7月2日 13:20 本格的に暑くなり始めた日の午後
ジリリリリリ…。
今日も元気な目覚ましの音を背中に聞きながら自分が長い時間作業に集中していたことに気づいて時計を止めに行く。時計を止めて戻るといつの間にか出ていた太陽光に三時間の成果がキラキラと輝いていた。
「うん…なかなか上手く出来たと思う。」
出来たものを風通しの良いところに移して急いで朝御飯と身支度を済ませ、開店の準備に取りかかる。
気が付けばもう7月の頭で夏が本気を出し始めているが、店内は窓をすべて開ければ風がよく通るので心地よい温度を保てている。おかげ様で電気代を抑えることが出来ているのでお店様々である。
カウンターを拭き、テーブルを並べ、お気に入りの食器を一つ一つ洗っていよいよ準備も整った。お菓子もお茶も不足はない…つまり完璧である…と1人で充分ににやにやしたところでお店の鍵を開ける。
「いらっしゃいませ。美味しいお茶とお菓子をご用意してお待ちしています!」
今日も1日ゆっくりと頑張ろう。
…とは言ったものの、お客様はそうそう来ない。1日に数組、多くても10人ちょっとといったところだろうか。店が少し奥まっていること、席数が少ないこと…原因はいくらでも考えられるが…もし店主が気に入らないとかだったらどうしようといつもの思考を辿りそうになったときドアの方から聞こえた音に慌てて思考を打ち切り開けたままのドアの方を向いてみると小さなもふもふが座っていた。
「暑い中よくおこしくださいました。」
基本的に静かだからか少し前から1匹の猫が来てくれるようになっていた。話し相手のいない僕からしてみると日中の唯一の茶飲み友達でもある。この子が来るときは僕も外に椅子を持って行って一緒にお茶を飲む。季節は夏、日陰さえあれば基本的に涼しくて過ごしやすい。猫もそれが分かっているのかちゃっかりと日陰に陣取っている。
「いらっしゃい。今日は何にする?」
最初は猫と話すのも恥ずかしいものがあったが最近は恥ずかしさも薄れ気味でけっこう楽しんでいる僕がいる。もらった注文通りに少しだけ冷えた水とかりかりを用意して席に戻、お気に入りのトレーに用意したかりかりをのせてあげると、猫はゆっくりと食べ始めた。
「最近はどうだい?」
「今日は毛並みがいつもより整ってるね?」
「昨日はお客様がたくさん来てくださったんだよ。」
と話していると時々返事を返してくれるのでなかなか楽しい。せっかくなので僕もよく冷やした緑茶とこの前作った試作品の割氷を食べる。うん、なかなか上手く出来ている。とひとり喜んでいると急に隣に影ができた。
「すいません、お店入ってもいいですか?」
声の方へ顔を上げると女性がひとり笑いを堪えながらこちらを見ていた。
「今日けっこう暑いんで冷たいお茶をいただきたいんですけど…。」
「あ、は、はい!いらっしゃいませ!お好きなお席にかけてお待ちください。」
お客様を席に案内した後、冷たいおしぼりとお冷を用意してお客様のテーブルへ向かう。さっき恥ずかしいところを見られた分、飾らずにできそうだと1人安心しながら夏の音がするお冷とおしぼりを渡す。
「先ほどはお恥ずかしい姿をお見せしてしまい申し訳ありませんでした。ご注文お決まりでしたらお伺いいたします。」
「いえいえ、大変良いものを見させていただきました。注文なのですが、何がおすすめですか?初めてなのでせっかくならおすすめをいただきたいんですが…。」
おすすめ…これは聞いてもらえるととても嬉しい。お菓子は季節のものを用意していたり、新しいお茶を開けたばかりだったりするので喜んでいただけるかな?と考えるだけで心躍るものがある。しかし、その反面身構えてしまう僕もいる。お客様に気に入ってもらえないことが怖いのだ。せっかくなら来ていただいたお客様には喜んでほしいし、できることならまたお店に来たいと思ってほしい。こんなことを考えてしまうものだからおすすめを聞かれると一瞬固まってしまう。
