Chapter:02-21
Chapter:02-21
【AD:2359-12-15】
【衛星基地『ハイランド』】
「げっふう――」
『ライトニング』は試験筐体、シミュレーションマシンから軟体動物さながらに這いずり出たシモーヌ・ムラサメ大尉は込み上げる嘔吐感にどうにか、耐え抜いていた。
「二度目は20分弱、ですか――いや、素晴らしい成果かと」
ルーェン・ファンは情報端末を片手に演技抜きで笑うのだった。上司である日村瑠璃子の命を受け、『ラリー・インダストリー』よりこの衛星基地『ハイランド』へ出向しているエンジニアである。
「いや、でもこれが本当に限界……うおぇっぷ」
胃袋から込み上げ来そうな『何か』を懸命に堪えて、シモーヌ。
「前日に飲酒もあったと聞きますし、今日はこれでムラサメ大尉は実技はお休み下さい。余力があれば指定された座学のプログラムを消化して貰いたいところですが。あ、言うまでも無く今日は20時以降の飲酒は禁止ですからね」
へぇい、と気を抜いた返事を行いながら、差し出された水をゆっくりと含むシモーヌであった。『たかだかシミュレーター』でこれだけ胃袋が暴れてくれるとなると、さて本番は果たしてどうなってしまうか、暗澹たる気持ちにはどうしてもなってしまうが。
「改めて感想とか聞かせて貰えるでしょうか、大尉殿」
端末の録音機能が有効になっていることを確認したルーェンが尋ねる。
「……あー、乗った事なんて無いんだけれど『暴れ馬』に跨がっている感じ、とでもなるのかなあ。基本的に『ワイヴァーン』とは似て非なる存在である事は、二度目にしてようやく分かった気がするわ」
実際にシモーヌは自分の身体を上下、左右と器用にその場で揺すって見せた。行動、機動の自由度が高まればそれだけ、前後左右に遠慮無く慣性負荷は掛かってくるわけで。
「……なんてぇのかな……『ワイヴァーン』とかだったら馴れ、もあるんだろうけれど、本能的、直感的に身体がGに備えている向きがあるんだけど、この『ライトニング』ちゃんは『それ』が出来ないんだよね――悔しいから、現時点では、と強調しておきたいところだけど、これはね。ある程度、自機の挙動が先読みで認識出来るようになったら劇的に変わる、気もする――希望的観測コミコミだけどね。まあ、アレだ、四輪自動車でもドライバーはまず車酔いはしないだろ? 的なね」
「なるほど……本当に参考になります」
ルーェンはそれだけを口にしたが、実の所シモーヌのその評価、表現、物量には感動に近いものを覚えてはいた。設計、建造側のこちらとはまた異なったアプローチでの理論展開と提起、なるほどこれが『教導隊』なのかと強く感心もしていた。
自分ことルーェンが十名単位の技師を引き連れてこの『ハイランド』に到着して程なく、今回の『ライトニング系列試験搭乗会:ポロリもあるよ!』の――言うまでも無く、この品性とセンスに欠落したトライアル名は日村瑠璃子に依るものである――趣旨説明を行ったところ、『やだーーっ』っと全員、その筆頭で副長が叫び喚いていた事がまるで嘘のようである。メイドさん達にあらゆる逃げ道を封鎖され、頭を抱えて床をゴロンゴンする、そんな光景をルーェン・ファンは脳内記憶から削除してやる事とした。まあ、あれ演技だよね? だったよね?? そこはかとない不安は茫洋として存在していたけれど。
「あとは本当に沖田隊長に私達全員、ゴメンナサイしないといけないよね――」
本当に珍しく、しゅんとなったシモーヌであった。
「……皆さん、一様にそう仰いますね」
「こんな滅茶苦茶なモノに乗って実戦していた、とか本当に足向けて眠られないよ……」
遠い目で天井を見上げるシモーヌである。自分達のようにシミュレーターが存在していた訳でも無く、またそもそも前例その物が存在しないという恐ろしい状況下、それもリアル戦場で順応、適応しなくてはならなかった沖田大尉(当時)。自分達とはその掛かるプレッシャー、重圧の――なんと的確な表現であろうか――規模は比較にもならなかった筈である。
