を掛けていたらまじ全員、雪崩式ブレーンバスターだかんナー」
搭乗口から機内に入って来た、のっけからオラついたジャニス。次いで、マキ。両者の目が搭乗口脇のクリストファと赤子に最初に向かうのは、全く自然な事で。
「「誰との子!!!」」
うわあ、なんか大変なことになっちゃったぞ――半泣きに陥り掛けたクリストファだったが。にしても「誰との子」って酷くないか、あんまりじゃないか。
「クリスをあんまり苛めてやるなって――事情は把握している、すまんなクリストファ」
化粧のバッチリ整い直ったノリコが苦笑いで登場してくれた。いや、もっと早く登場してくださいよ!! と叫びたいクリストファだったが、何しろ赤子二人に髪は疎かホッペタまでねじり上げられていては。
スーツの襟を正したノリコ先生がダニエラさんの元に挨拶に向かうのを見送りながら、クリストファは思わず
「ひどいおねえちゃんたちでちゅねー」
等と、伝わりようも無い赤子に小声で呟いたりしていたが。
「聞こえたし」
キッ、とニヤけたジャニスだった。ジャニス・イヤーは地獄耳。取り敢えず、現時点でブレーンバスターは無さそうなので安心はしたが。
「かわいい!!」
マキを含めた数名女子が、途端にベビーカーを囲んできた。
「赤ちゃん肌まじスゲエ」
「あやかりたい……」
お前等、まだ十代だろ! 突っ込みたくなるクリストファだったが、それが自殺行為に直結している事はよーく知っているので、取り敢えず赤子にぐしゃぐしゃにされた頭髪を整える事で代替とするのだった。
「首、もう据わっているから抱いてくれていいわよ。寧ろ、抱いて上げて。二人とも男の子だから、喜ぶと思う!」
恐らくはノリコとの挨拶を終えたダニエラさんが、どこか嬉しそうに駆け付けてきた。
「え、じゃ遠慮無く――」
幼い従姉妹のいるマキはあっさり、経験の無いジャニスがダニエラの介助を受けながら、おっかなびっくり、と赤子を抱き上げた。確かに、赤子は二人とも終始、ご機嫌ご満悦だった。その後も我こそは、と女子の手から手に赤子は行き渡った。
「……なんか、どきどきしなくもないな……」
その光景を眺めたアダムが実際に口にして、ヘンリーが頷き、ロルフがふう、と溜息を吐いた。普段、さほど意識していなくても、やはり彼女達は女性なのだ、とこれでもかと見せ付けられているわけで、これは無理も無い。童貞少年達には、目の毒というものだったかもしれぬ。どこか他人事な自分自身はもう、今更なのでクリストファは深く考える事を止めていた。
「おっ、今回は大人数だなっ」
機長とおぼしき制服を着用したナイスミドルが、やはり副機長と思われるヤングメンを連れて搭乗口に姿を現した。
「今回は宜しくお願いします」
クリストファよりも先にヘンリーが挨拶をした。全員でお願いしまーす、と続く。赤子達も何かキャッキャ笑っていたようだ。
「短時間のフライトだけど、楽しんで行ってくれると嬉しいな」
笑顔で手を振ったパイロット二人が二重構造の扉を抜け、コックピットに入っていく。
ノリコが腕時計をちら、と確認するのとクリストファが機内時計を確認するのは、ほとんど同時だった。フライトの20分前。恐らく、気を使ってくれている両親。残り15分を切っても来なかったら連絡を入れようか、とクリストファが考えた、その時。
クリストファの脳髄に、電撃が奔った。いや、そうとしか表現できなかったし、分析している暇は無かった。
「全員、何かに掴まれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!」
気付けば、声を嗄らして絶叫していた。
「!!!!」
キャビン内の全員がそのあまりのクリストファの絶叫に身を竦ませたが、咄嗟に手近なものを誰もが握り込む事にはなっていた。後になっても、どうしてそうなったのか、誰も終ぞ理論立った説明は果たせなかった。後に、無事生還した彼等は口々に、『クリストファの言葉には、力があったんです。言霊、と言うのなら、正にあれがそうだったと思います』、とだけ。
軽い衝撃が、コン、コンとシャトル全体を揺らし、クリストファはベビーカーの上に身体を半ば、投げ出した。どうして、とか理屈では無かった。
爆音、轟音、閃光が機内を満たし、いよいよ全体を遠慮仮借無く無慈悲にシェイクした。悲鳴が響き渡ったが、誰が、どう出したものなのか、判然等着く筈も無い。
機内は煙が充満し、危機的状況を認識したシステムが携帯酸素マスクを天井から展開させたが。
「みんな、無事か!!!」
自分が抱えたベビーカー、中身の赤子二人が無事なのを確認して、クリストファは怒鳴った。自分の耳も大概、馬鹿になってはいたのだが。
「な、なんだってんだ」
聞き取れたのは上擦ったロルフの声と、啜り泣く女性陣のそれ。機内の煙が次第に晴れていったが、これはこれで良くない事態、状況である事をクリストファは知っている。いや、知っていた。
「みんな、無事だね!!」
