第九十三話 鋭利な心
本当にとんでもないことをしでかしてしまったと後悔するころにはもう既にジェイラスたちの姿は無く、痕には五人の部族たちとそれに囲まれるヘクゼダスが残った。残りの敵は飛び跳ねるのを止め、全員彼に正面を向けたまま円を組み、じりじりと周囲を回り続けているのはきっと攻撃の機会を狙っているためなのだろう。数では彼らが上回って入るものの、体格では圧倒的にヘクゼダスが上でありまた彼が悪魔であるということも奴らが迂闊に手を出しにくい理由であった。
尻尾をしならせながら、ヘクゼダスはどいつから先にやるべきか目移りさせていた。まずこういう時にやるべきなのは指揮官のはずだ、どれがそれに当たるものかは見分けがつかないが、既に倒してしまっていなければ必ず一人はいるはずなので、そいつを優先的に倒して後は力任せに皆殺しにすればいいはずだ。
こうして彼は身構えた姿勢を崩さずに見定めようと試みていたものの、結局判断がつかなかったため彼は思い切って前方の奴から仕留めることにした。
「うおおおおーーっ!!!」
雄たけびを上げて勢いよく飛び掛かるヘクゼダス、渾身の突進は軽々と躱されてしまっただけでなく、無防備な後頭部に思い切り石斧を振り下ろされ鈍い痛みを被ってしまい地面に膝をついてしまう。
「いってえええ……このクソボケぶっ殺す!!!」
怒りを露わに尾を弾丸のようにまっすぐ後方に突き刺すと、油断していた部族の一人の腹に突き刺さったかと思うとほぼ同時に尖った硬い尾の先が背骨ごと皮膚を切り裂いて貫通した。やられた敵は声にならない声を喉の奥から血の泡とともに噴き出しており、まだ命が残っていたとはいえ完全に脊椎などは切り裂かれていたため首すら動かぬ状態にあった。自分の腹を貫いている尾を掴むことすらできず、その者は貫かれたまま宙を漂っていた。
「おえっ、グロ……」
自分でやっておいてなんだがとてもえぐいことをしたものだなあと彼は刺さった敵をもう一人に叩きつけるようにして引き抜くと、血を滴らせたまま振り返る。陰にぎらつく赤黒い眼が部族の心に恐怖の影を落としこみ、彼らは自分たちが恐れを抱いてしまったという恥を否定するために、一斉に飛び掛かった。
「えっちょ待っ」
まさか振り返っただけで一斉攻撃をされるとおもわなかったヘクゼダスは、咄嗟に拳を奮い一人の腹を深く抉り取ったが、その直前にリーチの差で別の槍が胸に突き刺さってしまう。痛みを歯を食いしばってこらえながら彼は呪文を唱える。
「ローバロニェール!」
出てくる前にジューヴァルナスに教わった技だ、彼の十本の指先から放たれた箸のように細い光線は、残った三人中二人の体を二、三か所貫くと勢い余って後方の木々や地面すらも貫き焼いた。が、それでも生き残ったもう一人が彼の腹にナイフを突き立てると、硬い甲殻の隙間に半分ほど突き刺さってしまった。
「グウッ!」
怒りに任せ、肘を振り下ろすと尖った肘の甲殻が仮面を打ち砕いて部族の頭蓋骨に突き刺さった。始めてみる彼らの顔に、自分の肘に人が刺さっているというふざけた状況も他所に言葉を失っていた。
「うっそだろオイオイオイ……きもっちわる……」
体型も手足の数も普通の人間と変わらないように見えていたのでてっきり彼らも野蛮な人間だとばかり思い込んでいたのだが、その正体はまったくもって異なる種族であったことを彼は知った。この謎の部族は半分飛び出た目が四つもあり口は縦方向についているという本当に恐ろしい化け物で、頬骨の横には尖った角のような突起物が一対突き出していたのだ。鼠色の涎を垂らしているのも見えたヘクゼダスは悲鳴を上げながら腕をぶん回して死体を引き剥がすとバローロミナン遺跡の朽ちた石碑に背を預けどっかりと座りこんだ。
