第九十七話 吹かれた調べ
酒場においてならず者たちの意識を皆殺しにしたヴェッチェとロバトは、これ以上の騒動を避けるために裏口から酒場を後にする。酒場を出る前に少しばかりの飲食物をいただいてきたロバトは、本当は空腹であるはずなのに先ほど目の前で起きたばかりの惨劇によって水の一口すら喉を通らない有様で、食料を入れた袋を心底気だるげに肩に引っ掛けてヴェッチェの後ろを続いていた。
「あなた方の村ではああいったことは起きたことは無かったのですか」
やけにげっそりとして俯いているロバトに気づいたヴェッチェは、どことなくヘクゼダスのことを思い出しそう尋ねる。忘れていたことだが、サイカロスと違ってああいったことにシラバルサンサに住まう種族はしょっちゅう身を置いてはいないのだ。他種族というものはこうもなよなよしいものなのかと彼女は半ば嫌気がさしつつも、ため息をつくこともなく通りを行く。相変わらずそこらじゅうで危険な音が鳴っては彼女の鼻腔を鮮血のかぐわしい香りがくすぐり、耳には優雅な悲鳴の調べが届く。
「まあ、ここも案外悪くはないですねえ、おっと」
ふと衣服が返り血を浴びて汚れてしまっているのに気づいたヴェッチェはさっと一なでして少しの染みも残さずに血痕をきれいさっぱり落としてしまった。別に手を使う必要はないのだが、世の中全て合理的に運ぶ必要はない、それが彼女の生きる上でのモットーの一つであった。殺す時は優雅に、美しく、愛おしく。
「あの……」
ようやく口を開いたロバトに、彼女は振り返ることなく聞き返す。
「なんですか、死にたいのなら長くとも短くとも引き受けますが……」
「いや、そうじゃな、え?あー、その、さっきのあの魔法を使って何かわかったんですか」
そう、先ほどの術は彼女曰く意識を覗くだからしいが一斉に何十人もの意識を奪って除いた結果何を得られたのかが気になっていた。特に、彼女はどこかしら当てがあって町を進んでいるようにも見える。彼の読みは当たっており、ヴェッチェは計四十九名の意識を一瞬にして奪った際に全員分の記憶や感情を食らいつくしその中身全てを腹の中に入れてしまっていた。流石にそれだけの邪悪な者たちのものとなると中々に濃い意識であったために、存外満足していた彼女は実は一割ほど上機嫌になっていたのだ。そういうわけで気分の良かった彼女は特別にロバトにこれからの行先を教えてあげることにした。
「少し南に面白い野蛮な害虫どもがいるようなのでそちらにゆっくりと向かうことにしましょう」
それを聞いて絶対にろくでもない目に合うに違いないと確信したロバトは、今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑えて彼女の後をついていく。今自分が生き残るためには彼女と行動を共にするほかあるまい。
かくして悪魔と人間の二人旅はまだまだ始まったばかりのようだ。
ヴェッチェとロバトがポラーの町をうろついていたころとほぼ同時刻、ポラーとは反対側、島の二番目の港ラキオタイにジェイラスとその仲間はたどり着いていた。第一の港であり流刑者が初めにたどり着いていたガゥロートゥと比べるとここはこの島を領有するセーラバイリャマナ帝国が維持管理を行っているため随分と安全な港町で、一般人ならここに訪れるのが常であった。町は帝国兵によって守られているためまず滅多に悪人たちに襲われることは無く、もし襲おうものなら圧倒的戦力の前に敗れ埠頭の首吊り岬と呼ばれる場所にまとめて晒される羽目になる。
ジェイラスらもここを拠点にこの島を探索しており、ここで仕事を受けては探索や討伐、採集を行って回っていたのだ。彼らは謎の土着部族に襲われメナースが負傷をしたのだが、あろうことか本来敵であるはずの悪魔のヘクゼダスによって窮地を救われこうして町まで転移魔法によって難を逃れてきたのである。
ノルがメナースを担いで町の医院へと運び込む。ここの医院は国立であるため設備が良く値段も良心的なのが評判であった。何故わざわざ怪我をしたくらいでここに運び込んだのだろうか、通常なら傷を治す術をつかえば切り傷や刺し傷なら酷くさえなければ治療はその場で行えるはずである。にもかかわらず医院を訪れたのには訳があった。