自分達が赤子を中心として集まっていたのは幸いだった、そんな判断を瞬時にクリストファは下していた。一時的に気を失っている者はいるが、深刻な負傷者は多分、いない。バチバチ、と火花が爆ぜる音の方向、キャビン先頭部に目を向けると、存在するべき機体内壁は丸ごと消滅しており、なんと格納庫の内壁を遠目ではあったが、直接視認可能な状態だった。機内と同じく、格納庫内も停電しているようで、非常照明へと切り替わっているみたいだった。
やばい。煙が流れているのは、どこかで空気が漏れているから、であったし、何よりも推進剤を溜め込んでいる、このシャトル。
「全員、機外に出るぞ――爆発する可能性がある!! 男子、動ける者は協力して搭乗口をこじ開けてくれ!!」
数メートルも離れていない、恐らくは爆風で閉じてしまった搭乗口をクリスファは顎で示した。
「「「おう!!!」」」
ガタイの優れたジャニスなども、腕まくりで扉に向かって行った。
「絶対に開けてくれ、頼む!!」
そのクリストファの大声に、さすがの赤子達も泣き出し始めた。空気が悪くなってきている事もあるし、さぞや気分が悪い事だろう。可哀想に。這々《ほうほう》の体で辿り着いてきたダニエラに、クリストファは持ち上げたケビンだかレオンだかを預けた。二人目も、と目で訴えた婦人だったが。
「二人は無理だ! 一人は、俺が責任持って預かるからっ!」
「あ、ありがとうね!!」
パニックになりながらも、クリストファを信用してくれているのだろう。そして、何よりもこの状況下、自分一人では二人の子供を守れないという現実、母性、防衛本能があったのかもしれない。
「ノリコ! 全員揃っているか、ちゃんと確認しろ! ボケッとしているんじゃあない!!」
「あ、は、はい!!」
実はとんでもない会話になっていたのだが、この段階で無粋な突っ込みを行う人間はいなかった。程なく、
「全員います!! 確認した!! パイロットの二人は!?」
「もう死んでるよっ!!」
怒鳴ってから、後悔した。この様な時、NGワードの最たるものだった。女子達が、いよいよ啜り泣きを再開し始めてしまったが、謝罪している暇は無い。全員、頭を下げて、煙を吸い込まないようにしろ、と注意喚起をする他なかった。
「クリス、ブリッジが落ちている!! ロビーに戻れないが、どうする!?」
やはり悲鳴のような、しかし良い意味で色々と省略したヘンリーの報告だった。シャトル、キャビンの高度は五メートルはある。これは男子高校生でもおいそれと降りられる高みでは、地味に無い。況んや、赤子という存在をや。状況がせめて無重力であれば、話は楽だったかもしれないが。
「格納庫内、ロビー面ブリッジゲートの下に避難シェルターがある筈だ!! 見えないか、ヘンリー!!」
泣きじゃくっている赤子、ではなくてたまたま隣で泣いているクラスメイト女子の頭を撫でながら、クリストファはやはり怒鳴った。
「……み、見えた、ある!! 『緊急、Evacuation』って書いてある!」
「よし!」
やはり、機外に脱出するという選択は正しいようだ。と言うか、現状、それ以外に選ぶ余地は無かったが。
「外部からの助けを待っていた方が良いのでは??」
ノリコが半泣きの顔で縋るように言ってきて、正直引っぱたきたくなってしまったのだが。クリストファは息を慎重に落ち着けた。
「初動が早かったらとっくに何らかのアクション、起こってますよ。なんで無いのかな!?」
うっ、としゃくり上げたノリコを、責めるつもりは無かったが、図らずも論理に基づく推測を周囲に共有させる事にはなった。説明が一回で済むのは、これは合理的。
「マキ、少し預かっていてくれ」
差し出された赤子を「ん!」と受け取ったマキの顔は、しかし平静のそれであって、安心した。少なくとも、装えるだけで本当に大したものなのだ、この様な状況下では。
「多分、ここに――あってくれよ、頼む」
重労働を経て、肩で息をしているロルフを押しのけて、クリストファは搭乗口側面、足元のシャッターパネルを開いた。ガラス封の施されたスイッチを発見、全く躊躇わずにその踵で叩き割った。多分、これでいける筈、そんな保証の無い確信はあった。軽い破裂音の後、果たして搭乗口下から圧縮空気によって膨張した軟質ゴムのバルーンが展開された。脱出シューターと呼ばれるものであり、航宙船舶への積載は義務付けられていない代物だったが、運は自分達に味方してくれたようだ。気になるのは、本来であれば自動的に展開されるべきこれがどうして、こうも手動で強引にやらなければならなかったか、と言う点だ。全く楽しくない推論だが、恐らく、シャトルの全機能はあの爆発の瞬間に死滅していたのだろう。
「……クリス、お前ホント凄いな」
ボンボン膨らみ揺れ伸び続け、どうにかシューターは床面にまで達してくれたようだ。ロルフに指摘されるまでも無く、凄いとは思う。俺は、宇宙空間の理屈だとか理論常識、公式みたいなものを、きっと『知っているんだ』。本当に、自分でも気持ちが悪いけれど、今はそれどころじゃない!
