Chapter:00-01
Chapter:00-01
『ヒトの営み』
『無限』としか表現する事の出来ない拡がりとして遠慮、容赦無く存在する『大宇宙』。宇宙に進出する以前の人類にとって、『そこ』はそんな存在だった。しかし、自らを自然発生させた地球を飛び出し、他惑星、小惑星帯への進出を果たすに至っている今現在でもしかし、陳腐な表現とは成り得ない。
それ程に、『宇宙』と言う空間は人に、人類にとっては広大に過ぎた。
人類はその西暦における2200年、その末には太陽系のほぼ全域をその観測範囲とする事に成功したと言える。行動生活範囲、健全なる経済活動範囲となると厳しい部分は否めなかったのだが、それでも版図、領域を広げる事に関しては一定の成果、その確保に成功したと誇って良いのだろう。
当然自然、次なるステップは太陽系外、外宇宙への進出だったのだが、これは想像、願望、展望以上の困難を極める事となった。
光の速度を越える推進機関の開発は物理的に不可能であったし、仮にそんな『光の速度』に並んだところで、この遠大な宇宙においては『光速』と言う『高速』など、笑い話にも及べない『低速度』でしかない。太陽系から最も距離の近い天体であっても、到達を果たすには十年近くもの月日を要さなければならないのである。
時の科学者、技術者達はこの無慈悲に立ちはだかる苛酷な現実に、大いに絶望した。白旗を揚げざるを得なかった。
だがそれでも彼等は好意的で、或いは慈悲深い絶対的創物主の存在に想いを馳せざるを得ない発見をする事になる。
それは、当時の活動範囲、限界到達部においての事で、時に西暦2223年!
火星、木星間宙域の下方宙域。つまりは『遠く、遠く』冥王星の、更にその遠方、涯てまでを、と突き止めようとしていた天文学者達からすると実に、その懐と言っても良い、太陽系、その円環の下方。そんな宙域において、不可思議な天文、自然現象は観測確認されたのだった。
『あれは未来への扉に成り得るかもしれない』
そんな発見者の第一声は、遠い昔に初めての有人宇宙飛行を完遂した飛行士の『ここに神はいない』に匹敵する名言として、人々の胸に刻まれていく事となる。なんと、
空間が歪んでいた。
便宜上、その現象は『X611』と名付けられた。それまで特筆に値する程の目新しい発見も無く、研究のテーマに飢え切っていた当時の宇宙物理学界において、『これは幾世紀以前よりその存在だけは仮定されていたワーム・ホールに類するものなのではないか』、等と学者達は激情と興奮の色を隠そうともせず、それこそ殴り合い、掴み合うような論争に励み及んだ。
だが、調査が進展を迎えるにつれ、『X611』はそんな『ワーム・ホール』とは全く異なった天文現象である事が判明していく。
『611周辺の空間は歪んでいるのではなく、秩序立った圧縮効果が施されている可能性はないか?』
との表現を最初に用いたのが誰であったのか、正確な記録は残っていない。しかし、上がってくる観測結果の数々より、これ以上に適切な表現を当時の科学者達が見付けられなかったのもまた一面の事実ではあった。
そして、更に。
『発見された『X611』をその『圧縮空間』起点と仮定すれば、その『対称点』が遠方の宇宙空間座標に通じている可能性は極めて高い。いや、繋がっていなければ理屈に合わない』
当時、宇宙物理学の第一人者であったアキオ・ニタライ博士のこの発表は学会のみならず、人類社会全体に大きな衝撃を与える事となっていく。
既に各種スペースコロニー群、及び月面、そして火星圏での居住環境も整えられつつあった中で、政府が人口の増加に頭を悩ませる時代は過去のものとなってはいたのだが、そんな『X611』のメカニズム解明は来たるべき未来における人類の『外宇宙進出』の切り札と成り得る、と判断した地球連合政府議会は宇宙開発関連の予算枠500%増を、なんと即日の全会一致で決定した。
そして西暦2224年。発見から一年目の節目となるその年には、『X611及びその周辺宙域』と言う煩わしい仮称に取って変わり、新たなる名称が付与される運びとなった。尋常では無い数の一般公募の中から『ネビュラ・リーヌ(Nebula-Line=星雲航路)』と言う名称が選択され、これを利用した外宇宙探査の計画がいよいよ、現実味を伴った状況下で推進されていく事となり、同年末、水面下で開発が進められていた無人の探査衛星『はやぶさ22』が、宇宙関連技術の研究開発、建造に特化された工業コロニー『ヘパイストス』から射出された。
