Chapter:00-02
Chapter:00-02
盛大なお見送り、式典の数々を経て、いざ『アドヴァンス』は未開の圧縮空間、『ネビュラ・リーヌ』を突き進む。太陽系の皆様方の想いであるとか祈り諸々は、それはそれはありがたいものだったかもしれないが、当の中の人達、『アドヴァンス』船員達は現実的に、淡々とタスクを消化して行くのみ、ではあった。何しろ、彼等の一挙手一投足に人工冬眠している5000名の命が懸かっている訳であり、過度の緊張は論外であったがブリッジ、司令室でのんびりとお茶を片手に手足を伸ばしていられる訳もなく。船内の居住モジュールにおける電力の供給不足だとか故障した汚水処理システムだとか、ともあれ、些末だが深刻な被害への対処、また船員同士も互いに数年単位の人工冬眠を行いつつ。
気の遠くなる、精神を地味に鑢掛けするようなそんな長い航海は、果たして『アドヴァンス』のメインコンピュータ群がその終了を通知してくれた。太陽系での抜錨より実に十二年の月日が流れていた。十年以上振りの全員集合となったブリッジ、そのキャプテンシートで船長フローラ・シュヴァリエがその肘掛けを握り付けたタイミングで、モニターの画像が一変した。それまで、白一色だった光景が、一斉に黒一色のそれとなったのである。
「『りゅうおう』の置き土産、確認!! アポロン星系に間違い有りません!!! 着いたどーーーー!!!!」
省電力下で細々としたビーコンを単純に打ち続けているだけの人工衛星の拡大映像をサブスクリーンに投影、声色と身体を弾ませた通信長を咎められる人間など、誰もいなかった。先客であった『りゅうおう』の忘れ形見が、こうして自分達を待ってくれていた、そんな歓喜を伴う安堵感。こればかりは、どう喩えれば良いだろう。それがどんなにちっぽけな、人工天体であっても、自分達が実に十年以上振りに接触した、文明の欠片、痕跡だったのだ。無味乾燥、真空、絶対零度の広大な宇宙空間にあって、
この暖かみは。
暖かみ、は!
浮き立つスタッフを落ち着かせる側面もあったのだろう、船長フローラ・シュヴァリエは、予定通り、たった今、通過を終えたばかりの『リーヌ』に対しての高速通信衛星の射出をやや強い口調で命じた、と記録に残っている。
「まだ、着いただけだ!! これから、これからなんだからねっ!!!」
そんなフローラの檄に、その場の全員が背筋を正したという。ただし、実はそんなフローラが静かに落涙していた事は当時の副長によって、後に手記へと記される事になった。本人は、最後の最後まで強く否定していたようだけれども。
フリストフ・ブルクハルトによって描かれていた詳細な『青写真』に則り、『アドヴァンス』は第四惑星『G4』に向けた慣性航行を続ける中、十基単位の機動衛星をその足跡、航路上に敷設していった。太陽系との連絡用としての消耗品であり、軽々に運用、使用出来ない存在ではあった。
そしていよいよ『G4』がメインスクリーンでも大きく確認できる程に接近した頃合いを見計らい、『G4』が保有する二つの衛星に対し、観測基をそれぞれ三基ずつ投下、その降下着地信号を確認した。また、末端の居住モジュールをそれぞれ二基、分離し、『G4』の衛星軌道へと乗せる事にも成功。いずれも、後の宇宙開発に必須となる施設であり、『アドヴァンス』の人間がこれら人工天体、に接触できるのは何年も、或いは何十年も先の話となるのだろう。第一宇宙速度の確保、つまりは『G4』の重力圏離脱を自分達が自力で獲得しなければならない、と言う無慈悲な現実にこれは他ならない。
さて、いよいよ『アドヴァンス』の最後の仕事が待っている。『G4』の大気へと突入し、人々を覚醒させ、
――ここで生きていかないとならない
――命を繋いでいかなければならない
船長フローラの呟きだったと言う。
もう戻れませんぜ、どのみち戻れないけどね――嘯いた航海長の頭をフローラは叩くのではなく、撫で付けた。これには周囲が大変に驚いたと言う事をエピソードとして含めつつ。
長時間を掛けてプールされていた貴重なエネルギー、その全てを耐熱フィールド発生器へと回し、船体下方に集中展開させた『アドヴァンス』が、その長身を悶えさせるようにしながら『G4』への大気圏突入を敢行する。さながら、地獄の釜、その熱波にのたうち苦しむ龍のように。激しい震動と、一部区画から悲鳴のように発せられる『アラート・メッセージ』の数々。警告音が震動に負けてなるかと自己主張高く響き渡る中、『アドヴァンス』はその堅固巨体をそれでも、揺るがせとはせず、確実に沈めて行った。それは、人類科学、その叡智執念を具現化したものだったかもしれない。
5000の命を抱えながらの、未知惑星への大気圏突入、その最終任務がどれほどの重圧だったのか、想像出来るだろうか?