「――すまんがロルフ、先に降りてくれるか。言うまでも無いけれど、気を付けて」
おう、とロルフは返事と同時にシューターに飛び乗った。最後の部分でバランスを崩し、格納庫床で腰を打ったようだが何事も無かったように起ち上がった。
「大丈夫だ、いける。あと一人いれば、補助ができんぞ!」
行くぜ、とサトルが宣言するのに頷いておいて、やはり続こうとしたヘンリーの肩をクリストファは止めた。
「ヘンリー、君は降りたら直ぐに、避難シェルターへ向かってくれ。機能する筈だけど、確認して欲しい。で、開き次第、誘導を他と協力して頼む!」
「分かった!」
ガッ、と拳を打ち合わせ、ヘンリーが飛び降りた。メカ、他に詳しい彼だったらどうにかしてくれるだろう。どうにかしてくれないと困る状況だけれど。
「ノリコ、ジャニスが先に降りてくれ――ダニエラさんを次に送る!」
はい、と頷いたノリコ、ジャニスが飛び降りるのを見守りながら、クリストファはマキから赤子を受け取った。
「私に出来る事ある?」
「マキは、ダニエラさんと一緒に滑り降りて欲しい。サポート、してやってくれ。基本的に、下の連中が助けてくれると思うけれど、頼む」
分かった、頷いたマキがダニエラに寄り添う。
「ダニエラさん、僕は最後にこの子と降ります。大丈夫、心配しないで」
「ごめんね、ありがとうね、貴方達」
急いで、強調したクリストファ。マキが赤子を抱くダニエラさんの腰に手を回す。
「ダニエラさんが、行くぞーーーーっ! サポート頼むッ!!!!」
「「「おう!!!」」」
下には大柄のロルフ、サトル、そしてジャニス。更にはノリコもいるのだ。まず、大丈夫。
「ゴー!」
二人と一人が勢い、滑り降りるのを待ち受けた、ロルフ達は実に完璧にフォローした。サトルなどはどすこい、と半ば三人を受け止めたようなものだった。格好良いな!
「スピーディスピーディ!! 降りられるヤツからどんどん、降りてくれ!!!」
搭乗口へ並んだ生徒達の背中をほとんど押しながら、クリストファ。あとは自分を含めて十名程か。間に合いそうだな。
「クリス!! 避難シェルターに移動を開始するからなーーーーーっ!!」
ぎりぎり聞こえる声は、恐らくヘンリーだったのだろう。下で固まっていたみんなが、少しずつ動き始めている。そうだ、それでいい! クリストファにとって、何よりの知らせであった。みんな、どうにか生き延びられそうだ。
「先に行く、直ぐに来いよクリス!」
最後の男子、ヅエンが飛び降りた。着地の最後を見守り、赤子を強く抱き締め返しながら、クリストファもシューターに身を投じた。バランスが崩れてほとんど背中で滑り落ちる形になったが、やはりサトルが、どっせーい、と抑えてくれたようだ。
「シェルターに急いで、駆け足!!」
サトルに礼を言う間もなく、クリストファは怒鳴った。機内に居た時は今一つ分からなかったが、この区画、格納庫では相当の空気漏れが発生しているようだ。耳元を抜けていく風鳴りが耳鳴りも誘引してきてくれて、地味に気持ち悪かった。
「はあ、はあ――」
ほんの15メートル程の距離だったはずだが、長い距離に感じられる。空気漏れに伴い、酸素濃度も急激に減少しているのかもしれない。駆け足ながら、ちらと格納庫、ロビー側を見上げたが、シャッターが完全に降ろされていて、ロビーの中は全く視認出来なかった。緊急事態、それ自体を把握してくれているには決まっているから大丈夫だ、と逆に妙な安心感をクリストファは覚えてしまった。人に、第三者に気付かれない状態での危機は、宇宙空間では命取りなのだ。
「レオン!!」
クリストファに気付いたダニエラがシェルター入り口から、こっちに駆け寄って来ようとするのをマキとノリコが止めようとするところ、まではハッキリ見えた気がした。
二度目の爆発は、至近で発生した。推測するに推進剤の供給ケーブルからの引火であり、格納庫外に設置されているメインタンクが投棄されてなかったら本当にやべえな――不思議とゆっくり動く時間の中で、クリストファはそんな原因まで冷静に分析していたのだが、そんな彼の冴え渡った動体視力は、いよいよとんでもない光景を目にする事になる。シェルターの入り口脇で、強風に煽られたダニエラの手元から、赤子がするり、と抜け出す瞬間を。
「――!!」
クリストファは自らが抱いていた赤子、レオンを隣りで走っていたサトルに押し付けた。
「この子を!!」
状況の読めていないサトルが、それでも頷き受け取ったその時、ダニエラの絶叫が放たれて、ようやくサトルやロルフはそのクリストファの取った行動の意味を知る事になった。
「ケビーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!」
激しくうねり、巻いた剛風の中、為す術も無く転がり続ける赤子、ケビンの元にクリストファは猛然と駆け出した。スニーカーの底が溶け剥がれ落ちるのでは無いか、ばかりの、それは決死のランニングだった。当然、流れ出る空気が皮肉にもその速度の一助とはなっていたが。
「ぬ、おおおおおおお――」
ピシ、ピシと全身の筋肉、関節が悲鳴を上げているのが分かる。分かるが、今、無理をしないで、いつやるというんだ。そんな極致の中、人の苦労も知らずに転がる事を心底楽しんでいそうなケビンの顔が見えた。そうだな、もっともっと楽しい事はこれからの人生で沢山、あるんだぞ、坊や!!!
