03-03:シドニー到着
替えのバスがフリーウエイのドライブインに着いたのは、結局二時間後の六時少し前だった。
「ジョルジュはいるかい」
ラークが車内放送した。この頃にはラークは発車前に必ずこう訊くことにしているようだった。遅刻屋のジョルジュがいる位なら他の全員は乗車している、ということらしかった。
「ツギオがいないわ」
ハガサが手をメガホンにして叫んだ。ラークは「彼ならいいんだ、分かってるから」と言うとアクセルを踏んだ。ハインツはハガサに「彼は友達と遊びに行ったんだ。さっき迎えの車が来て」と説明した。
ハガサの後ろの席に座っていたジョルジュが身を乗り出してきた。
「ツギオはそ~れでは、テントどうするのでしょう~か。ワタッシ、彼とパートナーになろう~と思ってましたので~す」
「そりゃちょっと遅かったよ。申し訳ないけど彼、出掛ける前に俺と約束してったんだ」
「さっきミルクバーのスタンドで会ったとき言えばよかったのに」
ハガサの隣のエレンが言った。
「だって知らなかったで~すよ。彼はそ~んなこと全然言わなかったで~すよ」
右の窓の奥の方にオペラハウスが見えていた。バスは車の流れに乗ってハーバーブリッジを渡る。右側の列車軌道上を長距離列車が追い抜いて行った。貝殻形のオペラハウスの屋根が夕陽を受けて真っ赤に染まっていた。
マンリーのキャンプヤードは一キロ四方もあろうかという大きなものだった。入口から大型バスが二台並んで走れるほどの舗装道路が走り、四、五百メートルも行ったところに、つまりキャンプ場の中央に管理事務所がある。事務所横に置いてあった単車で係員がバスを先導し、並んでいるキャンピングカーの間をゆっくり進んでいくと、やがて広い芝生のある広場に出た。所々に水道の蛇口があって、ここがキャンプ用に作られた芝生地であることを示していた。
車を止めたラークは慣れた口調でトイレット、シャワールーム、洗濯場、物干し場の位置を説明し、夕食は八時からになると告げた。それから彼はバスを降り、トランクを開けてテントをひと組取り出すと、自分でテントを張りながらそのやり方を説明していった。乗客はそれぞれ二人ずつ組になってテントを張り、荷物をテントに持ち込んだ。
ハガサはエレンとパートナーを組んだ。ハインツは一人でテントを張ると、自分のトランクとツギオのパイプザックをテントに運び込んだ。ジョルジュは結局デニスと組むことになった。
夕食は九時には終わった。ラークはバスをトレーラーから切り離し、希望者を夜のシドニーの町へと送って行った。キャンプヤードにはエレンとジェーン、ヒゲなしブルースとノッポのケンの四人が残っていた。
ツギオがキャンプヤードに帰ったのは、十時を回った頃だった。管理人に示された方向に五百メートルも歩いて行くと、同じ規格のテントが十張ばかり並んでいる場所に出た。ツギオはそのテント群の間にうずくまるようにしていた人影に声をかけた。
「もしもし、すみません。これオーストラリアン・バス社のテントですか」
その影は、その途端びくっとして立ち上がり、テントの間を突っ切るようにして闇の中に消えて行った。太めで小柄な少しガニ股の後姿が、あっという間に見えなくなった。ツギオは一瞬そこに立ちすくんだが、すぐに我に返って「誰か、誰かっ」と叫んだ。
「誰だ、そこにいるのは」
テントの間から出てきたのは背の高い痩せた青年で、息を吸い込むように発音する発声法が、ノッポのケンであることを示していた。ケンは懐中電灯でツギオを照らした。
「ああツギオ、君だったのか。どうしたんだ」
「たったいま、君の立っているところ、男うずくまってた。それが、僕が声かけたら逃げて行ってしまった」
そのころには他の三人もやって来た。
「泥棒、かしら。気持ち悪いわね」
ジェーンが眉をしかめた。
「このテント、エレンとハガサのじゃない。調べてみれば? 何か取られてるんじゃないの」
エレンは自分のテントにもぐり込んだが、すぐ出てきた。
「別に何もなくなっていないわ、荒らされた様子もないし。お金はいつもバッグに入れて持ち歩いているからそれも大丈夫」
他の四人はそれぞれ自分のテントを調べた後で、今度は他の六張のテントを覗いてみた。しかし荒らされた形跡はついに発見されなかった。
「どろちゃんじゃなかったのかなぁ。それとも仕事にかかる前にツギオに見つかっちゃったんだろうか」
ケンはなおも暗闇を透かしてあたりを見回していた。
「ツギの悪い冗談じゃないのかい」
ヒゲなしブルースが言った。ツギオはこの言葉に隠された悪意らしきものを感じてたじろいだ。
「僕、もう少しジョークうまいつもりです」
「だって何も取られていなかったし、結局ツギの言葉は僕らを不安にし、空騒ぎさせただけじゃないか」
「それは彼のせいじゃないさ。彼はそもそも泥棒を見たとは言ってないよ」
ケンがツギオを庇うようにヒゲなしに向き直った。
「僕だって、ツギオの見たものが何でもなかったのであればいいと思ってるさ。僕らは何も取られてなかった。だけどほかの連中はどうかな。まだ僕らはそこまで調べてやしないんだ」
ケンの口調も刺々しくなってきた。
「さあさ、議論はその位にして後はラークに任せましょう。それよりお茶にしない? 大騒ぎして私、喉が渇いてしまったわ」
エレンがトレーラーに入ってビスケットを持ちだして来、ヒゲなしがお茶の支度を手伝った。お茶を飲みながら、ツギオはライトの下で日記をつけることにした。傍でケンは、物珍しげにその異国の文字を眺めていた。
「誰かさんの悪口でも書いてるんじゃないかい」
町からバスが帰って来たのは、予定の十時を三十分も過ぎた頃だった。ラークが彼らのいるテーブルに近寄って来て腰かけた。
「やあ、みなまだ起きてたのか。何もなかったかい」
「変な男がテントの辺りをうろついていたらしいの。ツギオを見て逃げてしまったんですって」
エレンが言った。
「どんな奴だったんだい」
ラークの問いにヒゲなしが答えた。
「僕らは見た訳じゃないんだ。ツギに訊いてみてくれよ。彼だけなのさ、見たって言うのは」
「暗闇でよく見えなかったんだけど、小柄な男。もしか僕と同じ位か、それ以下……」
「物取りじゃないか、調べてみなきゃ」
「さっき調べたんだけど、何も取られてなかったよ」
と、ヒゲなし。しかしラークは
「一応もう一度調べておいた方がいいだろう」
そう言うと立ち上がった。バスから降りた皆は自分のテントに走って行き、暫くの間、あちこちのテントから懐中電灯を使っているらしい明かりがもれていた。