02-03:出発地点はメルボルン
翌二十二日の朝は、朝から暑い太陽が照りつけていた。ツギオが十時過ぎに予約センターに入って行くと、ちょうど出ようとしていた小柄な銀髪の老婦人とすれ違った。彼女は軽く会釈してプリンセス橋の方へ歩いて行った。
料金を払い終わったツギオは、チップスをかじりながらぶらぶらと自分もプリンセス橋を渡って行った。彼が国立美術館の前に差しかかった時不意に激しい雨が降り出し、彼は雨宿りのつもりで美術館に入って行った。
美術館は四階建てで、一階の右手では中国古代美術の特別展を開催中だった。彼が部屋の奥に眼をやると、さっき予約センターで出会った銀髪の老婦人が陶磁器を眺めていた。こちらの視線を感じたのか顔をあげた老婦人となんとなく目礼を交わし、彼はそのままエスカレーターで最上階まで昇って行った。そこから順に下へ降りながら陳列を見て行き、一階に着いた時には雨は止み、老婦人も既にいなかった。
ツギオが駅近くの書店でオーストラリア地図を買い込んでナカタ家に戻ると、ナカタ氏は庭で芝を刈っていた。
十二月二十五日、メルボルンは快晴だった。シロ―とワイプルダンヤが、ナカタ氏の愛車でツアーの集合場所までツギオを送ってくれた。
クリスマスの朝、道路にはほとんど車は走っていなかった。ツギオがツアーの詳細を書いたパンフレットを取り出して確認していると、ワイプルダンヤが話しかけて来た。
「この休暇中に僕、あちこち寄り道しながらダーウィンの実家に帰るつもりなんだけど、何処かでばったり会えるかも知れないね。とにかくダーウィンに着いたら連絡してよ。歓迎するよ」
「あ、僕も別行動でダーウィンに遊びに行く約束なんだ。あっちで三人で会おう」とシロ―。
ツギオのノートにはワイプルダンヤの実家の住所と電話番号が、ワイプルダンヤとシロ―の手帳にはツアーの日程表が書き込まれた。
AB社の観光バスはフリンダース通りサン新聞社から駅寄りに数台駐車しており、三人はそこで、陽気に手を振って別れた。
切符のチェックと乗車手続きが終わると、コーチキャプテンのラークはツギオのパイクザックをバスのトランクに放り込んだ。中には既に五、六個のスーツケースが並んでいた。
「まあ、また会いましたね。あなたもこのツアーの参加者だったのね」
バスの奥からアメリカ訛りの英語が聞こえた。見ると、予約センターと博物館で出会った老婦人が、ブルネットの若い女と並んで座っていた。
「私はハガサ・クリフォード。ボストンから来ました」
「私はエレン・オースティンです。はじめまして」
若い女の言葉は、ツギオにもはっきりそれと分かるオーストラリア英語だった。
「僕は日本から来たツギオ・コンノといいます」
それを聞くとハガサがうれしそうに手を叩いた。
「日本人だったのですか、懐かしいわ。私、日本に三年ほど住んでいたことがあるのです。もうずいぶん昔、大戦前ですけど。夫の仕事の関係で、カマクラという所にね。落ち着いた良い町でした」
続いてエレンが言った。
「私、クルマもカメラも日本製で、料理にはソイソースを使ってるの。日本製品は私のお気に入りなのよ。日本人に会うのはあなたが初めてだけど。どうぞよろしくね」
二十分後にバスは出発したが、すぐには町を出ずに町のあちこちで二人三人と客を拾って行き、三十一号線をシェパートンに向かった時は八時を回っていた。車内にはコーチキャプテンのほかに、車掌風の二人の乗員(ナースと呼ばれていた)エルジーとリンダが乗っていたが、ガイドはラークが担当し、ナースは主に料理とキャンプ場の留守番、それにケガなどの応急手当を受け持つらしかった。