「ふんぬっ!!!」
ほとんど、曲がり込んで横からのスライディングキャッチ。どうにか、ケビンを抱える事に成功した。肩で息を吐きながら、クリストファはシェルターへと向けて重い両足を向けた。どこで、しでかしたかは分からないが右足を挫いてしまったようで、大変に痛かった。
「クリス、お前ってやつは」
シェルターの扉元で、皆に支えられたロルフが涙目でこちらに向けて手を伸ばしてくれている、その背後でダニエラが体中全体を涙腺にしていた。ああ、しかし残りの数メートルが、とても遠い、遠いなあ。
結論から言うと、クリストファは最後までそんなロルフ・ツェプトーの右手を取る事が出来なかった。
突然、激しく隆起した床面に跳ね転がされ、クリストファは格納庫、側面内壁にその背中を強かに打ち付ける事になったのだった。一瞬、気が遠くなりかけたが、これはどうにか踏み留まった。腕の中のケビンが大声で泣いているようだが、すまない、今は耳が、全く聞こえないんだ。ついでにぶっちゃけるとお兄さんの方が泣きたいんだけどな。
「あ、詰んだ」
爆発が規模こそ小さいものの、立て続けに起きている事は、足を通じて肉体に直接伝わってくる震動、霞む視界でどうにか把握できた。ふらつく頭でシェルターを見上げると、クラスメイト達、特にマキとジャニスがこちらに向かって窓をバンバン叩いている光景が見えたが、恐らくは危機的状況を悟ったシェルターのオート機能に依って、ロックが働いてしまった、と言うところだろう。少なくとも、彼等はほぼ確実に助かるだろうから、それはそれで。駄目元で携帯通信端末を取り出したが、やはりアンテナは疎か、一切の無線を拾っていなかった。
「困っちゃったな、ケビン――」
ケビンに笑いかけ、その頭をゆっくりと撫で回してやった。幾分、落ち着きはしたようだが
恐いのだろう、苦しいのだろう、そして寒いのであろう、母恋しいのであろう。
自分一人ならばともかく、この世の中に生を受けたばかりの存在を露と散らせる結末は、どう考えても受容できるものではなかった、許せなかったから。
クリストファは、ある決断をした。先程、転がる中で視界に入ってきたコンテナへと、不自由な右足を引き摺りながら向かった。
「頼む、入っていてください」
爆風その他でひしゃげていた扉を、祈りを込めた自由な左足で蹴り飛ばして破壊した。信じてもいない神を、今ぐらいは信じても良いか、そうクリストファに感謝させるものが、そこには存在していた。
整備士達が着用する気密服、であった。
シェルターの窓辺、一面に縋り付いたクラスメイト、他がこちらを注視している事は分かっている。また、実質閉じ込められた彼等に出来るのは、それだけで有る事も。頼む、俺が何をしようとしているか、見ていてくれよ。引き出した気密服を、シェルターに向け、示した。遠目でもあったので良く見えなかったが、誰かが大きく、両腕で「丸マーク」を作ったのが見えた。意図は伝わったか。
「ケビン、君は強い子だ。これから、ちょっと恐い事があるかもしれないけれど、大丈夫だからな」
額にキスを一つしてやって、クリストファはケビンを整備気密服、そのヘルメット部に横たえた。とても、乳児用なんて選べる余地は無かったので、手近な資材、機材を胴体部に詰め、上げ底してやる事しか出来なかった。酸素供給が無事に行われる事と、その残量を確認して、クリストファは心からの祈りを込めて、そのバイザーを閉じた。
続いて、やや汚れの目立つ気密服を自らが装着。この時に気付いたが、どうやら自分の右足の状態は相当に深刻なようで、感覚の殆どを喪失していた。出血はしていないようなので、それだけが救いは救いか。困難を極めたが、どうにか全身の装着に成功した。等しく酸素供給と残量を確認。見た目が汚れているだけで、機能に問題は無し、いける。
「ほうら、ケビン、恐くなんてないぞー」
抱き寄せた、だぶだぶな、ケビンの入った気密服の胸元と自分の腰元、それぞれ固定金具で繋いだ。自然、クリストファが抱っこをしている、構図になった。バイザー向こうのケビンは、これはこれで状況を楽しんでいるようで、同じ高さになったクリストファに向かってオデコを突き付けようとしてきたり。いやはや、強い子だ。
「さて」
気密服のツールソケットに含まれていたワイヤーガンをクリストファは取り出した。強い吸着力を持つ先端部を撃ち出し、持ち主の身体を目的場所へと牽引、運ばせる為に無重力空間で重宝される存在だ。狙いを定め、引き金を引いた。ほぼ予定通り、シェルターの窓に命中。中の何人かが驚く姿を見る事が出来た。もはや周囲を取り巻く環境がそれこそ暴風となっている中、良くもまあ、一発で当てられたものだな。少しぐらいの自賛は許されても良いだろう。
「上手くいけば楽なんだけど」
確証を持っていた訳では無いが、その牽引力は文字通りの、恃みとなる筈。金具がケビンを固定してくれている事もあるから、両手でワイヤーガンを保持する事が出来ており、クリストファは一歩ずつ、シェルターに向かってささやかな牽引を繰り返し、進んでいった。もう、右足は全くと言って良いほど、機能していない事も有り、ほとんど背筋と腕の筋肉だけでの前進だった。もっと、身体を鍛えておけば良かった、そんな事を考えた。
・
・
・
「ダニエラさん、クリスがやってくれてますよ、ケビン無事です!!」
クリストファのそんな行動を誰よりも正確に読んでいたのは他ならないヘンリーであった。
「ああ……本当に、なんて子なの……ありがとう……」
泣き崩れるしか無いダニエラの背中をマキが撫で続ける。
「今日一日でどれだけの大金星稼ぐのやら」
