部屋とフライパンとあべし②
「ねえ、総冶さん」
「……ん? 優衣ちゃん、なんだい。あまり運転している人に話しかけちゃ駄目だよ」
1話の最後で登場した丹羽総冶は助手席に座った相棒に返事をした。
「ナレーションの仕事は終わったの?」
「ああ、1話限りだから……今回から作者がナレーションだよ」
「そう。 良かったぁ~~!」
優衣は両手を伸ばして清々しい表情をした。
「正直、ウザかったの。時々、わたしに話しかけてたでしょ。気持ちはわからないこともないけど……気色悪かった」
「はは……ははは」
総冶は額に脂汗を浮かべながら作り笑いを返した。
「それと、総冶さん?」
「なんだい、優衣ちゃん。車が動き出したんだから話しかけちゃだめだよ」
「わたし……総冶さんが車を運転しているところ初めて見たんだけど」
優衣は後ろを振り返った。後部座席に腰掛けた仲間2人の背後、ガラスの向こうにマフィアらしき車がホテルの前に次々と横づけし、若い衆が入り口からなだれ込んでいくのが見えた。
「まあ、優衣ちゃんのためだからね。班で最年長の俺が運転しないと奴等からは逃げられない」
「ふ~ん」
彼女は不満そうに唇をとんがらせた。後部座席を振り返り、2人に声をかける。
「ハカセに竜三。あんた達、クルマ運転できなかったんだっけ?」
ひとりは眼鏡をかけた痩身の男。もう1人は肩幅の広い頬の角ばった男。双方が同時に首を縦に振った。
「そうか~~。総冶さんは20歳だけど、わたしら18歳だもんね。日本じゃ今年からようやく免許とれるんだよね」
「タンジョウビがキマシタ、私は19サイです」
「あれ? ハカセはちょっと大人なんだ。ふーん、知らなかった。それは置いといて……」
優衣は正面を向いて真顔になった。
「なんで、このクルマ蛇行してんの?」
左を向くと脂汗を滝のように流している男が肩を強張らせてハンドルにしがみついていた。
「ちょっと待ってよ。まさか……」
「優衣ちゃん、細かいことは気にしちゃだめだよ。直に慣れる……ゲームセンターで練習してきたから大丈夫だ」
ゴツンッ
赤いシボレーの後部バンパーが駐車してあった車と派手にぶつかった。
「……」
「よし、やっと3速まで入った。一気にギアを高速に上げるぞ。アクセル全開だっ!」
「……やめてよ」
ブルンッ……ブルンッ……ブォォォォォォォォォ
彼女らを乗せた車は何度かエンスト気味になった後、猛烈にスピードを上げて片道2車線の大通りを制限速度以上で走り出した。
前方を走る車がみるみる近づき、衝突すると一堂が身構えた瞬間に左へ曲がる。別の車がっ、と各自おののいた瞬間に右へ曲がる。ギュルギュル音をたててタイヤを地面にこすりつけながら総冶の運転するシボレーはSの字を描きながら他の車を追い越していった。
「俺はドリフトキングだっ!」
「やばい、目がイっちゃってる……」
優衣は天井に片手をついた。自分が飛び乗ったときにできた足跡が内側に飛び出していた。
「ねぇ、ハカセ。このクルマって自前なの?」
「イエ、レンタルです。破損シタ部分ハ弁償サセられる契約デス」
右に左にGがかかる車中でシートベルトをはずすと、座席にお腹を預けるように両膝をたてた。
「ちょっと、直しておけば誤魔化せるかも」
優衣は両手で往突ができた天井を押さえると親指でぐいぐい押し始めた。
「一度伸ビキッタ金属ハ元ニ戻りまセン」
「やってみなくちゃわかんないでしょ」
「無理ヲスルト破損ガ広ガリます」
うんしょ、うんしょ、力をこめて押したり引っ張ったりした。その結果……
ベリッ、ベリベリッ!
