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光芒のライト=ブリンガ  作者: Yuki=Mitsuhashi
Chapter:01
5/31

Chapter:01-02

 Chapter:01-02



『先生っっ!! 大変です、クリストファが!!!!!!!』

 電話口から飛び込んできた教え子の声は、ほとんど絶叫だった。とにかく落ち着け、と言い付けておいて、担任教師ノリコ・マキシスは素早く携帯端末のGPS機能を展開。該当の生徒の座標を確認、即座に駆け出した。


   ・

   ・

   ・


 人集ひとだかりもあったので、GPSは必要無かったかもしれない。そもそも校外学習で引率に当たっていた訳であって――それでも何故、よりによって校外で!

「どいてください、担任教師です!」

 人垣をほとんど泳ぎ掻き分けながら、輪の中心にどうにか辿り着いた。自分に連絡してきた教え子、滂沱ぼうだとして涙を流しているジャニス・アスプルンドの腕の中で力無く、クリストファ・アレンが横たわっている映像を目の当たりとした瞬間、頭の中が真っ白になった。

「医者は!」

「マキが呼びに行ってくれました……クリス、息はしているんですが……」

 鼻声でほとんど聞き取れなかったが、それでも健気にジャニスは報告を続けてくれた。立派な子だ。

「……なんかあ、今思えばバス降りた辺りからなんか顔色、悪いなと思ってて……で、自由時間に『ここ』来て、しばらく観察していて……でも突然『うわああああああ』って叫んだ、と思ったらビックリするぐらいそのまんま倒れちゃって……」

 クリストファの脈を取りながら、改めて今の場所を確認する――までもなかった。エテルナ、最初の移民船『アドヴァンス』の記念すべき着陸地点近縁に設けられた『シュヴァリエ国立公園』、その一角、もっとも最初に開墾かいこんされた農場の一部はそのまま今なお、記念として残されている『ブリッジス農場』だ。誇りあるエテルナ国民として間違える道理は無いし、確認する必要なんてもっと無かった。

「写真とか撮ってんじゃねーぞオイコラ、そーゆー趣味、いっ歳して恥ずかしくねぇすか? あ!?」

 クラスの男子達の中から野次馬の群れに対し、露骨に凄み始める面々が確認できた。面倒見が良く、誰とでも壁無く接する副級長クリストファは同性からの人望も本当にあつい。


 ――まずいな、そんな頃合いに、やはり半ベソのマキーナ・ローゼンベルクがクラスメイトと共に初老に域の掛かる医者の袖を引っ張りながら現れた。相当なランニングを強いられたのか、医者本人が今にも倒れそうな状態だったが。


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   ・

   ・


「命に別状はありゃせんですが、一応念のために病院に運ばせておきましょうかの――特殊な事情のある子みたいですし」

 既に手配済みだったのか、救急車の到着まで五分と待たなかった。付き添う、と主張して止まないジャニスとマキを、これは厳しく叱り付けておかなくてはならなかった。専用バスでとにかくクラスごと、学校へと戻る事を『級長』ジャニスに厳しく言い渡し、携帯端末を手に取った。学校は元より、保護者に連絡を一刻も早く入れねばならなかった。


   ・

   ・

   ・


「私の配慮不足があったのかもしれません、申し訳ないです」

「いや、先生の所為せいでは断じてないでしょう。謝罪は不要です。こちらこそお手数お掛けしまして」

 その職場から病室に直接駆け付けたクリストファ・アレンは母、バーバラ・アレンはある意味で、担任教師ノリコの謝罪を全く受け容れなかった。

「ここ一ヶ月は発作も起こらなくて大丈夫かと思っていたのですが……」

 血色も戻り、それこそ『すやすや』と寝息を立てているクリストファの額にゆっくりと、愛しげに手を置きながらバーバラは言う。

「私も詳細は知らないのですが、一緒にいた生徒によれば突然に倒れたと、言う話で――」

 伝聞でしか伝えられず申し訳ありません、続けようとした言葉は遮られた。無論、他ならない母、バーバラによって。

「倒れたのがよりによって『ブリッジス農場』だなんて、何か縁でもあったのかな――」

 正直、『遮られ方』が想定外も想定外で、ノリコはしばし硬直してしまった。瞬時に、その意味、真意が分からなかった事もある。

「あ、え、ええ――」

「私も夫も、ビックリしたんですよ、息子と同名の偉人が、このエテルナにいた事に。まあ、太陽系、特に私達の住んでいた所では俗な名前なんですけどねえ、クリストファ、ってのは」

 あくまでも軽く笑いながら、バーバラ。

「あ、そうか……どうしても私達はクリス・シュヴァリエ、と認識しているもので、言われるまで気付きませんでした」

 そのフルネームは、クリストファ・シュヴァリエ・ブリッジス。当然、ノリコを始めとしたエテルナ生まれは子供の頃から聞かされている偉人の名前だった。エテルナの母ことフローラの夫であり、開拓時代に妻となるフローラを文字通り公私共に支え続けた男であり、フローラがエテルナ大地開拓の母、としたらクリストファはエテルナ宇宙開拓の父と呼ばれている存在でもあった。どうしても妻の存在感が大きかった事も有ったから、実際にエテルナではクリス・シュヴァリエと、良い意味の愛称で呼ばれていて久しい。