「ふう……こいつら何なんだ………」
こんな部族がいるということは、ここは彼らの勢力圏内ということになる。ということはこの周辺に彼らの村がある可能性があるわけで更にそれは敵に狙われ続ける可能性が出てくるということにもつながる。きっとこんな部族のことだ、復讐だとかそんな伝統で執拗に狙われ続けるに違いない。きっと捕まれば生贄にされかねないのでさっさと逃げるかせめてヴェッチェと合流できれば少しは不安が解消されるのだが。
「よっこいしょっと」
痛みを我慢して立ち上がると、のろのろと当てもなく歩き始めた。どこかにせめて水場でもないだろうかと思いつつ歩いていると、耳にさらさらとした音が入る。まさかと重い足を持ち上げて走っていくと、そこには小さいが池が広がっていた。反対側からは、小さな岩の滝がありいくつもの大岩を伝って水が軽やかな音を立てて湖に注いでいるのが見えた。
彼は跪いて手のひらに水を掬うと、水はすぐに赤い絵の具を溶かしたようにもやがかかり薄赤く染まってしまった。まずは血を洗い落としたほうがよさそうだ。手早く血を落としてしまうと今度こそ彼は水を掬って口元へと持っていった。のど越しの良い水が喉を通じて体内へと流れ込む。悪魔とはい生命、人間の時と同じように水がなければ生きてはいけないのだ。彼はそれから何度か水を同じようにして飲み次に顔を洗うと顔にも返り血を浴びていたようで、固まり始めていた血が手のひらにこびりついていた。かつての皮膚のある顔なら顔にこびりつく感覚で分かったのであろうが、彼の頭や体表の一部は硬い甲殻で出来ており表面上に触覚はないに等しい、そのため何かが付着していても自分で気づくか誰かに指摘してもらわない限りそのままになってしまうのだ。
「皆どこ行っちまったんだ……」
恐ろしい野蛮な部族が住み着く遥か彼方異国の地で、こうして一人で傷つき過ごしているのはどうにも心細いものがあり、とにかく同行者の存在が喉から手が出るほど欲しかった。ふと考える、あの時飛ばされたのは自分とヴェッチェ、それとあの三人組だけなのだろうか。内部の閉鎖空間にいたためにあの爆発の規模がどれほどまでに広がっていたのかを把握できていないため、もしかすると外にいたギダリアド族たちも巻き込まれて同じように飛ばされてしまっているのではないだろうか。しかし、かといって自分と同じ場所に飛ばされたという確証がある話でもなく、そう考えるともしかすると自分はここで一人取り残されたまま誰にも気づかれることなく部族たちに追われ続けやがて力尽きて殺されてしまうのではないだろうか、そういう孤独の内に死すことへの恐怖がとめどなく湧き上がってきていた。折角異世界にきてそんな英雄的な死でもなければ人知れず獲物として狩られて死んでいくのか、と。
「クソッ!」
彼は悪態をつくと水面を殴りつけた。灰色の小魚が五匹、驚いて逃げていく。
「仕方ねえやな、こんなことしてたってさ」
彼にしては珍しくポジティブシンキングで立ち上がると、大きく伸びをして腰を捻った。とりあえずはこの森から脱出して悪魔の誰かを探すことを目的とした。遠くの地であってもきっとサイカロスの拠点はどこかにあるはずで、恐らく同じ悪魔なら遠くの拠点の者であろうとも受け入れてくれるはずだ、それからそこの拠点でなんらかの方法を探してそれからマヨルドロッタ城に変えればいい。とかく適当な当てではあったがそこら辺を出歩いている悪魔に出会えるという一縷の望みを胸に彼は歩き出そうとしていた。きっと仲間の一体や二体すぐに見つかってそれで帰れるはずであった、真後ろから迫る部族に気づきさえしていれば……