第九十八話 冷たい塩の効いた焼き菓子
メナースの解毒処置に入ってから実に三時間が経過していた、ジェイラスは背中を壁に預けて処置室の前に立ち尽くしている。ユーリィは気疲れからか、ノルの大きな体にもたれかかって静かに寝息を立てているのであった。
彼は思い耽る、一体あの集団は何だったのだろうかと。一切の問いかけにもこたえなければ、まるで人間や他の文明的な種族のように話の通じる相手には見えない、あまりにも不気味で生命の息遣いというものを感じられなかった。
もう一つ気がかりなのが、ユーリィやノルのようにどこか別の世界からやってきて悪魔に変えられたというあのヘクゼダスだったか、ノルよりも巨体の悪魔のことであった。普通悪魔といえばこちらを見るなり襲いかかってきて殺そうとしてくる凶悪な存在である、だがあいつはそうではなかった。こちらを見て襲い掛かってくるどころかむしろ怯えていたようにも感じられた。ところどころの言動から感じられる知性と理性からも彼が自分を元々人間だったという話にも説得力が見られ、天使の言の葉を介して短い時間ながらも意思疎通を果たした結果彼はもしかすると魔王討伐の鍵になるのではないだろうかという可能性がジェイラスの胸に生まれた。ただ、それはあくまで希望的観測と直感によるものであり何かしらの根拠に基づいて確立された策略ではなかったのだが。
ジェイラスは診療所の片隅で眠る二人を振り返る。今彼が考えていることは一つ、戦力不足ということであった。ジェイラス自身は旅を始めて二年と半が経っていた。シェルキルという漁村出身の彼は始めはたった一人、それも魔王討伐というおおそれた大志を胸に抱いてのことではなく若者によくある世界を見たいという冒険心からのものであった。やがて彼は仲間と出会い、そして別れを経験してきた。メナースと出会ったのは出立から九カ月か経過したころであった、メリミニという砂漠地帯を越えていかねばならないという時に運悪く砂嵐が酷い季節にぶち当たってしまった際、砂除けの術を覚えていなかったジェイラスは、砂漠にすむ巨大蟲ジュラッパの群れに襲われていた一人の魔術師見習いであったメナースを救ったのだ。
その時彼女は砂漠の手前にある町ホーにて魔術の訓練を受け、一人前の魔術師として独り立ちするために手始めに商隊の護衛を他の同じ見習いや戦士などとともに行っていたのだが彼女を残して全滅、彼女もあわやというところで彼に救われた。その恩を返すという形で彼を砂漠の向こうまで抜けられるように付き従ったのだ。それからすぐに一緒に旅をしたわけではなく、一度別れた二人は再び出会い成り行きで旅を始めたのであった。
その後、突然目の前に一組の男女が斃れているのを旅上にて発見、それがノルとユーリィであった。彼らの目的は魔王退治であることを聞いた二人は、当てもなくさまよっているだけであった旅の初めての目的として彼らの魔王退治を手伝うことにしたのだ。
それから四人は謎の女性と出会い盗賊に襲われたり月の出る晩にだけ現れる門を潜り人語を話す神秘的な魚と出会ったり、小さな獣族の村で意気投合したりと沢山の色とりどりな経験を経てここにいる。旅を始めたばかりの頃と比べると、彼らはよっぽど成長し力を増している。だが、それでも足りないのは明白であのような者たちに攻めあぐねているようでは、魔王の幹部すら倒すことはできない。もっと強くならねばならない、もっと仲間を得なければならない。問題点は山積みではあったものの、それが明白であることは一つの救いでもあった。わかりきっていることなら次のステップは改善のみ。
