Chapter:02-20
Chapter:02-20
【過去:AD:2356-01-09】
私物の携帯端末、その着信履歴に残っていたのは見覚えの有り過ぎる電話番号だった。
とっくにデータも含めて削除した筈なのに、その数列を覚えている自分自身には驚いてしまったのだけれど。
……これは『僕』の心、その『どこか』に拭いきれない未練、その存在があったという事でもあるのだろうか。
そう、僕達がその『別離』へと至るのに際し、これと言った明確な理由、事象事情が存在した訳では無かった。敢えて言えば、互いの立場、それに基づく物理的距離の拡張拡大、擦れ違いに要因があった、とは言えるのかもしれないが。
……自分語りはさて置いてしかし、公務のそれ、携帯番号では無く私物のそれで彼女が僕に連絡を取ってきた理由が本当に分からない。
こう言ってしまうと難であるが、いわゆる『恋人期間が円満に終了』した後、『彼女』の社会的立場の更なる激変もあった結果、公務で顔を合わせたり、話をする機会が増えたのはこれはなんとも皮肉と呼べるものではあったが。
その様な意味では『彼女』からの連絡は特段に珍しいものではなかったのだが、いやはや、どうしてまた今回に限って、プライベートのそれで連絡を取ってきたのだろうか。
当然、公務とは別の、何かしら『私的事』な事態が発生しているという事なのだろうが……。
うーん。履歴通知に気付いたのが五分前、そして着信時刻は二時間前――さすがに、これは折り返して然るべき段階に、常識では来ているんだろうけれど。どこか遠慮、気不味さが存在しているのはそりゃあ否定出来ないし……かといって、例えば公務のそれで連絡入れて『私物の方に電話しましたか?』とか聞くのもエレガントな行為からは程遠すぎるものだろう。それは断じて、僕の美学では無い。
えいっ、とそんな私物、携帯電話を持ち上げたところで、着信。なんとまあ、同じ番号である。意を決して、通話機能を入れた。
「……突然の電話で驚いたと思うんだけれど、ごめんね」
『彼女』の声は全く通常のそれ、であった。無論、公務でのそれとは口調、話し方は大きく異なってはおり、そう言う意味では本当に懐かしい、その声色だった。
「あ、うん……こっちこそ折り返しが遅れてすまない。ちと端末から離れていたもので……」
これは全くの事実ではあったので、心痛むところは無かった。
「今日は、お願いがあって連絡したの。貴方にお願いする、とかそんな資格無いのかもしれないけれど、他に頼れなくって」
「いや、そんなこと言わないでおくれよ。よっぽど退っ引きならない事情がありそうなのは分かるし。で、どんなお願いなの?」
平然と受けながらも、一体何事があったのか、と気が気では無い僕だった。そもそも、彼女がこんなに困り果てる事象なんて、この世界にはそう存在しない筈であったが。
「結論から言うと、とある『子供』の義理の親になって貰いたいのだけれど」
「……え、えええええっ???」
ワオ、本当に想像の果て、そのまた果ての果て、である。暫し、自分を失った僕。海とお空がキレーだな、しっかし……。
「統合軍の特殊部隊――貴方に隠しても仕方ないので言っちゃうけれど『海兵隊』の一部隊が作戦行動中に拾った子供なんだけれどね……」
『陸』、『海』、『空』、そして『宇宙』のそれが存在する惑星連合軍。それらを統括する上位組織として近年、設立された『統合軍』が持つ実質、唯一の実働部隊が『海兵隊』と呼ばれるものである事は当然、軍人ならば誰でも知っている。また、『海兵隊』と聞けば多くの人間が地上部隊のそれを想像するのだろうが、そんな彼等の主な戦場、職場は実は宇宙空間にあった。
そんな『彼女』は元来、日本空軍の所属であったのだが、統合軍の発足に伴い、その幹部として招聘されることになり、今ではその人事中核を握る存在になっているようである。先述の『彼女の立ち位置の激変』は、正にこれに当たる。まあ、本当に優秀な元カノ、なのであった。階級も自分より上になってしまったしなあ。
「……続けてくれる?」
「……なんでも、極めて特殊な状況下で拾われた子供らしくて、このまま養護施設なりなんなりに預けたりしたら妙な研究機関とかに目とか付けられるんじゃ無いか、と現場の隊員達は不安がっているんだよね」
「ふむふむ……って、え、現場の隊員って当然、この場合は『海兵隊員』って事で良いんだよね?」
物凄い違和感。え、海兵隊ってむくつけきマッチョマン、それこそゴリラのようなタフガイ達が集うイメージがあるんだが。そんな彼等が不安、ですと?