「えーと、そうですね…うちはお茶に力を入れているお店なのでお茶にはどれも自信があります。そうですね…普段からお茶はよく飲みますか?」
「普段コーヒーばかりなのでお茶はあまり…あ、でもペットボトルのお茶はたまに飲みますよ!濃いのとか、抹茶が入っているのとか。」
「それであれば緑茶が良いと思います。普段あまりお飲みにならないということなので、奇をてらうより王道の緑茶がおすすめです。ペットボトルのものよりうんとおいしいお茶を提供させていただきます。」
「じゃあその緑茶の冷たいのをお願いします!それとこのメニューのおまかせお供セットも気になるのでお願いします!」
黒い大福のシルエットにはてなマークの絵を指さしながら注文を追加する。きっと好奇心旺盛な人なのだろう、メニューを楽しそうに眺めている。メニューは僕の手作りなので見てもらえるだけで結構嬉しい。手先が器用なのは僕の数少ない取り柄なのでお店に活かせるところには積極的に活かしている。
さて、注文は貰えたからさっそく準備に取り掛かる。つい昨日開けたばかりの新しい茶葉を取り出し適量を急須に入れる。お湯を少し入れて茶葉に吸わせた後、急須の中のお湯を捨てて蒸らす。自分で飲むときはこの蒸らす時間の沈黙が好きなのだがお店ではそうもいかない。何か話題はないかと引き出しを漁っていると、
「ちょうどいい涼しさで良いですね。」
今はどこも寒すぎるくらいに冷房が効いているからあんまりゆっくりできなくて、と彼女は続けた。最近はどのお店も冷房がなかなか強めだ。暑がりの僕も少し寒いと思うことがあるくらいだから、苦手な人にとっては辛いものがあるだろう。
「そうですね、ここは立地のおかげか窓を開けると風が入ってきて気持ちいいんですよ。通りから離れてるので静かですし、けっこういいでしょ?さすがにどうしても暑い日なんかはエアコンのお世話になるんですけどね。」
と話をしているうちにいい具合に茶葉が開いたらしく厨房に緑茶のいい香りがしてきた。最初にいい香りを楽しめるのは厨房に立つ人間の特権だと僕は思う。今回のお茶は封を切ったばかりなのでとても香りが良い。開けた茶葉は真空容器で保管しているが、やはり開けてすぐには敵わないだろう。
出来上がったお茶を氷で満たされたグラスへ注ぎキンキンに冷やした後、お客様に出すグラスに移し替えて和菓子と一緒に黒塗りのお盆に乗せて持っていく。先ほどよりも澄んだの音が静かな店内に響く。
「おまたせいたしました。冷たい緑茶とお供のセットです。本日の和菓子は清流です。今の時期の和菓子で見た目がとても涼しげなんですよ。」
清流は今の時期のお菓子で錦玉羹の底に練り切りでできた小石が敷き詰めてあり、小魚が泳いでいる涼しげな和菓子である。和菓子屋によって違いはあるが、どの和菓子屋の意匠もとても涼やかでこの季節にぴったりである。
「ありがとうございます。わぁ!これは涼しいですね。とても美味しそうですが食べちゃうのがもったいないです。」
とは言いつつもお菓子とお茶に手が伸びているのはとても嬉しい。お客様の気持ちを引けたことに心の中でガッツポーズを決めつつ調理場に戻るとさわやか色の緑茶を美味しそうに飲んでいるのが見えた。あのお客様はおかわりをしてくれるだろうか。それとも…と思考の海に潜りそうになる自分を振り払いながら自作のお菓子をたべつつ一息つく。
店内は時々グラスと氷の音、塗りのお皿と黒文字がたてる音がする心地よい時間が流れていた。




