Chapter:01-04
Chapter:01-04
一週間後。
「ひょえー、相変わらずスッゲーなあ」
「私、乗るの初めてー」
「写真撮ろうぜ、写真」
宇宙ステーション『アドヴァンス01』へと続く人工、天空の塔こと軌道エレベータ『セレスティア』。その地上基部にクリストファを始めとしたマッケイ高等学校二年三組は全員集合、を果たしていた。4トンクラスのコンテナが次々、上り下りするそんな壮観な光景を目の当たりとし、男子のみならず、女子陣も興奮の色を隠せないでいる。いわゆる大昔のSF小説等で演出されていた直立、雄々しく聳え立つ『軌道エレベータ』とは異なり、惑星自転に沿って緩やかな曲線を描いている事もあったから、どちらかと言うと大掛かりな『ロープウェイ』、に近い印象を与える存在だったかもしれない。
「はいはい、ちゅうもーーーーーく!!」
それこそ、そのまま衛星軌道に上れそうな浮ついた足取りの学生達を前に、担任ノリコが大きく手を叩いた。良く調教、もとい訓練された二年三組、総勢二十二名がザザザッ、と背筋を伸ばし、踵を揃えて一斉に整列を行った。
「えっ」
担任ノリコが引いたのも無理は無い。いや、なんだこの軍隊。待って、勘弁してくれ、教育委員会から何か言われるのは私なんですが。一方では、それぞれの先頭に立つ級長ジャニスと副級長クリストファが「計画通り」という澄ましながらのニヤケ顔を浮かべていて、これまたなんかこう腹が立つ。私に対してまで仕込むようになったか、虫も殺さない顔をして策士のクリス、恐ろしい子ッ!
なお、この二年三組はマッケイに20程も存在する二年生次クラスの中で、もっとも学業成績の平均値が高く、また集団行動を始めとした相互フォローが優れている事で学校側からも模範学級として認知されている存在だった。担任ノリコはさて置いて(置くなオイ!!@ノリコ)、級長ジャニスと副級長クリストファによる見えない努力がそこに介在していた事は言うまでも無い。不良畑に足を突っ込み掛け、学業成績も最低レベルだったロルフなどにしても今では平均点以上をマークしているが、これは例えばある日、学校の全課程が修了した後のクリストファによる居残り会、通称『再教育プログラム』に参加するようになってから、の事だった。
当初は学業成績が最優秀だったクリストファによる男女を問わない数人に対しての軽めの学習指導、復習予習のノウハウ諸々を放課後に直伝していただけのささやかな集いだったのだが、次第にクラスメイトのほとんどが放課後、居残るようになり――余談だが、この頃から担任教師ノリコは一種、疎外感的なものを覚え始めていた――結果、半ばの強制的にロルフ・ツェプトーも巻き込まれる事になったのだった。
当初は授業内容の「どこが分からないか分からない」と鼻持ちならない態度で、つまらなさそうに宣ったロルフであり、駄目だこりゃと匙を投げ掛けた周囲の中で、ただクリストファだけがロルフの成績の詳細に注目した。地味に数学分野の点数が稼げている事に注目したクリストファは、ロルフが馬鹿なのではなく、「勉強の仕方を知らない」可能性に思い至り、まずはそこの啓蒙から始めた。凄い理系の特性があるよ、とまずはそこを強調し、分かり易いロルフが調子に乗ったところで数学、科学、物理、等から、そして順次、他の科目のテコ入れ嵩上げを行っていくという戦略だった。
終わってみれば、数ヶ月も経たない内にロルフの学力は学年平均のそれを凌駕し、また数学科学に至ってはクラスでトップに近い数字すら稼ぐようになっていったのだった。教師のみならず、接し方に困っていた両親からも褒められる様になったロルフは、こうしてクリストファに心酔する事となったのである。周りの女子に言わせると、実に「チョロい」、元不良男子でロルフはあったのだった。そりゃあ、クリストファにアヒアヒと攻められるものであっただろうよ、腐女子的に。
はあ、と溜息を一つ吐いて、ノリコ・マキシスは気を取り直した。
「本日、我が二年三組は、アレン夫妻、また『エテルナ鋼管』さんの、ご厚意の元、社会科見学を行える運びとなりましたー」
メム・イエス・メェエエム! 休め、の体勢で強く唱和したアホな男子達。その周囲を通り過ぎる社会人の先輩方が、いいわね、楽しそうだねと、くすくす笑いを立てている中、ノリコちゃんが地味にピクピクしてるわよ――女子達が姿勢は乱さず、ヒソヒソと交わし合った。