当時の人類が与え得る限り、最大の加速を獲得した『はやぶさ』が『ネビュラ・リーヌ』に突入し、その姿が物理的に確認できなくなって程なく、人類はまず、その圧縮空間内においては一切の電磁波が遮断されてしまう、その非情な現実を知らされる事となった。これは事前に投入された数少ない試験衛星によって半ば推測されていた現象ではあったのだが、いよいよ現実、確定的なものとして科学者達を大いに落胆させるものとなってしまったのである。例え時間を要するにしても、外部から――この場合は他ならない、司令室の事である――命令の発信、また『はやぶさ』からの何らかの信号の受信が可能であれば、とそんな願望が打ち砕かれた訳であるから、仕方の無い部分でもあった。搭載された自律型、学習型コンピューターの判断に全てを一任するしかない、そんな状況下で、科学者達に出来る事はただただ、無事なる帰還を祈る事のみ――
――いやいや、探査衛星『はやぶさ』の帰還をただ、指を銜え待ち続けた人類では無かった。
突入に至らない『ネビュラ・リーヌ』の範囲内外、可能な限りの情報収集と観察を徹底的に進行させ、また勇み足だ、との誹りの声も決して少なくは無かったものの、有人探査船の設計と開発、建造までを開始していた。
全人類が待望、文字通り待ち望んだ『はやぶさ』が帰還したのは、果たして西暦2235年。実に地球圏離脱より十年以上の月日が経過していた。さながら英雄、偶像化された存在となった『はやぶさ』は、多くの人類の歓喜の声に迎えられる事となった。
旧時代にあって、小惑星帯に対して『サンプルリターン』の快挙を達成した歴代『はやぶさ』の名称、その継承に相応しい大戦果であり、これまでの人類史上、最も多くの人間から関心を寄せられた人工天体物であったかもしれない、そんな『はやぶさ』は即日、司令室へと向けて通信、情報開示を開始。完了と同時に、その収集情報の全てが詰められた内部カプセルを物理的に射出、展開していた宇宙軍の一部隊に回収させる事に成功した。与えられた任務の全てを完了した『はやぶさ』は、そのまま火星の衛星軌道に突入。当初は本体をそのまま火星大気の摩擦熱で消滅させるプランもあったのだが、これは多くの再考を求める声が上がった結果、スケジュールに余裕が生まれ次第、回収される運びとなった。地球大気圏への再突入によって、燃え尽きた初代と異なり、その回収された本体は火星の資料館に補完されており、当時の子供達によって作られた柔らかいベッドの上でその体を休めており、今も訪れる人々に感動を与え続けている存在となっている。もう、『彼女』は飛ばなくても、動かなくても良いのだ。初代の分も穏やかに眠って下さい、と。
さて、いよいよ暗号化の施されたそんな『はやぶさ』の膨大なデータが、芋洗い、潮干狩り会場さながらに詰め寄せた科学者達の前に開示される時が来た。『X611』と『ネビュラ・リーヌ』が呼称されていた頃より研究を続け、第一人者となっていたアキオ・ニタライ博士の節くれ立った指が果たして、開示ボタンを押し込む。実に90を垂んとする老齢になっていた事もあり、スムーズに押せたとは言い難かったのだけれど、周囲の暖かくも敬意の払われた空気の中、データは開示された。
全員に等しく配布されたコンピュータ端末に次々と情報がアップロードされていく。最初は、しんと静まり返った室内だが、次第に細波のような嘆声が。続いて、いよいよ歓声が渦となり。
司令室、正確には工業コロニー『ヘパイストス』のコンピュータ群が『はやぶさ』のデータを元に算出した、ある結論が表示されたタイミングで、歓声はいよいよ最高潮、その高みへと達した。
▼『ネビュラ・リーヌ』対称点、太陽系より約276光年先、宇宙空間への直結を断定
▼詳細不明ながらも対照点より恒星系及び惑星を確認、人類居住可能の存在確率、極めて高
爆発、それこそ核融合爆発のような大歓声、飛び上がり、泣き崩れる科学者達。書類が筆記用具が情報端末が宙を舞い、ある者は名前も知らぬ人間同士で抱き合い、ガッツポーズ。どこの体育会系なのだとばかり、司令室の壁がびりびりと震えるほどの大歓声の中、二タライ博士は一人、静かに涙を流したと言う。政治組の代表として、実は半ばの特権をごり押しして博士の隣りに立っていた地球連合政府下院議員、フリストフ・ブルクハルトは後に、「このまま博士は天に召されてしまうのではないかと心配になった」と呟き、周囲及び博士本人からの笑いを誘ったという。
