第五十七話 不思議人ホルス
ヘクゼダスがまだ獣人と死闘を繰り広げていた頃の本隊では……
「ったく、血筋を持つものってのは面倒だね!」
切り傷を数か所負いながらも果敢に騎士に戦いを挑んでいるサイカは、髪を振り乱し悪鬼の如き形相でしきりに攻撃を仕掛けているが、騎士の鎧は悪魔的に硬く、彼女の攻撃はそう簡単には通らなかった。
「ゾイフェライトス!ラグマーナ!」
サイカの両手からそれぞれ炎の渦と、透明な粘液のようなものが騎士に向かって放出された。ゾイフェライトスはゾイフォンデの発展呪術、その炎は決してただの水では消すことは出来ない悪魔の火、そしてラグマーナは、ドルゴームの一族のみに伝わる特殊呪術。その効果はすぐに明らかとなる。
ゾイフェライトスの方は騎士も対魔法防御魔法を用い後方に受け流せたが、時間差で放たれたラグマーナには対応がままならず、右肩に被ってしまった。鎧に液体が触れた瞬間から蒸気が鎧より発せられ、騎士ケスリーは言葉を失うほどの右腕の痛みに鎧を腕から引き抜いた。通常鎧はきちんと留め具でこのようにしても脱げないようになっているはずだが、なんとこの時ばかりは何故か右腕の鎧が肩のあたりから脱ぎ捨てることができたのである。地面に落ちた鎧はあっという間に黒く炎上し、半分以上が焼けて黒ずんでしまった。
「……馬鹿な……」
この鎧は、聖なる守り人タルオム族の村で村長から伝説の鎧として賜ったものであった。それはいかなる攻撃も受け付けず、いかなる呪いも跳ね除けいかなる魔法にも耐性を持つはずであった。事実、今まで幾度となく対峙してきた悪魔や獣たちの攻撃からケスリーの体を守ってきてくれたからだ。それがまさかあの透明の液体の一つで無残な姿となってしまうとは。
「おや、効いたみたいだね」
不敵に笑むサイカに、怒りの炎を燃え上がらせる。取り落とした槍を拾い上げると、右手に魔力を集中させる。
「呪術か!」
サイカではなく、別の悪魔がケスリーの魔法を妨害しようと剣を投擲する。高速回転しながらまっすぐケスリーに向かって飛んだ剣は、当たる直前に振るわれた槍で弾かれてしまった。そして振るったままケスリーは魔法技をサイカ含め十体前後の悪魔目がけて放った。
「生きとし生ける全ての者よ、千差万別なくこの雷の元に消え去れヘイレンス・ケルマートアー!!」
ケスリーの持つ破滅の槍に、彼の全身全霊の魔力が注ぎ込まれ光り輝く槍を彼は地面に突き刺した。刹那、サイカの想像を絶する激しい雷が天より槍目がけて降り注ぎ、サイカたち悪魔目がけて正面に放出された。
「ああああ!!!」
「ギャアアアアグワワアアア!」
悪魔たちの断末魔の叫びが森に広がる。
雷が消えると、そこにはいくつかの炭に変わり果てた悪魔たちの亡骸が転がっていた。炭化した死体は、風が吹くと脆くも崩れ去り、風に乗って跡形もなく灰と消えた。
「ハア、ハア、ハア……見たか我が一撃……!?」
体力を大幅に消費し、疲労しているケスリーは自信ありげにヘルムの隙間からそのぎらついた眼を覗かせる。この一撃を受けて耐えた悪魔も人間も、そんなものは誰一人としていない。否、いなかった。
しかし、彼は全身の血が引いていくのを、目の前に立っている者を見た瞬間感じていた。それは三年前、まだ駆け出しの旅を始めたばかりの騎士であったころ以来に感じた久しい感覚であった。
「どういうことだ……」
この攻撃を受けた悪魔たちは皆目の前で炭となり、灰と化して消えた。だが、たった一体だけが無事に立っているのだ。
「何故ヘイレンスを受けて貴様は!!」
ケスリーの叫びに、サイカは口を大きく開いて言った。