「お前等そういう所で安定感グンバツだからなんかもう私から言う事とか無いけれど、面倒を、迷惑を、お掛けしないようにね、とテンプレ的に伝えておくことにします。あと、これから軌道エレベータで上がる事になるけれど、気分の悪くなった人は直ぐに申し出る事、いいわねっ!!」
メム・イエス・メム!! 今度はなんと、女子も唱和に倣った。一種異様な空気に、周囲の社会人先輩方がいよいよ、足を止めて二年三組に注目し始めた。あの担任、良く調教してやがるぜ、等と笑い声が漏れ聞こえてしまったり。
「――ったく、もうっ!」
ノリコの顔が地味に赤く染まっていったが、ここでチャイム音が基部ステーション全域に鳴り響いた。
『搭乗番号21-8745、マッケイ高等学校二年三組の皆様は、搭乗手続きを行いますのでA-58カウンターへとお越し下さい――繰り返します――』
「……行くよっ、走らず、着いて来いっ!」
もうヤケになったノリコにやはり全員での大唱和で続き、二年三組はノシノシと歩くノリコの後ろを男女、二列縦隊で足並みを揃えて歩き続いた。一般人から、「がんばれ二年三組!」と声援を受け、全員でビシリと敬礼、大爆笑の渦を引き連れて、彼等は搭乗カウンターへと向かっていった。
「後でSNSチェックしようぜ」
「俺達チョー目立ちまくり」
「社会人である先輩方に一服の清涼剤を、イエス!!」
『もうやだ、このクラスの担任――』
ちら、とそれでも律儀に全員が着いてきている事を確認しながらノリコは思ったりもしたが、実の所、これはジェラシー、嫉妬半分でもあった。自分が彼等と同い年であったら楽しかっただろうなあ、そんな、教師としては色々と、あってはならない感覚というか。まあ、もうこいつ等が卒業する時とか、多分私はみっともなく泣き崩れるんだろうなあ、って想像するだけで目頭がじわと熱くなってくるところがもう本当にどうしようもない。
「ノリコちゃん満更でもなさそうじゃん」
女子列、先頭のジャニスが男子先頭のクリストファに小さく呟いた。
「いや、あれは多分、仲間に入りたいんだけど入れない、寂しいな、的な感じかと思われる」
あくまでも平然と答えたクリストファだったが。
「ご両親の準備は大丈夫?」
ジャニスの後ろ、マキがやはりクリストファ他にだけ通る声色で。
「バッチリだぜ」
ヌフッ、とクリストファは小さく笑うのだった。
その背後でロルフとサトル、他男子が「クリスもそうだけどよ、このクラスって良いよなあ」等とやはり小声で交わし合っていた。「おめえが良いってんだから相当なんだよ」という指摘、突っ込みが列の後方からあったが、正にその通りだなと思うぐらいにロルフも大人になってはいた。学校生活がこんなに楽しいだなんて、思ってもいなかったのだから。
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正に軍隊よろしく、整然と並び立った高校生を相手にアテンダント役、『セレスティア』所属の公務員お姉さんが露骨に引いているのは誰の目にも明らかだった。
「あ、あのお、ほほ本日、うう宇宙ステーション『アドヴァンス01』まで同行するアンナ・マーベリックです――二年三組の皆さん、よよ宜しくお願いしまあす」
ここでクリストファが両手を勢い、パァンと叩いた。
「よろしくお願いしまあす!!」
「アンナさん、彼氏おるん?」
「ウホッ、良いアテンダント!!」
「軍隊歩きって地味に疲れるのねえ」
「化粧水忘れちゃったあ、誰か後で貸してー」
「いいよぉー」
「なんでどうしてこういう時のアテンダントは女なんだぜ!」
現役高校生達が、正に通常営業のそれに戻るのは一瞬だった。もはや、対応する事を諦めたノリコが、もうどうにでもなーれーみたいな向きになってしまっており、展開に着いていけずに戸惑い、足元を縺れさせたアンナさんをクリストファが自然に支えた。どう控え目に見ても自分達とさほど年齢の変わらない新人公務員さんには酷な状況だった。同情したと言っても良い。
「ちょっとしたジョークみたいなことやってまして――すみません。こんな感じですが二年三組、お願いします」
男子一同からは、主犯が何を言っていやがる、と笑いと野次が上がったりしたが。
「あ――はあ、あの、どうもありがとう。クリストファ君?」
手元の端末を一瞥したアンナさんが見上げて来た。
「はい、副級長です、よろしくです」
またクリスがフラグ立ててんぞぉおおと、からかい煽る野郎共に対してバーカ、と返しておきながら、しかしアンナさんがなかなか俺の腕から離れないのはどういう事なんだぜ?
