Chapter:02-14
Chapter:02-14
隊長である沖田が『ハイランド』の通信室に足を運ぶのは本当に久し振りの事だった。大抵のことは後方兵科であるメイド達が仲介してくれていたし、また、シモーヌ・ムラサメ副長が通信諸々の任務は代行してくれる事が多かった為である。『ハイランド』それ自体の規模も規模であったから、実に五人も詰めればギュウギュウ、そんなささやかな空間でしか通信室はないのだが、辺境とは言え地味に重要な要塞、拠点であることもあったから設備、それ自体は最新式のそれが設えられていた。
「お待たせしました、沖田クリストファ少佐、参りました」
「ハインリヒ・レスター大佐、後見としてここに」
ディスプレイ前、二人の着席を確認した通信担当のメイドであるダーシャ・ビショップが窓越しの通信員室から指先でブロックサインを飛ばしてくるのに頷く沖田とレスター。
『多忙の中、呼び出してすまないな、少佐に大佐』
ブン、と鈍い接続音、正面のメインディスプレイには『SOUND ONLY』の文字が示されており、その画面隅に『重力波通信』を示すアイコンが点灯していることを沖田は目敏く確認した。通常の無線と比べ、重力波を用いたそれはほとんどタイムラグが無いのが最大の利点、特徴であった。もっとも転送量には限界があって、いわゆる映像に始まるデータ類の転送はほとんど行えないのが難点ではあったが、この広大な宇宙空間にあって、ほぼリアルタイムで通信が交わせるのは、これに勝る利点は無いと言えるだろう。
従来の通常無線にて地球本星と、この『ハイランド』間で交信を行おうものなら、とんでもない時間を要とする事になるのは言うまでも無い。こちら側の声は下手を打てば数分以上掛かってから相手の元に届くし、無論、その相手から放たれる声もまた、こちらへの到達に数分以上を要とする訳である。言うまでも無く、これでは会話それ自体の成立が困難な事もあり、この重力波通信が実用化される以前はもっぱらチャット形式、文字テキストの交換で意思疎通が行われる事が多かったのだという。現に今、この時代にあっても一般市民レベルではそんな遣り取りが中心に行われている。『重力波通信』は民間人が当たり前に使える様な通信手段では無いのである。
無味乾燥に過ぎる画面をダーシャが気にしてくれたのか、ディスプレイに対話主の所属及び名称、そのバストショットが表示された。その声色で女性なのは分かっていたが、なるほど、これはイメージが伝わり良くて助かる。気の利くメイドに対して右手でビシ、とVサインで礼を伝えつつ、沖田は取り敢えずその相手の階級と名前を確認した。
ふむふむ、統合軍所属の秋山千尋、階級は中将……なんともまあ、将軍様であらせられるのか。年齢は多分、三十代だろうから相当に『デキる』人、なのだろうな。礼服の誂えはどこか空軍準拠のそれの様に見えるし、恐らく彼女は本来は空軍、それも名前の響きからして自分と同じ、日本自治国に籍を置く人間なのであろう。
『秋山千尋、階級は中将だが楽にして欲しい、沖田少佐』
多分、この人は『自分に厳しく、また他人に厳しい』タイプの人なのだろうな、と沖田が推測するのに充分過ぎる、張りのあるアルト声だった。
「恐縮です、中将閣下」
『レスター大佐とは半年前にお会いしましたね。お変わりありませんか?』
「お陰様で息災でおりますよ、閣下。本日は念のため、沖田の介添えをやらせて頂きたく思いますが、問題はありませんでしょうか」
『全く問題無い。寧ろ助かるところですよ、大佐』