顔中を絆創膏だらけにしたサトルが笑う。ギリギリの時、シャッターの中にロルフを引き込まなければならず、その際に激しく顔面を強打してしまった。
「つうか早く連絡取れないとやべえだろ――ここの大人、何やってんだよ」
使えねえな、取り出した通信端末に八つ当たりをしながらロルフ。シェルター備え付けの非常電話をさっきからずっとノリコが掛け続けているが、一向に繋がらないらしい。
「クリス、すごーい!!」
クラスの女子が、窓の元で一斉に沸き立った。クリストファは、シェルターへと自力で辿り着いたのだ。こちらに向けて、手を振る余裕も見られ、全員が胸を撫で下ろした。
「ああ、もう、無理しちゃって!!」
マキがその顔を両手で覆い、泣いた。
「ったく、どんだけ無双してんだ!」
ジャニスがこちらは、どうにか涙は堪えながら。
「どうしても扉は開けられないか?」
半ベソのヅエンがシェルターの固定端末と格闘しているヘンリーを覗き込んだが。
「駄目なんだよ、危機状況下での解錠信号は、関係者のものが無いと開けられないみたいなんだ!」
ガッ、とヘンリーは床を殴りつけ、呻いた。
・
・
・
そんな遣り取りがシェルター内で行われている中、クリストファは気密服、どうしても覚束無い指先で、ワイヤーガンのワイヤー部をそれでも器用に自らの気密服、その固定金具と、シェルターの外壁装甲の隙間を通し、結わえる事に成功した。『もやい結び』と呼ばれる、最強の結び方だった。
やれる事は、全部やったな、クリストファはここでようやく、腰を落ち着けた。ともに繋がったままのケビンのヘルメットをリズミカルに叩いてやった。幾らか、彼も気が紛れるだろう。窓越しに覗いてくるクラスメイトにピースサインを一つ、行った。正直、それすらも大変な重労働だったが。何かに備えて、堅牢な装甲板を手元に備えておくべきか、等と考えたが、どう考えてもそんな余力は存在しなかった。鉛のように重い身体が、休息を切に望んでいるのが伝わってくる。
実質の半死半生だったから、クリストファは気付かなかったのだ。しかし、そんな彼を誰が責められよう。いよいよ暴風となった格納庫内、飛び交う破片の一つがシェルター外壁に衝突した。それ自体は大した衝撃でも無かったが、当たった部分が悪かった。よりによって、先程クリストファが苦心してワイヤーを結わえた、その装甲板が大きく剥離したのだ。
「あ」
何かを咄嗟に掴もうとしたクリストファであったが、その右手は虚しく、薄くなった格納庫の空気を掴むばかりだった。風に煽られ、ぐいと急加速した装甲板ごと勢い、引っ張られた。
「――これまでか」
急転する視界の中、最後に、絶叫するマキとジャニスの顔が、見えた気がした。
「ごめん」
誰に呟いたものか、自分にも分からなかった。空中に放り投げ出される中、それでもクリストファは腰元の金具をこれは直接、破棄し、激しく回転する身体を、どうにか泳ぐようにして安定させる事には成功した。重りを失った装甲板が自分達よりも先に格納庫、その破断面に吸い込まれていくのを他人事の様に眺めて。ただ、もう出来る事は。ケビンの気密服を、堅く抱き締める事だけだった。
こうして、クリストファとケビン。高校生と乳児の二人は、宇宙空間へ放り出される事となった。
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少しずつ小さくなっていく『アドヴァンス01』を半分、諦めの境地で眺めつつ。クリストファは自分と、ケビンの気密服の酸素残量を確認した。ケビンのは六時間。そして、自分のはなんと二時間だった。まあ、激しく運動もしたし、仕方ないな。また、ケビンと自分では当然、酸素の消費量だって全く違う。何か無いか、と自分の気密服、その小物入れを漁ると、どうも携帯型のビーコンの様なものが一つ、見付かった。無線を発するタイプかどうかは分からなかったが、スイッチを入れたらそれなりの光量で赤く発光しだしたので、ケビンの気密服、背中側に装着した。実に奇跡的、大人しくしてくれているケビンの目に、光を触れさせたくなかったのだ。手持ちの品は、後は気密服に付属していた携帯型発光弾が、自分とケビンのが一発ずつ。以上。
「最後の最後に、ついてないね――」
せめて、『16号高速』の方に流されていたら、頻繁に走っている船舶に発見でもして貰えたかもしれないが、どうやら飛んでいるのは全くの別方向のよう。もっとも、恐らくステーション全体に何らかの深刻なトラブルが発生している筈であったから、あまり生存確率的には変わらなかったかもしれないな。
「…………」
少しだけ考えてから、クリストファは『アドヴァンス01』の方向に向けて、貴重な発光弾を一発、発射した。周囲には船影一つ無く、『アドヴァンス01』からの救助を待つのが現実的、と判断したからだ。早く発見して貰えれば、それだけで。
細い光の筋が漆黒の宇宙空間をささやかに貫き、大きな白色、光が一つ、二つ、三つと連なって輝いた。これは、目立つだろう、目立って欲しい。そんな祈りを加えている中、それでも三分もすれば、全ての信号は光の粒となって真っ暗な宇宙に溶け行ってしまった。
「残弾、イチ――」
はあ、と要らぬ溜息を吐いてしまい、酸素を余分に消費したな、と自嘲してしまった。酷く、喉が渇いている事にも気付いたが、正直、気付きたくなかったのが本音ではある。見れば、真空の宇宙空間と言う事も有り、静かな環境の中でケビンは指を吸い始め、うつらうつらとしている。
「賢明な判断だ、そのまま眠りたまえ」