「すまない、人間の言葉はわからないんだ」
そして彼女は素早く彼の背後に這いよると、鎧ごと彼の体全体を締め上げる。
「あっがっがががあああ…………!」
鎧が、伝説の鎧が悲鳴を上げ今にも潰れんとしている。苦しそうな声を上げる彼を他所に、サイカはなんと絞め殺しながらも鎧の観察をしていた。
「はあ、これはタルオストマ(※1)の鎧だね。大体……九百五十年は前かな、希少なケリトミラ(※2)が混ぜ込んであるみたいだ……あ、呪術低減のためのカリミの花の雄しべを使ってるねこの匂いは。だからか……面白いなこの鎧は」
ケスリーにもサイカの言葉はわからない、だが余裕綽々でいることはわかっていた。悔しいが、今の自分にはこの蛇女の緊縛から逃れる術はなかった。魔力は全てあの一撃で使い果たしている。彼はヘルムの隙間から仲間の方を見る。弓使いのピリィはいまだ距離を保ちつつ善戦しているようだ。勇者ティリスは、今なお果敢に多数の悪魔たちと戦い奮戦している。だのに、自分は一体何をしているのか。たかが一体の悪魔に誇りであった鎧まで破壊されあまつさえ殺されようとしている。己が不甲斐なさに怒りを覚える。
「ケスリー!」
仲間の危機を理解してはいたが、次々と襲い来る悪魔の群れに救出に向かえずにいた。彼らは皆同じ事を感じていた。この悪魔たちは今までの悪魔たちよりも数段強力であるということを。今までならどの悪魔たちも皆一撃で倒せるほどに自分たちの成長を感じていたが、今は一撃で仕留めるには力を使う技を使用する必要があった。ただ武器を一度振るっただけではそう簡単には倒すことができなくなっていたのである。
「ジーティ!!頼む!ホルス!メルゲーン!!!」
勇者ティリスは仲間の名を叫ぶ。
「ゴメンちょっと……無理かも!!こいつらああ!」
エルフの少女ジーティはティリスの背中を守っていたが、そちらもやけに魔法耐性の強い悪魔たちが集中しており、なかなか得意の魔法で蹴散らすことができなくなっていたのだ。おまけに一体の狼男みたいな奴が特にしつこかった。メルゲーンは、現在ヘクゼダスと少し離れた場所で戦っており気づいていない。このままでは誰も彼を救い出すことができない。全員が、覚悟した。その時、
「すまない遅れた!!」
森の向こうから、若い男の声が。
「ホルス!」
ティリスとジーティの顔が綻ぶ。
「ケスリーを返してもらう!!」
木々の間を縫って風のように颯爽と現れる一人の男。その者は空を飛んでいた。羽があるわけではない。魔術道具を用いているわけでもない。しかし彼は飛んでいた。不思議な力を持つ男ホルスは、何もなしに空を飛ぶことのできる戦士だった。ホルスは、懐から小さな袋を取り出すと、サイカの直上をギリギリでパスしざまに粉を振りかけた。
銀色の細かな粉が、サイカの肌に触れると途端にサイカの肌の表面が硬質化し始め、見る見るうちに彼女の体はクリスタルのような薄い層に覆われていった。
「バ、馬鹿な……何!」
今まで見たことのない現象に錯乱するサイカ。透明な層は器用にケスリーを避けつつ、サイカだけを覆っていった。
「あ……この私が、不覚を?あり……え」
ついに体全体が覆われたサイカは、理解できないといった表情のまま固まってしまった。
その光景を目の当たりにした悪魔たちはざわつく。
「サイカ!」
コッフェルニアとガイウストが彼女の元に駆け寄る。
※1 タルオストマ:タルオム族の悪魔語。タルオム族とは肌の赤く、上あごに牙を持った森の奥で暮らす小さな部族。
※2 ケリトミラ:この世界で希少な鉱石。金属に適切な分量で配合し術をかけると傷ついても自然に修復するという極めて珍しい鉱石。