「そだねー、『第02試験海兵団』ってトコなんだけど」
OH、アレだ、仄聞したところに依ると頑健な重気密服でガチンコ白兵とか試験訓練やっている連中じゃねえか、それ。ゴリラ集団で確定かよ。
「子供、と言うには大きい……まあ、15、6歳じゃないかと推測されるらしく、まあ施設に送るよりも何らかの職業訓練施設にでも入れてあげるのが最善だろう、って話にはなっているんだけれど」
その年齢だと確かに『子供』と言う表現は適切では無いかも知れないな、僕は思いはしたが。
「その年齢だと、それが現実的だろうね……うん、もしかして、軍関係の教育機関に、って流れか、コレ」
軍隊には様々な教育機関が存在する。いわゆる『士官学校』のみならず、一般社会の中高等学校に該当する機関、施設だって存在していた。しかし、15、6と推測、って年齢不詳って事で……うーん、確かにこの一点だけで事情は複雑そうだ。
「察しが早いわね、今、健康面含めて学力面も調べている所なんだけれど、基本的には軍関係の専門学校等に入れてあげれば、と言う流れになってんのね。また、子供――以降、『少年』としておくけれど『少年』もこれには概ね、同意しているみたい。本人は、自分の置かれた現状を含めて『何が何だか』分かっていないみたいなんだけどね」
「……基本的な質問が幾つかある。その『少年』にいわゆる国民番号は無いのか? ――あればこんな話になっていないだろうし多分、無いんだろうね、と推測は出来るけれど……また、15、6って事だけどさすがにその年齢で自分の状況が何が何だか分からない、って事はないんじゃない? という純粋な疑問」
なかなか彼女がその詳細に踏み込んできてくれなかったので、こちらから踏み入れることとした。彼女は大変に頭脳明晰、絵に描いた才媛であったのだが、こと、一般的、或いは感情的なものが介在するとなると話は別、なのも昔と全く変わっていない。素直に、可愛いと思う部分ではある、それは今も変わらず。
「国民番号は疎か、身元を証明するものが一つも無いんです――また、理由とか事情は分からないけれど、過去の記憶も一切合切、失っちゃっているみたいで……日本語、英語、でのコミュニケーションにも全く問題は無くて、知能面での問題も無さそう――人工知能に言わせると『エテルナ訛り』が確認できる、って事だけれど、これはAIの不具合かと思う」
不具合で片付けて良いのだろうか、と思わないでも無いところではあったが、まあ『エテルナ』帰りだなんて、まず有り得ない筈だろうし、除外するのも宜なるかな、か。
「なるほど、確かに『彼』の今後の人生を心配したくもなる状況が揃っているね……で、一体全体どこでそんな『彼』を拾ったんだい?」
「ラグランジュ、L2近縁で空間白兵演習を行っていた海兵隊が、廃船の中で見付けたようね。どうもいわゆる非合法、反社会勢力の所有する船だったみたいで、船籍登録は当然無し。微かに遺された痕跡から、ここ一年ぐらいで廃棄されたものじゃないか、って」
「……良くそんな状況下で生きていたもんだね……救命カプセルにでも入っていたの?」
「そうみたい。やっぱり、仕様不明のカプセルだったみたいで……いずれにせよ、そんなカプセル内での仮死状態、冬眠でどれだけの期間を過ごしてきたのか、分からないようで」
「結果的に今、その将来を心配できるぐらいの健康状態になっていることが奇跡的、なのは把握した。確かに、色々な機関が興味を持ちそうな存在だね、それは。公的機関も含めて、だけどさ……人間をモルモットにしか見る事の出来ないキチガイは沢山いるしね……」
ほんの何年か前、全太陽系世界を困惑と恐怖に叩き込んだ事件が思い起こされる。人権もヘッタクレもない、とんでもない人体実験を仮にも公的機関が行っていたというおぞましい話。
「そう。それで、後見役どころじゃない、後ろ盾があったらより、彼は安全でいられるだろうか、って思って」
「なるほど、それで僕に、か」
ふむ、軍関連の公的組織預かりの上、軍人の――自惚れが許されれば僕はかなりの高位階級でもあった――保護下にある、となればまあ、ちょっかい出してくる者はいないだろう。