すぐに診察室へと担ぎ込まれたメナースはベッドに寝かされ、医師のラボダムが容体を診る。すぐに彼も異変に気付き助手にある薬を持ってくるように言いつけた。
「これは毒だなあ」
ラボダム医師はメナースの瞼を開けながらつぶやく。
「やっぱり毒なんですね」
この症状に心当たりがあったジェイラスの判断は正しかった。傷としては命にかかわるものでもないし、これ以上に酷い怪我を負ったこともあった、だのにメナースの意識が急激に朦朧とし始め目の色が混濁していたので毒だと判断したジェイラスは転移先を湖ではなく町に急きょ変更したのだが、彼の経験が彼女の命を救った。
「どうしてこんな……傷を受けてどれくらいになる」
「えっと……確か十分そこらです」
「十分!早いな……それにこんな症状は見たことがないぞ……」
二十年以上医療に従事している彼でもこのような毒は見たことがなかった。僅かに十分で全身に毒が周り瞳が濁り肌はくすんだ緑色がかっている。始めはレケッテナ(※1)かブラマニウの葉(※2)かと踏んだのだが、レケッテナはこの島での生息は確認されておらずブラマニウも同様で特にブラマニウは極寒の地にしか自生しないと来ているから、すぐに候補からは除外された。
「ラボダムさん」
地下の薬品庫から瓶を抱えて戻ってきた助手から彼はそれを受け取ると、ふたを開け薬の使用に取り掛かる。その間に助手にメナースの衣服を脱がせると患部を診察する。傷は右胸の下側に刺し傷が出来ておりその周りには赤い血が凝固を始めていたが、傷口の周りの毒の感染が酷いため改めて外傷による毒の注入を確信する。
ラボダムは清潔な布に消毒液を染み込ませ傷口を拭きとるが、通常なら傷口に染みる痛みで患者は飛び跳ねるはずだがそれすらなくどんどん呼吸が浅くなっていくメナースを見下ろし勝負は短いと見、急いで処置を執り行う。処置をしながらもジェイラスから傷を受けた時の状況についてを尋ねる。
「一体どうしてこんな傷を」
ジェイラスは森の奥で謎の部族と出会い襲われたことだけを話した、決してヘクゼダスに巣食われたことは話さずに。
「この島にそんな奴らが……タオルをすぐに片付けろ!二次感染だけは避けるんだ!解毒薬がないんだからな!」
謎の集団が使う未知の毒薬に特効の薬などあるはずもなく、今出来るのはここにある中では最も効果範囲の広い解毒薬を使って和らげてやることくらいである。彼は瓶の中に入っている虹色の液体をこの世界の独特の形状をしている二本針の注射器に注ぐと適切な位置に撃ち込み薬を注入していく。注入を終えると今度は傷の縫合であるが、それは魔法を使えばすぐに済む話である。だがただ塞ぐのではだめだ、傷を塞ぐ術と感染症を防ぐ術は異なるし、何度も痛みもなしに切開と縫合を繰り返せる術も必要となる。また壊死を防ぐ術も使わなければならない。それらの術を複数かけるためにはそれ相応の道具や材料が必要となるため、ラボダムは複数の助手に必要なものを記したリストを渡すと倉庫中を駆け回らせる。
「治りますか……」
拳を握りしめ俯く彼に、医師は医療用魔法の書物を開きながら言う。
「何せ見たことのない毒だからね……やれるだけのことはやるが、治せなかったからといってその槍で突くのはやめてくれよ、よくいるんだそういうの……そういうことされると死体が増えるからやめて欲しいんだがねえ。さ、術が余計な方向に飛ぶといけないから出た出た」
診療室を追い出されたジェイラスは、待合室でノルとユーリィと共に待ち続けた……
※1 レケッテナ:メントルパという地方を中心に生息する魔物。硬い甲羅と大きな二本の毒針が特徴的で正確は基本的におとなしいが一度怒らせると周囲の生命を皆殺しにするまで治まらずおまけに肉食。普段は腐肉を食す。
※2 ブラマニウ:一年中雪がふぶくような地方にしか生えない背の低い樹木。成した果実は見た目はとても美味しそうでついつい寒さに凍えた旅人が手に取ってしまいがちだが、中身は猛毒で一口でも齧ればただの人間族なら体中が爛れて即死する。ベータモナという種族などごく一部の生物のみその毒は効かない体質を持つ。葉は先が鋭利で先から分泌する液体には当然毒が含まれる。




