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第五十八話 下がることも、戦い

 不思議な粉を浴びてしまったサイカの体は、完全に透明な鉱石に取り込まれ、まるで中に果物や花を仕込んだ氷細工のような姿を呈してしまっていた。中のサイカはまったく動いていない。

「ティリス、皆、一旦撤退するしかないよ!」

 ホルスは悪魔の攻撃をかわすために木々を盾にしながら森を自在に飛び回りつつ提案した。

「わかった……だがメルゲーンがいないんじゃ、置いていけない!」

 ティリスは悪魔セレトットの腹に剣を一閃させながら叫ぶ。転送魔法を使えばあっという間に任意の場所へと移動できるが、それには使用者に全員が触れている必要があり離れたものは転移できない。ここにはティリスのほかにジーティ、ケスリー、ホルス、そしてピリィがいるが、メルゲーンだけがいまだ合流していなかった。だが、ホルスは悲しそうに目を伏せて首を横に振った。

「どういうことです!ホルス!」

 ガイウストが離れたことで余裕の生まれたジーティが彼に問いただす。それに対しホルスは、わかってくださいと小さな声で告げると、魔法を放った。

「ヴィルトマー」

 彼の指先から青い糸が地上に向かって伸び、それは揺らめきながらケスリーに伸びると彼の体にまとわりつき完全に覆った、サイカだけを器用に避けて。数秒後青い塊がサイカから離れると、先ほどまでケスリーとそれに巻き付いたまま固まったサイカがいた場所に、サイカだけがその体勢のまま残っていたのだ。これには敵味方問わず驚嘆の声を漏らした。

 青い糸が溶けると、そこにはケスリーだけが現れ、そのまま地面に倒れてしまった。

「そ、そうだ、まさかメルゲーンは!」

 ティリスが叫んだ。

「はい、メルゲーンはあちらのほうで一体の悪魔に殺されてしまいました。私が駆け付けた時にはもう」

「クソ……クソッ!皆!」

 ティリスは悔しそうに顔を歪ませると、ケスリーの元に駆け寄り仲間を呼んだ。彼の呼びかけに散っていた勇者たちは一瞬のうちに彼の周囲に集まると彼の体に手を置いた。転送魔法を使うのだと理解した悪魔たちはさせまいと、一斉に攻撃を仕掛けたがホルスが懐から取り出した木の小さな横笛の音色を聞いた途端に体が言うことを聞かなくなり、力が抜けて地に斃れてしまった。

「シュカミアの古笛……何故人間が!」

 コッフェルニアにはその笛の心当たりがあったらしい。シュカミアの古笛を手にするホルスを睨みつけながらも言うことを聞かない体に苛立つが、手の一本も動かせなかった。

「俺は、仲間の仇も取れぬうちに撤退しなければならないのか……ああああ!!!」

 激高するティリス、彼は一番近くにいた悪魔に爆発魔法をかけると同時に転送魔法で一瞬にして五人まとめて姿を消してしまった。あとに残ったのは、大量の悪魔の死体と、悪魔の血肉を大量に浴びたまま笛の効力により倒れている悪魔達だけであった。これだけいながら勇者の一人も狩れなかったことに対する自尊心の傷が、悪魔たちを一層に怒らせ、滾らせた。

 だが、疑問が残っていた。勇者達の言葉がわからなかった悪魔たちでも、勇者たちが聞いていた数よりも一人欠けていること位はわかっていた。それにあの勇者の怒りようは、仲間を失った時の人間の仕草によく似ていたのだ。ここにいた悪魔たちは誰一人として勇者を殺していない、それは生き残り皆が知っている。では恐らく一人を片付けたのはどこの誰なのか。また、このサイカにかけられた呪いのようなものを解く方法はあるのか、ということであった。

 悪魔たちが次なる指令を待つ間、彼らはその二つの事柄について議論を交わしていた。ガイウストとコッフェルニア、そしてサイカの従妹キウヴォッカルは動かなくなったサイカを取り囲んで対処法を考えていた。彼女の友人クイントユヌスはケスラーの攻撃によって命を落としてしまっていたために、この場にはいない。

「わからない。これがどこのもので、どういった道具なのかすらも」

 コッフェルニアは頭を抱えていた。数百年の人生の中でも全くもって見たことも聞いたこともない道具だったのだ。似たような効果を持つ呪術なら知っている。だがこれは空飛ぶ人間が振りまいた粉だ。呪術と同じ対処法で治るとは到底思えない。下手に解こうとすれば、逆に悪化させてしまう可能性があるためだ。

「サイカ、あなた美術品になっちゃったのねえ」

 黄色い肌をもつサイカそっくりなドルゴーム、キウヴォッカルは鉱石の表面をツツと指先でなぞりながら悩まし気にため息をついた。

「できることがねえんなら、転送班を待つしかねえなこりゃあ」

 そう言うと、ガイウストは大欠伸を一つ、サイカの固まった尻尾を枕に眠りについてしまった。

「困ったな……そういえば、ヘクゼダスはどこに行ったんだ」

 コッフェルニアが、ヘクゼダスがいないことに気づき、キウヴォッカルも辺りを見回してそういえば、と呟く。いつの間にか姿が見えない。まさかと思いそこら中に転がる死体を見渡してみたが、ヘクゼダスらしき残骸は無い。騎士の電撃を受けたのかとも思ったが、その時明らかにヘクゼダスらしきものはいなかった。

「困ったわねえ……あ、セレトット、ヘクゼダス知らないかしらん?あの元人間の」

 偶然前を通りかかった悪魔に彼女は尋ねた。異形タイプの悪魔であるセレトットの最大の特徴は、ぎょろついた眼と眼の間にある縦向きの口である。無造作に生えた鋭い歯の奥にはさらに何重もの歯が生えており、一度彼、或いは彼女に噛まれれば原型をとどめないまでに噛み砕かれてしまう。先ほどティリスに切られた場所に土を塗りつけながらセレトットは思い出していた。セレトットは土を体に塗り付けることで、傷ついた場所を治すことができるのだ。 

「…………a-ds9odjdodsk23mofs$Q%#........TgdfgdGDGQT4pehlh;!」

 セレトットは共通の悪魔語を離せない。彼の言葉を理解できるのは悪魔でも一握りに過ぎず偶然にもキウヴォッカルはその一人であった。

「なるほどぉ……ありがと」

 じゃあね、と手をひらひらさせて別れを告げると、キウヴォッカルは振り返って聞いた内容について教えてくれた。

「ヘクゼダスはねえ、私たちが勇者たちと戦い始めた時はまだいたけど、こそこそし始めてからどっかに行ったんだって……」

「どこかに?ヘクゼダスめ、逃げたか?」

 信じたくはないが、元人間である。戦いには慣れたと思っていたが、まだまだだったということか。コッフェルニアが落胆していると、背後の方から足音が。

「誰だ」

 コッフェルニアが振り返り、尋ねる。彼とキウヴォッカル、そして近くにいた悪魔たちが草陰に向かって戦闘態勢をとった。

「……サイカロスだ」

 誰かが呟いた。

「仲間か?」

「もしかしたらヘクゼダスかもよ」

「そうかもしれんな」

 そう悪魔たちが言葉を交わしていると、陰から現れたのは、血にまみれたヘクゼダスの姿であった。ヘクゼダスは実に鋭い目つきで彼らを一瞥すると、サイカが目に留まったようで無言のまま彼女に歩み寄った。

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