「……頼めた義理じゃ無いのは分かっているんだけれど……」
何度目とも付かないそんな謝罪は、いい加減に聞きたくはなくなってきていたが。まあ、それだけ困っている、と言う事なのでもあろう。こんな話、まともな人間であれば耳も貸さないであろうし。
「……ふむ、その場合、僕の義理の息子になる、そんな話になるのかな」
『息子』、と言う響きにはちょっとどころでなく、斬新なものがあった。うん、悪くないかもしれない、と思う位には。
「それが一番、確実かなあと。提督の息子、ってなったら変な色気出すヤツはいないでしょう?」
その言葉が聞きたかった! ……ではなく、まあ、そうなるわなあって、お話で。
「……それなら君が……って、愚問だったな。君には親戚が大勢、いたっけね――そりゃ軽々《けいけい》に、やれんわなあ」
「……ごめんなさい」
彼女は独身の筈であったが、その親戚縁戚の数は大変なものに上る、とは過去にも聞いた事があった。一族代々、軍の家系だと言う事も。
「ふむ、ぶっちゃけマッチョゴリラ達の巣窟、泣く子はもっと泣き出す鬼の『海兵隊員』達がそれ程に気を揉む存在、その一点で興味はあるなあ。その『少年』のデータを現在、分かるところで良いから送ってくれないか。と言うか、僕の義理の息子になる、その前提でもう動いてしまってくれて構わないから。こっちゃ天涯孤独の独り身であるし、気楽なもんだよ」
事実、両親と親戚をかつての『極東有事』で喪って久しい身の上ではある。ふと、自虐の押し付けみたいになってしまったかな、と不安にもなったが。
「……相変わらず、果断即決なのね」
取り敢えず、彼女は気にしていないようだ、そう思うことにした。
「まあね、海軍ですから!」
ぐっ、と実際に自分の左手親指を立てながら、僕。
「データは直ぐに送ります」
「ちなみにその『少年』、名前も分からないの?」
取り敢えず、自分の端末にその少年専用の情報領域を作成しておこうか、と言うところで指が止まった。
「装着していた医療着? には『Chrise』って刺繍が刻まれていたみたい。まあ、どこかのブランド名なのかもしれないけれど、暫定的に我々は彼を『クリストファ』と呼んであげているわ。鴉の濡れ羽色の黒髪、見た目はまるで女の子みたいな美少年だよ」
ほっほう、黒髪の美少年と来ましたか元カノさん……それは地味に僕のストライクゾーンかもしれませんね……口にしそうにはなったが、これはどうにか堪えることが出来た。間違いなく三秒で通話は打ち切られ、未来永劫彼女から電話が掛かってくることは無くなるであろう、位の予測は出来た。
「うん、そっか――古風だけれど良い響きの名前だね――ま、じゃあそんな美少年『クリストファ』の資料、待っているよ」
「はい、ありがとう」
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【現在:AD:2359-12-15】
【房総半島沖:融合力空母『わだつみ』艦長執務室】
「……とまあ、あれからなんだかんだと三年、経ったわけだ……」
関係各所に根回し、本当に強引は強引な養子縁組を施し、自分のラストネームを与える事になった息子、クリストファ。
自分はフランス系の父を持つものだから『沖田』と言う漢字は出生当時に『オキタ』と開かれてはいたのだが、敢えて彼には元の漢字、名字を宛がってみた。
『沖田クリストファ』、うん、我ながら、良い響きだと思う。
艦長室、窓際に立てられた写真立ての中のそんなクリストファは僕と二人、並んでそれでも微笑みをこちらに浮かべてくれている。確か、宇宙軍士官学校は入学式の時に撮影したものだった筈だ。海軍の保護者は大変に珍しいものらしく、またその階級に周囲がドン引きしていたのは控え目に言っても面白かった記憶はある。実際、僕も若かったわけであるし。……まあ、まだ34だけどね……うん、若い若い……。