「なるほど、また一つ勉強になりました……」

 律儀に頷きながら、バーバラは口にしたが、ノリコとしては図らずも、太陽系より到達二年も経っていない夫人に不適切な発言をしてしまったか、と思ったりもしたのだが、これは無論考えすぎだった。


「先生、本当にありがとうございました。もう、クリストファは大丈夫です」

 担当医師が看護士を連れて入室してきた事も有り、ノリコは深々と一礼をして病室を後にするのだった。





   ◆ ◆ ◆



 誰もいない森林公園で芝生に寝転がって、ただただ流れていく雲を見上げていた。病院着の上に羽織っているのが学校支給の安ジャージ一枚では、少し肌寒くなってきたかもしれない。何らかの書籍を読み進めるつもりで持ってきていた読書用の携帯端末は、結局ただの一度も電源を入れられる事も無く、その足元へと転がされていた。ただただ青緑、気取った言い方をすれば碧色へきいろの空、流れ飛ぶ雲を眺めているだけでも充分な暇潰しとなる事に気付いた事もある。

 病室を抜け出し、無人の公園、その原っぱで寝転がる行為が抵抗と呼ぶには余りにもささやかな、逃避でしかない事を実は誰よりもクリストファ自身が認識していた。もっとも、優等生たる所以ゆえんか、病室のベッドにはきちんと森林公園に向かいます、そんなメモを貼り付けてきてはいたし、通信携帯端末だって持参している。罪も無い看護士さん達を慌てさせる、手間を掛けさせるのは、これは理屈が合わない。今一度、通信環境及び位置情報、GPS機能に問題が無い事を確認した。まあ、ぶっちゃけこの公園に数多設置されている防犯カメラ他に自分個人はみっちり監視はされているんだろうけれど。


 クリストファは改めて空を見上げた。キィイイ、と高音を立てて昇っていく航空機が引き摺る飛行機雲が碧色の空に映えて、大変に美しかった。方向からすると第二の都市『ネェル・ヨコハマ』への定期便だろう。

「綺麗なものだな」

 クリストファが目を凝らした、更にその遠目には地表から天空、その高みへと伸びる人工建築物が確認された。この星、エテルナの自転に沿って軽く「しなり」を帯び、宇宙空間にまで伸びそびえ立っているそれは『軌道エレベータ』と呼ばれる存在で有り、名称は『セレスティア』。

 今から数十年以上も前に実用化されたそれは、言うまでも無く人類史上初の発明であり、また太陽系へと輸出された技術の一つだ。言ってしまえば、エテルナの航宙科学技術が太陽系のそれを凌駕りょうがした、象徴の一つでもある。かつては宇宙空間に昇るにも、この地上からわざわざ燃焼機関でこれまた貴重な燃料を使用して強引に昇っていたようだが、今は大気層を傷付ける事も汚染する事も無い速度で宇宙の高み、正確には宇宙ステーション『アドヴァンス1』にまで昇る事が可能となっている。人員のみならず、物資の多くを時間は掛かるものの定期安定的に静止衛星軌道まで運べるメリットがどれ程、宇宙開発におけるメリットとなるか説明の必要は無いだろう。また、その宇宙側、末端に設置されているステーション、『アドヴァンス1』は第一次移民船団『アドヴァンス』がエテルナ突入前に切り離した空間モジュール、その一号機を基本的には改修、増築を繰り返して維持されている存在であり、そんな『アドヴァンス』の本体はその司令船だった一部のみが今も、歴史的資料として首都アドヴァンス中心部に保存されている。開拓移民時代から時を重ねはしたが、今もエテルナの人々は『天空』を意味するエレベータで宇宙に上がり、そして自分達の由来、起源存在に等しいステーションから、アポロン星系の各地へと散っていくのだ。


 半ばの忘我ぼうがの極致で空を見上げていてしかし、ふと思ってしまった。かつて自分が見ていた筈の太陽系、地球から見た空の青さは、どんな青だっただろうか、と。また、このエテルナとも異なった緑の臭い、もっと生々しい「草いきれ」と呼べるものが地球では力強く存在していたのでは無かったか。どこか、このエテルナの緑の臭いは、「匂い」であって、人工的なものの気もしたりする――まあ、それを言ってしまうと、このエテルナの植物類は地球本星のように雑多、種類が豊かではない現実もあるので、話はおしまい、なのだが。

「タケミカヅチ、ウェブブラウザ起動」

 ふと思い立って、左手首の、腕時計形状の情報通信端末に声を掛けた。主、持ち主の声紋を認識した端末が速やかに起動した。このマニアックな端末名称は、「まず私生活で使わない固有名詞」と言う事で自ら命名したものであり、速やかに、寝転がったままのクリストファ、その眼前にスクリーンを投影してくれた。軽くスクリーンの大きさを両手指でアジャストしながら、「太陽系、地球、北米、青空」と検索を加えた。幾つか候補として出された画像データの中から一つを無造作に選んで、展開させた。

「やっぱ、ちげーな」

 思わずそんな独り言も出ようというものだった。生の両目で碧色の空を背景に認めながら、画面上の地球、北米は青空を眺めるという、在る意味で贅沢な瞬間ではあったが。


 ――ん、なんか前も同じ事していなかったっけ?