「あはは、まあ今度会った時にでも労ってあげて下さい」
そんな沖田サンからはメール添付の形で裏マニュアルこと『虎の巻』が送られてきている。まあ、彼等には座学プログラムで合わせて読んで貰う事としよう。メールの本文には『ギッタギタのメッタメタにシゴいてやってください!』と記されていたが、これは伝える必要は無いだろうな……。
「ちょっと動かしただけでコレだもん、実戦どころか演習もままならないよ……」
遠方に既に存在のある冷酷、無慈悲な上官の鬼発言も知らず、シモーヌは殊勝に項垂れている。
「んー、でもムラサメ大尉のスコア、悪くないんですよ。こう言うとアレですけれど、やはり『向いている』、『適性があった』んだと思います」
隠す事でも無いので、事実をそのままルーェンは口にした。副長であり、現時点で隊長代理である彼女に自信を失わせる訳にはいかなかった。
「これは怖い物知りたさ、なんだけど私は全体でどれぐらいの位置だい?」
「まあ、副長でもいらっしゃるのでぶっちゃけますが、ムラサメ大尉は現時点で順応序列、二位ってところですかね」
うん、一位筆頭が誰であるか、もはや明白は明白であった。ほぼ同じタイミングで試験筐体に乗り込んで、まだ絶賛稼働中のヤツがそこにいるのだから。
「……そっか、まあ一位はあの子で決まりなのは分かっていたから気分的には楽になった……」
力無くシモーヌが視線を向けた先では、試験筐体の二号基が模擬コックピットをさながらスクランブルエッグやポップコーンを作るように上下左右にシェイクしている真っ最中。見ているだけでお腹が一杯になりそう……。
「はい、ジョフロワ特技軍曹はなんかこう……それこそ『ライトニングに乗るために生まれてきた』みたいなスコアなので、あまり参考にならないかと……」
「ほんとスゲエよなぁ……」
眺め続けていると嘔吐感を刺激される事もあって目を反らすシモーヌさんである。さて、それでも明日はそれなりに対応してみないと女が廃る、ってモンよねえ……。
「……そんな彼女、ミランダ・ジョフロワ軍曹の履歴、詳細を拝見したのですが」
あ、これはシモーヌ個人としてで無く、隊長代理として聞かれているのだな、と判断して、ムラサメ大尉はその背筋の張りを意識する。
「――ああ、気にしないで良いよ。言う程に本人自身も気にしていないし。言葉を選びたくなるのは分かるけれど、彼女の精神時間、年齢は小学校高学年ぐらいで止まって……いや、戻ってしまっているんだ」
隊長である沖田だったらこう説明するのかな、とこれまたシミュレーションを行っている自分自身には少なからぬ苛立ちを覚えなくも無かったが。
「軽度の酸素欠乏による幼児退行、ですか」
「宇宙観光船の事故でね――救出に従事した我々、特に沖田隊長が他人事に思えない、と引き取ることになってな。元々、宇宙軍の士官学校に通ってはいたんだが、何しろほら、どうしても座学、学習面でね……」
その事故にはムラサメ大尉自身も救出作業に従事していたので、良く知っている。まさか要救助者の一人が後々、自分の部隊に加わるとは夢想だにしていなかったが。
「ああ、なるほど……」
士官学校ともなれば腕前、実技のみならず、その頭脳が高水準である事を期待されるのはいつの時代も変わらない。難しい話であっただろうな、とはそれだけでも思う。
「ところがまあ、『ワイヴァーン』に始まる航空機の扱いはこれが『グンバツ』だった訳さ。それこそ、そのまま『101』に入れるぐらいの、驚くべきポテンシャルがあったのよねぇ!!」
我が事のように嬉しそうに説明するムラサメ大尉をルーェンは本当に心の底から尊敬する事にした。まだこの『ハイランド』に到着して丸一日も経過していないけれど、彼等の『在り方』が分かってきた、気がする。当初はこんな辺境も辺境、設備も劣悪な基地でどうやって肉体は元よりその精神の健康維持に成功しているのか、本当に疑問だったのだけれど。
「……同じ事故で彼女はたった一人の肉親である父親を失っているんだが、その父親の会社の同僚、とあるオッサンが後見人、保護者となったところで更に懇意にしていたウチの隊長と折衝した結果――」