この時のクリストファの頭髪は真っ黒、それこそ深宇宙を引き塗り延ばしたようなものだったのだが、どうしてか彼の頭髪はこの頃より、銀色が入り交じるものとなっていってしまい、今では完全な銀髪に落ち着いてしまっている。義理の親として気が気では無かったが、身体及び精神に一切の問題無し、と言われれば口を挟める事もなくって。
そして、いつの間にか『火星沖会戦』と言う酷い戦争に参加していた、そんな救いようのない話は御存知の通りである。
本人が陸海空のそれよりも宇宙軍に興味を持っているように見えたこと、また『まあぶっちゃけ宇宙軍が一番安全だわね』と、『彼女』と『僕』の判断が一致したこともあって、宇宙軍の士官学校へと入れたのにも関わらず。
「……義理とは言え、『僕』は本当に不肖の母親だよなぁ」
一つ呟いて、僕は卓上に置かれていた帽子を手に取った。望んだ形では無かったが、息子との再会は近い。ま、本音を言えばもーーーちょっと『普通に』地球に来て欲しいところだったが、まあ仕方無い。
「さってと、こっからは『私』、であると!」
惑星連合日本海軍中将、ソフィ・アレン・オキタは颯爽と軍服袖を払い、『わだつみ』艦長室を後にした。
『わだつみ』乗員に対し、今後の作戦を説明しなくてはならなかったのである。
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【融合力空母『やまと』FIC(Flag Information Center=旗艦用司令部作戦室)】
「なんだ、集められたのは甲板組ばかりじゃないかい」
「……何が始まろうってのかねえ」
「『アトラス』までこっち、のんびり過ごせるかと思ってたのに……」
三々五々の談笑はしかし。壇上に控える副長によるサイドパイプ、号笛の演奏で打ち切られることとなっていた。これは総員、注目を示す音色。
程なくして、一人の白軍服、提督が静かに入室してきた。作戦室内全員、合わせたような一斉起立を行った。
「総員、オキタ艦長に敬礼!」
ぴ、と背を張った副長の掛け声と全く同時に、その場の全員が一斉に敬礼を行った。その多くが整備ツナギ、及び軽作業服に身を固めており、海軍の知識に通じた人間が観察すれば彼等の多くがいわゆる『甲板士官』、『甲板兵』であることを知れた筈だ。
「諸君、お疲れ様――」
ゆっくりと簡易敬礼を行いながら壇上へと向かうのはこの『わだつみ』の艦長、ソフィ・A・オキタ海軍准将であった。ややもするとクルーカットに見紛う程のベリーショート。標準的日本人女性の体格、そして三十代前半という若さも相俟って、彼女が世界に三隻しか存在のない融合力空母『わだつみ型』、それも『ネーム・シップ』の艦長を務めていると想像できる人間はそうはいないだろう。
「ん、座って良し――臨時のブリーフィングには違いないが、気楽に臨んで欲しいと思います」
左右に敬礼を振りながら、オキタ艦長自らが着席する。それを確認した一同、甲板組がざざっと腰を降ろした。
「諸君等、主に甲板組を先んじて呼び集めさせてもらったことには理由があります――」
些か演技的にオキタはここで言葉を止めて、最前列、その中央にどんと構え座った甲板長が軽く頷くのを確認した。正直な話、艦長である自分よりも余程に長くこの『わだつみ』に乗艦している『甲板長』と、『機関長』、そして『先任伍長』は頭の上がらない存在でもあるのだった。先代艦長深町の時からの重鎮であり、彼等が存在しなくてはこの『わだつみ』は文字通り、まともに回らない。作戦遂行時はこれは論外であったが、プライベート他にあっては艦長ですら敬語を用いる事もしばしば。
「正確な時刻は後程、通達するがおおよそ明日未明、とある『特別機』を本艦に着艦させることとなる――『艦長権限による情報解除を承認』、各自端末を確認せよ、順に追って説明する」
艦長による承認印、認証を経てそれぞれの端末にアップデート通知が反映された。甲板組他が一斉に端末を取り出し揃うまで、少しの時間を置いた。
「『特別機』、その名称は」
オキタ艦長、その背面のディスプレイに立体映像が同時に反映され始める。