 既視感を覚えたその瞬間、感覚本能的にやばい、と悟った。先日、校外学習でブッ倒れてからこっち、地味に回数が増えた、そんな発作。四肢、全身の感覚がゆっくりと麻痺していく様な、前兆を経て、クリストファはいよいよ、意識の混濁こんだくを自覚した。


 意識の完全な喪失――いや、そうじゃない、なんか酷くどろどろとした、情報のメルティングポット、坩堝るつぼの中、或いは荒々しく勢い、回転する洗濯機にそのまま、放り込まれたみたいな――



 気付けば、クリストファは一面の畑の中に立っていた。


 足元を抜けていく風の感覚、大きくざわめく農作物の苗がざわざわと音を立てていた。


 ――ここはどこだ? 自分はそもそも、森林公園で横になっていた筈なんだけれど?


 ――足元の農作物は、これは多分、馬鈴薯ばれいしょだよなあ?


 混濁こんだくした意識の中ではあったが、理性を保ち直せた、そんな状態か。睡眠時に嫌な夢を見た時の、それに等しい、と自分の中で折り合いを付けられた事も大きい。身体が自分の意志、ままならぬ所も、同じだ。


 果たして自分のものなのか判然ともしない、そんな視界がぐるりと大きく動いた。一面の畑の中、辛うじて人工建築物なのだろうか、と思わせる存在が遠方にポツリとあったが、本当にそれ一つだけ。


 ――こんな場所行った事も見た事も無いけどな


 もっと周囲を観察したかったが、何しろ言うなれば、この身体の持ち主の視界だけを拝借しているに等しい立場では、なかなか。その内に、泥まみれの軍手がゆっくり外されて、視界が急転、一面の空に向けられた。


 ――同じ空?


 何しろ思考が鈍る事、甚だしい。恐らく、この身体の本来の持ち主は先の自分と等しく、寝そべっているのだろうとは推測出来たけれど。


 青緑、やはり気取った言い方をすれば碧色の空、流れ飛ぶ雲は、全く先程のクリストファが眺めていた大空、そのもので。


 遠くから、歌声が聞こえてきた。女性の歌声で、どこかで聞いた事があるような、歌。五感が完全に伴っているわけでも無かったから、これ以上の追求は不可能っぽい――けれど、そんな歌声が次第に近付いてくるのは、なんとなく把握出来た。


 歌声が終わり、ざっざっと足音が近付いてきて。


 自分の頭、その先に誰かが立っている、そんな気配。


 ――一体、どちら様なんですかね、僕も、貴女も


 親しい間柄、なのは伝わってくるから、続く行動はなんとなく、予測できた。


 ぬっ、と影が掛かり、長い頭髪がぶわっ、と視界を満たして




「――クリスッ!!!!!!!」


「わあ!!!」

 突然の大声に、現実世界に引き戻されたクリストファ・アレンは大きく仰け反った。

「何回も呼んだんだよ! うなされていたみたいだけど、大丈夫!?」

 制服姿、マキーナ・ローゼンベルクが言葉は荒いが、本当に泣きそうな顔をして顔を覗き込んで来ていた。

「あ、ああ、うん、マキか――」

 いやはや、こっちでも上から覗き込まれるとか。って、さっきのアレコレは本当に何だったんだ。

「変な夢、見ちゃってさ」

 上半身を起こしながら、クリストファは周囲を慌てて見渡した。芋畑な訳もなく、森林公園であり、大体、目の前に立っているのはマキで、僕はクリストファ。良かった、判断が付いている、出来ている。身体も、自分の意思通りに動くじゃないか。


「見舞いに行ったら病室にメモが置いてあったから、探しに来ちゃったんだけど」

 ぺたり、とその隣りに座ったマキの手元にはバスケット。恐らく中身は、サンドイッチだろう。と言うか、彼女が手料理はそれとカレーライスしか作れない事をクリストファは良く知っている。