喧騒という言葉では表現しきれない『祭会場』をそっと退室したそんなフリストフは周囲を確認してから携帯通話端末を取り出した。
「閣下、ブルクハルトです。予定を前倒し。例のプロジェクトを遂行させます」
事前に話を通してあった議長には、それだけ伝えれば充分だった。
先走りと揶揄するべきか、或いは先見の明があったと表現するべきか。既に実質の完成を向かえていた有人探査船の初号船は即日、機動試験を開始。当時の科学技術力からしても極めて高次の水準、性能を発揮して周囲を大いに驚かせたそんな探査船は、実は奇蹟の衛星と呼ばれた先の『はやぶさ』の建造に従事した技術者達、そのグループによって設計建造されたものであった。
決して表舞台に姿を現そうとはしない、そんな謎の匠、技術者集団はブルクハルト下院議員の『虎の子』であり、議員はその高度開発能力を武器、或いは後ろ盾として政界に進出したのではないか、と真しやかに噂されている組織、存在だった。
しかしそんなブルクハルトの政界への進出、技術力を担保とした指導力の発揮は、結果的に月面及び火星圏、各種人工天体での顕著な、当時の人間からすると『激変』と呼べる程の『居住環境の向上健全化』をもたらす事になった。実に地球本星以外で日々の生活を送る人間は総人口の二割を越えており、誰の目にも見え、体感実感、享受可能な現実は政治家としての手腕、能力の高さを何よりも強固に証明するものに他ならなかったのである。
何かと煩わしく、かと言え、その手間を惜しみでもすればたちまち命を失ってしまうと言う冷酷無比、非情な宇宙環境下での生活において、少しでも地上のそれに等しい日常活動が安全に行える、そんな大き過ぎる恩恵を否定出来るような勢力は存在し得なかった。少なくとも、表立っては。何しろ、最大の地球外都市である月面は『アルテミス市』にあっては、到底不可能と言われていた全ての生活区画での1G、通常重力化を達成させていたし、その恩恵はスペース・コロニー群や、大型の船舶等にも遍く広がっていく事となったのである。宇宙を生活の場とする人間が常に隣り合わせていた低重力障害は、こうして大きく撲滅、克服への道を辿り始めたし、また無形の展開障壁による宇宙放射線からの被曝防御技術の数々は、人々の健康寿命を大きく底上げするものだったのだから。
さて、いよいよ舞台が整った。勇気とそれを凌駕する程の野望野心をその内に抱いた有志の宇宙天文科学者数十名を乗せた史上初の有人探査船、『りゅうおう』が生々しい人体実験、もとい――精密調査の為、リーヌへと突入を果たす事になったのは西暦2237年。『はやぶさ』の帰還から実に二年が経過していた。
『りゅうおう』の帰還を待つ間、『事有り』に備えて抜け目なく二号船の準備を、当時既に下院議長となっていたフリストフ・ブルクハルトが指示する一方で、その指揮下の『虎の子』が運用する高度なコンピュータ群が計算も逞しく、更なる科学技術発展を人類に提供し続けたが、この頃より下院議長、ブルクハルト一個人を危険視する向き、空気が増大し始めたのは在る意味で歴史の必然でもあったのだろう。社会的生物である人類は、時としてその集団本能的に強過ぎる一個性と言う存在を忌避否定するし、また、いわゆる一個人に権力名声が集中し過ぎた結果、とんでもない事態悲劇を巻き起こして来た事を人類はその痛ましい実例、歴史と共に学んで来ていた事も挙げられるかもしれない。
『ブルクハルトと十人の賢者様』、と皮肉と揶揄、悪意を持つ者達はそんな呼び方をするようにもなっていたらしいが、実際の所、彼等『虎の子』の正体は後にも先にも不明のまま、である。
百年、或いは二百年先を行くオーバーテクノロジー、と言うまともな科学者であれば絶対に使用したくない表現が用いられる程の演算効率、速度でそれはあったらしく、一体どのような組織体で有り、またいかなる種類、性能のコンピュータ、他を、どのように運用しているのか、との科学界他からの問いに関してもブルクハルトはあらゆる回答を拒み続けた。それに加え、ブルクハルト本人の良く言えば実直、悪く言えば頑迷な性格も災いした、とも言える。あらゆる『派閥』に所属するのを良しとしなかった側面は後世の研究家からも、孤高と言えば響きは良いものの、実質の所は『政治』と言う『戦場』にあって、彼は極めて孤独な存在だったのではなかったか、等とも指摘されている。