「アンナさん、仕事してください」
笑いながらもどこか真顔のジャニスとマキが引っ張ってくれていった事は普通に助かった。軍隊縛り、ルールから外れて自由になったロルフやサトル、他クラスメイトが冷やかしてはくるが、それも予定調和だ。ともあれ、我を取り戻したアンナさんは通常の解説を始めた。
「ぉえっ――ごほん。ええとぉ――基本的に緩やかな上昇ですが、高度100キロメートルぐらいから、身体に不調を訴えられる方が極、希にいらっしゃいます――宇宙ステーション『アドヴァンス01』は高度400キロメートルぐらいの所に位置しているので、基本的に我慢してもらうしかありませえん」
そりゃ途中で降りるわけにはいかんぞなもし、大きな声を出したのはテリー・ロイスで、これには周囲が大爆笑。何時の時代の話し言葉だ、それは、と。
「ぬひっ――ええ、その通りです――ただ、皆さんの――『二年三組』の皆さんの健康状態だったらまず、問題は無いはずでぇす。予定では一時間と少し、の上昇時間の予定です。なお、カプセル内での飲食は禁止、皆様には、しばらくは外部モニターでの景色の映り変わりを楽しんで戴ければと思いますぅ」
露骨にクリストファに未練を残して見えるアンナさん(男子と一部の女子主観)が搭乗ゲートの解除ボタンを押し込んだ。
ずずっ、と大型のカプセルブロックがプラットホームに入線してきた。表示板が『貸切:修学旅行』になっているのは、その場の生徒全員が直ぐに気付くところであって。
「しゅ、修学旅行って!!」
「これ修学旅行だったん!!」
「な、なんだってーーーーーっ!?!?」
「引くわ」
「まさか、三年次に用意されている修学旅行の前倒しなのかしら、これ」
「いやあああああああ」
使い物にならないノリコよりも、公務員アンナの反応が早かった。他ならない、『コレジャナイ感』は彼女も感じていたのだろう。
「他に適切な表記が無かったんだから許してくださいよおおおおお!!!」
なんかごめん、と全員で謝りながら、とにかくカプセルへと乗り込んだ二年三組のお歴々であった。生徒の中には体験者も居るようだが、その比率は1:3と言った所か。尚、クリストファにとっても初めての軌道エレベータ体験ではあった。厳密に言えば冷凍睡眠を維持した状態でエテルナ地上に降りる事は降りているので初体験とは言い難かったかもしれないが、何しろ目覚めたのは地上に隔離された国立病院の一室、であった事だし、当然何も覚えなんてあるはずも無かった。また、快適な目覚め、とは程遠かった現実まであったのだけれど。
「へえ……」
座席が可動式なのを確認して、なるほど上昇角度に伴う傾斜変化に対応する為か、と納得しつつ。
「はい、各自指定席に付けー」
自我を取り戻したノリコが担任らしい仕事を再開した。五人掛けの椅子が対面式で、六つ。標準的、三十人乗りの人員輸送カプセルだった。興奮を隠さない生徒達は、速やかに指定された座席に着き、三重のシートベルトを装着した。アンナさんとノリコ先生がそれぞれのベルト固定を念入りに確認して。
「慣性制御を開始しますね――制御、確認。はい、ではこれより、当カプセルは『セレスティア』のメインケーブルに接続します。側面、少しだけ掛かる震動に注意してくださいねー。『ひかり58号』、メインシャフトへの接続開始しまーす!!」
カプセル内の全員が無意識の内に息を呑んだタイミングで、ガッと左面に強い負荷が掛かった。同時に、正に『恐ろしく堅固な糸』で無理矢理、高みに引っ張られているような感覚。ごん、ごん、と微振動を伴う重低音がカプセルの内部を静かに満たして行った。
「現在、既に高度500メートル。外部映像、出しますねえ」
乗客とは異なり、簡易ベルトを装着しただけのアンナさんが端末を操作。壁面に設置されている複数の大型ディスプレイが外部の映像を映し出した。右片隅に表示されている高度計が、既に1000メートルを超えている事に気付いたクリストファは、興奮を禁じ得なかった。本当にこれ、凄いな。
「体感的にも早く感じるね!」
隣のアダムも初体験のようで、興奮の色を隠していない。
「ちょっと前まで、無理矢理ロケットでフヌオオオオって飛んでたんだもんな。それに比べたらすっげえ効率的だよな」
二列目、故にクリストファからは見えなかったロルフのその言葉に、カプセルの全員が笑った。
「ロルフからそんな言葉が出るなんてねえ」