「ごめんごめん、眠くもないのに病室のベッドで横になっていたくなくって」

 ふう、溜息を吐いて額の汗を拭ったクリストファだったが、ブラウザが起動したままな事に気付くのには遅れたようだ。

「この青い空は地球の?? こんなの見ていたんだ」

 まあね、と一抹いちまつの罪悪感を感じながらクリストファはさりげなくブラウザを閉じた。

「それより、学校はどう? みんな元気してる?」

 副級長としては、その辺も気になるところではある。話題を転じたかった事も大きい。

「うん、ロルフが反省文を書かされたぐらいで、みんな元気。気にしなくて良いよ」

 マキの言葉に、思わずクリストファは「あのヤロー」と苦笑い。不良を装ったロルフ・ツェプトーは、とかく普段からオラ着いていて面倒くさい存在なのだ。もっとも、その本質が繊細であり、素直であるからこそ、クリストファもさじを投げる事なく、友人でいる訳だが。

「差し入れ。クラスの女子で作ったんだ。食べ物、問題無かったよね?」

 開かれたバスケットの中身はやはりサンドイッチだったが、よもやクラス単位とは想定していなかったクリストファである。

「――家庭科があったからね。みんなで作ろうってことに」

 そんなマキの様子がどこか空々しく映ったのは気の所為だったろうか。

「ありがたくいただこうか」

 折角の好意であるし、正直全く空腹ではなかったのだが、クリストファは居住まいを正した。マキが取り出した魔法瓶、その中身をコップに注いでくれた。

「お味噌汁は、私が作った」

 お、おう――クリストファは反応に窮しかけたのだが、どうにか馴れつつあるのは事実である。エテルナ名物、和洋折衷わようせっちゅうの分かり易い一例である。もう和風も洋風も中華も何も無い。素晴らしきボーダーレス社会。ビバ。ピザパイに豚汁、とか当たり前の世界。和風とか洋風とか最初に言い出したのは誰なのかしら。

「いただきます」

 最初に飲んで欲しい、そんなオーラが強く感じられたので、味噌汁から一口。うむ。培養魚の出汁に、具は培養豚肉に豆腐、長ネギ。皮肉抜きで、それなりに美味しい。培養尽くしなのは、もうこう言う社会だからな、ここは。実際、美味いし。

「美味しいよ、ちょっと肌寒かったので助かる」

 皮肉はおろか、世辞抜きでクリストファはマキに礼を言い述べた。メシを作る人間は偉い、アレン家の数少ない家訓でもあった。それは正しい価値観だ、とクリストファも疑うところは全く無い。

「よかった」

 クリストファが食事を進める一方で、ほうじ茶を傾けているマキ。全く長閑のどかな一時で有り、これは後になって思い返したりすると、大事な瞬間となるのかな、等とも思ってしまったが。

「とても全部は食べられそうに無いので、残りは夕飯に取っておいていいかな」

 取り敢えず、一種類ずつは摘まませて貰った。淹れてもらった焙じ茶がやはり美味しかった。

「勿論だよ」

「何しろ動いていないから、お腹も中々空かなくてさ」

 これは全く本当で、じっとしていると三食の病院食すら持て余し気味になるクリストファなのであった。ここ一年以上、全く身長も体重もこれと言った変化が無いのも気になるところだが、これは地味に少食な部分にも原因があるのだろうか、とか思ってしまったり。自分の身長はこれで打ち止めなのかな、と言う想像はあまり楽しいものでも無かった。今少し身長が高く、また身体が男子相応にガッチリとしていれば、それこそ女子に間違われる事も無くなるだろうに。ついでに、いい加減にひげは生えてきても良いと思うのだが。

「ひょっとして無理に食べさせちゃった?」

 心配が先回りしたマキの顔は見たいものでは無かった。いや、気が利くんだよなあ、この娘。

「小腹が空いていたのは事実だから、気にしないで良いよ――食べられない時は僕はそう言いますよ」

 そうだったね、と胸を撫で下ろすマキ。虫も殺さないような顔をしながら、言葉と意思表示はハッキリと示すクリストファの性格は良く知っている。


 ここで、マキの携帯通信端末が着信音楽を奏で出した。その音色に、クリストファはビクリと身体、全体で反応してしまったのだが、画面表示に気を取られていたマキは気が付かなかったようだ。

「あ、お母さんから。ちょっと出るね――あ、母さん、今森林公園、うんクリスと一緒――って、そんなんじゃないって、うん、うん、また後で電話するから、はい、はい」

 んもうっ、と頬を膨らましたまま、携帯を閉じたマキだったが、焙じ茶を片手に呆然としたままのクリストファにようやく気付く。

「どしたの? ごめんね、母さん心配性で――」


 ――今の音、音色は。さっき、僕があの気持ち悪い白昼夢の中で聞いたものではなかったか


 気付けば、マキの両肩をがし、と両手で掴んでいた。

「なっ、なにっ――」

「今の、音は、なんだ」

 ぐい、と迫るクリストファだった。

「音、音って????」

 近過ぎるクリストファの顔から一生懸命、顔を背けるマキーナの顔は真っ赤なものになっていた。

「ごめん」

 誤解を招きかねない体勢になっている事に、クリストファはようやく気付いた。マキの両肩を掴む力を緩めて、顔を離した。

「――いや、ちょっと、どこかで聞いたような?? 音楽の気がして」

 マキの抱える端末を見下ろしながら、満更、嘘では無い言い方を選ぶ事が出来た。

「あ、ああ、音楽、ってこのケータイの着信音???」

 持ち上げた自前の端末を示すマキだった。クリストファのそれが腕時計の形状なのに対して、マキの私物でもある携帯通信端末は文字通り、手帳の形をしている。良く分からないが実質本位の男子とは異なり、女子のトレンドはこの手帳型らしい。