「統合軍所属航宙特別試験機『RL-000(アール・エル・ゼロ)』、通称『ライトニング』である。以降、『RL-000』と呼称する。乗員数は二、今回は技官が一人同乗しているようです」
浮かび上がった『ライトニング』の仕様図を背にして、あくまでも淡々とオキタは口にしたのだが。
「――えっ??」
「――えっ??」
「――えっ??」
「――えっ??」
「――ええええええええええええええええええええええっ!?!?!?」
甲板長を除く全員が、一斉に声を引っ繰り返した瞬間である。げえええ、だの、うげえええ、等と言った悲鳴と絶叫、動揺が落着するまでには少なからぬ時間が掛かったのだが、オキタ艦長にはその反応を咎めるつもりは毛頭も無かった。まあ、みんな目を擦るよね、そりゃ……。
「――皆が驚くのも無理はない……それにしてもさすがは甲板長、動じていないとは流石ですね」
櫻井、と刻まれた整備ツナギ、そして大尉を示す腕章。海焼けした太い両腕を組んだままの偉丈夫、甲板長である櫻井義人はその場でただ、静かにズシリと座り続けている。
「お褒め頂いて申し訳ないが……いや、ぶっちゃけ腰が抜けてるんですけどね――」
自他共に認める歴戦の甲板長、櫻井のその言葉が含める意味。
言うまでもない。
だって。
画面に映されているその特別機って。
人型じゃん!! 人の形してんじゃん!!
「――なんとまあ、『人型』と来ましたか、これは予想外と言うより、何と言うか、それこそ夢を見ているような気がしますな、ってまあ麻痺していてもしゃーないんで、手っ取り早くいきましょうか――形はともかくとして、そもそもなんで『航宙機』なのか――私ゃ海の男なので、あまり詳しくは無いんですが、そもそも『航宙機』って大気圏内の飛行能力、あるのかどうかも含めて――まあ、説明はしていただけるんでしょうが」
ボリボリ、と薄くなり掛かった頭髪を掻きながら、櫻井大尉。
「ええ、そうですね――該当の『RL-000』は、その統合軍所属『第101特殊作戦航空団』、通称『モーニング・スター』の所属となります。勇猛で知られているので、御存知の諸君も多いかもしれませんね」
ほう、と端々で好意的な声が上がった。そんな反応があることを喜ばしく思うオキタである。畑は違えど、『第101特殊作戦航空団』の偉業、名声は地球上、海軍にも響き届いていたのである。沖田クリストファか……ん? これ偶然?? そんな誰かの呟きも聞こえたような気がしたが、差し当たってオキタは流すこととし、紙の書類を一枚、捲り上げた。
「大気圏内の飛行性能、及び着艦性能については、これはまた後程に詳細を説明しますが、そんな特機は特殊な『大気圏突入装甲』にて大気圏突入後、日本領海上空に降下、そして本艦、『わだつみ』へと着艦する予定、です――」
「――たたたた大気圏突入!?!?」
最前列、中年の甲板士官が堪らずに声を張った。そうだ、それぐらいに。
「驚くのも無理はないわね――実際、航宙機による大気圏への物理的、直接突入はここ数年、ほとんど行われていない――ともあれ、この一点だけで、本当に前代未聞のミッションになることが伝わるかしら? ちなみに、件の『大気圏突入装甲』は軽微ながらも飛行機能を有している、とのことです。まあ、実際に飛ばしてみないと分かりません、って言われましたが」
航宙機、船舶による物理的突入が惑星、その大気層に与える損傷が深刻なものであることを人類が学習、把握を経て久しいこの時代。まして、軌道エレベータ『ノーザンクロス』が稼働している現在にあっては、尚のこと。
「精神的な抵抗感が存在することは認めますが、この貴重なデータ諸々は後に、大いに生かされることとなるのでしょうね――宇宙軍のみならず、我々海軍としても有益なものになるのかな」
航宙戦闘機体が大気圏突入を試みなければならない状況は、ちょっと所ではなく想像し難いものではあったが、それでもそんな万一に備えるのが軍人と言うもので、とはオキタが呑み込んだ言葉である。具申諸々も無いようなので、ソフィ・オキタは言葉を続ける。
