第七十六話 遠くより訪れる者
「あっ、いえいえそんなとんでも」
DNAに刻まれた日本人の癖が転生してもなおしっかりと残っているのか、剛紀たちは首を横に振って謙遜して見せた。フラオは笑顔でもう一度感謝のジェスチャーをすると、後ろの方を振り返って奥の方に声をかけた。すると部屋の奥から中年くらいの女性が現れその手には盆にのせられたカップが五つ湯気をたゆたわせていた。続いて今度は剛紀たちよりいくつか年上と思わしき若い女性が前者よりも大きめの盆に何かを乗せてきたが、座っている彼らには今はまだよくわからない。
「テメデアです。熱いのでお気をつけくださいな」
中年の女性は優しい笑みをなげかけると、彼らの前にそれぞれテメデアというクリアブルーの飲み物の入ったカップを置いた。中を覗き込んだ弘之は眉間に皺を寄せて警戒しているようだった。今まで青い食べ物なんて見たことなかったのだから無理もないだろう。特にここは未だ勝手知らざる異世界である。
続いて若い女性の方が盆を降ろして皿に載せられた丸い蒸しパンのようなものを置いていった。
「ジャキマックです。中にコアンズのジャムが入っています。とても美味しいですよ」
美しいというわけでもない顔であったが、とても人の好さそうな笑顔に剛紀たち男子は心のときめきに戸惑っていた。
「どうぞお食べください。今年のテメデルとコアンズはいい出来でしたから美味しいですよ」
フラオの進められるがままに五人は恐る恐るそれぞれテメデア茶とジャキマックを手に取り口に含んだ。
「甘っ!」
弘之はジャキマックの中に詰まった黄色いジャムの甘さに驚きの声を上げた。自然な感じの甘さは現代日本においてはまず彼らのような若者が触れるような味ではなかったため、初めての感覚に不思議さを舌に覚えたのであった。
「このお茶もなんだか爽やかー」
「熱っ!」
玲奈はテメデア茶の色通りの味に驚き、美優は猫舌に阻まれ執拗に冷ますために息を吹きつけていた。五人は不思議な異世界の食べ物に感心しながら味わった。バイアレストルにいた際も料理は食べていたのだが、そこでは大丈夫そうな店を選んで、当たりならそこに通い外れなら一応完食して二度と行くことはないということを繰り返していた。地方から多くの商人や移住者の集まる大都市であったため食の選択肢には困ることはなかったため、膨大な種類の中から彼ら異世界人の感性に近い料理を選べたのである。そのためこういったものに手を出してこなかったのである。
「気に入っていただけたようで何よりです」
フラオも満足そうにそう言うと、剛紀たちの背後から戸の開く音がし振り返るとジェーガがそこに立っていた。ジェーガは綺麗な服に着替えており、肩を彼を連れて行ったときに出迎えた男の一人に支えられていた。彼はその状態でどうやって上ったのだろうと不思議に思っていたが、彼らは忘れていたが村の家々は繋げられているのでそこを渡ってきたにすぎなかった。それでも最低一度は登らなければいけないため、その時ばかりは上から吊り上げてもらったのだ。
「皆さん」
ジェーガはテーブルの横に座ると頭を下げて両掌の先をちょんちょんと床に二回、そのあと膝に一回そして胸に一回当ててお礼の言葉を改めて述べた。
「貴方たちは命の恩人です。私にはまだ小さい息子と妻がおります。私があそこで死ねば家族に悲しみと不自由をもたらしたでしょう。本当にありがとうございました」
彼は涙ながらに頭を下げた。
「そ、そんな頭を上げてください」
剛紀はいたたまれなくなり彼に止めるように促したが、それでもジェーガは頭を下げ続けた。
「これは我々ティルタモの礼の作法なのです」
咄嗟にジェーガを支えていた男が口を開いた。
「作法?」
「はい、この最高礼の仕草は頭を下げたら三十秒頭を下げ続けるのが作法なのです。申し訳ありません、お伝えしておけばよかった。我々は文化が違うということをこういう奥の村に住んでいるとわすれてしまうのです」
これがここでの礼の作法ということを聞くと、とりあえず五人は納得して彼が頭を上げるまで待った。自分たちよりも一回りは年上であろう大人のこういう姿を見るのは、なんだか気持ちのいいものではなかった。ようやく礼が終わったことに安心すると、ジェーガはフラオの横に座り直して本題に入った。
「そもそも、何故ジェーガがあそこにいたのか。気になられたのではないでしょうか」
フラオがそう言ったものの、五人は別にそこまでそういった事情については考えていなかったため、とりあえず、まあとかはいとか答えておくことにした。戦いで余裕がなかったとかそういうわけではなく単に気にしなかっただけであった。精々考えたとしても採集だとか物を運んでいる最中に襲われたのではとかその程度しか考えつかなかっただろう。
しかし、実際の状況は異なっていた。ジェーガに変わってフラオが悪魔に襲われた経緯を語り始める。
「このあたりには今まで悪魔どもが出てきたことはありませんでした。化け物すらもまず姿を目にすることはありません。そのため我々は穏やかに暮らすことが出来ていたのです。しかし、ここ一年ほど西の方から悪魔が出没するようになったという話を耳にし始めたのです。それは歩いて三日ほどのところにあるゼッタ渓谷の村ゼッテイオンでも確認されるようになっていたのです。我々は悪魔どもの手が迫っていることに早急に対応すべき脅威と考え、この村の周囲に強力な結界を張ることにしたのです。そのためにはまず周囲の環境を調査しなければなりませんでした。適した場所に適した術をかけることで安定した結界術を張ることが出来るのです。悪魔たちは我々の思っていた以上に早く斥候を送り込んできたようです。ジェーガも調査に出した者の一人でした。ジェーガはバルートナ川とその隣にあるベルジュバファーダ川の間の土地を調べさせていたのです。それが失敗でした。せめて二人以上で行動させればよかったのです。ジェーガは運悪くそこにやってきた悪魔に掴まってしまったのです。今まで聞いてきた噂からして、そのままであればまず帰ってくることはできなかったでしょう。ですが、そこにあなた方が現れて悪魔どもを打ち倒してくださったのです」
ジェーガはどうやらこの村を守るための調査に出ていて悪魔に見つかったらしい。玲奈はあることが引っかかり、フラオに尋ねてみた。
「村全体を覆えるような結界?があるんですか?」
するとフラオは深く頷いてその術について簡単に説明を始めた。
「ケルマー結界と言ってですな、術をかけられた内側は外側から認識されなくなるという便利な術があるのです。かけるのには手間がかかりますが一度かければまず消えることはありません。それは悪魔たちにも通用するもので、我々はバイアレストルから魔法使いをお呼びしてかけていただくつもりでした。その下準備のために調査をしていたのです」
ケルマー結界というものは不思議だが便利な魔法らしい。それは悪魔で言うキリムエの術に値するものであった。すると魔法使いの端くれである弘之はケルマー結界について彼に聞いた。通訳は剛紀が行う。
「ケルマーをかけるにはかなりの量のベルダーモ鉱石がいるはずだけど、それは用意できたのか?この村だけにかけるわけにはいかないはずだ。隣の川や農地だってあるはず。そんな巨大な面積にかけるなんて、それこそ悪魔やコルシス、あとはピレイマのものでなければ難しいだろ」
彼の指摘はもっともだと思ったのか、フラオは何度もうなずいた。驚くような仕草を見せないということは、それも既に理解しているということだろうか。