実にこの時、船長であるフローラ・シュヴァリエの左奥歯は、その噛み締めが行き過ぎて砕け折れていたらしい。隣の副長は、実際にその砕ける音を聞いていた、と記録に残っている。
そんな第一陣、移民船団『アドヴァンス』がアポロン星系第四惑星の地表、正確には事前観測で確認された巨大湖に着水降下を果たしたのが、西暦2278年3月3日。古巣とも言うべき太陽系を後にしてから実に十三年の月日が経過していた。
船外大気、その組成の精密調査を入念に経て、誰よりも最初に生身で降り立った船長フローラ・シュヴァリエ大佐は、大地への最初の一歩を踏み締めるに当たって、その場で大号泣したという。それはそれはみっともなく泣きじゃくったそうな。わんわん泣きじゃくる偉大な船長を苦笑含めて見守っていた船員の中、その長期航海中より恋仲が噂されていた副長が周囲から背中を突き飛ばされ、その顔面ごと大地に倒れ込み、二人目の上陸者、男子としては初、とめでたく相成った。残っている記録では、名前はクリストファ・ブリッジス、階級は少佐であった。
倒けつ転びつ、フローラの元に辿り着いたそんな副長は黙って船長を抱き竦め、衆人環視の元で熱いキスを交わした、と記録されている。
部下、周囲の喝采を受けながらも、しかしそんな恋愛事に耽られる、割けるような時間は彼等には無かった。口元を拭ったフローラは、直ちに全員に予定通りのシフトを命令。特別職の人間からの順次覚醒、自走重機による最低限の居住環境、各種インフラ施設の建設。やらなければならない事は、それこそ秒単位、山積みであったのだ。
それにしても大気の組成は地球本星とほとんど変わらず、重力も0.9G、自転周期が25時間。昼夜の気温差も地球本星のそれより若干厳しい程度、許容範囲内。敢えて問題点を挙げるとしたのならば、海洋面積の比率に対して陸地面積の比率が地球以上に低く、更に生態系としては原始的な植物類しか存在が無かった、と言う点が挙げられたかもしれない。だが、それでも惑星自体に大掛かりな手を加える、そんな労無くしての安定居住が可能、と言う奇蹟に近い現実に陰を落とし込む要素とは全く成り得なかった事は述べるまでもない。
呼吸。息が出来るだけで、とにかく幸せなのだ。こればかりは宇宙空間での生活を長らく経て、送ってきた人間にしか伝わるまい。
普通に息が出来る! 普通に、だ!!
タダで! 実質無料で!!