やや、声を忍ばせるようにしてシモーヌ。まあ、雰囲気を作りたかっただけではある。長い付き合いとなりそうなルーェン・ファンに対し、秘密の共有めいた事をしてみたかった側面もあったのかも分からない。
「ええ……その備考欄で保護者の名前を見て驚きました」
そりゃそうだ、驚かない方がどうかしている。目が点になったわ。
「な、オタクのボスのそのまた親父、日村霧男さんの娘みたいなもんでもあるからね、まあ何かと融通をこちらも利かせたわけ。お得意の超法規的措置、ってね。何の自慢にもならぬけど」
女ボス、その実父の名前を確認した先刻のルーェンは暫し、混乱に陥ってはいたのだ。ここでも『ヒムラ』さんですか!! と。もうなんなのあの家族。魔族かい。
「……それで特技軍曹、と言うちょっと変わった階級なんですね」
「そゆことねん――あそこで伸びているアンタの同僚、ジャスティンも同じ扱いになっていたしね。まあ、ぶっちゃけ『傭兵』だよね。それもあって基本的にはアルトリアやジャスティンとツーマンセル(two-man-cell=二人一組)で動かす事にしているし、仮に実戦があったとしてもまず、彼女はお留守番でしょうね」
「それも含めて、知る事ばかりです」
ブルーシートの上で力無く手足を伸ばして呻いているジャスティン・シューマッハ特技少尉を一瞥しながら、ルーェン。もっとも、床に伸びている存在が彼だけで無かった事は彼の名誉のために記しておくべきかもしれない。程度の差、こそあれ、基本的に『101』の全員はこのシミュレーションマシン、試験筐体に軒並み『撃墜』されていたのだから。
「もう三十分近く乗ってる事になんのか、ミランダは――」
シモーヌは嘆息せざるを得ない。やはり、悔しい事は悔しい。いずれ、彼女に勝てるところは『年齢の高さ』とか『実体重』だけになってしまうのかもしれん、そんな不吉な考えが脳裏を過ぎった。
「あんだけぐりんぐりん動かしていて本人がケロリとしているので、ウチとこのスタッフも驚いています。まさか死んでないだろうね、と」
バイタルチェック、と記された画面を示しながらルーェンは笑った。うむ、ミランダちゃんは確かに絶好調のようであった。
「ちなみに聞くまでも無いけどウチの隊長は――」
敢えて、茨の道へ踏み込んでみた。そらもう、こっちはマゾですわ。
「――ジョフロワ軍曹よりも上は上、でしょうね。彼こそ『限界突破』しているというか」
「ほんっとモンスターだらけで嫌になるわ」
うえー、と顔を顰めるシモーヌ。こんな自分にも『宇宙軍始まって以来のエース』とか言われていた時期もあるんだがなーがなーがなー(残響音)。
「……さて、一番基が空きましたけれど、次はどなたが乗ります?」
死屍累々《ししるいるい》、さながらの状態を晒している『第101特殊作戦航空団』の面々であった。ああ……うう……かゆ……うま……と、どこからともなく漏れ染み出る呻き声。これはあかんかなあ、ある意味でルーェンは同情を禁じ得なかったが。まあ、取り敢えずリスト上の連中は一通り乗った事になる訳で、初日としてはこれでも大丈夫と言う所か。また、予備選出された一人は正規のパイロットで無かった事もあって現在は改めて専用の健康診断を受けているところで、これもまあ明日以降で良いかなあ。
「ほれほれ、お前等、いつまでサイバイマンにやられたヤムチャみたいに転がってんだい!」
副長の無慈悲な発言に、それでも噴き出した隣のルーェンであった。本当、どれだけやられてんの、と――いやいや、私は絶対に笑っちゃ駄目だろ……。
「……ファム少尉、志願します」
身体を起こして挙手を行ったのはファム・ヴァン・フック少尉。むう、同じベトナム圏の出身者かな、とルーェンは改めて名簿を確認した。お、やっぱ御同郷のようだ。頑張って欲しいなあ。
「よし、骨は拾ってやる!! 頑張れよ、フック!」
自分の事はさて置いて、シモーヌ。そう。みんな不幸になーれー。