哀れシボレーの天井は中央部分がはがれて車の背後へ飛んでいった。ガスバーナーで焼き切ったような1メートル四方の金属片は地面に落ちたあと、真っ黒なベンツにひかれて再び空中へ巻き上げられた。
「ヤバイじゃん、後ろ追いついてきてるよ」
「運転手ノ差デス」
優衣は穴の開いた天井から首を出して後ろを確認すると、10台近い黒い車群が追跡していた。助手席に座りなおすと運転手を向いた。
「……ねえ、総冶さん」
「……」
「大通りは不利だと思うの。スピード出しすぎだし。追っ手を巻くためにも少し小道に入った方がいいかな~なんて……うわっ、交差点だよ交差点。赤信号じゃんっ!」
赤いシボレーはスピードを緩めることなく4車線同士がぶつかる交差点に突っ込んでいった。目の前を大型トラックが通過していった。
「ダメ~、死んじゃうっ! 死んじゃうよ~」
「全員ガ死亡スル確率80パーセントです」
「それって、あんたたちを壁にして私がパワー全開で外に飛び出しても同じなの?」
「ソノ場合、アナタハ生キ残リますが、私タチノ死亡確率100パーセントって……ひどすぎるっ!」
「あ、戻った」
「生死の分かれ目ですよ、何言ってるんですか!」
ハカセと呼ばれるこの男。本名、十文字剛。普段の言動からハカセと呼ばれている。カレイドスコープ社が彼を問題児の集まる「枯れ井戸スコープ」班に入れたのは、自分をコンピューターだと思い込む性癖にあった。ロボットが自分を人間だと思い込む話はあっても、人間が自分をロボットだと思い込む話など見当たらない。単なる思い込みだ。
「あ、通り抜けた……」
奇跡的にも真横から突風の如く通り抜ける車の隙間を縫うように赤いシボレーは交差点を通過した。優衣もハカセも胸を撫で下ろした。後部座席の残り1名、竜三は車酔いしてしまったらしく目の焦点が合っていなかった。
「あとは適当な小道を選んで姿を消すだけだね」
笑顔の優衣は運転席に目を向けた。そこにいたのはハンドルへかじりつくように前かがみになった血の気の失せた男の姿だった。
「総冶さん……?」
「……なるんだ」
「……?」
「星に……星になるんだ」
「『風』じゃなくて?」
「『星』になるんだっ!」
星ってあの世へ行くってことじゃない、勘弁してっと言う彼女の声はかき消された。激しいスリップ音とともにシボレーはスピードを落とすことなく右折した。
「ちょっと、ここ……道じゃないよ」
彼らが曲がったのは石畳が円形に広がる広場だった。無人の屋台を吹き飛ばす。悲鳴とともに広場にいる観光客が逃げ出した。
「一般人に迷惑かけちゃ駄目じゃんっ!」
横からハンドルに手をかける。奇跡的にも人的被害はゼロだった。広場の中央へ踊り出し、パラソルの下に並べられたテーブルや椅子を次々に吹き飛ばす。
「星になるんだっ!」
車の進行方向はは広場の奥だった。わずか2メートルほどの通路が3階建ての商店の間に延びていた。
「ちょっと、車の幅よりはるかに狭いじゃないっ! アクセルから足離しなさいよ」
「車ガ大破スル確率99パーセント」
「なにコレ。どんな力で踏みつけてんのよ。総冶、あんたバカなのっ!?」
商店が連なる軒先が目の前に迫っていた。フルアクセル。頭で理解するより先に壁の中に突っ込んでいた。
ズギャッ ズガーーーー ズゴゴゴゴッゴゴゴゴ
「死んだーー! っって、あれ、道を走ってる――――」
「1パーセントです。奇跡が起こりました――――」
「なんで、どうして? ってなんか右に引っ張られるような――――」
「これっ、全員というか車が横になってんじゃんっ――――」
赤いシボレーは細い路地をほぼ真横になりながら壁にタイヤをつけ、無理やり進んでいた。右側のタイヤが地面を蹴り、左側のタイヤが壁をこすっていた。
「ちょちょい待ち――上手く走っているけどギリギリだよ。竜三、あんたしっかりシートベルトつけてるんだね。偉い――――。左側に体重かけてひっくり返らないようにして――――」
「うっぷ、わかったッス――――」
「総冶っ! あんたも左に体重かけるのよ――――」
「星に……なるんだ」
「こりゃ駄目かも。車はメチャクチャだけど、さすがに追っかけてくるマフィアもいないでしょ」
優衣の言葉通り、マフィアの追っかけていた赤い車は広場で忽然と姿を消した、ということになったらしい。