第八十九話 プリズム・クレセント
男の手から無詠唱で術が放たれ、一転集中の衝撃波が彼の腹に向かって伸びる。ヘクゼダスは反射的に右腕を突き出してヴァール・グラオラスを唱えようとするものの間に合わない。あと少しの所で彼は弾き飛ばされてしまい、壁に打ち付けられてしまった。
「いってえー!」
頭をしこたまぶつけたために、彼は頭を抱えて転げまわっていたが両肩を猛烈な力で掴まれて彼は持ち上げられた。
「いだいいだいいだい!」
目を開けると、サイ男が太い腕で彼の体を持ち上げていたのだった。間近で見るサイ男の眼は、黒く淀んでおりまるで生気を感じられない。
「敵対の意思はない!やめてくれー!」
必死に攻撃を止めるように説得を試みるが、いかんせん交渉が下手であった。そんな命乞いまがいで攻撃の手を緩めるはずもなく、サイ男はヘクゼダスの胸を自慢の角で貫こうと持ち上げた。万事休すか、そう思われたその時であった。
何本もの太い植物の蔓が目にも止まらぬ速度でサイ男の体を何か所も貫くと、ヘクゼダスから引き剥がしそのまま硬い岩壁にくぎ付けにしたのだ。何が起きたのかはそこにいた者たちは誰もわからなかったが、ヘクゼダスが入ってきたほうの廊下から一体の悪魔がおもむろに現れたことで、攻撃の主が判明した。
「……貴方がた、存じませんがシャクラズマナの者ですか?」
そのねっとりとした声に、ヘクゼダスは喜びの声を上げる。
「ヴェッ、フラー様!」
ヴェッチェは一度ヘクゼダスを睨み、そしてリーダー格の男たちの方を品定めでもするように下から上までじっくりと見回し、蔓を引き抜こうとしたサイ男の胸にもう一発ぶち込むと、男たちの方にもう一度尋ねる。
「シャクラズマナ城の者ですか、と聞いているのです」
シャクラズマナ城とは、マヨルドロッタ城よりラウラウ海を挟んで北側にある大陸南部を納めているニフェリアル側の城のことである。城主は夢魔王ザーラザータ。シャクラズマナの手の者かと問いただされた男は、鼻で笑うとヴェッチェの方を見て彼女の名を言い当てる。
「クラボラット城の死刑執行人サヴェッチェか、ハッハッハ!まさかこんなところに何故お前が」
フラーだけでそこまで言い当てるこの男は、一体何者なのだろうか。ヴェッチェが知らない相手ということは、彼女と比べると下級であることは確かだが、にしてはやけに強者のオーラを醸し出しているようにも見える。
「貴方がた……色々と聞きたいことは山ほどありますが、まあそれはおいおい。まずはあなた方の名前と、何故このドラグロが動き出したのか、訳を知っていそうですがねえ」
男の質問には答えることは無く、彼女は更に問いただすが男はそう易々と話すわけもない。そこでヘクゼダスは直前のことを思い出し、彼女に相手の仲間の一人の名前らしきものを伝える。
「確かあの女はレッヴァリッキド?とかなんとか」
その名を聞くと、ヴェッチェは目を細めて小さく、あの者が、と呟いたのを彼は聞き逃さなかった。どうやら心当たりがあるようだ。
「貴女がクォ=シャーメイゼのレッヴァリッキドですねえ。噂はかねがね……とすると、貴方、もしやザガーリィ・ゼントライアスでは?」
その名を言われた男は右目をひくつかせてため息をついて見せる。どうやら名を知られていることは彼にとって好ましくないようだ。ザガーリィと呼ばれた男は二、三歩歩み寄ると横のレッヴァリッキドに何かを合図したようだ。その証拠に一瞬シフスの流れがザガーリィから彼女に伸びたように見えた直後、レッヴァリッキドが中心の大水晶から回り込むように動く。
「フラー様は、あいつらがなんなのかご存じで?」
「ええ、まあ一応。存在は耳にしていましたがまさか実在する愚か者どもだとは。あの者たちは元はサイカロスの一員としてエッシャザール皇帝陛下にお仕えする者の一人であったのです。あのレッヴァリッキドを覗いて。彼らは何を目的としているかはわかりかねますがね、皇帝陛下の糸よりどうやってか逃あちこちで暗躍している、そういう噂でしたがね」