「骨になる前提やめてよ副長!!」
志願しただけあって、確かに他の連中のそれよりは顔色は良さそうなファム少尉である。普段は85号機に搭乗、アシストとフォロー関連の機動に定評がある、『撃墜されない男』として知られている存在だ。
「はい、副長に続いて本日、二回目になりますね! 成果をお祈りしています!」
「オーッス!!」
空元気なのか、はたまた諦めの境地に至り及んでいるのか。ファム・ヴァン・フックは勢い、試験筐体へと乗り込むのだった。
合掌。
◆ ◆ ◆
【同日、同時刻】
【統合軍所属航宙特別試験機『RL-000』コックピット】
「快適な目覚め、とは程遠いのね……ほんっと勉強になるわ」
人工冬眠明けの日村瑠璃子はそれはそれは気怠るげに呟いた。バイザーを開き、覚束無い指先で水を一口含む。味なんて全くしなかったが、それでも身体が水分を要求しているのか、不思議と幾らでも飲めそうな感覚。
「お疲れ様です。まあ、体験として一度知っておいてもらえればとは思いますね、正直」
どうやら人工のそれではなく、普通の仮眠を摂っていただけと思われる沖田クリストファ少佐は既に軽食、フルーツバーをボリボリと囓っていた。
「これ、食べておいて下さい」
食欲は全く無かったのだが、差し出された一本を引き抜いて、どうにか水で胃袋に流し込む瑠璃子であった。
「……『居住性の高さ』は『継続戦闘能力の高さ』にしっかりと比例する、ってことも分かったよ……」
「まあね、10Gとかで上下左右と振り回され続けると僕等みたいなのでもしんどくなってきますから。また、お世辞にもこのコックピット、広いとは言えないし」
それは全くその通りで、こうして二人が並ぶと手足を伸ばして精一杯、ではあった。
「この『ライトニング』は酷い時はどれぐらいのG掛かるんだっけ?」
「火星沖の時は、瞬間的だけれど13Gぐらいは『いっちゃった』記憶があります。流石に何度か気を失いそうにはなりました。まあ、特製のスーツとコックピットの耐G性能もあるので、これでも大昔に比べれば楽なモンでしょうけどね」
急加速は無論、急減速等の機動制御を行えば簡単にそれぐらいの数字にはなってしまう現実。沖田の体重は55キロであったから、単純計算で700キロ以上の負荷が全身、内臓に遍く掛かる計算となる。
「……なんか、すまんね」
正直、自分であればそれこそマッハの速度で大失神、するところなのだろうな。『作り手』、その一端として心からの瑠璃子の謝罪ではある。
「いや、あの時はそれだけの稼働時間とパワーがあってどうにかなったので謝られても困ります、ってのが本心だったり。使うのはこっちの仕事ですしねー」
事実、この『ライトニング』の調整、何よりも自分自身の順応が遅れていたらあの戦争はどうなっていたことやら、と沖田は思う。どちらかが欠けていても、より悲劇的な結末をもたらせていたことだけは確かな筈だ。自惚れで無く、本当にそう思う。
「そっか……まあ、今回の『アップグレード』で、この『ライトニング』も更なる改修を行うから、慣性負荷に関しては少し楽になる、って思ってくれて良いよ――強引に『ワイヴァーン58号機』のコックピット詰めちゃったままだしね、これ」
沖田が無言で差し出したフルーツバーをもう一本、囓りながら瑠璃子。うん、突入前に食べておくのは理に適っているのだろう。後はゼリーでも一本、入れておけば良いか。
「アップグレード……なるほど、まあそうなるんじゃないかなと思ってましたが」
コーヒー、と記されたパックの中身を吸引しながら沖田。本来はブラックが好みであったが、ここに選択の余地は無い。ここまでの途上、自動販売機であるとかコンビニエンスストアがあった訳でも無いのだから。
「そりゃまたどうして??」
「『ルミナ』には申し訳ないけれど、どう見ても本機は『未完成形』でしょ? 積載している機関の規模に対してその外部出力が随分、足りない気がします。もっと絶大なポテンシャルを持っているんじゃないか、と言う疑問は予てより感じてはいた、かな」
