第七十一話 悪辣な終結
ヴェッチェはピクリとも動かぬ彼の周りをしっとりと歩く。木の根の足が、動くたびに軋んだ音を上げている。彼女の表情はいつも通りに無表情であったが、その眼だけはぎらつき昂っていた。死の間際にあろうかという元異世界人の悪魔の耳元に立つと、そっと座りこんで耳元で囁いた。
「キウヴォッカルは死にましたよ」
その言葉を聞いた途端に、見開かれた彼のむき出しの眼が、さらに大きく開かれ、辛うじて彼女の方へと向く。その血走った眼が訴えかけているのはなんだろうか。
「フフフ、まんまと敵の罠に引っかかるとは、所詮はジュル、と言ったところでしょうかねえ。キウヴォッカルもその程度のサイカロスでした。サイカはもっと優秀だったのですが、あのやられ方には感心しませんでした。ですが、あのホルスとかいう者には少し興味深いところがあります。ステフェ様もご存じのようで」
悪魔城の城主が知っているほどの人間とは、一体あの男の正体はなんなのだろうか。彼女はまるで正体を知っているかのように次の言葉を述べた。
「あれは、ただの人間ではありませんよ」
彼女は垂れてきた髪をかきあげると、彼の頭蓋骨に両手を添える。小さな彼女の手が、肉のこびりついた骨の表面を、血や体液が付着するのも気にせずに撫でまわる。その手つきはいやに艶めかしく、魅惑的だった。
「狩ってみせなさい、あの男を。私があなたをもっと強くして見せましょう。生半可な道ではありませんがね、時間もかかりますよ」
彼の眼はそれでもいいといわんばかりに訴えかけているようだった。
「フフッ、素敵です、その眼。エッシャザール皇帝陛下があなたをサイカロスに変えた理由がわかってきた気がします。あなたには、素質が眠っているのやも」
彼女は立ち上がると手についた血をなめとる。
「しれませんねえ」
ヘクゼダスはやってきた回収班に、特殊なカプセルに入れられながらも去っていく彼女の背中を睨み続ける。その殻が閉じる最後の時まで、ただ遠くなりゆくヴェッチェの背中を、じっと。
ミンガナス王国との戦争は、マヨルドロッタ城の悪魔たちの勝利に終わった。ミンガナス軍は動員された九割九分の兵士が命を落とし、また報復措置として本国の城下町では転送されてきた悪魔たちによって虐殺が繰り広げられ、老若男女問わずそのほとんどが惨殺されてしまっていた。そのことを知らされていた王等は、いずこへか姿を消しその消息を知るものは一人としていなかった。だが、噂ではミンガナスの南方にある国ジェーガンタイア王国にかくまわれているという噂もあった。ジェーガンタイアは大陸一の強国である。悪魔に狙われる者たちをかくまうほどの余裕を持っているくらいの力があるといえば、それ以上の説明は必要ではあるまい。
かくして愚王による領土拡大作戦は失敗に終わるどころか長きに渡る歴史を持ったミンガナス王国そのものを滅ぼす結果となってしまった。民も兵士たちも虐殺されたのに対し、その原因となった王とその側近たちの多くはまんまと逃げおおせてしまったのだから、なんとも後味の悪い戦争であっただろうか。
この戦いに駆り出された血統者の一団も、一人の死者を出したのみで消息を絶ってしまっていた。彼らと再びヘクゼダス達が相まみえる日は来るのだろうか。
戦争終結から実に一週間が経過した。マヨルドロッタ側もまた多くの死者を出してしまい、当初の想定よりも大幅に損害を出していた。