ふうん、この将軍とこのレスター大佐は面識があるのか。その人脈、パイプが広く太いことは知っていたが、こうなると本当に大事なものなのだなあ――沖田はそんな事を考えた。散々とまあ、やらかしたこともあって、沖田の人脈パイプなんて紙製のストローのように脆く、また儚く細いものであったのは言うまでも無い。
『ええと、沖田少佐――呼び難いな、今後の事もあるし、沖田君、とお呼びして宜しいかな?』
「ええ、自分は全く構いませんが」
『私の事も秋山、と読んで貰えれば良い。所属こそ異なるが、君と私は同じ日本、軍隊の様なものだからな』
ああ、やっぱり同じ日本人なのですねーって、さて、そうは言われてもなあ……とは思ったが、ここまで言われては従う他、無い。
「分かりました……秋山さん、で宜しいですか」
『あー、それで良い。なんだったら千尋ちゃん、と呼んでくれても私は一向に構わぬが』
「…………」
硬直した沖田、隣のレスターに顔を向けたが、当のレスターは声を押し殺して笑う、ばかりであった。
『……すまん、冗談を言ったつもりだったが、あまり面白くなかったな――すまない、沖田君』
「い、いえ……」
『……こうして君と話すのは初めてだが、実はな、沖田君と私の間には妙な関係、と言うか因縁があるのだ。知らないと思うが』
「……は、はい……ちょっと存じ上げませんね……申し訳ないですが」
将軍格との縁、とかちょっと思い当たらない。あー、そう言えばこの秋山さんと同じ階級の宇宙軍将軍をかつて、月面にてフルボッコにしてしまった記憶はあるが……。或いは、今頃になって『果たし状』でも叩き付けられるのだろうか。
『君の義理の母親であるソフィ・A・オキタ海軍准将と私は、まあ友人、許されるのなら親友、と表現されて良い仲なのだ。付き合いは横須賀の士官学校時代から、とそれなりに長くなるな』
「……そうでしたか。ええと、何と言うか……母がいつもお世話になっております?」
よもや、ここで義母の名前が出てこようとは。まあ、ほっとしたような、そうでないような。その秋山の口調からは含んだものは全く拾い取れなかったけれど。
『わはは、そうだよな、ソフィにとっては母としての実感も、また君としては息子、の実感も未だ、無いのだろうが』
無線と言う事を意識してか、心無しか演技染みた笑い方をする秋山だったが、不快では無い。
「そうですね、母――ソフィさんもまだ若いのに、こんな自分に戸籍を与えてくれて――ともかく、母を含めて関係者の皆さんには感謝してもしきれません」
『ン、それで良いと思うよ、沖田君。ま、もうちょっとマメに連絡、入れてやっても良いんじゃねえの、とこれは文字通りの老婆心でのアドバイス、かな』
どう答えたものだろうか、と沖田が悩むのは、ほんの一瞬だった。
『――とまあ、世間話はこのぐらいにして。こんな話をする為に『重力波通信』なんて大層なものを起ち上げた訳では無い事は、承知しているだろうが』
「……はっ」
『ごほん――まあ、単刀直入に行く――沖田少佐はこれより、可及的速やかに地球本星へと降下、人工島『アトラス』の統合軍本部に出頭されたし』
「ハイィィイイイッ!? ――って、し、失礼しました……って、え、ええっ!?」
『復唱はどうした、と問いたい気分も無くは無いが、君の気持ちも分かる。想定外も想定外の命令だろうし、驚愕を禁じ得ないだろう、その一点に関しては心から同情する』
「す、すみません……どうしても、何と言うか――」
沖田、本当に言葉に詰まってしまった。
『とうに知っているとは思うが、今回、決起した我々、その『計画』にどうか手を貸して欲しい、そうヘイスティング閣下は仰せでな。今の私の言葉は正にそんなヘイスティング元帥の言葉だ、と思って貰いたい』