これも赤子なりの生存本能なのか――苦笑したクリスは、しばし不本意な宇宙遊泳をそれでも堪能した。たった六時間ほど前に、自分はあの星、あの大陸の、あの一角の、あの家、寝室のベッドで目覚めた筈なのに。
碧、輝くエテルナは大変に美しかった。
「タケミカヅチ?」
駄目元で呼び掛けると、制服胸元の端末がぶるっ、と震えた。おお、壊れていなかった。その頑健さに心から感心した。
「音声録音、用意。マイク音量、最大」
胸元に入れられたままの携帯端末が如何に優秀でも、音声を拾いにくい可能性に思い至った事、そして長丁場に備えて、出来るだけ小さな声で吹き込みたかった事も有った。無論、じっとしているのが賢明なのだろうが、さすがにそれは少し、精神が試され過ぎというものである。
「――あー、テステス――こちら、クリストファ・アレン。現在、ケビン……すみません、ラストネームは失念しました、ケビン君と共に漂流中であります。現時刻1258時点で自分の酸素残量は二時間を切っております。一方のケビン君のそれは――ええと、六時間ありますね。確実に彼の方が生存する可能性が高いと思われますので、ええと、何と言うか。これから先は、私個人の遺言になります。ならなかった時は、それはそれで黒歴史って事で、どうにでもなるでしょう。これを皆さんが聴く事が無ければ良いな、と思いますが、さてどうなりますか――」
◆ ◆ ◆
一通り、吹き込み終わった。酸素残量は一時間を切っている。
正直、こんな恥ずかしい遺言は黒歴史として終わらせたいところだが。
しかし一時間は、多分保たない。残量計に不具合があってもおかしくはなかったし、実際に呼吸が荒くなってきているのだ。これは、いよいよだろうか。ケビンの方は、熟睡している事もあるのだろうが、残量計にほとんど変化は見られなかった。せめて、君だけでも助かって欲しい。
思い残す事は無い、と言えば嘘になる。
自分が一体、どの様な存在なのか、結局は分からず仕舞い。
身寄りの無い自分を引き取り、そしてエテルナにまで連れてきてくれた義理の両親には本当に申し訳ないところであったが、どうやら自分は普通の人間、存在では端から無かったのだろうな、と今となっては確信を持って言える。
同年代の少年少女、或いはもっと上、成人のそれを越えた頭脳の回転を含め、各種、判断能力の高さは、やはり異常だったのだ。実体験に乏しい幼児期の記憶と、まるで他人としか思えない記憶の共有を含めて、自分は普通では無い。
さすがに自分が狂っている、とは思いたくなかったから、必然、『誰か』の悪意、意志が自分の身体、人生に介入していたのだ、と結論付ける事になる。
まあ、でも。
狂っていようがいまいが、思い返せば『クラスメイト全滅の危機』から、ここまで巻き返せたんだ。実質、二十数倍の人生を、僕は護る事が出来たし、未来に繋げてやる事も出来た。そう言う意味では、奇蹟と呼んでも良い自らの行動の数々を演出してくれた、『自分の中の気持ち悪さ』、『比類無きサバイバル能力』には感謝してやっても良いか。
まあ、どこの誰かさんか知らないけれど、僕はここで朽ち果てていくだろう。
思い通りなんかになってやるものか、ざまあみろ。糞食らえってもんだ。
そこまで思考を巡らせて、クリストファは自分が静かに落涙している事を知った。メットの中、静かに跳ね飛ぶ水の珠がバイザーに触れ、更なる細かい飛沫となって。
「マキ、もう一回、会いたかったな――君は、いつだって泣きべそで、心配性で、でも、芯は強くって」
死にたくない。
死にたくない。
薄れ行く意識の中、クリストファの右目が何か、一筋の光を捉えた。瞼が痙攣を始めていて、右目だけしか開けなかったのだ。
「あ」
明らかに、『人の造りしもの』、その『光』だ。
暖かい、ひかり――
これが最後で良い。もうちょっとだけ、動いて欲しい。僕の身体――
ほとんど凍り付き始めたような右手を、どうにか、光に向けて
最後の信号弾を発射した。
花火のようで、きれい
あれはいつだったかな みんなで なつまつりで みて
かえりたい
かえりたい
混濁する意識の中、しかしクリストファの右目は捉えた。『光』からの、信号弾が複数、上がるのを。
ケビン
僕の分まで生きて おくれよ そうだった 抱えていた命があった
良かった 最後の最後に
人を 世の中を 呪わないで済んだ
みんな ありがとう
僕は 死ぬんじゃ無くて
僕は 一生懸命に 生きたんだ
忘れないで――
クリストファ・アレンの意識は、ここで完全に遮断された。
『アドヴァンス01』からの救難艇がクリストファとケビンを救出する、五分前の話であった。
◆ ◆ ◆
【EHKスペシャル】
皆さん、こんばんは。
本日は報道特別番組をお送りします。
――『アドヴァンス・ストライク』
エテルナ史上、最悪の航宙事故と呼ばれた悲劇の名前であり、今回、国土交通省によって『重大インシデント』に指定された、事故、事件の両面で捜索が進んでいるこの悲劇は、ほんの一週間前に静止衛星軌道上の宇宙ステーション『アドヴァンス01』で発生したものです。
観測こそされていたものの、その算定基準の甘さから見逃された『流星物質』、尚かつ各種レーダー設備の一部停止を行った上での無許可メンテナンス、ステーション自体の即応人員の不備、と多くの『ヒューマン・エラー』が複合的に重なり合った結果、発生した事故、悲劇でした。
史上最悪の宇宙事故だったとは言え、犠牲者の数が一桁に収まったのは、偏に一人の少年の神懸かった働きにあった事が、程なく明らかとなります。生存者の証言は元より、稼働していた無人カメラの映像が全てを証明していました。
