魔法のことば
俺の通う学園。その校舎の中庭には、一本の大きな木がある。
春には満開の花を咲かせるが、今は冬。あいにく時期じゃない。
疲れきった枝々が木枯らしに身を縮こませるばかりだ。
そんな場所で俺は、彼女の背中を見つめていた。
たまたま居合わせたわけじゃない。
俺が彼女を中庭に呼び出したんだ。
今まで抱いていた想いを、打ち明けるために……。
俺が来たのに気づいたのか、小さく肩を揺らす彼女。
ただ、そのまま振り向くことはなかった。
震える心を鼓舞するように大きく息を吐く。
そしてそのまま、俺は想いを風に乗せた。
「ずっと……君が好きだった……」
きっかけはなんだったんだろう。
たまたま同じクラスになって、接する機会が増えたからか。
でも、今となってはそんなのどうだっていい。
彼女のその姿を。
その仕草を。
認めるほどに、俺は彼女に惹かれていった。
もうこの想いを引き返すことなんてできないし、するつもりもない。
「だから……俺と付き合ってほしいんだ!」
俺の告白を受け、しばらく佇んでいた彼女。
沈黙が、まるで俺をからかうようにまとわりついてくる。
「……」
長い数秒のあと、枯れ枝から垂れる光が揺れると同時に、彼女は振り返る。
その表情にはやや赤みが帯びていた。
そして、鈴が鳴るような声音で俺に告げる。
「んぶぐぽ……るぷぽぉぃぶぷいゅ」
「あ……」
俺たちは、恋人として付き合うことになった。
* * *
一世一代の告白のあと、俺の人生が幸せ色に彩られたことは言うまでもない。
しばらくはお互い気恥ずかしくて、会話もままならなかった。
でも、その瞬間も嬉しく、愛おしかった。
授業中、どちらからともなく目が合った時。
帰り道、不意に指先が触れ合った時。
昼休みに一緒に弁当をつついて微笑む時。
そんな時間が、俺たちの距離を少しずつ、でもたしかに縮めていく。
ある日。彼女は俺のためにお手製の弁当を作ってきてくれた。
「これ、俺に?」
こくりとうなづく彼女。
参ったな……。お互いびっくりするぐらいに照れ合う。
「ありがとうな。……さっそく開けていいか?」
「べぎょりゅり……」
「……うん。美味そうだ」
弁当の中で元気に踊るそれらを、俺は平らげた。予想に違わず、とても美味かった。
「んぶぐぽるぷ、ぽぉぃぶぷいゅ」
その様子を見て、彼女はまた照れくさそうに目を細め、頬を緩めた。
あの時の言葉とともに。
その言葉は、まるで魔法のようだ。
俺の気持ちがいともたやすく満たされる。
弁当のこと、そして伝えてくれた魔法のことば。
その嬉しさのあまりか、食べたそれらがまるで俺の胃袋の中で蠢いているようにさえ感じた。
* * *
ぎこちないながらも、楽しい日々。
だからこそ、その日がやってきたのはまさに青天の霹靂だった。
俺は、担任の先生に職員室に呼び出されていた。
すぐ脇の応接室にて顔を向き合わせる。
「……え? 転校……しかも今日って……誰が?」
「だから、彼女だよ。お前らって、なんだ……付き合ってるんだろ?」
俺の頭は真っ白になった。
彼女の……転校。しかも突然に決まったことらしい。
クラスの誰にも告げず、彼女はこの学園を、去る。
あとから聞いたが、担任は恋人である俺に先に事実を伝えてくれたらしい。わざわざ応接室にまで招いて。
でも、そんな担任の気遣いに気づく余裕は、俺にはとてもなかった。
「な、なんで……そんな急に……! 俺にも……なんにも……」
「まったく、突然なんだが、あちらさんの家庭の事情もあるんだ。悪いが、納得しろ」
「そ、そんな……。急にそんなの言われて「はい、そうですか」なんて言えるかよ!」
立ち上がる俺をなだめるように、担任は俺の肩をぽんと叩く。
「お前の気持ちもわかるが……。お前らはまだ若い。これからどうにだってなる。お前もすぐに新しい恋が見つかるさ」
「うるせぇ! てかアンタ独り身だろ! 彼女イナイ歴=年齢だろ!? そんなこと言われても説得力ないんだよ!」
「ぐ……ぐふぅ……! せ、先生にだって、ここ、恋人くらいいるぞ!?」
「2次元の話しをしてるんじゃねぇ! このたこ焼き頭!」
「た、たこ……っ! それに2次元じゃないぞ! フィギュアは2次元じゃなく3次元……って、待て! どこ行くんだ!」
俺自身、なにを言ったか覚えていない。ただただ、暴れる心のまま叫んでいた。
担任がなにを言ってたかもイマイチわからなかったが、そのまま俺は職員室を飛び出した。
今ならまだ間に合うかもしれない。
それに、今会えないなら、もう二度と彼女に会えないかもしれない……。
俺は無我夢中で校舎内を走った。
* * *
俺が中庭に辿りついた時には、もう空に茜がかかりはじめていた。
「……いた」
「……」
俺が彼女に想いを告げた場所。
そして彼女があの言葉を俺に教えてくれた場所。
そこに、彼女は立っていた。
あの日と同じように、俺に背を向けて。
「なぁ、どうして……言ってくれなかったんだよ。一言言ってくれれば……」
「……」
「どうにかならないのかよ……。俺にはなんにもできないのかよ……」
彼女は静かに佇んでいる。でも、俺の声に耳を傾けてくれていることはよくわかった。
一言言ってくれれば……俺はどうしたっていうんだろう。
引き止めて、周りを説得して、彼女を困らせるのか?