「は、はあ……ヘイスティグ……閣下……ねえ……」
文字通りに臭い飯、を軍刑務所で共に食った仲ではあったし、それこそ先の秋山の表現を借りれば、実年齢と実階級こそ盛大に乖離していたものの、『友人』と呼べる関係、なのかもしれなかったが。いやはや、混乱してきた。そもそも、あの爺さんがこんな思い切った行動を取るとか想像の外も外、フェンスは疎かバックネット、観客席をも越える大場外ファール、も良いところであったから、一外野手としては我関せず、とばかりに、ただただフィールド上で他人事の様にボールの行方を眺めていれば良いはずだったのに……ぐぬぬ。
「……小官に一体、何がやれるって言うんでしょうか? 当方、風が吹けば飛ぶような木っ端飛行機乗りでして」
『『鬼神』、いやその喩えに乗るならば『風神』そのもの、みたいな事をシコタマやってて全然説得力ないわよ、少佐。行き過ぎた謙遜は嫌味になる、覚えておきなさぁい――』
自虐風謙遜は見抜かれた、と言うか聞き抜かれたのだろう。いや、しかしどうして突然女性のような物言いになるのだろうか、この人は。
『――まあ、君の気持ちは分からないでも無いけれど、それは元帥閣下本人から直接聞いて欲しいわねえ』
「は、はあ……」
『元帥はこうも仰った。『沖田君から拒絶されるのは、ショックだわー』とな』
「ショ、ショックだー、で済むんですか、ソレーーー!!」
YouはShockじゃねえ。MeがShockだわ!!
『ああ、『付き合ってくれないとグレる。物凄いグレる。一生許さない、呪う』とも仰せだったわ』
「なんなんだよ、もう本当に――あああああああ!!!!」
色々と脳内、キャパシティを越えて、沖田はその頭髪を掻き毟った。銀色の頭髪が盛大に、何本も抜け落ちる。ヘイスティング元帥、あの爺さんがその凶悪な見た目、外見とは異なって地味に冗談、軽口好きな人であることはそりゃあ、知っていたけれどさあ!!
『ま、実はあまり心配していないのだがね――さて、復唱してくれるかな? 沖田君??』
「沖田クリストファ少佐はこれより、可及的速やかに地球に降下、『アトラス』は統合軍指令本部に出頭します」
無論、相手に確認する術は無いのだろうが、沖田はそれでも起立、完璧な敬礼を行った。
『うむ、宜しく頼むよ、沖田君』
顔、表情は見えないが、どこか安堵感を纏った秋山中将の声色だった。
「……と言うか、事務的というかそう言う話にならざるを得ないのですが、小官、どうやって地球に向かえば宜しいですかね? 高速船の類もこちらには持ち合わせが無いのですが……」
この『ハイランド』には高速輸送船は疎か、輸送艇と呼ばれるものすら一隻も配備されていない現状があった。存在するのは非常時の小型内火艇が複数、と言うところか。当然、先方もそれは承知のことであろうから、これは先読みに近い発言ではあったが。
『ああ、それな。『特機ライトニング』で直接、地球に降下してくれ』
「…………あのぉ、マジすか……」
『マジマジ』
先読みとは何だったのか。まさかのオチ! いや、マジ勘弁してください。死んでしまいます。
「『RL-000(アール・エル・ゼロ)』には大気圏突入能力はありませんし、ついでにサイズ的に『ノーザンクロス』のコンテナにも入らない、のですが」
全くの事実。『ライトニング』こと『RL-000』には大気圏への突入能力は無かったし、軌道エレベータ『ノーザンクロス』で運ぶのも不可能。或いは、四肢諸々をバラバラに分解して複数のコンテナに詰め込めば行けるかもしれないが。『ルミナ』は多分、嫌がるだろうなあ……。あの人工知性だったら『殺す気ですかあ!!』と泣き喚くぐらいやりそうだ……。