クリストファ・アレン君、16歳の判断、行動が無ければ、犠牲者の数は実に数十名以上に上っていた、とは多くの専門家が等しく認めるところです。クラスメイト及び同乗者のシャトルからシェルターへの避難誘導を完璧に指導し、また致命的危機にあった幼児を自ら救出に向かうという、勇気ある行為。
……もっとも結果的に、そんなアレン君は機転を働かせ続けながらも万策尽き、幼児を抱えながら宇宙空間を漂流する事になってしまいます。救助隊に発見された時には既に意識無く、今も意識不明な状況が続いています。医師団の判断によると、重度の酸素欠乏症が要因である一方で、腰椎にヒビが、またその右足は重度の骨折に至っていた事が判明しました。
実質の脳死状態となっているアレン君の元には連日、その命を救われたクラスメイト達が足繁く見舞いに通っている一方で、医師団は肉親、両親に対して極めて酷な報告をしなくてはなりませんでした。
現代の医療では回復の見込みが存在しない、そんな残酷な報告です。
両親は、クリストファ君の冷凍睡眠を選択、されました。これは、即日、病院に見舞いに訪れた現職、タカハシ大統領の説得があった、とも言われています。当日、タカハシ大統領の言葉です。
『私、エテルナ共和自由国第八代大統領、タカハシ・マサキは今回の痛ましい事故、事件に於いて聡明さ、勇敢さ、基づく八面六臂の偉大なる活躍を果たした少年、クリストファに対して最大限の賛辞を送ります。勇気ある彼の行動が多くの人間、クラスメイトのみならず、同乗者、幼児を完全に救った事、言葉で讃え表現出来る様なものでは到底ありません。残念ながら、彼自身の状況は芳しいものでは有りませんが、私はここに宣言します。我等エテルナは、クリストファの勇気を永劫、忘れない、と。また、二度とこのような事故、事件を引き起こさないと、強く誓います。私は、未来のエテルナが彼を救う事に可能性を託したい、とご両親に『冷凍睡眠』と言う方法、手段を提示させていただきました。ご両親はそれを受け容れられる、との事でした。これは、苦渋の決断であるに決まっています。それでも、それでも私は、私は――ええい――もう――こんなん要らんわああ!!――もう、一個人として言ってしまう。私は、タカハシは、クリストファ少年に死んで貰いたくない!! 可能性は低くても、もう一度、笑って起きてもらいたいんだ!!! そんな少年の有り得るかもしれない朝、もっとこう、素晴らしい日の為に国民の皆さん、どうか理解をお願いしたい!!!』
用意されていたスピーチ原稿を途中で薙ぎ払った挙げ句に一個人、私人として感情も露わに発言する、そんな前代未聞の行動に出てしまったタカハシ大統領でしたが、与野党含め、特に非難する論調は見当たっておりません。
この事件、事故を風化させるわけにはいかない、そんな関係者達の許可を得て、我々エテルナ放送協会は今回、特別番組を製作させていただきました。公開された実映像、及び再現映像を交えながらお送りします。本日のゲスト、航宙専門家のショーン・ミヤジマ氏です、今夜は宜しくお願いします。
――はい、宜しくお願いします。
まず、多くの専門家が今回のクリストファ君の行動、指示に一切の無駄が無かった、完璧だと評価していますが。
――ええ、完璧です。仮に僕がやっていても、クラスメイト全員は助けられなかった。断言しても良い。
具体的にお願いしても良いでしょうか。
――はい、まず、最初にシャトルの『脱出シューター』を手動で発動させた事。これが凄い。良く、やれたものだなあと思います。人工重力が例えば、機能しなくなっていればシェルターへの移動も楽だったのかもしれないけれど、悪い意味で重力システムが頑張っていたんですね、これ。で、彼、実に速やかに、しかも複数の指示を出していますよね。この状況下で複数の指示を行えるのは本当に凄いんです。
クラスメイトのH君を最初にシェルターに向かわせていたようですね。
――とにかく、危険なシャトル本体から離れる事を優先していたんじゃ無いかなと思います。これ、記録残ってるから分かると思いますが、シャトルからの脱出が五分遅れていたらみんな死んでいるんです。
その後、幼児の救出を含めて、気密服を着用しています。これは、多くの評論家も驚いていた部分のようですが。
――凄い判断ですよ。幼児の子の為に気密服胴体部に詰め物をして上げ底まで行っているんだ。しかも多分、この時、彼は既に右足を骨折している。腰椎のヒビもこの時に入っているのかもしれない。同じ事、僕にやれるかな、ってなったら絶対にやれない。彼は、凄い。本当に凄い。涙が出てくる。
結果的に、宇宙空間に吸い出されてしまったクリストファ少年と幼児でした。
――映像が不鮮明で分かり難いんだけど、彼、ギリギリのところでシェルターの剥離した外層からワイヤー切ってるんだと思う。まだしも空気の流れがある段階で、身体の回転を止めているんだよ。実際、身体、足元からほぼ直立体勢で格納庫の破断面を抜けている。自分の身体、ではなくて抱える幼児を守る体勢なんだよね、これ。
宇宙空間での漂流と言う絶望的状況下でも、極めて適切な行動を取っていた事が後に分かりました。発光信号及び、最初の発光弾は各所で観測されていました。
――こう言うとアレなんですが、非難されるのかもしれない、のを覚悟で言う。僕が最初に驚いたのは、酸素が閉ざされる、その極限状況下で、彼が極めて冷静に行動していた、って一点。人間、今際の際になると非合理的、非常識な行動を取るものなんです。自分の酸素供給が絶たれる一方で、彼の目の前にはたっぷりの酸素残量、存在があった訳でしょう???