ブルクハルトを取り巻く空気、環境が少しずつ変わっていく中、ともあれ全人類待望、そんな『りゅうおう』が帰還を果たしたのは、実に14年後の西暦2251年。構成員を数名、事故で失いこそしたが、船長を始め、船体もほぼ完全な状態での帰還であった。
推定情報でしかなかった『はやぶさ』のそれを大きく、これでもかと更新する情報を、引っ提げての帰還。恐らくはほとんどの人類が見守る中、フラッシュを浴びるようにして颯爽とリムジンから降り立った船長、アヤメ・ヲチミズは大股でズンズンとレッドカーペットをハイヒールで踏み締め、議会場へと向かった。会場に設置されていた専用の壇上へとリズム良く駆け上り、周囲に深々と一礼。正面、同じ高さでやはり臨時に設けられた壇上からこちらを見遣っている連合議長に対して、改めて一礼を行った。
しん、とした議場で大きく息を吸い込んだ星間調査船『りゅうおう』の船長、アヤメ・ヲチミズは、その豊満な胸を堂々と張り、議長と言うより、全人類に対しての報告を行ったのだった。
「居住可能な地球型惑星を発見して来ちゃいました!!!」
「はい、ご苦労さん!!」
偉大なる船長と連合議会議長のこのシンプルな遣り取りは、その議会上にあっても爆笑と賞賛、テレビを含め各種メディアで閲覧していた数万倍に値する人々の間にも大喝采を巻き起こさせた。人類のその手が、初めて太陽系外、それも地球型の惑星に届くという大快挙! 常から宇宙、天文にさして興味を持たない人種にも尋常では無い衝撃を与えるものだった事は言うまでも無いだろう。地球のみならず、月面及び火星、そして各コロニー群、あらゆる場所で人々は歓喜に沸き、ビール、シャンパン他があちこちの酒場で振る舞われたと言う。
後日、正確には翌日の事だった。データ各種の入念な再調査、検証精査を経て、ここに改めて公式な情報となり、該当の恒星、その名称がまずは命名される運びとなった。
恒星は『アポロン』と正式に命名され、肝心のG型、地球型惑星である第四惑星に関しては、現時点で命名を行うのは早計であるとの判断で、仮称としての『G4』が採用される事になった。人々は一般公開されたそんな遠方の恒星『アポロン』及び惑星『G4』の画像、映像データに首っ丈となり、その想像の翼を逞しく羽ばたかせた。帰還した『りゅうおう』乗組員達は一躍ヒーロー、ヒロインとなり、各メディアの取材が殺到。「いい加減に研究に戻りたいんだけどな」と苦笑しながら語った航海長はそれはそれで、満更でもなかったようだ。
そんな『りゅうおう』が持ち帰った『はやぶさ』のそれを凌駕する膨大な情報、資料に基づき、神経質な程に繰り返された再精査を経て、情報各種がいよいよ完全確定の段階へと至ったその時点で、連合政府は第二陣となる予定であった探査船団の派遣に関して、『若干の』修正を施す決定を下す。もっとも、その内容は『修正案』に留まるものでは無く。
連合政府は、なんと『試験移住』を想定するプロジェクトを起ち上げる事となった。発起人は高齢期に片足を踏み入れ掛けてはいたブルクハルトを始めとする若手政治家を中核としており、その勇み足――何しろ前科が数多存在していた――を否定する向きも多かったが、結果的にこの計画、プロジェクトは即座に実行へと移される事となった。拙速にも映る、その理由、根拠の一つとしては当時の地球圏、その統一政体である『地球連合政府』から、近く『太陽系惑星連合』へと全権の移譲が行われる、という現実もあったようだ。月面及び火星圏、果ては木星近縁まで、と人類の活動領域の拡大に伴い、『地球』と言う呼称に拘泥する必要は無いのではないか、という世論に対する回答でもこれはあり、地味に月面での経済活動が軌道に乗った時から計画されていた名称変更でもあった。
そんな新政体の門出に、インパクトの強い『ネビュラ・リーヌを利用した恒星間移民政策』を政策の旗印、フラグシップとして掲げる事は、もはや必然であった事に議論の余地は無い。
「太陽系から外宇宙、そして新時代へ!」