『いや、でも君、火星の大気圏突入したじゃん? アレで。同じ事、やるだけじゃん』
「アレって簡単に言いますけどねっ!! 99.99999999%ぐらい、死ぬところだったんですよっ!! 今、ここでこうしているのが本当に奇蹟みたいなもんでっ!!!!」
冗談抜きで『アレ』を『大気圏突入成功事例』とされるのは甚だ遺憾、であった。より正確な表現を用いるとすれば『ギリのギリギリギリギリぐらいで燃え尽きなかった』となって然るべき事例、結果である。
『悪い悪い、冗談だ。『ラリー・インダストリー』の高速輸送船を手配してるから、それに特機で合流してくれ。突入方法含めて詳細はまた、正式な書類、データとして送らせてもらうからさ。メンゴメンゴ』
だからさっきからアンタが言う事はまるで冗談に聞こえねーんだよ!! と叫びたい沖田君であったが、これは自重した。
「……いずれにせよ、特機こと『ライトニング』は必要になる訳ですな」
『……まあ、そうなるな。元帥閣下も実際に見てみたい、と仰せであるし、それは私も同じ。また、ラリー側、開発者とも意見の一致を得て、かな。良い機会なんで大気圏内での機体挙動を、ちょーっと確認したい、そうな』
「……まさかとは思いますが、ここにあのマッド・サイエンティストが出てくるとか無いですよね?」
『……日村瑠璃子博士が今回、君に帯同することになる……その、何と言うか、かなりVIPな方だから、マッド・サイエンティストとか呼ばないでくれると助かる』
どう答えてくれようか、沖田は一回、二回と深めの呼吸を意識したが、結果的には呑み込んだ。
「……ひょっとして、最初っからそのつもりでした?」
チラ、と隣のレスターに顔を向ける沖田だった。言うまでも無く、この場の全員に伝えるつもりの言葉であった。
『……織り込み済み、ではあった。君の与り知らぬところで動いていたことは申し訳なく思うが』
まあ、確かにこの中将閣下が仰るように、自分の未来、その行動を先読み、織り込まれていた、と言うのは愉快な話では無いが。まあ、かといって、不快極まるかとなるとそれも無い訳で。
「なるほど、統合軍の虎の子でもある海兵隊がこっちにまで出張ってきていた事、も含めてですね。やっと得心が行きました」
『実際、宇宙軍の内情は酷いものだったし、何よりも君とその部下を守るつもりだった、事は知っておいて欲しいかなあ』
「ええ、結果的に僕も部下も……まあ、何ともありませんでしたからね」
その脳裏に頬を抑えた涙目のアルトリア、そんな映像が浮かんだのだが、次の瞬間には飲酒後のアヘ寝顔ダブルピースに上書きされたので、どうという事は無かった。
「自分がその立場であれば、同じ事をしたと思いますし――その点は問題、ありませんよ。敢えて言えば、御礼を言うのはこちらでしょうかね、部下の分も含めてね」
『そう言って貰えると楽になる。こちらこそありがとう、沖田君』
最初の印象と異なって、この人はこの人で物凄く良い意味で『女性らしい』人なのだろうか、そんな事を沖田は考えた。その面で言えば義母であるソフィさんとか、またウチのシモーヌさんを始めとした女性陣にタイプは近いのかもしれない。いわゆる、『男勝りのマッチョ』ではなく、『女性特有の感性を併せ持つ存在』としての在り方、振るまい方であったり。っていやいや、何を美化しているんだ。シモーヌさんとかはまんま、オッサン海兵じゃねえか。ヒャッハー。口でクソたれる前と後に『メム』と言え! 分かったかウジ虫ども!