この規模の機体にして対消滅機関を一基、積んでいるという『おぞましさ』がこの沖田の発言、根底にあるにはあったのだろう。強引な喩えを行うのなら、自動二輪車、バイクが原子炉を積んでいるような、とでもなろうか。まあ、試験艦がどうにか搭載することに成功している無形障壁、重力波フィールドを単機で展開できる、その時点でインフレ甚だしい『ライトニング』こと『震電ちゃん』ではあったのだが。あと、姿勢微制御用を除き、基本的に推進剤を不要とするところ、等々。
ちなみにそんな人工知性である『ルミナ』ちゃんは現在、沖田の設定によって無言、無反応を貫いてはいる。沖田自身がちょくちょく仮眠を挟んでいた事もあったし、書類作成等の軽作業を行っていた為である。まあ抜け目のない『彼女』の事であるから、しっかりと聞き耳は立てているのだろうが。
「さすが教導隊の隊長ね……」
目に見える筈も無い機体の『限界数値』や可能性、言ってしまえば『伸び代』、これらを幾らかでも推測出来ている、そんな部分を恐ろしく思う反面、頼もしくも感じる瑠璃子であった。侮っていたつもりは最初から無かったが、本当にこいつは正しく教導隊の隊長、なのだなあ。
「ま、機体の運用、設計思想とかを想像するのも我々の仕事なんで、職業病みたいなモンですよ」
不味いコーヒーをどうにか空にして、沖田はゼリー飲料のそれを二つ取り出し、当然のように瑠璃子に一つを突き出した。やっぱ実質のノルマかい、答えた瑠璃子に沖田は一つだけ頷いた。
「……っと、現状報告。現在、本機は予定より約7分遅れのスケジュールとなっておりますが、これは無論、許容範囲内。博士が覚醒される直前にステーション『フリーダム』及び『ヒューストン』との交信を終えておりますし、突入前減速も実行済みです。ま、ざっと大気圏突入三十分前、ってところですかね、現状」
「お疲れ様、何から何まで悪いわね――って事はあとは飛び込むだけね」
取り出した端末で現状を個人的に再確認しながら瑠璃子。うむ、本当に全部やってくれている……実に仕事の出来る男だな、沖田クン。
「まあ、正確には『ミッションの開始』を宣言してから、となりますがそんなところです」
ピ、ピ、とリズミカルにキー操作を行いながら沖田は言う。瑠璃子には詳細の分からない端末操作であったが、管制官との遣り取りに必要とされる各種数列の整理でも行っているのだろうか、そんな推測はどうにか付いた。自分はもう少し細かなソフト面、その機微も知っておいた方が良いのかもしれないな、そんな事を考えた。それにしても……。
「本当に軍隊って面倒くさいのねえ」
まあ、敵味方問わず、基本的に命の懸かった遣り取りがあるのだから、当然は当然であろうが。正直、瑠璃子のような民間人に毛の生えた程度の俄からすれば、煩わしく感じる部分が多々存在するのは確かだった。
「……まあ、確認の確認の確認、とか念を入れるのは間違ってはいないと思いますがね。行き過ぎは良くないんでしょうが」
「ま、そうなんだけどねえ」
なんと沖田はここで一通り、サブディスプレイに表示された各種情報のメモを直筆で取り始めた。ああ、そうか。電子系が死んでしまう可能性に対する、備えであるのか。いやはや、凄いものだなー。まあ、そんな緊急事態時にそんなメモ書き片手で何が出来るか、と言えば全く無いのだろうが、備えるのが軍人の仕事である、と彼は実際に証明してくれているのだろう。実際に乗ってみないと分からない事が多すぎる、それが分かっただけでも今回は意義があったとも言えるのだろう。母親を含めて周囲を説得するのは簡単なものではなかったが。
「ついでに言うと僕達、二人で燃え尽きる可能性もそれこそ微粒子レベルで存在する訳ですし……せめて綺麗に散りたいものですな……」
メモを終えた沖田が二度、三度とそれぞれの数列を確認しながらとんでも無い事を口にした。心無しかバラが咲き乱れているのではないか、今のこの瞬間。
「ヤなことゆうなあーーーっ!」
そりゃ、ちら、ちらっと考えちゃう事だけど、それ!!