対面に座っていたサラが実は誰もが思っていた、そんな事を口にしたようだ。なんとなく、クラスの空気的にロルフを憎からず想っているのでは無いか、と噂されている彼女だったが。
「ちっ、俺だって勉強したんだよ」
高さの実感がいよいよ麻痺して来る高度2000メートル。もう、眼下の光景はどこか、町のミニチュアにしか見えない。
「学校があるのはあの辺かなあ」
「こうして見ると海だらけなの分かるな、エテルナって」
興奮して外部映像に見入っている者も要れば、早くも飽きてしまったのが携帯端末を弄り始める者、束の間の睡眠の摂取に勤しむ者、様々であった。この段階ではまだ、カプセルの防護シャッターは開かれないので、身も蓋も無い言い方をするとほとんど密室、のようなものなのだった。
「どうだ、クリストファ、エテルナは」
手持ち無沙汰になったのか、真向かいのノリコがそう尋ねて来た。隣のアンナさんが、?な顔をしていた事もあったから、
「まだこっち来て一年でしか無いけれど、あらゆるものが洗練、先鋭化されていて素敵だと思います。これは、世辞では無くて本当にね。社会全体も雰囲気、明るいですし」
ああ、太陽系生まれなのね、と口程にモノを言う顔のアンナさん。やはり、太陽系出身の十代なんて、珍しいのだ。
「そうか。君が良いな、と感じたそんな社会が続いていくと良いな。それは続いていく君の、君達の仕事でもあるがな」
ええ、と揃って頷いたクリストファとジャニス、マキであった。
「久し振りに担任教師らしい事を言ったんじゃね、ノリコセンセー」
余計な事をジャニスは言ったが、みっちりとシートベルトに固められていては、その場で呻吟するしかないノリコなのだった。
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「はい、ベルトを外しても大丈夫です。肉眼で外の映像も観られるようになりますー」
搭乗より20分ぐらいが経過、備え付けの高度計が100キロメートルを示したタイミングでアンナさんが立ち上がった。強制されていたベルトが解除され、防護シャッターが開かれたばかりの窓際にほとんど全員が一斉に向かった。
「すっげ」
漆黒の宇宙空間の中、碧の星がしっかりと足元で自己主張を果たしている、そんな映像が広がっていた。真綿のような積乱雲が、それこそ手が届きそうな、リアルさで存在していた。
「ほとんど空気無いからね、綺麗に見えるんだ」
淡々とした、しかしその実、熱の篭もったクリストファの言葉だった。
「そうですねえ、きちんと定義付けはされていませんが、実質、今はもう宇宙空間ですねえ」
アンナさんの補足に、そっか、宇宙かあ、と誰もが何と無しに頷いてしまう。
「あれ、イザヨイかな???」
窓際、ギリギリの天体をジャニスが指差した。
「はい、御存知、エテルナの第一衛星イザヨイです。今、第二衛星リリスはちょうど、エテルナ本星の陰に入っていますから、残念ながら見えませえん」
さすが本職、手慣れた解説のアンナさんである。
「えっとですねえ、もう少ししたら見えると思います――あ、見えましたね。イザヨイ方面、幾つか光が反射しているのが見えるかと思いますが、あれがいわゆる『16号高速』になりますねえ」
おおおっ、と特に男子達から歓声が上がった。男子たる者、一度は自前の宇宙船で『16号』を往復したい、誰もがそう憧れ、夢見る高速航路だ。
「はいー、男の子達の気持ちは分かりまあす。粒子加速器を応用した原理により、対応した宇宙船舶に対する等加速度及び減速度の干渉付与を可能とする、世紀の大発明になりますねー。この実用化によって、推進剤他の消費も最低限で済むようになりましたし、また宇宙のトラック野郎共はそれこそ本当にスマホ片手に昼寝しながらでもイザヨイ月面に向かえるようになりましたー。またいわゆる個人所有の宇宙船での往還に於いても非常にハードルが下がった結果、いわゆる一つのデートコースになっちゃいましたねえ!」
ここでアンナさんは、ちらとノリコに目を向けた。好きにしてください、そんなノリコのジェスチャーを受けて、アンナさんはマイクを握り直すのだった。
「丸一日、二人っきりですからね!! 愛も育まれるってものです!! 具体的な表現は差し支えますがあ!!」
オオオオオオオ、と盛り上がる男子と、どこか白けを装いながらも、でもそれも悪くないよね的な女子陣。