「つまり、裏切者?」
そう尋ねると、ヴェッチェは顔を半分こちらに向けてあろうことか微笑んで見せたのだ。初めて見せた顔全体での表情も衝撃的だが、その笑みには慈しみなんてものは一ミリも含まれておらず、邪悪で暴力をふんだんに纏った純粋も純粋な表情であった。おまけにその笑顔は本当に楽しそうに見えたので、これから彼女が彼らにすることを想像してヘクゼダスは身を震え上がらせていた。
「例え大したことをしていなくとも、陛下を裏切る行為を見せた時点で貴方がたは拷問に決まっているのです、私直々の執行でねえ!」
言葉を言い終わるか終わらないかの内に、ヴェッチェの両腕から茨の鞭が三本ずつも現れ、彼女は勢いよくこの狭い室内で振り回した。その一撃をザガーリィとレッヴァリッキドは紙一重で躱すと一旦距離をとる。強固な岩壁は、薄くではあったが鞭が走ったことによって削られ辺りに黒い破片を飛び散らせていく。あれが目に入ればたまったものではないが、今はそれどころではない、ヘクゼダスは巻き込まれないように身を屈めて廊下の方に一旦退避しようと下がるが、まるでそれをわかっていたかのようにヴェッチェの振るった鞭が彼の尻を思い切り打った。
「おんぎゃあああ!!!!」
思わぬ一撃を食らったヘクゼダスは、背中を弓のように反らせて叫び声を上げると立ち上がったためにそこに返しで胸にもう一発くらい反対側に吹っ飛ばされてしまった。
「ぐううっ!!?」
どうして救援に来てくれた味方にボコボコにされねばならないのか。彼は地面に崩れ落ちながらも確実にヴェッチェはわかってやっていると確信していた。なんという悪女だろうか。悪魔め!
こうしてヘクゼダスには攻撃が当たる一方で、本来の目標であるザガーリィたちは躱したり防御術を用いて彼女の攻撃をなんとか受け流していた。一見ヴェッチェが苦戦しているようにも見えるが、現在完全に彼女の方が有利なのである。
何故なら、今彼女は十分の一しか力を出していないということと、巧みにかわしているように見える彼らも実は防御が精一杯で反撃に転じることが出来ずにいるのだ。鞭という攻撃に隙が大きく出てしまう武器を扱っていながらも全くの隙を見せないどころか、まだ攻撃手段は持ち合わせているぞといいだけな余裕の表情を見せるヴェッチェは流石であった。そこにようやく最後の蔓を抜いたサイ男が体中あちこちから青い血を流しながらも激昂し、ヴェッチェの右後方から突進を仕掛ける。死角からの攻撃に、ヘクゼダスは彼女に注意を呼び掛けた。
「危ない!!」
あわや直撃か、というところで地面から何本もの蔦が伸びてそのまま何重にも巻き付くとサイ男を投げ飛ばそうと振りかざす。が、大きく部屋全体が揺れた。ドラグロが他の巨人にもでもぶつかったのだろうか。その衝撃によって思わず手元が狂ったヴェッチェは、ザガーリィたちに向かって投げ飛ばすはずであった男を、うっかり真ん中の大水晶に向かって思い切り叩きつけてしまったのだ。彼の直撃をモロに食らった水晶はまるで一万年の時が一瞬にして流れたかのような音をそこら中に漏らすと、見るからにマズイ雰囲気が辺りに漂い始めた。流石のヴェッチェも攻撃の手を止め、水晶の方に目をやる。
「なんて、ことを……レッヴァリッキド、ヴァーロ!!」
ザガーリィは二体の名を呼ぶと、ドラグロの内部から脱出を図ろうと出口に通じる通路に向かって走った。だが、それをヴェッチェが通すはずもなく彼らの前に立ちはだかると、自分の周りにやけに殺意のある形状をしているゾイフォンデらしき火球を複数展開させた。それに対し、ザガーリィは焦りを含んだ表情で彼女に凄む。
「今はそれどころでは!」
その直後、水晶が輝いた。光は内部にいた彼らだけでなく、後ろから追従していたグムデアテルとその旅客たちも巻き込んでしまった。三十秒ほど続いたその光の後に残ったのは、動きをようやく止めたドラグロただ一体のみであった……