「減速出来ませーん! 助けて下さいー!! って叫んだところで助けてくれる上官もいませんし」
「……つかあの時もあの仮面上司、何も出来てなかったよね!?」
「無駄死にでは無いぞ!」
「いや、すげー無駄死に。ここで死ぬわけにはいかん。いかんので頑張れ、沖田少佐」
こちらの緊張をそれとなく解こうとしてくれているのは伝わってくるだけに心苦しい所はあったが。ホレ、機器が何かしらピーチクパーチク言っておるではないか。
「……はあ、確かにちょっと脅しすぎましたね。まあ気楽に、ピクニックに行く感じで」
ちら、と音源を確認した沖田だったが。どうやら特に問題があるようなものではなかったようである。
「うむ、ピクニックね、良いんじゃないかしら?」
「いやいやいや、ピクニックにしてはお金が掛かりすぎ――」
「――なんつってな!!」
「「ガハハハハハハ!!!!」」
示し合わせたように二人で一頻りのダミ声で笑った後、沖田が改めて補助席、瑠璃子の気密服の各部を確認した。オッケーです、沖田はそう言ってバイザーを降ろすジェスチャーを行い、瑠璃子は律儀にこれに応じた。ここから先は、沖田と会話を行うにもメットのスピーカー越しになる。さあ、いよいよこれからは大切な時間、覚悟の必要とされる時間だ。沖田の邪魔になる事、だけは避けねばならぬ。ふんぬ、と深呼吸と共に決意を固めた瑠璃子だった。
『ミッションの開始を関係各所に宣言しますね。一応、博士の方の承認を頂きたく』
『承認。沖田少佐は現時刻を以て『オペレーション・ライトニング・フォール』を開始せよ』
『えー!? そんな恥ずかしいオペレーション名だったんですか!! すっげえ中二!! 痺れないし憧れない!!』
もはや互いの顔色はバイザー越しもあって見えないぐらいになっていたのだが、沖田の両肩の竦め方、戯け煽り方は大変にイラッと来るものではあった。あったから。
『中二っていうなあ!! こんなんでも頑張って考えたんだぞゴルァああ!!』
激しいアイアン・クローが沖田の首元に炸裂した。っとにコノヤロー!!