……さて、まあ、後は一軍人として動く段になるのか。聞きたいことが有るようで無いし、そもそも物事がどう動いているのか皆目見当も付かない。冷静に考えれば今の統合軍司令部の命令で自分が動くのは法律だとか連合憲章的にどうなのだろうとか思わないでも無いが、取り敢えず面倒くさい事を考えるのは止めておこう。実際に口にしたように、世界の壮大なウネリ、波濤の中では木っ端一枚にも値しない自分に出来る事なんて、嵩が知れているのだ。
「可及的、という事なので差し当たり、小官は直ちに移動の準備に入る事としますが……」
『そうだな、どうか宜しく頼む――レスター大佐はその場に残って貰いたい』
「は」
短く応じたレスター大佐。婉曲的に退室を求められているようだったので、沖田は小さく一礼、また窓越しのダーシャにも手を振って通信室を後とした。
「……さて」
通信室の扉が完全に閉ざされるのを念を入れて確認し、沖田は自室へと足を向けた。自前の携帯端末が何らかのダウンロードを開始しているようであり、これは恐らく今回の作戦概要なのであろう。あまり服用したくはないが酔い覚ましを入れた方が良いだろうか、そんなことを考えた。まあ実の所、すっかりとアルコールの成分は抜けていたのだが。
◆ ◆ ◆
太陽系最大の複合企業である『ラリー・インダストリー』に籍を置く日村霧男は、地球本星における『クーデター』の発生を月面本社は工場地下の研究開発棟、その主任室にて知る事となった。
『――総務部がお知らせします……本日未明、地球本星にて軍事クーデターが発生した模様です。……詳細は不明ですが、どうやらルナ・ヘヴンにおいても月面駐留軍が武装蜂起、各主要施設を制圧した、と言う情報も入ってきておりますが、日常生活にあっては一切の影響は無いとのことです。職員の皆さんは、どうか落ち着いて、通常の業務を遂行して下さい……なお全ての社員は作業を続行するに際し、情報端末の携帯を徹底、困難であれば社内放送を聞き取れる場所での作業を優先して下さい。また、外部との回線が部分的に遮断されているようですが復旧は時間の問題とのこと……繰り返します――』
主任室でコーヒーブレイクと決め込んでいた霧男だったが、そんな放送の内容を理解した瞬間、部下から手渡されたばかりのコーヒーのマグカップを、卓上に取り落としてしまっていた。
「――冗談だろッ!?」
裏返った声が自分の喉から出たものだ、と気付くのには数秒の時間が必要だった。
「ヤケド、してませんか主任!」
また布巾片手で慌てて駆け寄ってくる部下、その真剣な表情を目の当たりにすることで、日村はどうにか自分自身を取り戻すことが出来たが。
「――ああ、ごめんよ、リーチェ」
手挽きの貴重なコーヒーをわざわざも運んできてくれた部下に対し、謝罪を行いながら自分専用のマグを拾い上げた霧男は、取り敢えずヒビの類が一つとして入っていない事には胸を撫で下ろした。部下の一人が自分の為に焼いてくれた逸品であり、あだや疎かには扱えない代物である。
「気にしないで下さい。ヤケドとかは無いですね?」
そんな上司よりも遙かに平静を保っていたベアトリイチェ・ノイマンが、卓一面と広がったコーヒーを雑巾で拭き取りながら尋ねてきてくれた。
「――ああ、大丈夫。それよりも、せっかく淹れてもらったのにすまない」
そう言って自分でも、と布巾を受け取ろうとしたのだが、リーチェと呼ばれた彼女は含み無く、首を振るのだった。
「やっちゃいますから、大丈夫です。それよりコーヒーの換えを持ってきましょう」
「……あ、ああ……そうだね、改めて頂くことにしようかな。二度手間掛けさせてすまないね、ホント」
