01:前日談 NZコネクション
一九七六年十二月十九日の夕暮れ時。ニュージーランドの北島ニュープリマスから南に七十キロほど、ハウエラの町を出外れた田舎道に、なんとも珍妙な風采の男がいた。身長は百六十センチ位、背は曲がり腹は出て、どう見ても六十歳以上なのだが、黒いスーツにエナメル靴という、映画の殺し屋然とした身なりで、汗を拭き拭き自転車を漕いでいるのである。
彼は、とある牧場に入っていくと納屋の前で大声を張り上げた。
「フランク、仕事だぞう! おめえがここにいるつうことは分かってるだ。早く出てこいやい」
男は怒鳴りながら開け放たれた納屋の扉を滅茶苦茶に叩いた。
「何を大声で怒鳴ってるだぁ、ティキ。あんまし他人に聞かれて威張れる仕事でもあんめえに」
出てきたのは二メートルもあろうかという大男で、これも間違いなく五十は過ぎているようだが、ジーンズの上に着た開襟シャツから隠しきれない腹が出かかっており、口をきくたびに入れ歯をかたかたいわせている。
「ワシらこれからオーストラリアまで行かねばなんねえ。早えとこその小汚え服を着替えて出掛けるだ」
「オーストラリアの仕事ならオーストラリアの連中に任しとくだ。それが一番てえもんよ。畜生め! この忙しいのになしてワシらが行かねばなんねぇだ」
「何十年もこの仕事をしていて、やっとワシらにも運が向いてきたっつうに、いつまでもそうやって御託を並べていればいいだ。ボスがそうさしてくれればのこったけどな」
「何十年もやって来たというだか。おめえがやったといや、十年前にアワプニ競馬場へ忍び込んで競馬んまに蹴っ飛ばされたほかは、二十年前の農業祭の前の晩に、隣村の品評会用の種牛を殺ったぐれえのもんでねえか」
「喧しいやい。何様のつもりかよ、ワシがいなけりゃ何も出来ねえ癖してよ」
ティキは兄貴分らしく焦れながら叱りつける。フランクと呼ばれた男は、それでも何か口の中でぶつぶついいながら、もたもたと家に向かった。
「オーストラリアに行くんなら、ワシらパスポートたらいうもんを貰わにゃなんねえのと違うか」
「そのことよ。そいで急いで手配師んとこへ出掛けねばなんねえだ。愚図愚図してたらクリスマスになっちまう。そうすりゃあっちもこっちも休みで、何をやるにも好都合て訳にゃあいかねえだァに」
家の中は、この家の主の頭の中をそのままに、散らかり放題散らかっており、また見事に汚れ果ててもいた。
「だども、切符や何かはボスがやってくれるんと違うか」
「自分じゃあ何もしねぇで人任せかよ。いい御身分だよおめえは。死んだとっつあまも言ってただ。仕事師(殺し屋)ってのは何でも自分でやるだ。それが仕事師のやり方ってえもんよ。そいつをおめえはボスに頼むってか。ワシは何も知らねえだから面倒見てやってくらっせ、とよ。そいで仕事師かよ、お優しいこんだ」
「十時のお茶も駄目だって言うんじゃなかっぺな。まさか一日の時間が半分にもなるめえ」
「勝手にすればいいだ。ボスはお優しい方だから、何も仰るめえよ」
「ちえっ、何てえこった。もうじきクリスマスだっつうに、ワシらにゃお茶飲む暇もねえとくらァ」
三十分後、黒の上下に身をかためた二人連れは、ハウエラの町に向かい自転車を走らせていた。チビの方はせかせかと、ノッポの方は遅れがちに。
「でもようティキ、何でワシらでなきゃあなんねえだ。オーストラリアに行くのがよ」
「そこんところよ、ワシらに運が向いてきたっつうのは。おめえも聞いちゃいようが、ボスは四年にいっぺんニュージーランド中の旦那衆とひとつ所に集まって談合なさるだ。今年のクリスマスがその四年目でよう。ボスの子分衆から手の空いてる仕事師は全部スチュワート島に集まってるってこった。というのも、聞いた話だが談合をやるのがスチュワート島だからよ。そんでもっていろんな準備をするやら、間違いがあっちゃなんねえと警戒してるだよ。そいでボスのところにゃ、しっ腰の立つ仕事師は一人もいねえって訳よ。ワシら以外にゃあな。だからよう、この仕事さえうまくやっつければワシらも一流の仕事師の仲間入りつう訳だ。そんでもってニューヨークやトーキョーからだって、どんどん仕事も来ようってもんだァに」
「それじゃ牛の百頭も殺るだかね、それともオーストラリアのこったからカンガルーでも……」
「馬鹿こくでねえ、事と次第によっちゃ正真正銘の人間を殺るだァよ。だども今聞いた話は他所で喋っちゃなんねえぞ」
町に着くとティキは、本屋の前に自転車を止めた。
「どうしてこんな所に止まるだ。茶を飲む時間もねえっつうに、本を読んでる暇はあるつうだか」
「何も分からんクソったれが! 黙ってついてくりゃそれでいいだ」
ティキはそういうと店の中に入って行った。フランクはのろのろとそのあとに従った。ティキは旅行ガイドブックの棚の前で、オーストラリアと背に書かれた一冊を手に取ると、出口に向かってすたすたと歩き出した。
「ティキどこ行くだ。銭を払うならそっちじゃねえよ」
「喧しい、馬鹿でかい声出すんじゃねえ」
ティキは小声でそう言うと、新刊案内やその他無料のパンフレットの置いてある棚の前に来て、持っていたガイドブックをその棚のパンフレットの間に押し込んだ。
「姐ちゃんや、この棚にある本はみんなロハ(※後注)かね」
近くにいた女店員が胡散臭そうにティキを見て答えた。
「ええそうですよ。あんたが今置いたガイドブック以外はね」
ティキは口の中で何かぶつぶつ言いながら代金を払い、外に出た。
「ティキ、おめえでもやり損うことあるでねぇか」
「クソったれ、てめえが余計なこと言うからいけねえんだ」
「そんでもガイドブックなんて何するだね」
「それよ、おめえが一人じゃあ何も出来ねえ半人足だっつうのは」
「……?」
「いいかおめえ、外国旅行したことあるか」
「なくってよ、こないだの戦争の時よ」
「クソくらえ! それが外国旅行かよ」
「そんじゃあ、おめえはあんのかよ」
「ねえ。自慢じゃねえが、この北島から出たこたぁねえ」
「自慢にゃなんねえ」
「聞いた話だが、国を出るつうこたあ色々面倒だっつうぞ。ワシら二人ともそんなこた知りゃしねえ。でも誰かに訊くこたあなんねえ。これから売り出そうってえ仕事師がそんなこと出来るもんじゃねえ。仕事師っちゃそういうもんだ。分かるかフランク。そいでワシは本を買っただ。これからパブへ行って、この本をよおく読んで大事なことを覚えるだァに」
「へええ、面白いことを聞くもんだ。本つうもんは図書館で読むだ。それをパブでって、馬鹿こかねえもんだ」
「馬鹿はどっちだ、フランク。おめえは中学生じゃなかっぺ。ワシら仕事師よ。仕事師が仕事の相談ぶつ場所は酒場と決まってるだ」
二人はまた自転車に乗ると街角のパブに向かって行った。
※ロハ=縦書きにすると「只」になる。「無料」ということ