『痛い痛い、デリケートな特殊気密服の首元締めないで下さい!!』
『オノレがしょーもないツッコミするからやろうが!!』
残念ながら、日村瑠璃子の堅く、かつ高潔な誓いは三十秒も保たなかった。
◆ ◆ ◆
【同日、同時刻】
【宇宙ステーション『フリーダム』司令室】
「『ヒューストン』管制より連絡、『RL-000(アール・エル・ゼロ)』、大気圏突入ミッションの開始を宣言――作戦名は『ライトニング・フォール』とのこと」
「『RL-000応答せよ、こちら『フリーダム』管制。天文気象情報を送信する。周波数帯358にて応答を願う」
「大気圏突入後は『種子島』及び『東京』、各コントロールに管制を一任――」
「『マウナケア』、『グアム』、『バイコヌール』に引き続き通達――」
「有事の際は『フリーダム』に対策室を設置する必要性ありとの連絡――」
「空母『わだつみ』及び随伴艦、該当海域に到達、展開済み――」
宇宙ステーション『フリーダム』、その基地司令は管制官達が慌ただしく動き回っている様子を司令室の窓から眺めながら溜息を大きく吐き出していた。地上でのクーデターよりこっち、一時稼働停止となっていた軌道エレベータ『ノーザンクロス』の大混乱はどうにか解消に向かいつつあったが、その一方で宇宙軍だか統合軍、いずれにせよ軍隊が規模は極小ながらもとんでもない作戦を実行する、ときたものだ。
積み溜まる地上からの物資群に――当然宇宙から地上に向けられるそれも同じ――収容しきれない航宙船舶の運航管理諸々と、一時期はどうなるだろうかと思っていたものだが、まあ職員の優れた手腕もあってまあ、どうにか切り抜けられた。
一つ手順が狂うと全体が『わや』な状態に陥り掛ける、そんな現実を知れただけ、また前例とする事が出来ただけ良かった、とポジティブに考えるしかあるまい。
現状、停滞している部署は幾つかの存在があるが、全体としての流れはほぼ通常時のそれに戻ってきていると判断しても良い筈だ。とにかく輸送船を弛まず循環させ続けなければならない、それが最優先。
「いやはや、どうにかなりましたな、司令」
基地司令の分のカップコーヒーを片手に一人の幹部職員が口にしてきた。司令のその心でも読んでいたようなタイミングではある。
「まあ、どうにか『廻る』ようになって一安心ってところに、やれ大気圏突入、だからなあ。まだまだ気は休まらんよ」
自分好み、シュガー半分だけ入りのコーヒーをありがたく含みながら、司令は先程の特機パイロットとの通信、その内容を思い出していた。何が正しいかそうでないかはこの際、さて置いてともかく、軍上層部から示された完璧なコードと権限、それに基づく特殊航宙機での単独大気圏突入、と聞かされた時には腰を抜かしそうになったものだが。また随分、若い声に聞こえた気もするのだが、実際の所はどうなのだろう。
「まあ、『コト』が大気圏突入ですからね、そりゃみんなの目にも火が灯りますって!」
自分のコーヒーをぐい、と傾けた幹部の顔は疲労濃くも喜色、溢れるものではあった。
「大気圏突入サポートなんてマニュアル、コンピュータから引き出すのも大変でしたよ。まあ、こう言っちゃアレですが楽しかったですがねえ!」
「……私でもその感覚は分かる。絶対に否定出来ない、業だねこりゃあ」
部下である幹部職員のみならず、最高責任者である司令もこれはこれで興奮を禁じ得ないではいるのだ。
「――こっちねえ、『ノーザンクロス』なんて一昔前はそれこそ物語でしか出てこなかったとんでもねーブツが出来ちゃった結果、機体単独による大気圏離脱は元より、再突入だって、てーんで行われなくなっちまいましたからねえ……」
遠い目の幹部職員。そりゃ、現状は『絵的』には非常に地味なものになっているとは思うけれど。
「おいおい、自分達の仕事を否定するようなことを言うなよ」
司令は苦笑ではなく、普通に笑ってしまった。うん、本当に『理解共有できる』感覚なのだ、これが。宇宙エレベータである『ノーザンクロス』、その宇宙側の起点として建造された『フリーダム』、その業務の大半は、ゆっくりと地表、この場合は人工島『アトラス』から昇ってくる各種コンテナ他の仕分け、及び輸送管制が占めている現実。無論、そのまた逆も然り、であるが。
「地球環境的にはアレだったかもしれませんが、やっぱドでかいロケットで強引に第一宇宙速度、第二速度を獲得する、ってロマンは否定したくありませんや、ズドゴゴゴゴゴゴ、ってねえ!」
では、失礼しますよ、と最後まで笑ったままの部下が立ち去って行く。