本当は、もう飲む気が失せてしまった、と口にしそうになった霧男ではあったのだ。しかし、コーヒーに造詣の深い、身も蓋もない言い方をしてしまえばやかましいベアトリイチェの前口上を思い出して、そう言葉を選ぶことにした。彼女が、どれだけ自分に今日のコーヒーを飲んで貰いたかったのか、それを無視するような真似はとても行えない。
「――了解、今回の焙煎は自信があるんですよねーって……ところで、今の放送の内容ですけど……」
ふとベアトリイチェの顔に目を向けると、常の冷静さの中にも困惑の色が見え隠れしているのが伝わってくる。秘書担当という訳では無いが、細々とした業務を代行してくれている彼女に頼むのが筋だろうか。
「……念の為に同じ内容を改めてチーム、その限定通信で知らせておいてくれ。コーヒーはそれから淹れてくれれば良いよ」
一本、引き抜いた煙草に火を点けるのは彼女が退室してからの事にした。
「……畏まりました。通知レベルはどうしましょうか?」
「仮眠している奴等もいるだろうから、強制的に通達してやってもいい。任せる」
気持ちよく眠っている連中に対して心が痛まない事もないが、状況が状況でもあるので、仕方あるまい。
「はい……では、そのように計らいます。コーヒーは、その後で」
「頼むよ。ありがと」
彼女が一礼してから立ち去った後、日村霧男は改めて自分の椅子に腰を落とした。実用的なその椅子のクッション材がいつにも増して堅く感じられる。続いて、くわえたままだった煙草に火を点けたが、普段だったら安らぎとインスピレーションを約束してくれる紫煙は、ただひたすらに重く、苦いだけだった。天井に据え付けられた空気吸引清浄機が恐ろしい勢いで労働を開始する。
「……悪い予感が当たるのはなんの自慢にもならんが」
机上に据えられた端末のディスプレイにはつい先程まで組み上げていた設計図面が表示されていたが、どうしても作業を続ける気にはなれなかった。データが確実に保存されていることを二度、確認し、端末にスリープ処理を施した。
――いや待ってくれや、なんでこのタイミングで政変みたいなこと起こっちゃうワケ?
――なんか色々怖いなとか思ってたばっかじゃん! なんなんだよこれ!!
霧男は自分以外に誰もいない主任室で一人、呻吟した。やや八つ当たり気味に煙草を灰皿へとねじ押さえて、ふと。
とんと行方知れずのバカ嫁とバカ娘の事を思い出した。
ここ一週間程、連絡の一つも無く、どこで何をしているのやら。
まあ、親子、母娘一緒ならばどうと言うことは無いのだろうが。ある意味で太陽系で最も凶悪……もとい、貴重な頭脳、二つなんだぞ、君達は……。
生粋のハイパーエンジニアであり、ビックリエーターと自負する位は多分、許される自分と宇宙工学を専門、博士号を持つ妻であるリンダとの間に授かった一粒種、瑠璃子。
幼少の頃から父、霧男の仕事内容――プログラミングに始まる各種設計、及び実建造作業等――に尋常では無い興味関心を持ち、また一定、一通りの理解(!)を済まし終えると今度は飛び級も飛び級で大学へ入学、博士号を獲得した。やがて実母の研究分野、宇宙工学へ足を踏み入れた結果、今ではその業界にて名を馳せるリンダ・ヒムラ・フュッセル博士の大事な右腕、にまでなってしまっている娘。
「どっちが助手なのか、もはやわからん」
ある日、久し振りの夫婦水入らずの晩酌で妻は苦笑しながら、そう口にしたのだったか。そんな母娘、実質の研究対象は『十賢者の遺産』であり、その成果、恩恵には他ならない夫、霧男を始めとして『ラリー・インダストリー』も大いに受けているところではあった。
例えば今現在、霧男のチームが従事しているのは、その嫁リンダと娘である瑠璃子が月面地下、深奥で発見した『謎の超大型船舶と思われる物の残骸』を本来有るべき『超大型船舶』へとレストア、改修する仕事、タスクであったし、更に世に知られた端的な一例を挙げてみるならば、現在の宇宙軍制式採用戦闘機である『ワイヴァーン』は、そんな『残骸』内部から発見されたやはり『謎の機動兵器(なんじゃないかなー、多分)』の機構、システムをモデルとして瑠璃子が図面を引いて、霧男が形にしてみたものであったり、等々。