「……昔、どこかで聞いた音楽で、ずっと気になっていたんだが、今聞こえたものだから、驚いちゃって」

 ふうん、と小首を傾げたマキーナは、どこか不思議そうな表情を湛えていた。

「――そりゃ聞いた事あるんじゃない? これ、『国歌』だし??」

 乱れたリボンを直し、赤い顔のまま自分の髪の毛を弄びながら、マキはあくまでも面白く無さそうに答えた。


 えっ


 と、次はクリストファが驚く番だった。


「話の流れ的に『国歌』、って『Anthem』ってことだよね? 『国家』、『Nation』じゃないよね!?」

 驚愕、狼狽を隠さないクリストファ、と言う珍しい存在を見るのはマキにとっても新鮮な事だったが。

「いや、そりゃそうだよ、『Anthem』の方だよ」

 この『エテルナ』にあって公用語は明確、法的には定められてはいなかったが、表音文字と表意文字を含む日本語が何かと便利だ、と言う極めて実用的な理由で、日本語が実質の公用語となっている現実があった。それ故のクリスとマキの遣り取りだったのだが、この段階でマキは、クリストファの疑問、その真意を掴めないではいる。なお、従来の『日本語』からは大きく変化、良く言えば進化していて別物になっている、とは強調しておくべきかもしれない。日本語をベースに、英語、仏語、他言語が容赦なく盛られ混ぜられた結果、『エテルナ語』とも呼ぶべき言語の成立に至っていた。多分、西暦2000年代の日本人が聞いたら「日本語でおk?」と突っ込むレベルであろうと思われる。


「で、では――いつも、朝、学校で流れているのは何なのだ!? 『エテルナ永遠に有れかし』が国歌ではないのか!?」

 クリストファの知っている『エテルナ国歌』、『エテルナ永遠に有れかし』は、それこそ厳かな、どこか賛美歌めいた曲調であり、教室の片隅に掲げられたエテルナ国旗に対して教職員含めたクラス全員で目礼しながら、聴くものであって、断じて、先のマキの着信音のそれでは無い。


「あ――ごめん、クリス――本当にごめん、それ、いわゆる『第二国歌』なんだ――」

 ようやく、クリストファの特殊事情に思い至ったマキが、本当に泣きそうな顔になった。いや、泣きそうな顔にならんでくれよ、ローゼンベルクさん。


「だ、第二国歌あぁっ!?!?」

 それこそ耳にした事も無い言葉である。マキではなく、自分が泣きそうになってしまうではないか。


「う、うん――公式的には、『第二国歌』が正式なエテルナの『国歌』なの。ややこしいけれど。去年来たばかりのクリスは、知らなくても仕方ないと思う、だから、なんか本当に、ごめん」

「い、いや、謝られても困るのだが――となると、『第一国歌』がさっきの着メロ? え????」

 クリストファは惑乱した。もう訳わかんねえ。

「大フローラ、つまり初代大統領が開拓時代、まだエテルナって名前も無かった頃から折りに触れて歌っていた歌があって、それが『第一国歌』になってる。今、普通に流れている『第二国歌』は、後になってから作られたものなの」

 すらすらと、マキは答えたが、これはそれだけエテルナが自国の建国史を重視している事の証明でもあっただろう。

「そう言う事か――フローラ・シュヴァリエが建国の母として愛されているのは知っていたが」

 口にしてみると不思議と、自然な響きを感じる名前、名字なのはどういう事なのか。にしても「大フローラ」とか凄い表現だな、とも思う。果ては「中フローラ」とか「小フローラ」とかいるのかな、と思ったりもしたが、多分これを口にしたらマキは本当に怒るのだろうな。それだけ、『国母』として愛されているのは立派だと思う、これは本当に。

「『第一国歌』は大フローラが好んで使い、初期の開拓民達の間で愛好された歌。だけれど、地球の歌をそのまま、歌詞だけ変えただけの歌だったのね。で、十六年前、私達が生まれた年に、大フローラは亡くなったのだけれど、その遺言の一つが『新しい国歌を、きちんと制定してはどうかな』、だったの。それで、『第二国歌』が没後一年目に、発表、制定されたって訳」