「――勇猛で知られる『101特殊作戦航空団』。我が『わだつみ』が、そんな彼等の、一時的でも『母艦』となる、そんな名誉はこれはまた量り知れないものになるでしょう」
ごくっ、と最前列、櫻井大尉他の喉が鳴るのを確認したオキタ艦長である。
「乗り手は『名の知られた』沖田クリストファ少佐と、技官が一名。その護衛と『アトラス』への移送が、我々に命令された意味、意義は説明する必要はありませんね? そして、そんな沖田少佐の偉業に関してここで説明する必要も、特に艦長オキタは感じませんけれど、どうかな?」
艦長の言葉にある者は頷き、ある者はそれぞれの行為で賛意を示した。宇宙軍に関する知識が乏しくとも、『沖田クリストファ』という個人名を知らない人間は少なくとも軍隊には存在しない。色々と聞きはするが、間違いなく『大英雄』ではないか、と。こいつ居なかったら冗談抜きで今の世の中、どうなっていたかと。
「当時、士官の身でありながら『名誉勲章』を、授与された英雄の乗艦です。皆さん、常の『わだつみ魂』を存分に、発揮していただきたい!!」
室内の全員がその背筋をこれでもかとばかりに再度、ビシリ張り伸ばした。実はそんな沖田クリストファが当時、正式には士官ですらなかったことについては、敢えて艦長は触れなかった。戦時階級、そんなシステムが現実に適用されるとは当時の誰も、想定していなかったこともあるのだけれど。彼の本来の階級は準士官、准尉に留まっていたのである。書類的には、だが。
「……ん、んんっ……で、何と言いますか、これは私事なのですが……その……あの……」
おや、温和怜悧で知られるソフィ艦長が何を逡巡しているのだろう、誰か突っ込んでやれ!! 誰かーーー!!! 誰かあるーーーっ!?
「……ふう……艦長、こんな人型ロボット『アール・エロ・ゼロ』ちゃんの話を聞いちまった我々、そうそうこれ以上驚くことなんてありませんので、遠慮無くどうぞ!!」
周囲、その無言の圧力に根負けした機関長、田中大尉の言葉に好意的な笑い声が連鎖的に続く。
「……本当に? ええとね……何と言いますか……その……」
ゴクリ、と誰もが唾を飲み込む、そんな艦長のタメ方。真顔を維持しているのは壇上、脇にて直立不動で立っている副長真田のみ。
「実はこの『沖田クリストファ』少佐なんだけど――私の息子なんだよね……っていう」
・・・。 ・・・。 ・・・。 ・・・。 ・・・。 ・・・。 ・・・。
作戦室内は、完全に沈黙した。
「えっ……えっ……ええええええええええ!?!? な、なんですとーーー!?!?」
切っ掛けは、田中機関長であった。自らの言葉をまるっきり否定する、そんな叫びであった。
「「「な、な、な、なんだってーーーーーーーーー!!!」」」
ド級の空母『わだつみ』、その船体を揺るがせとする程の爆音、震動が発生した。
「えらいこっちゃーーーーーー!!」
「え、艦長って結婚してたの! してたらしてたでショック!! してないで産んでいたのならそれはそれでショック!!」
「って艦長、幾つの時に産んでんだよーーーーー!! ありえへーん!!」
「って、なんやねん!! カーチャンが海軍提督で息子が宇宙戦士で、もいっちょエースパイロットとかチートにも程があんねんやろーーー!!」
「相手は誰じゃああああ!! 三枚に下ろしてくれんぞゴルァアアアアア!!!!」
「好きよキャプテン!!」
「好きよ好きよキャプテン!!」
軍帽ごと下を向いてしまっていた艦長が赤面、羞恥に震えている事に気付いた副長真田、一つ小さく溜息。全く、だからもっと早い内に公表しておけば良かったものを……まあ、こう言うのは公表するものでもないのかもしれないけれど……。いずれにせよ、艦長に人気があるのは副長としては喜ばしい事ではある。
「貴様等、艦長が困っておろうが!! たわけーーーー!! 総員、続く艦長のお言葉に傾聴ーーーーーッ!!!」
カオスと化した作戦室内、そんな空気の一切を吹き飛ばす副長真田の怒号と鼓膜裂く号笛の爆音であった。阿波踊りさながら、えらいこっちゃえらいこっちゃヨイヨイヨイヨイの様相を呈していた一同、そのままの状態で一斉に固まった。