だとすれば、まず新たな仲間を迎え入れることについてを考えよう。現在四人の構成はジェイラスが戦列騎士、メナースが遊撃魔術師、ユーリィは植物を体に宿すレキペテニウムという種族の元パン焼き。そしてノルがベルターマグナ大陸の北部山岳地に暮らすマラド族という少数部族の狩人。必要だとすれば、魔術師がもう一人くらいとジェイラスのように前線で相手と切り結べる戦士か騎士あたりだろうか。それだけではない、もう一人支援要員が必要だ。戦闘においてはジェイラスとノルがメインを務めておりメナースが支援と攻撃の中間を、ユーリィは主に非戦闘時の皆の世話をしてもらっている。彼女には炊事洗濯の多くを担ってもらっており負担が大きいことは否めないので、もう一人元召使あたりでもいいので迎え入れたいところであるが、欲を言えば戦いの心得のある元召使がいい。
「ま、そんな調子のいいやつがいるわけないか」
そんなに出来る奴はもう既にもっと強いパーティに加わっているか、あるいは雇われているはずだ。こんな小さな四人組に付き添ってくれるなんてよっぽどのもの好きか無謀人だろう。
だがともかく戦力の増強をしなければいけない。ジェイラスはしばらく空腹も忘れて考えに没頭していた。
「ふう、疲れた疲れた……まさかヴァッジャの胃石を持ってるとはねえ」
処置開始から五時間後、ようやく処置室から出てきたラボダム医師は処置衣を脱いで続いて出てきた助手の一人にそれを渡し、一服つくために休憩室へと足を運んでいる道中、廊下に佇んでいた三人に気づき足を止めた。
「おい、終わったぞ」
二人は眠っているようなので、彼は壁に寄りかかって立っているジェイラスの方に声をかけたが反応がない。どうやら何か考えに耽っているようだが、もしかすると眠っているのかもしれない。
「おい君!終わったぞと言っている」
「あっ」
ようやく医師に気づいたジェイラスはうっかり立てかけていた槍を床に倒して拾い上げながら医師の方を見上げた。
「なんとか助かったがね、ちょっと後遺症が残るだろな」
処置の結果を尋ねる前にラボダムは答える。メナースが助かったことにほっと胸を撫でおろす彼であったが、同時に後遺症という言葉に胸騒ぎを覚え恐る恐る聞き返す。どうか、彼女に深刻な影響を及ぼさないものであることを信じて。
「それ、それはどういった……」
「完全にはっきりしているわけじゃあないがね、そりゃ初めての毒だから何とも言えんのだが……ありゃあ身体に作用するようでな、どうも変遷が見られる、体になあ」
「体に?」
「ああ、体の一部が黒くなっとる、いくらか術を試してみたがまるで消えんのだ染みが」
体表に直接影響が出るような後遺症が残る毒だ、それは内面にも少なからず影響を残しているはずだ。彼はつい口をついて出た言葉を発してしまう。
「メナースはまだ、まだ戦えますか?」
するとその言葉を聞いたラボダムはあからさま気に食わないという表情で彼を睨むと一歩進んで彼にこう言い放った。
「君にとってあの娘は戦うだけの存在かい」
「あ……そんな、つもりじゃ」
痛いところを突かれ、彼はしどろもどろになってしまう。彼女のことをそういう風に見ていたこと等一度もない、それは神にだって誓える。しかし自分は先ほどのようにもしかすると無意識の内に仲間に対し彼らの存在意義を戦闘能力で推し量っていたのかもしれない。いや、貢献できる力とも言えよう。自分はとんでもない発言をしてしまったのだと胸が苦しくなる。狼狽えている彼を見てラボダムは首を横に振った。
「そして今度は自分が傷つくのか、つくづく君は正義には向いていないようだなあ」
彼はそう言い捨てるとさっさと休憩に向かってしまった。あとに残されたジェイラスに、助手が事務的に請求書を手渡していった。
彼は震える心に思う。自分は今一度、物事の全てを改めて考え直す必要があるのかもしれない、と。彼は確かに不用意な発言をしてしまったが、彼はまだ救いようのある人間であった。指摘されたことにいち早く自らの間違いに気づきそれを改めようと考えられるのだから。
世の中にはそうでないものが大勢いるのだ。