衛星軌道上に設置した、後に『宇宙ステーション』となる予定のモジュール、その機能が予定通りに機能を果たしてくれた事もまた、正に天恵だった。全機能を文字通りフルに発揮させたGPSシステムによって、あらゆる自走、自動重機をこれでもかと縦横無尽に働かせる事が可能となったからである。当面の切実な課題、5000人強の飲食の確保が急務でもあった事から開墾作業も即日開始され、麦類を始め、また潤沢な水資源の存在が確認された事から、水稲栽培も実施される運びとなった。また、これに続いて芋類、玉蜀黍に始まる栽培も実験的に開始。太陽系では実用化されて久しい肉培養に関しても、培養に必要な各種養分要素は絶対的に必要であったから、それらの補完も急務となった。
数年分は食料の備蓄があるが、この数字は恐い。恐いのだ。
太陽系に存在する大半の人類からすれば過去のものとなっていた、『飢え』と彼等は直接、対峙しなければならなかったのだ。
副長ブリッジスの航海日誌改め、開拓日誌には、こう記されている。
「見るからに減っていく備蓄食料、コンピュータの示す具体的な数字減少を確認する作業ほど、気を病むものは無かった」
と。
当初は巨大湖に腰を据えた移民船『アドヴァンス』を拠点として、そしてやがて少しずつ内陸、陸地への進出が開始された。居住建築物の建造、及び各種インフラ施設の展開を経て、それぞれの拠点を徐々に内側、内側へと移動させながら。開墾した田畑から初めての収穫を達成させて。幾度か繰り返した、入植より二年後。
郎党、餓死の懸念、心配も無くなり、一日に一度は誰もが培養肉を摂取できるようになったタイミングで、フローラ・シュヴァリエは『リーヌ』近縁に敷設した通信機動衛星の一つを起動、記憶可能な限りの現状のデータを転送し、『リーヌ』へ突入させた。こちらの反応がどうあれ、第二次の移民船団は五年後に到達する事になっている、と言うか既に『リーヌ突入』の真っ最中の筈であり、到底間に合うものではなかろうが、送り出してくれた太陽系に少しでも早く、メッセージを送りたかったのだ。
「私達、元気にやってます!!」
そんな青臭いメッセージと共に、水田で泥に塗れつつも満面の笑顔のフローラ、他の映像を、送りたかった。また、『ブルクハルトの青写真』、予定に添い有った事ではあったが、独自の自治権の確立と、現段階での自治国名、その候補を送る必要もあった。
エテルナ
と言う響きを、誰が最初に口にしたのか、詳細は今にあっても不明のままである。しかし、この時のフローラの太陽系惑星連合議長に宛てられた電子親書にあっては、「太陽系惑星連合自治星エテルナとしての承認を乞う」と記されていたのは事実である。ヨーロッパ言語の響き残る、『永遠』は、自然と当時の市民達の間でも好感を伴って使われるようになっていたようだ。仮初めの国家元首、大統領として事前に定められていた通りフローラ・シュヴァリエが就任したが、言うまでも無く否やの声など存在しなかった。
また、時を同じくして、ここにそんな『エテルナ』初めての赤子が自然誕生する運びとなった。初期移民の若夫婦の授かった宝物は、成立も定かでは実はまだ、無い『エテルナ』国民達に取り、等しく宝物であった。
フローラは医師団と共に自ら出産に立ち会い、その名付け親となった。エテルナの響きに肖って、日本語で永遠を意味する、『トワ』と名付けられた女児赤子の誕生は、多くの国民を感動させる一大イベントとなった。
翌年、就任一周年のこの日、フローラ・シュヴァリエは全国民に対して自らの懐妊と婚姻を発表した。配偶者がクリストファ・ブリッジスと言う響きの持ち主であった事に、誰も驚かなかった辺りがフローラの迂闊さ、アホさ(褒め言葉である)を示す顕著な例であったと言えるのかもしれないが。ああ、やっぱり?? みたいな。
それまで、実質の副大統領であったブリッジスは未だ開設もされていない『宇宙局』長官となる事が発表されたが、これに関してはフローラ及び本人なりの配慮があったとも言われている。国民の多くが『そんなんどーでもいいよー』という体ではあったのだが、権力が一バカップルに集中する事を避けたかったのだろう。自身の所属、本質が軍隊であった事も大きかったのではないか、とは後世の歴史家が推測するところではあったが、その晩年に至るまで、フローラもクリストファもこの点に付いて言及する事はなかった。
