第九十六話 一閃
「失礼いたします」
酒場の入り口を首を垂れながら通り抜けたヴェッチェとロバトは、見るからに危険な雰囲気漂う場所に立っていた。あちこちに傷跡の残る内装、片目がない店主、右腕の肘から先がないデブ女、その他にも一目でヤバいとわかる奴らで店内はごった返していた。そしてその殺意しかこもらない何十もの目が一斉に招かれざる訪問者に注がれた。
「オイ、なんだこいつはあ?頭イカれてんじゃねえのかハハッ!!」
入って入り口のすぐ横にいた細長い男が、装束に身を包んだ二人を見て嘲笑い、それにつられて他の者たちも同様に汚らしい笑いを二人に向かって飛ばしていた。
「ベラミナム教ホートーン教会より参りました、私修行婦のヴェルカリオンと申します。この者は修行子のタート・ロバト」
ヴェッチェが偽名を名乗りつつ頭を下げ、それに遅れてロバトも頭を下げるが納得がいっていないことがあった。何故自分は本名で呼んだくせに彼女は偽名を使ったのだろうかと。どういう真意をもってしてのことなのかはわからないが、悪魔というものに対し不信感が強まったのは言うまでもない。
「その修行婦さまが何の用だ?のこのこやってきやがって、ブチ犯すぞ?」
今度は別の荒々しい髭の大男がのっしのっしと歩いて来ると、大きく腰を曲げてヴェッチェの顔数センチのところまで顔を近づけて威嚇をする。彼女の顔にひどく酒の匂いのする息が吐きかけられるが、今の彼女は死刑執行者ではなく一人の信心深い修行婦、唐突にバラバラにしたりなどしない。
「まあ、恐ろしいですわ。ですが皆さまも今から主神ベラミナムにお祈りをささげることできっと救われ」
彼女が言葉を発している途中で髭男は腰に掛けていた鉈のような斧のようなものを彼女目がけて振り下ろした。
「きゃあ!」
もし彼女が本当にただの修行婦ならばここで跡形もなく潰れてしまっていただろう、しかしさすがは伊達に力のある悪魔ではなかった。彼女は身をよじらせると絶妙に、しかしまるで偶然を装ってその一撃を紙一重で躱す。きっとこの様子は周りの者にとって彼が酔って狙いを外したか運よくヴェッチェがよろめいたために命を落とさずに済んだと認識されているはずだ。
「何やってんだよガザム!」
「殺したら犯せねえだろうがー!」
罵倒や下品な言葉が投げかけられるが、ヴェッチェは困ったような顔を作っておろおろとしているばかりであった。攻撃を避けられたガザムという男は、余計に怒りを燃やしたようで鼻息も荒く床に突き刺さった武器を引き抜くと今度は横一線に大振りした。この攻撃は、ヴェッチェはわざと食らうことにした。とはいってもまともに食らえば人間なら背骨も一緒に真っ二つになるため掠める程度に食らったのだ。だとしても、彼女の今の姿と武器を見れば人間なら確実に体を抉られて死んでいるはずだが、ヴェッチェであればそう見せかけることも可能なのだ、酒場の人間全員に、思い込ませることなど。
「いやああっ!!」
ヴェッチェは胸を両手で抑えてしゃがみ込む。彼女の胸の部分は破かれており白い柔肌が腕の隙間から露出してしまっていた。途端に歓声や口笛が店内に飛び交い男たちは更に注目を集め、そっちもイケる口の女やそのほか種族たちも目を注ぐ。
「ほおー、ヤリがいがありそうな人間が来たなあおい」
少し奥の方から男の声が聞こえた。皆がその声の主に目を向けると、青い肌に二又の尾、複眼を持ったゼキレ・バドバウという南の方に住んでいる種族の男が酒のまだ二割ほど残った器を持ったまま歩み寄ってきた。
「で、でけえ」
椅子を押しのけるように出てきたその男の大きさにロバトは目を丸くする。ゼキレ族のその男は恐らく身長三メートルそこらはあるだろう。酒場にいる人間を含むいくつかの種族の中でもひときわ大きな彼であったが、それでもじつはサイカやヘクゼダスよりは小さいのだ。
「な、何をなさるおつもりですか………」
