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第八十話 気まぐれなお節介

 マヨルドロッタとミンガナスの間に起きた戦争の消滅から早一カ月半が経過していた。大桜高校一年二組の生徒たちが勇者として旅立ち、順調に力を付けている頃重傷を負ったヘクゼダスはようやく治療ポッドから解放され久々の空気を味わっていた。

「ふぅーあ……どうもまだ体中がふわふわした感覚なんだよなあ」

 ヘクゼダスは時折スキップしたりしながら久々の地に足を付けるという感覚に慣れようとしていたが、一カ月半弱も水中にいたのだから、どうもしっくりこない。普通はそんな状態で過ごしたのならリハビリが必要だろう、特に彼は四肢どころか体の機能の多くを失っていたために、それらを一から新しいものに生成させる必要があったのだ。その新しくなった体に慣れるのにリハビリの一つも要さなかったのは、流石悪魔である。

「じき慣れるさ」

と興味がなさそうにそう答えたのはガイウストである。彼もまた重傷を負ってポッドにぶち込まれていたが、彼はヘクゼダスと比べて軽傷で済んだので彼より先にポッドから出ることができ感覚を完全に取り戻してしまっていた。

 そんなヘクゼダスとガイウストは、城の廊下をヴェッチェの部屋へと向かっている途中であった。ヴィヴェルの一体がヴェッチェの部屋に来るようにとの命令を持ってきたので、彼らは食事をさっさと切り上げてこうして彼女の部屋へと赴いているのである。

「なんだろうか」

「さあな」

「サイカが復活したとか、かな」

 サイカはあれからずっと彼らの前に姿を現していない。本国で回復方法を探るそうだが、それにしても長く感じられる。もしかすると、ああして固められた時点で既に彼女の命は尽きていたのではないだろうか、そんな不安がヘクゼダスの中にあった。キウヴォッカルが死んだことも伝えなければならないのに。

「かもしれねえが、なんでもいいさ。とりあえず外に出てやりあいてえ」

「戦うのが好きだな、お前は」

「お前は嫌いか」

「うーん、多分人間の頃なら人を殺すなんて絶対できなかっただろうな。殺してやりたいと思ったことはあるし殴る妄想をしたこともあったけど、多分、実際に殺すとなると無理だったはずだ」

 よくあることだ。どれだけ殺してやりたいと思っても、普通の人間ならまず本当に行動に移すことはできない。人を殺す覚悟なんてないのが当然だ。そういう点では彼もまた普通の人間の一人だったのかもしれないだろうが、今となっては何十何百といった数の殺戮をこなしてしまっている。それを彼も自覚はしていたようだ。

「そういうものなのか、人間てのは」

「こっちの世界の人間は知らないが、俺の世界では多分そう。まあ、子供でもなんでも躊躇いもなく殺しまくる場所もあるけどな」

「そいつはおもしろそうだな。行ってみたいもんだな」

「お前ならそういうと思ったよ……よう、コッフェルニア」

「ああ」

 道中コッフェルニアとすれ違ったが、互いに立ち止まることもせずただ挨拶を交わしてそのまま通り過ぎていく。

 二人がヴェッチェの部屋の前に近づくと、ちょうどフィーリアが扉を開けて外に出ようとしているところだった。彼女は片手に紙の束を抱えており、ひと声かけてから閉めるとこちらに気づいて丁寧にあいさつをしてくれた。

「あら、お二人とも。こんにちは、お怪我はもうよろしいようですね」

 やはりいつ聞いても声だけは優れた美人だ。しかしやはり、マネキン人形には興奮は出来ない。

「あ、こんちは。どっか行くのか?」

「ええ、これをギゼ様のもとへお届けに参るのです」

と、彼女は分厚い束を持ち上げてそう言った。ヘクゼダスは、あの猫型悪魔がどうやってこんな書類に目を通すのか気になっていたが、悪魔だしどうにか法はあるのだろう。

「フラー様は中でお待ちですよ。さ」

 ヘクゼダスが扉を開け二人は中に入る。その独特な空気に未だ彼は慣れずに眉をひそめていた。首を回して体を慣れさせようとするも、心はそうやすやすと慣れてはくれないものだ。