説得力を伴い過ぎる実績、そして形骸化してはいたが建前としては欠かす事の出来なかった各自治区代表による幾度かの投票、選挙を経て果たして、フリストフ・ブルクハルトはここに新たに作られた統一政体である『太陽系惑星連合』の初代議長として就任する事になった。当初は『大統領』としての肩書き、役職も内部で検討されたようだが、これはブルクハルトが強く固辞したと伝えられている。
僕の背中は、人類みんなを背負えるほどに、そんなに広くはないんだ――懇意にしていた番記者にそう語る様子は、今でも記録映像に残されている。
ブルクハルトは『世紀の名演説』と呼ばれる事になる就任演説を経て、いよいよ計画、『プロジェクト』の一般公開へと向けて動き出した。当初は孤高、孤独と呼ばれる向きもあったブルクハルトであったが、それなりの高齢に落ち着いた事もあってか、若手政治家、法曹関係者、役人、官僚の熱い支持を受ける事になっていたようだ。若者達の議論にも積極的に参加し、時にはSNSを用いて直接国民と議論を交わす事すら、あったと言う。
新たな時代、誰もが歴史の生き証人となる、そんな高揚感が太陽系を大いに震え満たしている中、議長就任より数ヶ月後。
ブルクハルトはここで歴史と言う劇場から強制的な退場を宣言される事になってしまう。
月面から工業コロニー『ヘパイストス』へと向かう道程で、専用シャトルが爆破されたのである。ブルクハルト議長を含めた政治家、及び乗員合わせた54名の全てが死亡。
地球上に未だ存在している旧『反地球連合組織』の――その多くが統一政体に参加する事を潔しとしなかったいわゆる独裁国家、他の成れの果てと呼べる存在――残党、端的に表現してしまうとテロリスト、その組織の多くが犯行声明を出したが、現実的に宇宙空間でのテロ、それも要人に対するアクションを行える要素手段の持ち合わせが皆無だった事もあり、端から無視される事となっていた。しかし、警察他による捜査は難航を極めた。そもそも、捜査どころではない、大混乱が一転して太陽系を包み込む事となってしまったのである。
個人としてのブルクハルトの喪失は、当時の人類社会に大きな影を落とした。彼のもたらす革新的技術、その供与が停止した事も要因の一つではあっただろうが、何よりも太陽系に住まう人々のあらゆる行動を停滞させるに充分な、物質のそれとは代えられない精神的損失がこれは甚大なものがあったと記されている。
ブルクハルトという一個人が極めて高いカリスマ、リーダー性を誇っていた事を、当の本人を失ってから多くの人間が――この場合、特に政治家達だったが――実感、認識するところとなったのは、やはり歴史の常であったか。
序列二位であった副議長が混乱を諫めるべく、直ちに体制の引き締めと一般人に対する演説を行ったが、等しく多くの人々が抱いていた情熱、高揚感からの揺り戻しは然程に厳しいものであった。取って代わった、無力感と無常感、そして続くのであろうテロリズムに対しての潜在的恐怖心。また実際に、規模こそ大きくは無かったものの、各所でテロと思われる犯罪、暴動略奪等が相次いだ事も、火に油、ではあった。
実に、故ブルクハルトの遺志、プロジェクトを形として再起動させるのに、当時の人類は実に十年近くを必要とした。それでも、再開の運びの一助となったのは、他ならないブルクハルトが残していた詳細な『青写真』の存在が明らかになったから、でもあった。
『移民開始より、その自立、安定後は自治権を与え、困難はあろうが相互の交流を密とし、また天文現象に依らない外宇宙探索を共有の命題とせよ。人の世に光がありますように』
事細かな計画表の最後に直筆の日本語で記されてあり、実質、フリストフ・ブルクハルトの遺言とされている文章である。
なお、その後を継承した新たな議長は、ブルクハルトが抱えていたと推測される正体は疎か名称も定かではない『科学者グループ』――この頃は既に、『十賢者』と言う呼称がマスコミ、ネット等を通じて自然に使われるようになっていた――に対して公式に協力、名乗りを要求したが、反応は一切が得られなかったようだ。数十名単位にも及ぶ騙り、愉快犯詐欺師が逮捕されただけの徒労に終わり、こうして、一部のオカルトマニアや、陰謀論を好む少数の人間を除いて、その存在自体が半ばの都市伝説的なそれと等しい扱いに、ゴシップレベルの噂話として落ち着いていくのに、時間は掛からなかった。実はブルクハルト自身がその『賢者』だったのではないか、との説まで流れたが、これも説得力を持つまでには至らなかったようだ。