正直、選ばれる訳もない、と思っていたそんな『ワイヴァーン』だったが、実際に作ってみたら数回に亘る軍のコンペにて競合企業相手の新型にまさかの連勝、不敗を重ねた結果、そのまま正規採用されるというアホみたいな話。なんなんだよもう。戦闘機開発とか専門の部署は『ラリー』の中にもあった、ってのに社内コンペで一蹴、挙げ句に軍コンペでも無慈悲に優位性を証明するとか怖すぎだろ。お陰で夜な夜な戦闘機開発担当主任等から呪われてこっちの胃がマッハな有様である。
まあ、それでも『ワイヴァーン』の場合はモデルになる存在があったとは言え、基本的にゼロから作ったものではあったから、これでも、そこそこ納得が行くのだが。
問題は前者だ。『超大型船舶』に関してはその内部構造を含めて外殻、装甲がなんとレアメタルも極まる『ヒヒイロカネ』をどうやら不断に含んだ合金で、これまたどう加工したのかも定かでは無い、まさかの一体成型としか思えないような技術が施されているようであり、日村霧男を含めたエンジニア達を絶望の淵に現在進行形で叩き込んでくれているのが現実だ。
繰り返しになるが太陽系最大の複合企業、それが抱えるエンジニアが無能な訳は無い。主任を務める日村霧男を筆頭に、そのチームメンバーはそんな中から更に選抜された、文字通りの『生え抜き』だったのだが、そんな彼等をして、良くて現実逃避、悪くて発狂一歩手前、にまで追い込んでいるのがこの『超大型船舶』と言う存在なのだった。
また月面地下という状況もあっていわゆる炭素年代測定も困難な有様であったから、建造または放棄、或いは廃棄、が行われた時代も全く不明。
「なんか、設計思想が『アドヴァンス級』に似ている気がするんだよね、パパ。これ、間違いなく船の外殻だよ」
月面の地中深く、それこそ人目を避けるようにして埋められていた超巨大構造物としか当初は思われていなかった存在、その地中解析が概ね完了した段階で娘は『初代移民船団アドヴァンス』の母船名を口にしたのだった。そんな娘の言葉に、ただただギョッとなるしか無かった記憶が霧男にはある。様々な用途の航宙船舶、その設計と建造に長らく携わってきた経歴履歴もあり、自らを『船大工』と自認していた自分と、まさか年端も行かぬ一人娘が同じ感想、所見を持つとは、と。
「これ、十賢者というか『ブルクハルトの夢の名残』とでも呼ぶべきものかな、と思うの。私達に拾われるの、待っていたんだと思うよ」
そんな娘の無邪気な顔に、本当に二の句も告げなくなった。100年以上も昔の偉人、その名前とそれに纏わる固有名詞をなんとも気楽に口にしてくれる娘が怖くなかったか、と言えば嘘にもなる。一人娘はカワイイが怖い。上手く表現できん。
結果的に、宇宙船舶の建造にあっても費用の掛かる外殻、装甲が実質無料(二年縛りナシ)、タダと言う事で大いに色気付いた『ラリー・インダストリー』の上層部から地球本星は惑星連合統合軍へと連絡が飛び、前代未聞の会長直接命令で自分、日村霧男が責任者となってレストア、改修作業を開始したのが三年ほど前の話になるだろうか。まだ瑠璃子は15歳ぐらいだった筈である。思い返しても恐ろしすぎるわ、この娘……。
「まあ、心配するだけ無駄かな」
実際に口にしてみれば、そんなものかもしれぬ、と妙に納得が行った。便りが無いのが良い報せ、と言うでは無いか。そうではないか。
「お待たせしました」
ノックを経て、入室してきたベアトリィチェのコーヒーの香りを、今は楽しむこととしよう。精神衛生の管理も、大事なのだ。そうなのだ。
そうであれ!