「いらっしゃい」

 こちらに背を向けて窓の外を眺めていたヴェッチェは、彼らを振り返ることなく出迎えた。二人はデスクの前までくるとそこで立ち止まって待機する。ヴェッチェは窓枠に手をかけて指先で窓枠をつつーっと撫でた。まるで姑のテンプレみたいだな、とヘクゼダスはそれを見てすぐそう思いつく。

「……あなた方、いえヘクゼダス」

「な、なんでしょう……」

 突然口を開いたかと思えば名指しで呼ばれたために声を裏返させて返事をしてしまった。何故名指しされたのか理解できなかった彼は、先ほどまでの楽しそうな空気から一転背筋を凍らせてまるでヤンキーにでも居合わせたかのように目を剥いて直立していた。そんな彼を知ってか知らずか、後ろを振り返りもせず彼女は台詞だけは笑って彼に緊張をほぐすように伝える。

「フフフ、そう緊張せずとも良いのです。あなたを罰しようだとか痛めつけようとかいうのではありません……そうして欲しいのであればして差し上げますが?今は腹の虫の居所が良いようなのでね」

「いえ、とん、とんでも……」

 そうですか、と少し残念そうに彼女は頷くとようやく振り返って本題を話し始めた。彼はそれよりも彼女が三つ目の眼にスライムのようなものを張り付けているほうが気になったが、とりあえず話を聞くことにした。

「明日明朝より私はギダリアドという部族の村を訪れます。その際あなた方には同行してもらおうと思っているのです」

 ギダリアドとはどういう部族なのだろうか。悪魔にも部族が存在するのだろうか。はっきりと推測の付けられない話も気になりスライムのことは頭から追い出しすことに努めた。

「ギダリアドとは人間みたいな見た目をした部族のことです。我々サイカロスはそう言ったある一部の非サイカロスのものと交流を持っているのです」

「ええっ!」

 これは驚いた。まさか悪魔は人間その他を皆殺しにして回っているのではなく、交流をもった者たちもいるとは予想だにしなかった。悪魔と交流できるなど余程の胆力をもった奴らなのか、はたまた亜人系でも人から離れているような種類の生き物なのか。いずれにせよあまり気の進む者ではなかった。

「拒否権はありませんよ。そうだ、一つ忠告しておきましょう。彼らは地面を大事にしております。彼らの前、領土内では決して地面に唾を吐いたり落書きなどしてはなりませんよ。あなたがもしへまをして彼らに捕まっても私は知りませんからね」

「え?あ、はいわかりました」

 地面に唾も吐けないなら彼らは痰がでたらどうしているのだろう。畑を耕したりとかも出来ないのだろうか。つくづく異世界異文化というものは理解が及ばないところがまだまだあるようだ。

「行って何をするんですか」

「私たちいつもの使節が彼らの代表と話している間あなたは外で彼らを観察しなさい。別に任務などではありません。これは私の好意であなたに特別なものを見せてあげましょうというだけなのですから」

 とんでもないおせっかいもあったものだ。どうせなら自室でごろごろしてるかキエリエスでも探すかしたかったのに。などと思っても口には出来ないところが恐ろしい上司を持つ部下の辛いところであった。彼は不服そうな態度を表に出さずに極めて自然にそれを了承した。

「了解です」

 退出の許可をもらった二人は部屋を後にしようとした去り際、彼女はとても興味深い言葉を述べた。

「ギダリアドには巨人がいますよ」

「え?巨人?」

 彼はすぐに野球と流行っていた漫画を思い浮かべたが恐らく違う。彼女の話し方から察するに、もしかするとギダリアドという部族自体が巨人族なのではないだろうか。そう考えるとやはり行きたいという気持ちが全く沸かないヘクゼダスは、軽く頭を下げて扉を閉めた。


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