「……あー、まあ……お腹を痛めて産んだわけでは無く、戸籍上の息子、って事なんだけど……とにかくまあ……みんなには宜しくして欲しいって言うか……けど、軍務だし、公私混同は堅く戒められるべきだと思ったり……ついでに皆には早く教えておかないとなあ、とかね……」
「当然です! ご子息の来艦を一同、心待ちにしておきましょう!! いやはや、名誉なことですわ、実際にね!」
いち早く我を取り戻した先任伍長、浦本大尉がスタイリッシュな敬礼を行うのに周囲が続く。
「ガンダムでもマクロスでもドンと来いです!! 不肖甲板長櫻井、満を持して受け止めてくれるわ!!!!」
甲板長がその分厚い胸を突き出したのだが、そこは『バルキリー』としておくべきです、と無慈悲なツッコミが後方から入って、やはり作戦会議室は何度目かの笑いに包まれた。すまん、浅学の身でな、頭を掻く櫻井大尉。1200メートル超の『マクロス型』はさすがに『わだつみ』では受け止められません。こっちが沈みます。ヤックデカルチャー。
「――では、そんなオキタジュニアの乗り込む人型ちゃんの全長と重量、また風力及び諸々の耐性、数字を聞かせてもらいましょうかね!!」
「ありがとう、甲板長――では詳細の説明を副長、お願い」
「副長、頂きました!」
喜色満面、副長真田が麗しい敬礼を作った。
◆ ◆ ◆
【同日、同時刻】
【ラリー・インダストリー月面本社社長室】
「またしても忙しいところ、すまん――まあ、取り敢えず座ってくれ」
社長であるジュリアス・オークランドの第一声は謝罪だった。
「いや、こちらこそこんな小汚い格好で申し訳も――ってこんなに社長室に足繁く通うことになるとはね……」
その言葉に全く違うところのない、薄汚れた整備ツナギに機械油混じりの整備帽、塗料の付着した工作靴という色々な意味で役満なイデダチの日村霧男が応じる。
「何の作業をしてたのかね?」
汚れた日村主任もなんのその、気にする素振りも見せずにソファを薦めたオークランド社長である。
「ああ、例の嫁さんの『発掘物』を新造艦の工房ブロックに運び込む、そんなめんどい仕事ですわ――やったらと質量だけはあったんですけれど何を勿体振ってか、詳細を全然教えてくれなくて参ってますわあ」
汚れは自分でも気になってはいたが、それでも日村は埃を二度、三度払ってからソファに腰を沈めた。新造艦、その中心部区画に設けられた『工房ブロック』はその名前の通り、あらゆる工作製作機材、及び各種資源類がこれでもかと詰め込まれた正に『工場』そのものと呼べる区画、存在であり、その気となれば航宙戦闘機『ワイヴァーン』をゼロの状態から建造することも可能とする。
「確かにリンダ博士にはあらゆる自由を認めているが――『新型』に乗せてどうするつもりなの?」
「俺もまだ詳しくは聞いてないですが、なんでも『出雲』で調べたいことがある、ってことのようでして――どうせ我々、『出雲』には向かうことになるので構わないと言えば構わないですが、あの女房はどうもこっちを輸送トラックか何かと勘違いしているとしか思えないっす」
「ここ、月面ではなくて『出雲』?? 彼女の狙いが、わからんね」
自分の分と日村の紅茶を用意しながら社長は苦笑いを浮かべた。
「完全に同意、ですけどリンダに頭が上がらないのは自分も一緒でして」
何しろ、彼女の存在がなかったら『新造艦』がそもそも建造が行えたか、と言う話でもあるので、これは日村、心からの言葉ではある。言うまでも無く、社長も。
「僕の立場でも上がらないな――いずれにせよ、『遺物』も含めて報告を楽しみに待つとしようか」
一つ笑った後、角砂糖を一つだけ入れて社長は紅茶を含む。
「いやいや――さて、ご用件は?」
こちらはストレートのまま、カップを持ち上げた日村霧男である。世間話を――凄い世間話だとは思うが――する為だけに社長が自分を呼び付けたとは思っていない。