「なるほど。あくまでも公式が『第二国歌』って事は、それだけフローラ――大フローラの存在は無視できないと言う事なのだな」

「うん、そうなるね。フローラ本人は遺された国民による自分自身の神格化を厳しくいましめて亡くなったから、望み通りの結果では無いかもしれないけれど、でも遺された私達は、簡単に彼女の愛したもの、繋いできたものを捨てられなかったんだ。だから、この国には『国歌』が二つある――そんな話なんだぁ」

 どこか嬉しそうに、熱っぽく語るマキだった。まあ、何と言うか、歴史上の人物、その偉業を考えれば気持ちは分からないでも無い。どう控え目に言っても、女傑じょけつ、女王者としてのフローラ・シュヴァリエの功績、人生のそれこそ航跡は偉大に過ぎるし、言ってしまうと、超カッコイイ。


「――きちんと教科書にその辺を載せておいてくれたら楽なのだがなぁ」

 思わず、愚痴ってしまうクリストファだ。成績優秀の身でもあるから、記載されている事のほとんどは暗記しているレベルだったが、今回のマキの話はそれこそ、初めてだらけのものだ。その面では、自分の勉強、学習の仕方ってやはり偏りがあるのだな、そう反省の芽が見えたのも収穫か。

「小学生の時になんとなく学ぶ機会があったし――どうしても、教科書とかに詳細を公式に載せるのがおそれ多いな、って向きが強いんだと思う。あと、十年もしたら、きちんと載る事になるかもしれないね。そもそも、大フローラに関しては、生前のエピソードなんかも詳細、プライベート的なのは掘り起こさないようにしよっか、って雰囲気も根強いし」

 確かに、自分、高校生の採用教科書の記述などは実に淡々としたものだったな、と思うクリストファ。その辺の知識がどうにも足りないから、また後日、きちんと図書館なりで調べてみよう、そう誓った。もっと幅広く、広く浅く、そして必要な部分を深く掘り下げていく学習行程が自分には必要なのかもしれない。取っ掛かりとして知識に偏在しているのは、これは必ずしも間違ってはいないとは思うけれど、ちとそろそろ改めてみるか。


 ともあれ、こうも長い話になってしまったが、そもそもは、『歌』だった。


「――マキ、で、どんな歌なんだ、その『第一国歌』ってのは」

 ああ、と端末を取り出し掛けたマキだったが、違うそうじゃない。

「歌えるのだったら、歌って欲しいな。歌詞も含めて、きちんと聴きたい。歌えるんだろ?」

 マキが目に見えて狼狽ろうばいする。頭部のリボンが小刻みに震えているところが実に小動物っぽくて、まあ、有り体な事を言うと、大変に可愛らしかった。

「……な、何を言っているのかしらアレン君?」

 ワオ、アレン君と呼ばれたのは一年振りぐらいじゃなかろうか。

「ピアノ上手だし、リサイタルだってやってんじゃん。ここ、僕達以外に誰もおらんし、折角だし」

 それは全くの事実であり、マキのピアノの演奏技術、その高さはマッケイ高等学校随一、もしかしたら現役女子高生の中でもトップクラス、なのだった。正直、クリストファが適当に使用した「上手」という表現で間に合うレベルでは無い。

 父親に無理矢理やらされた、と公言してはばからない彼女だったが、それでも機会あれば演奏を学校イベントで行い、また或いは様々な福祉団体等からの依頼を受ければ、どこにでも譜面片手に弾きに行く、そんな彼女であり、可能な限りクリストファやジャニスは随伴するのが常だった。部活は弓道部だが、帰宅後、自宅でピアノの練習に時間を割いている事は、クラスの誰もが知っている。

「恥ずかしいけど――」

 覚悟を決めたのか、起ち上がって喉を整えるマキ。クリストファは、黙って小さく拍手。これ以上をやると、多分逃げ出される。


 歌うね――そう宣言して、マキは大きく息を吸い込んだ。



   夕焼け 小焼けの

   あかとんぼ

   迎えられたのは

   いつの日か


   野辺の畑の

   芋の実を

   小籠に 積んだは

   まぼろしか


   いかだで我等は

   星に着き

   お里の たよりも

   たえはてた


   夕焼け 小焼けの

   赤とんぼ

   とまっているよ

   竿の先



「ご静聴、ありがとう――」

 クリス一人の為に歌った事もあるが、我ながら会心のア・カペラだったと思う。制服スカート、その両端を摘まみ、腰を曲げて一礼。完璧なカーテシーを行ったが、肝心のクリストファの反応が無い。ゆっくりと目を開いたマキは、想像してもいなかった光景を見る事になる。


 クリストファは、両手で顔を覆い、号泣していたのだ。その両手、指の隙間それぞれから滝のような涙が溢れていた。


「ちょ、ちょっとクリス、どしたの!!」

 慌てて駆け寄ったマキだったが、うう、ああーと泣きじゃくっているだけのクリストファ。

「なんかごめん、ごめんね」

 背中を撫でてくれながら、マキが謝り始めたので、クリストファも少しだけ、自身を取り戻せた。

「ご、ごめん――あまりになんこう、良い歌で、でも歌詞が寂しくて」

 どうにか口にしたが、それは完全な事実だった。ここまで、こうも直撃が来るとは思ってもいなかった。さっき、夢現ゆめうつつで聴いた歌声は、歌は正にこれだった。なんだ、一体、何なのだ。そもそも、なんで僕はこんなに、みっともなく格好悪く、しとどと涙を垂れ流さなければならないのだ。