全く、宇宙に魅入られた人間同士と言うべきか。
そんな論法に否定できる根拠がこれっぽっちも無いことに改めて気付いた司令は苦笑いを維持、改めて手元の立体モニターを引き寄せた。該当の『特機ライトニング』、その全体像はステーションの望遠を以てしても辛うじて確認できる程のものでしかなかったが。
「Hava good DIVE――」
司令は、改めて口にした。そして、彼等の任務の成功を一点の曇り無く、願うのだった。
◆ ◆ ◆
【同日、同時刻】
【政府特別機執務室】
「7分遅れですって? 充分じゃ無い。寧ろ良くもまあこの短時間でここまで来てくれたものだ、と感心したいところだわ」
眠い目を擦り、何杯目とも分からないコーヒーの湯気を顎に当てながら秋山千尋は秘書官に答えた。統合軍直轄、政府特別航空機である『A777』は現在、順調に飛行中。人工島『アトラス』への到達まで一時間を切った、というところか。個室でもある執務室に備えられた窓から機外を覗くと、白み始めた水平線とエスコート機であるF-115S『スーパーイーグル』の何機かを確認する事が出来た。まあ、VIPがほとんど乗り込んでいるともなれば護衛もこれぐらいの規模にならざるを得ないのだろう。
「閣下方が少しでもお休みになれていればいいけれど」
秋山の心配ももっともなものであり、夜半にまで及んだ会議、からの航空機に依る移動と言うスケジュールは如何にも高齢者にはタイトなものと思えてならない。
「皆様、気持ち良く眠られているようですよ――ヘイスティング閣下だけは眠れない、とのことで今は読書をされているようですが」
「……一番眠って欲しい人が起きているのも問題だわね」
そう口にはしたものの、秋山の両目、その下の隈もいよいよ化粧では隠せないものとなってきてはいるのでこれは説得力に欠ける事、甚だしくはあった。クーデターからこっち、まともな一睡も摂れていない。まあ繰り返しになるが、世界が混迷混乱に叩き込まれるかと言えばそんな事は全く無く、寧ろこちら側がドン引きするぐらいに安定、安静なものと推移しつつあるから『この程度』で済んではいるのだろう。
「別便の方では大使閣下も熟睡されているようで」
念には念を入れた結果、政府特別機は今回、二機が用意される運びとなっていた。まあ何らかのアクシデントなり悪意ある攻撃なりがあって一味郎党大爆死、は本当に笑えない。付け加えればかつての連合議長、ブルクハルトもそうやって移動していて爆殺されたのでは無かったか。
「それはまあ本当に何よりだわね――覚悟のあった私達と違って彼、大使閣下にとっては何もかもが『寝耳に水』だったわけだしね」
その意味では本当に心から同情せざるを得ない。エテルナ史にあって間違いなく、最大の外交課題を、それも突然に背負わなくてはならなくなった彼のその胸中は軽々に推し量れる様なものではないのだろう。自分が彼の立場だったとしたら、と考えるだけで胃腸に異常を来しそうな勢いではある。正直今回のフライトに同行を申し出てくるとは思わなかったのだが、それだけ彼も必死は必死なのだろう。
「こちらに夜食を置いておきます――中将閣下も少しでもお休み下さい」
「ありがと」
秘書官が下がったのを確認してサンドイッチを一つだけ摘まみ、コーヒーのこれ以上の摂取は避けてミルクを口にした。自分も少しで良いから仮眠を摂るべきかもしれない。
「そうは言っても中々、休めないのよね」
今後の政治運営は基本的に『アトラス』で行うのが望ましい、これは実は当初からの計画でもあった。起動エレベータの地上起点でありつつ、また地球上の最強戦力によって守護されているこの人工島は間違いなく、今この地球上でもっとも安全な場所であると言えるだろう。もっとも、何処にどんな穴、セキュリティホールの類があるかどうか知れたものではないので――何しろ人工島とは言え、地味に広く、また階層も深いのだ――用心に用心は重ねられなければならない。また自分達はともかくとしてエテルナ大使の護衛、警備にはそれこそ万全を期さねばならないし、今後はその家族を含めた居住先等も選定しなくてはならないのだろう。うーん、とっとと『宇宙』に上がってしまうのが手っ取り早くはあるかもしれないがなあ……。
「ふう……」
キーボードを叩く手を止めて、その眉間の皺を解きほぐした。
こんな時にだけ、恋人に傍に居て欲しいと思う我が身。
身勝手にも程があるな――そんな事を考えながら、秋山千尋はその両目を閉じるのだった。