トラック乗り、と言うよりも宇宙船員に憧れを持っている事を公言して止まないロルフが、クリストファの肩を勢い、引き寄せた。
「クリスも、憧れるよな! なっ!! 好みの女、隣りに乗っけてヒャッハー!!!」
しかし、あくまでも副級長は冷静だった。
「ロルフ――」
ロルフ本人だけで無く、なんとなく凄みを含み始めたクリストファの口調に、カプセルの全員が何と無しに注目した。
「そう言う外的環境、状況に頼らないでさあ――」
「好きな女ぐらい、自力で口説けええええええええ!!!!」
その背後に雷鳴轟く程の力強さ、発言であった。派手なベタフラッシュが広くも無いカプセル内を荒らしまくった。
「くっ――やっべ、クリスお前、ホントかっけえ――」
ロルフがガタッと膝を突き、等しく『16号高速』に幻想を抱いていた男子達と一部女子がオオウ……と天を仰いだ。
「クリス、貴男がナンバーワンよ……」
律儀にサラ・インメルマンが続く。
そんなクラス全滅の中、それでも起ち上がった勇者がいた。櫻井サトルである。
「ク、クリス――ええと、例えば一生懸命、本当にやった結果の『16号高速』ヒャッハーだったらどうなの!? ほら、なんつうかその女の為に、精一杯の――男の努力、なけなしの結果、証明と言うかさあ!!」
おおおおー、周囲の感嘆の声を受けたサトルは、少しだけ嬉しそうだったが。クリストファは、あくまでも肘を組んだまま。有りもしない眼鏡のブリッジを上げるのが、その場の全員に見えた。
「それはそれ!!!! これはこれ!!!!」
わああああああ、名台詞キター!!! とカプセル内が沸騰した。全員がクリストファに群がり、無言でクリストファが、ん、ん、と一人一人と堅い握手を交わした。
「……なんですか、これ――と言うかクリス君マジかっけえすね。メアド聞きたい」
アンナさんがいよいよ、本音を露わにしつつノリコに語り掛けたが、ノリコもなんかもう、色々と一杯だったりした。
「……いつもこんな感じなので、気にしたら負けです。あと、教え子に手を出したら本当に殺す」
ノリコの殺人予告に、わあ、おっかない、笑ったアンナさんだったが、返す言葉でセンセーって立場も大変なんですねぇ、と含み笑い気味に煽られた事には、ノリコは地味にガビビーンとショックを受けたりしていた。
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「ようこそ、宇宙ステーション『アドヴァンス01』へ。当ステーションは皆様を歓迎します」
そんな機械音声に迎えられ、二年三組はいよいよ静止衛星軌道上、『アドヴァンス01』に到着した。ほんの一時間弱であったが、空間行程を共にしたアンナさんに全員で別れを告げた。何人かの女子は、プライベートSNSメールの交換を行っていたようだが、さすがに男子はなんかこう、ノリコの目もあって、自重する空気になっていた。いつも、世の中は面倒くさい。公務員、としての公式SNSアドレスは共有出来ているので、基本的には問題は無い筈だったが。
「それにしても凄いな」
誰とも無い呟きだったが。実際、凄い。気密服を着用した人間が闊歩している光景は地上にあってはなかなか見られるものではないし、雑多な制服が溢れているのも、同じ。老人もいれば幼児もいるし、真なる意味ではエテルナ本星よりも、ここがアポロン星系の中心なのでは、と感じさせる光景が一面に広がっていたのだ。
「そりゃ、宇宙開発の最前線みたいなものだからね」
マキがささやかな胸を大きく張った。
「マキの父さんはここで働いているんだっけ」
「そだよ、第一管制室。多分、今もこっちをどこからか見ているんじゃないかなー」
天井付近を見上げたマキが当て推量で手を振ってみたが、当然反応があるわけも無く。ま、仕事中だろうしね、と。
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「やっほー、クリストファ」
一団、二年三組でまとまってゲートを潜り、ロビーに出たところでそんな聞き親しんだ声が飛んできた。アルフレッド・アレン、バーバラ・アレン、夫妻の姿がそこにあった。