人心の回復が急務、最優先である、と。ようやく安定してきた太陽系惑星連合政府としても、もはや失敗が許されない、そんなプレッシャーも存在はしたのだろうが、それでも予定されていた『移民船団』の建造と、開拓計画、それに基づく人員、スペシャリストの選定へといよいよ動き出す事となる。
「ゼロからのスタートではない。ブルクハルトが作ってくれた道があるのだから。そして、その続く道を作るのが、我々の仕事である!」
ブルクハルトとはプライベートでも交流のあった三代目の議長、元『りゅうおう』船長だったアヤメ・ヲチミズの言葉である、とこれは伝えられている。
惑星の新規開拓と言う事情もあり、専門家、スペシャリストは幾ら存在しても困らないところで有り、これは即日志願者を募集する流れになった。また、駄目元で一般人の入植希望者も募る決断を政府は取ったのだった。
人類史上最大、名誉ある大計画である事に疑いは誰も持っていなかったが。だがしかし、骨を現地で埋められるかどうかも定かではないし、最悪星間物質になってしまう可能性もあるよ、と、そんな『ブラック』どころではない条件下。しかも「ちょっと、お家帰るね」という訳にもいかない物理的距離事情。算出された航海期間は何しろ、片道十年近いものであったし、追記するまでも無く、そこに復路の存在は無い。そんな冷酷無慈悲な片道切符に、果たしてどれだけの志願が期待されるのか、と多くの担当者が頭を抱えたのだが。
蓋を開いてみれば、各種専門職を含め、絞り込み、選抜を行わなければならない程の志願者の殺到が、そこにはあった。懸案であった宇宙軍からの乗員推薦もスムーズに取り付ける事に成功し、計画の担当者は寧ろ拍子抜けしたレベルだったと伝えられている。一説には、ヲチミズ議長自らが志願する流れもあったようだが、これは周囲に止められて泣く泣く辞退したとかしなかったとか。
アポロン星系へと向けた記念すべき第一次移民船団、との位置付けになった本計画。年齢の束縛は二十歳以上四十歳以下(※ただし、特別職についてはこの限りではない)、心身の健康状態、犯罪歴の有無、諸々の条項をクリアした乗員は、実に特別職と乗員を除いて5000名という数に上った。
船団、その完成を待って、この計画は『プロジェクト・アヴァント(Project=AVANT)』と名付けられた。母船である『アドヴァンス号』が複数のユニット、多目的船を牽引していく、そんな船体構造であった。前代未聞、空前絶後の船旅、繰り返すが『人類史上最大の計画』と呼ばれるこのプロジェクトを率いる事となったのは当時の連合宇宙軍所属、フローラ・シュヴァリエ大佐であり、それを支える宇宙軍、航宙警察の出身者達が30名と言う数字は、今も残されている。
西暦2265年。多くの人類の希望と期待、声援を受け、『アドヴァンス』は工業コロニー『出雲』を進発。古代中国伝承の龍、さながらに長い巨体を『ネビュラ・リーヌ』へと沈み進めていった。カメラ映像の中、少しずつ先端から消え行くそんな船団の様子を目の当たりにしていた人々の多くが、祈った事だろう。「無事な航海を!」と。
この先は、彼等、『アドヴァンス』が独力、自力で生き抜いていかなければならない。予定では、アポロン星系への到達に成功すると同時に艦長の判断で軽量高速の通信衛星が地球に向けられて発射される事となっており、その概算時間は実にこれより十六年後の事だった。低質量の通信衛星であれば或いは、と甘く見て、この数字。目的地への到達すら、太陽系側からは窺う事も出来ない、非情な現実が無慈悲に存在しているのである。最後の最後、末端のユニット船が『リーヌ』周囲をさながら泡立てながら――この天文現象もまた、未だ解明されていない――消えていく、その瞬間までTV前の人々は身動ぎ一つせず、出来ずに見送り続けた。
あー……、最後尾のユニット船が視界から消えた瞬間、人々の一斉の溜息とも嘆息とも着かない声が太陽系を満たした。もしかしなくても「とんでもない使命を彼等に背負わせてしまったのではないか」とは、人類の多くが等しく抱え、共有していた感覚ではあったのかもしれない。応援したい気持ちと、どこか、後ろめたさが混在した不思議な、感覚。
西暦2265年、11月03日、グリニッジ標準時15時28分。
第一次移民船団『アドヴァンス』は太陽系を後にした。