「うん――これから話すことは、本当に極秘事項になる。情報の保守管理は、君の立場でも気を付けて貰いたい」
「……ああ、いよいよ何かが始まるんですね――元より、外部の人間は疎か、ラリーの関係者でも我が課以外の人間はまず立ち入っていないから大丈夫だとは思いますが。有線も繋いでない、スニーカー・オンラインですし」
敢えて、社長が分かり切っていることを説明する日村であった。が、裏を返してみればこれは社長側からの誘導通りなのかもしれず――食えないオッサンだ、と認識を新たとせずには居られない。
「『第一貴賓室』、あっただろう」
「ありますな、そりゃ――貴賓は全部で四部屋、第一貴賓室は現時点でスペース及び天井高も随一です。内装は未だ手付かずですので、貴賓室ってのもあくまでも『予定』ですがねえ」
てっきり、軍艦としての装備他の話になるとばかり想定していた霧男としては、肩透かしに近い社長の言葉だった。なんで貴賓室やねん、と。
「うん、先程やはり非公式にだが打診があってね――」
ここで社長は紅茶をゆっくりと含んだので、霧男もそれに倣った。全く、このオッサンの淹れてくれる紅茶は本当に美味いのだ。
「――『エテルナ共和自由国大使館』として、内装と設備を恥ずかしくないものにして欲しい、とのことでね――私にも何がなにやら……」
ほわゎと紅茶の湯気ごと溜息を長く零した社長は、実際に困り果てた表情になっていた。
一方で、霧男は社長の発言、日本語の意味が分からないままに。カップを持ち上げたまま、凝固したままに。
「えっ――??」
「えっ――??」
秒針が、カチコチと半周したかしなかったか。少なくとも、その間、両者とも硬直、まま。
「お、驚くのは分かるけれど君に、えっ、と言われても……その、なんだ……すまん……」
あんまりの展開に日村が自失している、その点にようやく思い至った社長の言葉である。
「……あ、すみませんホント――想定の範囲外というか大場外グランドスラムサヨナラホームランみたいな話に聞こえたものでして」
ずいず、と紅茶をそれでも霧男は啜った。啜り抜いた。熱いぜチクショー。
「で、『大使館』なんですか? 『領事館』じゃなくて???」
「え、食い付くのそこ!?」
紅茶を吹き掛けたオークランド社長は慌ててハンカチを口元に宛がった。
「えっ――って、そうじゃなくて……いや、『大使館』と『領事館』ってハッキリと違い、あるはずですからね、確か」
「うむ――取り敢えず、私も細かい話は聞いてもいないんだが、『大使館』であることに間違いはない――うん、これには『Embassy』、『大使館』と明記してあるな」
念のため、取り出した携帯端末を確認した社長である。
「『Consulate』、『領事館』ではないとなると――」
天井を見上げ、そしてある思い付きに行き当たる、霧男だった。
「……社長、俺の造った『船』――どうなるの??? どうなっちゃうの??? 馬鹿なの? 沈むの??? そりゃ、厳密にはゼロから作っちゃいないけどさあ……」
「落ち着け――もう一杯どうだ……」
霧男の返答を待たず、社長は新たな紅茶の一杯をドボボと注いだ。もはや儀礼もヘッタクレも存在しなかった。
「何がどうなってんのか、いい加減に分からないとこっちの胃がマッハでっせ!!」
どん、遂に霧男は握り拳を卓上に叩き付けた。痛い! ちょーいてえ!!
「艦長がクリストファ――もとい、沖田少佐に内定、ここまではまあ、分かるけど、分かるけど――なんなんすか、何が始まってるんすか!! 『大使館』を造るってことは――」
「あー……そういうことだよね……」
社長は、遅蒔きながら気付いた。自分の勘やら先読みが鈍いのではなく、どこかで考えることを放棄していたのだろう――そう結論付けることにした。
「エテルナ『大使』を乗せることになるってことなんですよね!? よね!? よねえええええ!!?? あばばばば――!!!! おちんちんびろーん!!!!!!」
「下品だよ、キリオーーーーーーッ!!!!!」
どうしてこうなったああああああ――
日村霧男の絶叫が、社長室に響き渡った。