そ、それは、幼児側の気密服と言う事ですよね?
――他に無いでしょう。実際、赤ちゃんの気密服には余るぐらいの酸素残量があった。彼の知識、知見があったら、例えばその気密服の酸素ボンベを自分のそれに繋ぐ事だって、でね、言ってしまうけれど、奪うことで自分の延命に活用出来たかもしれない。でも、報告によると「その素振り」も「痕跡」も全く無かったらしいじゃないですか。これを、「鋼の意志」と言わずして、何と言えば良いのかな。
ミヤジマさんはどうお考えですか
――彼は、最後の最後まで自分よりも赤ちゃん、幼児を守っていた事に疑いは無いと思う。でも、自分自身もどうにか生き残ろうとしていたんじゃないかな。信号弾を撃った右手は、そのままだったらしい。彼は、その直後に意識を失っているんだ。最後の最後に、救難艇の光を見て、希望を得たんじゃ無いかな。聴いた話だと、表情は穏やかだった、らしいし。
大統領が冷凍睡眠の選択を提示した事に関してはどうお考えですか
――また答えるの、難しいなあ。まあ、そりゃ大統領だって途中で言葉を飾った演説原稿なんぞ読んでられなくなるだろうよ。でも、それだけに心の篭もった、暖かいエールだったとも言えるんじゃ無いのかな。初代、大フローラだって相当に感情に魂を縒ろう人だったみたいだしね、あれぐらいでいいよ、こう言う時はと思う。人の科学、医学に不可能は無いと思うから、僕としては彼を今のまま眠らせて、未来の世代にその肉体を委ねる事には賛成する。それが彼の望むところかどうかは、分からない。けれど、死んで欲しくないよ。みんな、そうでしょ?
◆ ◆ ◆
2353年5月5日。
この日、事故後、身動き一つしないままクリストファは冬眠カプセルへと入れられる事になった。
ロルフの号泣を起爆剤として、クラスの全員で泣いた。ごめんなさい、と繰り返し謝るアルマーダ夫妻を、アレン夫妻が慰める光景を私は一生忘れないだろう。担任教師のノリコ先生もまた、カプセルに縋り付いて泣いている。もう、本当に、あらゆるものが痛ましすぎて、しんどい。私はもう、何か麻痺してしまっているのか、逆に平静でいられている。今は、どちらかというと穏やかにクリストファを眠らせて上げたい気持ちが強い。まあ、流れる涙はとうに涸れ果てた、と言うのが正解だったのだけれど。
事故後、自宅の階段で転倒して右足を骨折したジャニスは、今は私の介添えを受け、松葉杖を突いている。やはり、その顔はどこか穏やかなそれだった。理由は、自分のそれと同じだと思う。
医師団としても、大変な現場だったと思う。看護士の人達のみならず、やはり泣いているお医者さんが散見された。
カプセルの中のクリスは、本当に、今にも、本当に今にも動き出しそうで。
「起きるタイミング逃しちゃったじゃん」
と、それこそ苦笑いしながら、起き上がってきそうな。
医師の指導で、その場の全員、名前とメッセージを記した造花を一本ずつ、カプセルに入れた。
「最後のお別れ、にはなりません――我々、医師団もその回復を模索、全力を注ぎます」
声がつまり掛けていたが、それでもリーダーのお医者さんは泣いていなかった。物凄い精神力だと思う。
そうして、クリストファは『氷室』に入っていった。
それはそれは、全く呆気の無い、静かな入場でした。
◆ ◆ ◆
雨が降っているようです
一粒、二粒と零れ落ちていくささやかな水滴
そのリズムに合わせて、ピアノを弾きました
涙雨、と言う言葉があるらしい。上手く言ったものだと思います
譜面はありません
ただただ、揺れ落ちる水玉のリズム、涙のリズムに合わせて付き合いの長いピアノ、その鍵盤を撫で続けました
でもね、泣くのはこれっきり
私は、もう泣かない
……そうね。私にとって、これが生まれて初めての『作曲』と呼べる行為だったのかもしれません
私は、マキーナ・ローゼンベルクは、もう泣きません。
大好きな、言ってしまえば愛しているクリストファと、もう一度、会わなければならない。
笑顔で、おかえりなさい、ありがとう、と言って上げたいから。
私は、もう泣きません。
『光芒のライト=ブリンガ』 Chapter:01『クリストファ・アレン』 FIN