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02-01: 出発地点はメルボルン

*『』内は日本語会話



 十二月二十日、飛行場からツギオが市内への連絡バスに乗ってスワントン通りに着いたころには、さすがの夏の日もとっぷり暮れて、街中クリスマスツリーのイルミネーションがきらめいていた。彼にとって南半球のクリスマスは初めてだったが、真夏にクリスマスを迎えるというのは、言ってみれば盆の最中に正月が来た、というふうで、やはり妙な感じのものだった。


 フリンダース通り駅はすぐに分かった。特徴のあるドームを持ったこの駅は、観光案内書そっくりの形で立っていた。


 夏のメルボルンの夜は涼しい。彼は立ち止って額に巻いたアイヌ民芸品の鉢巻きを締めなおした。その鉢巻きは、彼の顔にかぶさってくる油気のない髪を抑える役をしていた。

 彼はパスポートのページの間に挟んでおいた所書きを取りだした。「835、カンタベリー通り、ボックスヒル」。


彼はちょうど通りかかった中年男に話しかけた。


「エクスキューズミー、サー。ボックスヒル行きたいです、どう行ったらいいですか」


 あとで気づいたことだが、オーストラリア人の多くは道を訊くときにエクスキューズミー、サー等とはほとんど言わない。それで、彼のこの言葉は大変丁寧な物言いだったことになる。

 相手は、ボックスヒル駅への行き方と運賃は五十五セントであることまで教えてくれ、ボックスヒルの何処に行くのかと聞いて来て、親切にもカンタベリー通りまでの地図も書いてくれたので、ツギオは迷うことなく目指すナカタ家に到着した。





『晩飯は済んだのかい』



 シャワーを浴びてリビングのソファーに寛いだ彼に、父の旧友ナカタ氏が切り出した。


『オーストラリア風テンプラを試してきました』

『ああフィッシュ&チップスね』

『ツギオ君、それの料理法を知ってる?』


 白ワインとナッツ類を持ってきたナカタ夫人が口をはさんだ。


『あれは難しいらしいよ、うちの奴がやるといつもパリッと揚がっちゃってフィッシュ&チップスにならないんだ』

『そうでもないわよ、美味しく作ろうと思うからそうなるだけ。ええとね、まず衣は卵の白身と熱湯でよくよく小麦粉を練るの。油は低めの温度で……古いものほどいいんだけど……揚げること。揚がっても油を切らずにすぐポリ袋に入れて、三分間待つんですよ』


 最後の部分は彼らが日本にいた頃に流行っていたCMの口調である。


『つまり、テンプラを作るときにやっちゃいけないことを全部やればいいんですね。なるほど、そうでもしなきゃあの味は出ないかもしれない』

『でもそんなに馬鹿にしたものでもないらしいよ。オーストラリア人が外国でホームシックにかかる時、まず食いたくなるのがあれだというからな』

『そりゃ、美味しいというより強烈に印象的だからというんじゃないですかねえ』


 ツギオはそう判定を下して、ワイングラスに口をつけた。


『それで、これからどうするの』


 と、人形焼きをつまみに水割りウイスキーを呷りながら聞くのは、ナカタ家の一人息子でツギオの幼馴染でもあるシロ―。


『オーストラリアに行ってくると言ったら、妹に注文されちゃったんだ。砂漠地帯に滞在してみてって……あいつ、何処かでオーストラリアの砂漠探検の話を聞きかじったらしいんだな。それと、アボリジニの人と会って来て、とね。まずはそのミッションをやっつけてやろうと思ってる。なかなか面白そうだし』

『それなら、第二の課題はもう達成したようなもんだよ。うちにアボリジニの学生が下宿してるからね。ジョン・ワイプルダンヤ・サンダース……ワイプルダンヤっていって、僕の大学の友達なんだ。今日は出掛けているけど明日の夜には会えるさ』


 シロ―の話に続いて、ナカタ氏は砂漠を回るバス旅行、コーチツアーというのがある、と教えてくれた。『オーストラリア訛りで言うとカイチツアーになる』と付け加えて。

 とにかく明日ツギオがビクトリア州政府観光局に行ってみることになって、話題は日本の噂話に移っていった。 



 



 翌二十一日は少し肌寒い朝となった。ツギオがカーディガンを引っ掛けて家を出たのは九時を少し回った頃で、散歩がてらに十分程歩くと駅に着いた。ボックスヒルからフリンダース通りまでの三十分間、彼は車窓に展開するローンボウリング場などを飽かず眺めていた。


 ビクトリア州政府観光局はメルボルン一の繁華街、コリンズ通りをスペンサー通り駅の方に歩いた右側にあった。前の歩道にはオーストラリア地図が描いてあり、都会の建物がよくそうであるように、間口の割にひどく奥行きのある構造になっている。

 カウンターでアラブ系の男性係員から数種類のパンフレットを受け取り、彼はその中の二つのツアーを選んだ。


 ひとつはオーストラリアの東海岸を北上、途中バリアリーフ内のいくつかの島を回りケアンズまで行って、マウントアイサ経由テナントクリークからダーウィンに行き、そこからまっすぐ南下、アリススプリングスを経てポートオーガスタに行きメルボルンに帰ってくる一カ月のキャンピングツアー。もうひとつはマウントアイサまでは同様のコースを通るが、そこから南下してリートンを経てメルボルンに帰る二十三日間のキャンピングツアーだった。


「この三十日間のものがベスト思うですが、駄目なら二十三日間のにします」

「両方ともオーストラリアン・バス社のカイチツアーですね。ただ、三十日間のほうはとても人気のあるコースですし、出発日時が近づきすぎてますから、というのもほら二十五日が出発日でしょう。多分予約でいっぱいなのではと思いますが、一応訊いてみましょう」


 男はすぐに電話を取って早口で何か話していたが、やがてツギオのほうを向いて言った。


「やはり満席だそうです。もうひとつのほうは出発が三週間後ですが、まだ空席があると言っています」

「仕方ありません。それでは二十三日間のほう予約したいですが、ここで出来ますね」

「ええ、出来ることは出来ますが、ここではコミッションを取られます。オーストラリアン・バス社の予約センターが近くにありますから、そこで予約したらどうですか。そうすればコミッション分だけ安くなりますから」


 いかに政府機関とはいえ、随分商売気がない、と思いながら彼はとにかく予約センターまでの道順を教えられて観光局を出た。


 予約センターは、コリンズ通りからちょっと入った路地裏のような分かりにくい場所にあった。殺風景な室内にいた若い男に来意を告げると、男はてきぱきと書類を作りながらツアーの説明をしてくれた。ツギオが「三十日間のが予約でいっぱいで残念」と言うと、男は「それではそちらはキャンセル待ちにしておきましょう」と言った。


 代金を払って外に出ると、真夏の太陽が照りつけていた。

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