消え入りそうな声でしゃがみ込んだまま男を見上げるヴェッチェはなんちゃら主演女優賞を贈っても申し分ないように思われるほどの名演技であったが、これから彼女は一体どうやってこの場を納めて尚且つ有益な情報を手に入れるというのだろうか、とロバトは端のほうにじわじわと避難しながら思う。
「決まってんだろ、お前は今日から俺らの道具よ。怖いか?ああ?助けてほしいならそのバンラムだかなんだかって神に祈ってみやがれ!救ってくれるんだろ!?そいつのために前から祈ってるあんたのためならさぞかしすぐにでも神様は助けに来てくれるんだろうなあ!」
「あ、ああ……」
ヴェッチェは目に涙をためながら体を震わせていた。一方ロバトはやはり言葉がわからないので何を言っているのか理解できていなかったが、とりあえず良くないことであることぐらいは察せていた。
「おいズリいぜ、俺にもやらせろ!」
「そうだー!」
「独り占めすんならぶっ殺すぞ!!」
今度は彼に罵倒が飛ぶが、どうもいくつか飛んできた侮辱の中に彼の逆鱗に触れるものが含まれていたらしい。一瞬のうちに肌が靑から濃い緑色に染まったかと思うと、彼は天井をも突き破らんばかりの怒声を店内どころか町中に届く程轟かせた。
「今言ったのはどこのどいつだあああ!!!一族のプライドにかけて殺す!!頭から皮を剥いで食わせてから手足を引きちぎってやる!!!」
「やべえフルトゴが切れたぞ!!やっちまえ!」
怒れるゼキレ族の男の名はフルトゴのようだ。フルトゴはまず一番近くにいたシャルム族の昆虫人間の首を片手で引き抜くと頭を投げ捨ててその隣の席の人間をまとめて三人武器で切り裂いた。
「ひいいいっ!!!」
ロバトは体を丸めて鳴き啜りながらがたがたと震えていた。そこに何かが目の前に落ちたようなのでそっと顔を上げると、ちぎられたシャルム族の顔が彼の方を見た状態で転がっていたのだ。
「ヒギュッ!」
生首と目が合い、息を吸い込むような悲鳴を上げてとうとうロバトは気絶してしまった。
「おやおや、やはりサイカロスでなき者は品性の欠片も理性の余地すらも持ち合わせていないようで。やはりすべて制圧してしまった方がよさそうです」
店内が荒れに荒れ惨状を呈する中、ヴェッチェは床にへたりこんだままほくそ笑んでいた。
なんと情けないのだろう、なんと自制心すら持たぬのだろう。これではまだ、あのヘクゼダスのゴミのほうが、マシといえるもの……
そう思うと、こうして変装しているのも馬鹿らしくなってきた。周りでは、血、木片、料理、悲鳴などが飛び交っており、彼女の灰色の装束に鮮血がほとばしる時、彼女の中で我慢の限界が来た。
「ベレトーラ サクレスト エン リウテラム」
聞こえるか聞こえないかという声量で呪文を唱えた直後、先ほどまで暴れまわっていた者たちは一人残らず全員がその場に倒れこみ、身動き一つとることは無かった、ただ一人ロバトを除いては。
「な、何、何が……」
突然静かになったので恐る恐る顔を上げたロバトは、全員が酒場の床に倒れこんでいるのを目にして状況がつかめず目が右往左往していた。そんな彼のために、ヴェッチェはかいつまんで説明をする。
「呪術を使いました、指定したもの全ての意識を奪いその深層心理までしゃぶりつくしてしまう術を」
「それは、どういう」
「わからないのですか?まあいいでしょう、つまりこれらとは理性的に会話を交わすこともできないと判断したので手っ取り早く意識を覗いたのです」
「なら、ならそれを最初から使っておけばよかったんじゃ」
「そう言うと思ってましたよ。そうできればそうしたいのですがね、これを使うとかかったものは二度と目覚めないので使える状況も限られているのです」
「目覚めない?」
「ええ、申しましたが?意識を奪う、と」
「えっ……」
まさかそれが比喩的表現ではなく、本当に意識を取ってしまうものだとは思いもよらなかった。それにしても、どうして彼女はこうも自然に、動揺をこれっぽっちも見せずに言ってのけられるのだろうか。