ヘクゼダス一行では、これから一カ月もの間ヘクゼダスがあの治療ポッドで時間をかけて治療を受ける羽目となり、重傷を負ったガイウストは二週間の間ポッド入りした。サイカはいまだあのオブジェと化したままだが、そういったものに詳しい堕天使を本国から呼んでいるため、そう遠くないうちに回復するだろうとの見込みである。コッフェルニアは戦争を通じてかすり傷程度で済んだため城の復旧作用に駆り出されており、精を出して働いている。キウヴォッカルは死に、その遺体は下級使い魔達のエサとなった。サイカロスの世界に埋葬という習慣はない。死ねばこうしてその体は再利用される。強力な悪魔の体を喰らった悪魔は、その糧により強力な成長を遂げるのだ。
そしてティリスの攻撃によって重傷を負ったキエリエスはというと……
「やっほー。ヘクゼダスー、起きてる?アハッ、顔戻ってきたね!」
すっかり傷も治り元気になったキエリエスは、グィスの管理する治療室を訪れていた。彼女は朗らかな笑顔でヘクゼダスの入っているポッドのガラス部分をコツコツと叩いて手を振っている。意識の戻っているヘクゼダスは、ポッドの中で笑って見せたが、中で絶えず発生している泡のせいでよく表情が見えなかった。
「キエリィ、やめなさいヨ。壊れたら本国から技師をよばにゃあならんのだそれは」
グィスは黒く艶やかなたてがみを撫でると、目の前で元気にウロチョロする若い悪魔を止めようと立ち上がる。動作の遅い彼の代わりに部下のビエットスがキエリエスを捕まえようと追いかけるが、彼の触手の足は、飛び回る彼女に追いつけるほど早くは走れなかった。
「ごーめんごめん。ガイウスト、元気?」
「グバボババアババ!」
隣で同じように繋がれているガイウストが顔をしかめて何か怒鳴っているが、満ちている治療液のせいで彼の声は全て泡となり雑音と消えた。それを見てやはり彼女は笑って再びヘクゼダスの前に戻る。
「ねーえ、私つまんないなあ、早く出てきてくんないかなあー」
といじらしく指をガラスに押し当てる彼女の魔性の仕草にヘクゼダスは人間としての本能で興奮していた。
(流石サキュバス、いやセイ、なんだっけまあいいや。サキュバスはやべえわ)
精神的には余裕を見せる彼だが、彼の体はそのほとんどがいまだ失われたままで、ようやく骨の再構築が行われているというところであった。心臓もようやく第二心臓が拍動をし始めようかというところであった。ちなみにその心臓は現在下半分が露出しており、三秒に一回拍動している様子がガラスの外から見て取れた。それに気づいたキエリエスが舌なめずりをしたのを、彼は見逃さなかった。
「あと二十二日は入っとかなきゃいかんかねえ」
グィスが書類をめくりながらそう答える。するとそれを聞いたキエリエスはあからさまに落胆した表情を見せてその場に座りこんだ。
「コヴェも死んじゃったし、もう友達いないから遊べないんだよねえ。副隊長は遊んでくれないし」
同じ部隊に配属されていた彼女の友人のコヴェは、キエリエスとヘクゼダスが再開した日の前日に命を落としていた。友人が彼女の背後で死んだとき、彼女は怒りに任せ二十分で二百人の兵士を血祭りに上げたほどに怒りを放出させていたという。
つまらなさそうに座りこんで床をいじいじしていた彼女だったが、突然立ち上がるとヘクゼダスの顔を覗き込んでこうささやいた。
「ヘクゼダスは私がやられたときとっても怒ってくれたんだよね?嬉しいなー、そういうの。敵討ちって大好き。治ったら一杯あそぼ?私のとっておきの場所に案内したげるね!」
「バビ?ボイボビゴヴェヴォウビヴェンヴァブ!」
目を見開いた彼が何やら叫んでいるが、やはり意味が分からない。
「それじゃあね。またね!」
明るく別れを告げる彼女に手を振り返したかったヘクゼダスであったが、上げる腕がまだ再生してなかったため、とりあえず心の中で手を振っておくことにした。
(俺の春来ちゃった?来ちゃったでしょグヒヒ!)
もてない男の勘違いか、はたまたキエリエスの感性がイカレているのか。少なくともまともな奴はいないということだけは確かであった。