今回は社会科見学に便宜を図っていただき、ありがとうございます――真っ先に礼を言ったノリコの背後で、二年三組は全員で、ありがとうございまーす、と続いた。実際、半ば「国営」でもある工業コロニー、『播磨』への高等学生の見学は、有史以来初めての試みではあったのだそうな。エテルナ政府、教育省の許可推薦を受けたマッケイ高等学校、更にその中でも優れたクラスと言う部分が大きかったのだよ、と上司である教頭に地味に脅されていた担任ノリコだったりする。無論、アレン夫妻が多かれ少なかれ尽力してくれた事が一番、大きかったとは思うが。
「おい、クリス」
アルフレッドに呼ばれた息子、クリストファが無言で父親の元に向かう中で、担任ノリコは改めて、二年三組の面々、その顔色を確認した。気分を悪くしていそうな者は無し、結構結構。しかし、なんでみんな、笑いというか何かを堪えた表情をしているのだろうか。また、何か仕込まれているのだろうか。さすがに、これ以上おちょくられたら教師として膺懲の叱責を飛ばさないとならないところだが、威厳的に考えて。
「ノリコ先生」
突然、背後からクリストファに呼ばれ、慌てて振り向いたノリコの眼前に。
「花束をどうぞ――お誕生日、おめでとうございます」
造花ではあったが、溢れんばかりの花束を掲げたクリストファがそこに立っていた。同時に、今や背後に回った二年三組が全員で『ハッピー・バースデー』の合唱を始めた。周囲の一般人達が立ち止まり、ある者は小声で合唱に参加し始めたりもしている。
「え、ちょ、ちょっと――」
想定外の出来事があると、人間こうも動けなくなる、その生きた見本と化したノリコは硬直したまま、その合唱の終了を待つ事しか果たせなかった。そりゃ、確かに28回目の誕生日だったけど――自分でも見て観ぬ振りしてきた……。
「先生、いつもありがとうございます」
クリストファに半ば押し付けられた花束。その花束はどうした、と聞く前に、我が事の様に嬉しそうなアレン夫妻の表情が視線に飛び込んできた。そうか、親ぐるみで仕込んでくれたのか――緩み掛ける涙腺を引き締めるためにぐい、と顔を上げたノリコだったが、生徒達の波状攻撃はこれに留まらなかった。
「先生、みんなで色紙を書きました」
級長、ジャニスが寄せ書きの色紙を差し出してくるに当たって、涙腺は崩壊してしまった。
ああ、本当に、ありがとう。
先生をやっていて良かった、ノリコ・マキシスは泣き崩れた。
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「えぐっ――これから、コロニー『播磨』に向かうから――えぐっ、各自、シャトルへの搭乗を時間通りにね、と言うか早めにね、それまで自由行動」
なんか化粧も崩れて酷い有様のノリコだったが、その辺のフォローは女子組に任せる事として、クリストファは副級長としての役割を実行した。
「男子は早めに搭乗!! トイレ他、ここで済ませておこうぜ。俺も小便したい」
おう、と続く男子の面々の、その察しの良さに感謝するクリストファではあった。そりゃノリコちゃんに化粧直しの時間ぐらい与えないとアカンし、こういう時の野郎共はただただ邪魔なだけだもんな――言葉にわざわざ起こさなくても、こういった部分で共有が果たせるのは純粋に気持ちが良かった。結果的に男子十一人全員で連れションと相成ったが、それはそれで。
「クリス、こうして見ると、しっかりリーダーやってんだなあ……」
男子トイレにそぞろ向かった一行を見て、アルフレッドがそんな呟きを妻に漏らした。エテルナ到達より、様々な問題を抱えてきた息子であり、その初年からいきなり、男子のリーダー役、副級長になった、と聞かされた時は大丈夫なのか、と要らぬ心配もしていたものだったが。
「出来過ぎた息子よね」
バーバラが複雑な表情を浮かべながら答えた。息子の成長は慶事では間違いなくあるけれど、どこか寂しくもある、そんな感覚を否定できないのだ。そもそも、この一年間で大人になりすぎた、そんな感覚すら。もう少し、子供で居てくれてもいいのにな、それが母親の身勝手なエゴである事も分かっているけれどね。赤子の時から育て上げてきていれば、また別の感覚もあったのかもしれないが。
「僕等がここにいると色々やりにくいかもしれんな。ギリギリまでカフェで時間を潰そうか」
「そうしましょう」
アレン夫妻は、ここで宇宙ステーション『アドヴァンス01』のカフェテリアへと向かったのだが。
この時の選択、判断を、夫妻は一生悔やむ事になる。