「――なんかこう、ぼっちで無人惑星に開拓に来た、人達の悲哀とか、すごい伝わる歌詞だよな」

 ジャージ袖でどうにか両の目から零れる涙をどこか押し戻しながら、口にする事が出来た。歌ではなく、歌詞としたのはギリギリの強がりだ。

「多感なのは恥ずかしくないよ、逆に凄く良いと思うよ――最近のクリスは特に、なんか大人っぽくなりすぎていたからさ」

 気付けば、ふわりとマキが抱き竦めてくれていた。

「元は『赤とんぼ』、って歌なんだよ。元々、地球、日本の歌みたい」

「またぞろ日本か……ったく」

 強がって言ってみたが、全くあの島国、恐るべし。遠く離れた天体で、随分な変化を遂げたとは言え、主言語となり、そして歌まで伝わってると来るのだから。また、エテルナに来てまずクリストファも義理の両親も驚いたのが、いわゆる『宗教』が、概念それ自体が存在しないところであった。敢えて言えば、「万物に神が宿る」という、やはり日本神道的な価値観になるのだろうか。エテルナの人々はアポロンを「お天道様」と呼ぶし、正に『ここに唯一神はいない』のだった。太陽系は地球の一神教に由来する名前、クリストファという響きを授かり持っている身としては、どこか心落ち着かないものは、無くも無かったのだけれど。

「ごめん、もうちょっとそうして貰っていて良いかな――色々、しんどいんだよ、何か。上手く言葉に出来ないけど」

 そんな言葉、弱音が自分から漏れ出てくるとは、思わなかったが。涙をき止めている中、マキの抱擁は大変に暖かく、なんかこう、心が穏やかになるものだったから。

「いいよー。……ってか、なんか、急いで大人にならないでよね、クリス」


 その一言は本当に余計で、しかし大きく、大切で、それでいてしっかりと、重くて。クリストファの涙腺は更に刺激された。自分自身、その根底が不安定なのを自覚しているだけに、これは。


 見上げ、無自覚に動いた唇は、そして意を決した表情のマキーナによって、ゆっくりと、しかし確実に塞がれた。





   ・

   ・

   ・


 バスケットを片手に暮れ掛かる空を後に病院に戻ったのは、十分後の事だった。嬉しく有り難くもマキは名残を少なからず持ってくれていたようだったが、自分はいい加減に病院に戻らなければならないし、マキにだってこの後の予定はある。

「気を付けて帰りなよ」

「……ありがと」

 そう言えば今日はジャニスは一緒じゃ無いのか、口に仕掛かったが、それは呑み込んだ。


 幸い、ささやかな逃亡劇は看護士達に発覚する事も無かったようで、平穏な帰還ではあった。自分の病室に戻ったクリストファは、個室の曇りガラス越しに先客がいる事を悟ったので、ノックを三つ行って、入室。

「あっ――やっと戻ってきたんだ」

 夕陽が逆光となり、咄嗟に人物の判別が着かなかった。声から女性なのは分かったのだけれど。誰そ彼、『たそがれ時』とは良く言ったものだ、そんな余計な豆知識を思い起こしながら、しかし口を付いて出た言葉は、想定外のものだった。


「すまない、心配掛けたね」

 有り得ない『喋り方』だったし、そんな柔らかい声を自分が出せるとは思ってもいなかった。


「はぁっ――?」

 ここで、ようやく先客、存在がジャニス・アスプルンドである事を知った。

「あ、いや、なんか変な事言ってごめん」

「……びっくりしたわー」

 ジャニスは大きな肩を揺らして笑っているようだった。

「そんな優しい声、出せるんだな――驚いちゃったぞ」

 どこか、もじもじとしながらジャニス。うん、ぶっちゃけエロい声だった気はします。無自覚だったけどすまん、とはさすがに言えない。

「紳士ですから!」

 そうおどけてみたが、あまり上手くいかなかったのは自分が百も承知。なんだか如何いかんともし難い空気になりかけていた事もあって、クリストファは抱えたままのバスケットを持ち上げた。