わかってる。
この結末を、俺では、そして彼女にも、どうすることもできないってことを。
ただ……。
「俺は、離れたくないよ……」
混乱して、走って、ヘトヘトに疲れきった頭で絞り出した声は、俺の心の奥を映していた。
俺は……もっと君と一緒にいたかったんだ。
「……」
いつのまにか、彼女は俺に向き直っていた。
その瞳には光が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。
その表情に、どうしようもなく俺たちの別れを思い知らされる。
「俺は……ずっと君が好きだ」
「……」
音もなく、彼女の両隣に二人の人が現れる。
彼女の両親だろうか。全身銀色ずくめの服が目にきつい。
「たとえ離れ離れになっても、ずっと好きだ!」
銀色の二人がどでかい目ん玉をギョロギョロと動かす。
そして頭上を見上げると、はるか上空から青い光が降りてくる。
彼女たちを包み込み、三人の体が地上から離れる。
同時に、彼女が湛える光の粒が地面へ落ち、土に染みていった。
追いすがるように俺は叫ぶ。
「だから……! いつかぜったい……、また会おう!」
涙でぼやけた視界の向こう。
同じ涙を流しながら、彼女は俺に微笑んだ。
「……んぶぐぽるぷ、ぽぉぃぶぷい……ゅ」
何度か聞いたその言葉。
俺にとっては、彼女と繋がる魔法のことば。
それはどんな時だって、俺の胸に優しく響く。
「ああ! ぜったいだ! またここで、会おう!」
再会の約束を交わし。
そして、彼女たちは去っていた。
* * *
それから、幾時が経っただろう。
しばらく俺は、たぶん見れたもんじゃなかっただろう。
「先生なにその頭ー! たこ焼きみたいー!」
「なんで頭に青のりまぶしてんだよー!」
「いやぁ、これからはたこ焼きが流行るかと思ってな!」
「流行るかよ~、ヅラにもなってねぇよ~」
「だから彼女できないんだよー!」
「うるさいっ! それに、彼女ならいる!」
「1/7スケールの、だろ~?」
賑やかなクラスの会話も、どこかうわの空で聞いていた。
でも、心の傷は時間が癒やしていく。
少しずつ、俺は普段通りの学園生活を取り戻していった。
昼休みには、中庭で昼食をとるようになった。
彼女との日々は、まるでいっときの幻のようだった。
でも、俺はたしかに覚えている。
彼女と過ごした日々。
あの日の彼女が零した光。
そして、彼女が何度か俺に伝えてくれたあの言葉。
あの頃にはまだ枯れ枝ばかりだった木は、ぽつぽつと蕾をつけはじめている。
「いつか、この木が花を咲かせる時、一緒に見られるだろうか……」
呟きながら、もう時間がないことに気づき、慌てて弁当をかきこんだ。
* * *
――さらに時は経ち。
今日のぶんの仕事を終え、足早に帰宅する。
最近は会社の業績が上向いているらしく、良いか悪いかやけに忙しい。
「ま、稼げるからいいんだけどな……」
独り言をつぶやいているあいだに、家に到着。
今日はなんとか日が暮れる前に帰ってこられた。
玄関へ入る。
と、廊下の奥、リビングへ通じるドアがガチャリを音を立てる。
そこから出てきたのは予想に違わず、妻と、妻に抱きかかえられた我が娘だった。
俺が今日早く帰ってきた理由。
今日は、俺と妻の結婚記念日。
家族三人でお祝いをする予定だったのだ。
俺と妻の馴れ初め。
それはあまりに初々しかった。
楽しいこともあった。悲しい別れも味わった。
けど、俺と彼女は、あの学園を卒業する日にめぐり逢ったんだ。
……再び。
満開の花を咲かせる木の下で。
「ただいま……」
俺が言うと、娘はキャッキャと喜び、妻は優しく迎えてくれた。
「んぶぐぽるぷぽぉ、ぃぶぷいゅ」
いつもの、あの時教えてくれた魔法のことばを添えて。
おしまい。
お読みいただきありがとうございました!