第九話 キエリエス・ヴィ
「訓練場へ向かいましょうか」
本をそっとしまい込み、ヴェッチェとヘクゼダスは資料庫を後にした。
階段を上りながら彼はこれからについて考えていた。このままいくとやがてそう遠くないうちに自分はRPGの雑魚敵の一つとして、強力な勇者たちの経験値の一角として消えてしまうのだろう。それは嫌だ。しかし敵前逃亡や戦闘の拒否をすればどうなるか分かったものじゃない。人間界ですら銃殺刑だ、ましてや魔界ではどんな苦痛を与えられるか……
ろうそくの炎の揺らめきが二人の影を揺らし、彼の足音が上と下に反響する。
ただ自分はしょうもなく死ぬために転生したわけではない。結果はどうあれ実際に転生できたのだから
モブの一人ではなく何かしらの使命を持っているはずである。そうでなければならない。彼はその使命について考えを巡らせ続けていた。やがて地上階へ戻り、見覚えのある廊下に着いた。ヴェッチェは廊下に出ると今度は左に曲がり、城の中心部へと向かっていった。廊下は少し狭くなり、壁には窓も見られない。しかし何らかの魔法なのか、いたるところに規則的に光る物体が壁の窪みに収められているため薄暗さなどみじんも感じられなかった。壁も床も綺麗で、よくある魔物の城のように壁に蔦が這っていたり骸骨が放置されているというようなこともなかった。蜘蛛の巣一つすら見られない。これもエッゲガラとかいう存在のおかげなのだろう。ああ、これで周りにいるのが人間であれば……
などと耽っていると突然ヴェッチェが歩みを止めたために、うっかりヘクゼダスは彼女を弾き飛ばしてしまった。
「あ、やば」
床に突っ伏している彼女に気づき、自分がしでかしたことに恐怖した。腕の一本くらいはもがれるのではないだろうか、と。どう謝ろうかあわあわしているとおもむろに彼女は立ち上がる。一体どんな罰が与えられるのかとおびえていたが、彼女は体を軽く払っただけで、振り返ることはなかった。
「気を付けなさい」
「は、はひ……」
何故なのか。彼女の意図を理解できなかったが、すぐに彼の注意は別のものに注がれることとなった。
「フラー様ではありませんか」
やけに可愛らしい声が彼女の名を呼んだ。まるでアニメのキャラのような、そんな声であったため思わず彼は顔を綻ばせて声の主の方へと向いた。そこにいたのはまさに彼の望んでいたような人物であった。
「キエリエス」
キエリエスと呼ばれたのはいうなれば青肌の悪魔っ子であった。人型できわどい衣装、ボンキュッボンなスタイル、黒い羽根、先が矢じりのように尖った尻尾。まさに理想、それどころか期待以上。こんな悪魔に出会いたかったのである。彼が内心ワクワクして彼女と話す機会を窺っていると、ヴェッチェが
「キエリエス、こちらはヘクゼダス・アグログアール。人間より転生したジュルです」
「よ、よろしくおねしゃっす」
するとキエリエスという悪魔はニコニコしたままペコリと一礼して自己紹介を始めた。
「私キエリエス・ヴィといいます。等級はグライバ。ここでは治安維持を行っていますので!スリーサイズは上から」
と、ここでヴェッチェが言葉を遮ってしまった。
「そこまで。キエリエス、いいところに。ついてらっしゃい」
「わかりましたフラー様!」
やけに元気な子だなあとドキドキしていると、二人はさっさと歩き出してしまったので、彼もすぐに後を追った。今度はぶつからないようにしなければ。
「ヘクゼダスは人間だったの?シラバルサンサの人間?」
やけにフレンドリーだが、今の彼にはとてもありがたい存在であった。その上最高な見た目をしている。これを元とはいえ思春期の男子がどうして興奮せずにいられようか。
「え、あ、いや何というか……その、ッス」
が、女子に対する免疫のなさがここで露呈してしまった。しかしこれも当然、ヘクゼダスもとい山口功は、普段男とすらあまり話すことのないオタク野郎である、ましてや女子となんてなおのこと。例え相手が悪魔であったとしても、可愛い女子とどもらずに話せる力など彼にはなかったのであった。そんな彼を知ってか知らずか、うまく説明できない彼の代わりにヴェッチェが話してくれた。
「彼は別の世界から来たのです。理由は知りませんが。ともかくこちらのことは何も知りませんからこうしてわざわざ私が教えてあげてるのですよ」
「はあー、別世界からの……そんなのあるんですねえ」
感心したようにうなずくと、ヘクゼダスの方を振り返りにこりと笑った。その一撃に彼の心は一撃で陥落してしまった。もてない男の悪い癖である、ちょっと女子に優しくされるとすぐ惚れる。情けないことこの上ないのであった。
「やべえな……可愛いしエロい……悪魔になってよかったかも」
気持ちの悪い笑みを浮かべながら彼は二人の後を追っていた。この光景を人間に当てはめると、二人の若い(?)女性の後を挙動不審でニヤついている男が付けているのである。最早警察ものである。
「さあ、ここですよ」
キエリエスがヴェッチェの代わりに扉を開けた。そこにあったのは地下闘技場のような施設であった。