「クラスの女子からの差し入れは、確かにいただいたよ。美味しかった。ありがとうな。残りは夕飯に貰う事にする」

 何とは無しに口にしたつもりだったのだが、それを受けたジャニスの表情が殊更に曇るのはどういう事なのだろうか。

「マキはそう言ったの?」

 あ、もしかして俺、やっちゃいけない事やっちゃったかな、と顔に出たのだろう。

「クリスがそんな顔、すんなよ。そのサンドイッチは全部、マキが作ったものだよ」

 咄嗟とっさに、言葉が紡げなかった。そうか、とだけは呟けた気がする。まあ、どこかでそんな気はしていた。気付かない振りを装っていただけだったのかもしれない。

「ちゃんと自分一人で作ったんだ、って伝えろって言ったんだけど、やっぱあの娘は肝心なところでヘタレなんだな」

 何とも答えようが無く、促された事もあって自分のベッドに腰を降ろした。逆に、ジャニスには丸椅子を進めた。

「年頃の女子としては至極、当たり前の行動だとも思うけど」

 やはり、なんか自分では無い誰かが喋っているような、感覚。気持ち悪いが、段々と馴れてきている自覚も確かに存在している。

「なんか別人になったみたいだよ、クリス」

 どこか寂しそうなジャニスのこの指摘には、ぐ、となった。別の言い方で、ついさっき、別の女の子に指摘されたばかりじゃなかったか。

「難しい本ばっかり読んでるから、そうなるんだよ。病室でも本ばっか読んでるんでしょ?」

 枕元にうずたかく積み上げられた本を指で示しながらジャニス。自分、クリストファが読書魔なのは周囲に知られて久しくはある。目に見えて医学書のそれも少なからず、混じっているのはこの際、幸いだったかも。

「そうかもしれない。何しろ暇で、医療カウンセリング関連の本も読んでいるから」

 病院だけに、そういう書籍はそれこそ幾らでも存在があったのは事実だ。

「……まあ、そんな訳だから、退院したらマキにもちゃんとお礼、言って上げるといいよ」

 話題を戻してきたジャニスだったが、やはりその表情がどこか晴れない。

「ああ」

「じゃあ、私はこれで。今日は、ちょっと様子を、見舞いに来ただけだから。なんか、色々ツッコみたいところはあるけれど、元気そうで良かったよ――また来るね」

 見るからに密度の高そう、重そうなデイバックを軽々と持ち上げてジャニスは起ち上がったのだが。


「ジャニス――」

 咄嗟とっさに、その右袖に手を掛けていたクリストファだった。本能と言っても良い。

「んあ?」

 苦笑いして振り返ったジャニスの、その両目が潤んでいる事は、先程から把握していた。ああ、なるほどね。


「……ジャニス、『それ』を置いていけ」

 ひぐっ、と何かを呑み込んだ顔のジャニスに対して、クリストファはゆっくりと左手を差し出した。


「あ、いや、あのね、これはね」

 半べそのジャニスなんて、初めて見た。隙有れば、この場から全力で逃げ出しそうな、そんな彼女も。

「俺に食わせろ。置いていけ」

「俺、なんて言葉使うんだ――」

 そう言いながらも、ジャニスは震える手でカバンから弁当箱を取り出した。 

「おにぎり、だけなんだけど――作ったんだ」

「有り難くいただく。感謝を。有意義な晩飯になるよ」

 奪い取る必要は、無かった。しっかりと保持した弁当箱片手に礼を言い述べた。

「あ、うん、美味しくなかったらごめんね」

「仮に改良点の存在があれば、これは誠意をもってお伝えします」

 意識した物言いに、さすがのジャニスも笑った。


   ・

   ・

   ・


 看護士が夕食の配膳を始める気配があった事も有り、ジャニスは最後の挨拶もそこそこに、退室していった。彼女にとってはささやかな助けになったのかもしれないなあ、等と考えてしまったが。

「ふふ、モテるのね、クリス君」

 恐らくは様子をうかがっていた馴染みの女性看護士が冷やかして来たが。

「ネリーさん、晩ご飯はサラダとお茶だけで――」

 更に冷やかされるのも承知の上だったが、こんな状況下で食べ過ぎによる体調不良は本当に心から願い下げだった事もあり。

「はいはい、きちんと食べて上げないといけないものね。洗い物はこっちでやって上げるから、出しておいてね」

 ネリーさんはそう笑って、空間温度計で素早くクリストファの体温他を手早く計測するのだった。

「助かります」


 そんなネリーさんの退室後。弁当箱を開けば、そこには歪な形のおにぎり? がムッチリミッチリ詰まっていた。絵に描いた『体育会メシ』である。


 いや、良かった。本当に良かった。


 間違いなく一生懸命、不器用なりにジャニスが握ってくれた、このおにぎりを。


 彼女自身に持ち帰らせ、一人で頬張らせるだ、なんて。


 考えたくも無かった。有り得ないし、許されない仮定、未来図だ。


 クリストファは、そんなおにぎりの一つにかじり付いた。


 長くも無い生涯で、最も美味いおにぎりだった事は言うまでも無かった。


 続いて。


 クリストファは、残ったサンドイッチの一つに齧り付いた。


 長くも無い生涯で、やはり最も美味いサンドイッチだった事は言うまでも無く。


 この日、クリストファのややもしなくても豪勢な晩餐ばんさんは、こうして進められる事になった。






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