エテルナの大地に最初に降り立ち、最初にキスを行ったカップル、さながらのアダムとイブの婚姻、懐妊。後のエテルナにとっても、3月3日は入植記念日であると同時に、恋人達にとっても特別な日、となっていく。年齢、性差関係無く、多くの恋人達がその日、フローラとクリストファの加護を願って、愛を告白し、熱いキスを交わす、そんな日に。
もはや、密造酒ではない、正規のラインに乗ったビール、焼酎、ウィスキー他が大いに振る舞われ、エテルナの人々は愛し、慕う国家元首の婚姻を祝福した。次世代を担う子供、赤子も次々誕生が続き、人々は文字通り、自分達の現在、今に酔いしれた。本当に、これだけの人数が『一つの家族』として、未知の大地に根差す事が出来たのだから無理もない事だったかもしれない。
同年末、フローラは無事に女児を出産。『アスカ・ブリッジス・シュヴァリエ』として一般に公表された。
エテルナよ、永遠なれ(Eterna, be Eternal)
乾杯、の同義語である。これは、後のエテルナにあっても、絶える事の無い習慣伝統となった。
そんな翌年、第二次の移民船団、『アドヴァンス』のほぼ同型である『セカンダリー』が到着。
「「「「「名前、まんまかよ!!!!」」」」
そんなフローラを始めとした首脳部及び全国民の壮大過ぎるツッコミを余所に、ここに新たな5000名をエテルナは万全の体勢で迎え入れる事に成功した。
『アドヴァンス』が赤道直下に着水していた事も有り、『セカンダリー』は北半球へと着水する運びとなり、ここで改めて都市名が制定される事となった。半ば定着していた呼称、『アドヴァンス市』はそのまま、ただ、序列で劣りそうな響きもある事から『セカンダリー』のそれは住民投票を勘案した結果、『ネェル・ヨコハマ市』に決定されたが、これは地形条件が地球本星は横浜のそれに酷似していた事が大きかったようだ。
多産の奨励政策、及び安定して到達するようになった太陽系からの移民、そんな『エテルナ』の総人口が一千万人の大台に乗るのに、二十年も掛からなかった。エテルナ本星が所有する二つの月、『イザヨイ』『リリス』と名付けられたそれぞれの地下には太陽系では発見されなかった希少鉱物の大鉱脈が、またイザヨイに至ってはその地下層に多くの水分が含まれている事が明らかとなり、基地の建設計画を前倒しで実行出来た事も大きい。当然、水の存在は酸素の存在と同義であったからである。
正に、『アメリカン・ドリーム』ならぬ『エターナル・ドリーム』であり、『ゴールド・ラッシュ』そのものの再現と言えただろう。
初代のエテルナ大統領だったフローラ・ブリッジス・シュヴァリエと夫であったクリストファ・シュヴァリエ・ブリッジス、世紀の超時空大銀河バカップルがこれまた仲良く揃って天に召された西暦2336年には、二つの衛星を含め、エテルナの総人口は三億人を優に超えていた。太陽系との経済格差も並ぶ、までは至らなかったが、人口比で考えればもはや凌駕をしている、とも受け捉えるほどの額面、数字の獲得にエテルナは成功していた。
開拓開始より一世紀にも満たない短期間、ここまで桁外れで尋常では無いエテルナ側の経済的躍進を演出したのは、先の希少金属の存在が当然大きかったのだが、これらは他でも無い、エテルナ市民達の厚い労働意欲の集大成が完遂させたものだった、と表現するべきかも分からない。事実、航宙力学、工学の分野等においての開発は特に目覚ましく、この時代にあっては太陽系とアポロン星系を片道、実質の三年で走破が可能となっていたが、これも半分以上がエテルナ側の技術であり、ライセンス、パテントであった現実。
絶頂期にあった人々には気付く由も無い事であったのだろうが、それに反して衰退の一歩を辿っていた人々の間に鬱積するものが確実に、着実に溜まっていったのも、やはり歴史の必然であったのだろうか?
発展目覚ましいエテルナに比べて政治・経済共に低迷を隠せず、統一政体としての建国の理念からは程遠い衆愚政治と化しつつあった議会は、あらゆる部分で解決策を見出せない。
『太陽系惑星連合』が、『エテルナ』に『人類の盟主』としての座を明け渡すのは時間の問題ではないか、そう真しやかに語られ始めるようになったのは、何時からだったのか。
――さて、前置きが長くなりましたが
――この物語は、差し当たっては、ここから始まる事と相成ります
――私の愛すべき人々、息子達の、その物語
――私に取り、苦悩、懺悔を辿る物語で これは ございます